本書(副題は「里親の法的地位に関する日独比較研究」)は、里親里子関係を私法(民法)上位置づける必要があることを、日本法とドイツ法を比較法の対象として検討するものである。
要保護児童、いわゆる社会的養護を受けている子の養育は、養育者とのアタッチメントを
築くために里親養育が推奨され、里親委託の数値目標が掲げられ、政府広報も盛んに行われている。ところが、近年、里子の委託措置解除をめぐり里親が都道府県(児相)を提訴する
ケースが全国で相次いでいる。里親の主張が裁判で認められることはほばないにもかかわらずである。
一般的に行政訴訟で原告が勝訴することは難しいということはあるとしても、根本的な理由は、日本法では、里親は児童を養育する固有の権利をもっていない、いわば無権利状態に置かれている点に求めることができる。里親は児童を都道府県(児相)から、児童福祉法に基づき
委託措置されている。これは行政法上の措置で、措置権者である都道府県・児相には専門機関としての裁量権が認められている。
これに対して里親は、児童福祉法上、都道府県によって認定・登録された者であり(6条の4)、児童の養育委託先として、各種施設と並んで都道府県が養育委託措置先として列挙されているものの一つである。委託される児童の多くには親権者がいるので、施設(施設の場合
入所措置という)・里親との関係はどういうことになるかというと、親権者―児相+児相―
里親となり、親権者と里親・施設が親権者から親権の一部行使を委ねられるという関係にはない。
親権者がいても、施設長や里親は、「監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる」と児童福祉法は規定し(47条3項)、この措置を親権者・後見人は不当に妨げてはならない(同条4項)とするが、これは、里親に一身専属的な身分権を認めたものではない。あくまでも都道府県から委託されて行う行政法上の措置として委託児童の養育を行うことができるというだけである。日本法の現状分析では、こうした日本法の構造分析を行っている。
ドイツ法では、里親養育(各国比較をするときに「里親」という用語を使うことは誤解を
招くと考えるが、本書では便宜上、「里親」という語を使っている)を日本のような公法で
ある行政法上の措置としていない。公法と私法という近代法の枠組みを前提にすると、
里親養育を公法上の制度として位置づけるということは、17世紀の官治国家への逆戻りに
なると評されている。この観点から見ると、日本法の構造は、近代市民社会以前の姿とさえ
いえる。では、ドイツ法での里親養育の法律関係とのどうなっているのだろうか。
ドイツ法では日本の児童福祉法に当たる児童ならびに少年援助法で、里親養育は、行政法上の措置ではなく、実親が、自らの権利として利用できる教育援助の一つであると規定されている。福祉機関である少年局は、実親である配慮権(日本法の親権に該当)者に里親をあっせんし、里親の児童を養育する権限は、親の配慮権の一部を配慮権者から委託されるという仕組みになっている。里親の児童を養育する権限は、民法上の親の配慮権に由来するのである。
そうすると、関係者の関係は、実親(配慮権者)-子ども—里親の三者関係となる。
この関係では、里親養育が長期にわたって行われ、その結果子どもと里親との間に強い
結びつきが生じると、里親里子関係を単純に解消すると子の福祉を害することにもなりうる。
こうした問題については、ドイツ民法立法時から議論されてきた。当初は、里親による里子
養育はそれほど利用されていないという認識から、里親里子関係は民法に規定されなかった。
ところが、その後しばしば民法に里親里子関係を規定することの要否が議論された。
里親による養育の根拠が親権・親の配慮権に置かれていたのだから当然である。本書で
扱っている歴史的な経緯を経て1979年の親権法改正(親権という用語は親の配慮という用語に変更された)で、ドイツ民法で初めて里親の法的権限が規定されるに至った。本書は、この1979年立法に至るまでの歴史的経緯を一つの柱として扱っている。
里親里子関係に関するドイツ民法の立法史を踏まえて日本法の現状分析をすると、里親家庭はドイツ法上は基本法(憲法)が規定する「家族」に含まれるが、日本法では日本国憲法24条がいう「家族」には該当しないということになる。