自らの野望のために、ヨーロッパそして世界を破滅の淵に追いやったアドルフ・ヒトラーの、最初のターゲットとなった国がどこかご存じだろうか。第二次世界大戦の着火点となったポーランド、その前年ズデーテン地方を奪われたチェコスロヴァキアを思い浮かべる方も多いだろうが、ヒトラーの対外侵略の最初の犠牲者となったのは彼の祖国でもあるオーストリアだった。
1938年3月12日、オーストリアはドイツ軍に侵攻され瞬く間に併合される。本書はこの
ナチ・ドイツによるオーストリア併合(「アンシュルス」)を軸に、当時の政治家や文化人
たちがこの歴史的大事件にどう向き合ったのかを描き出すことをテーマとしている。
では簡単に各章の内容をご紹介しよう。第一章ではアンシュルスに最後まで抵抗したオーストリア首相クルト・シュシュニクを中心に、前史となるドイツ=オーストリア関係を解説している。1934年に首相に就任したシュシュニクは、度重なるドイツの圧力にも耐え1938年2月にヒトラーと直接会談(「ベルヒテスガーデン会談」)したあとには、オーストリア独立維持の是非を問う国民投票を企画した。第一章ではベルヒテスガーデン会談の詳しい内容や着々とオーストリア併合を目指すドイツ側の計画などにも言及している。
第二章はアンシュルス前夜のウィーンの文化生活を、指揮者であるブルーノ・ワルター、
作家フランツ・ヴェルフェルとアルマ・マーラー夫妻、エリアス・カネッティとヴェツァ・
カネッティ夫妻を軸に描いている。ワルターは国立歌劇場の監督としてシュシュニクの信頼も厚く、またヴェルフェルはシュシュニクの個人的友人であり、アルマの主宰するサロンにも
シュシュニクは頻繁に出入りしていた。一方カネッティ夫妻のところには政府と対立する野党社会民主党のシンパが集っていた。
第三章はドイツ軍侵攻前夜である1938年3月11日の様子を、時系列にドキュメンタリー風に描いている。国民投票中止とシュシュニク辞任を求めるドイツからの最後通牒にはじまり、ナチ系のアルトゥア・ザイス=インクヴァルトの首相就任で幕を閉じるこの日は、まさに
「オーストリアの一番長い日」であった。
第四章はヒトラーを中心にアンシュルス後のウィーンの様子を論じている。1906年に初めてリンツから上京したヒトラーにとってウィーンは憧れの街であるとともに「挫折の街」でもあった。造形芸術アカデミーの受験に失敗した若きヒトラーはこの街で浮浪者のような生活を送った。しかし長じてドイツ首相にまで昇りつめたこの男は、1938年3月15日ウィーン王宮前でアンシュルスの成立を高らかに宣言する。このあと行われたアンシュルスの是非を問う
国民投票では、実に99%以上の賛成票が投じられた。
第五章はヒトラー支配下の文化生活をフロイト一家、ウィトゲンシュタイン姉弟、
ヴェルフェル夫妻を軸に論じている。ユダヤ系というだけでなくその理論もナチに嫌われた
フロイトは、マリー・ボナパルト、アーネスト・ジョーンズなどさまざまな人の手を借りて
ウィーン脱出に成功した。
一方大富豪ウィトゲンシュタイン家では、亡命を拒む姉たちと一刻も早い脱出を説く弟の
パウル、そしてイギリスで身動きの取れないルートヴィヒら姉弟間の関係が悪化し、
アンシュルスは家族の絆をも破壊してしまう。1938年の段階でフランスに脱出していた
ヴェルフェル夫妻は、ドイツ軍のフランス侵攻を受け最終的に徒歩でピレネー越えをして
アメリカへと亡命する。
終章ではヒトラー、ザイス=インクヴァルト、シュシュニクそれぞれの1945年を描いている。ヒトラーはソ連軍の侵攻が迫る中ベルリンの総統地下壕で自殺した。ザイス=インクヴァルトは戦犯として捉えられ、ニュルンベルクで刑場の露と消えた。アンシュルス以来長い拘留生活にあったシュシュニクは、1945年5月にようやく解放されたが、祖国オーストリアは彼の帰国を望まなかった。終章ではドイツからのオーストリア「再独立」の経緯も説明している。
このように本書はアンシュルスという歴史的事件を、政治史だけでなく文化史も絡めながら描いたものである。政治史的観点からシュシュニク、ヒトラー、ザイス=インクヴァルト
などに関心を持つ読者、文化史的観点からワルター(音楽)、ヴェルフェルやカネッティ
(文学)、フロイト(精神分析学)などに関心のある読者も、ぜひ手に取っていただければ
幸いである。

『ウィーン1938年 最後の日々――オーストリア併合と芸術都市の抵抗』
慶應義塾大学出版会 刊
2,970円(税込)
ISBN:978-4-7664-2972-5
8月10日発行予定
https://www.keio-up.co.jp/np/index.do