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破棄する前に3 全集書簡篇で読む作家の年賀状

破棄する前に3 全集書簡篇で読む作家の年賀状

三昧堂(古本愛好家)

 岩波書店の「図書」を定期購読し始めたのは、昭和40年代半ばの高校生時代だった。読んで理解できる記事は殆どなかったが、巻末の広告ページに掲載される文学者個人全集の「予約出版」広告を毎号恨めしく眺めていた。予約期限が近付いてくると買えもしないのに焦ったりしたものだ。

 学校の図書室でジャワハルラール・ネールの『インドの発見』という古びた二冊本を見つけた。自分でも欲しいと思い岩波書店に在庫問い合わせのハガキを出すと、当社刊行書は絶版にせずすべて在庫していますのでお近くの書店へご注文くださいと言った文面のハンコを捺した返信があった。その頃、NHK番組で「婦人手帳」というのがあって、様々な文化人へインタビューしていた。一人一週間続き、田舎の高校生を文化の香りに包んだ。昼間の番組だから
夏休みにでも見たのだろう。よく覚えているのがドイツの児童文学者ケストナーの翻訳者高橋健二、映画監督新藤兼人、それに岩波書店の小林勇だ。軽井沢あたりの別荘でのインタビューだった。これが岩波書店への興味をさらに掻き立て、何でもいいから連絡してみたくなったのである。何を期待したのか簡単な返信に少し落胆を覚えたものだ。
 
 ともかくも、高校生の身では予約出版の全集は高嶺の花で、大学生時代には予約版全集は
完結した途端に古書価が暴騰した。神保町の古書店では予約全集もバラで、しかも一割引きで買えたが、それでも数千円はしていてなかなか買えない。早く社会人になって高価な全集も
買えるようになりたいと思ったものだ。高校時代に有島武郎のファンになった。筑摩書房の
全集が出る前は、立派な叢文閣版と、円本の新潮社版の戦前版全集しかなかった。新潮社版は製本が粗悪で大半はボロボロ、叢文閣版を一冊一冊古本で求めたが、全部集め終わる前に筑摩書房から刊行が始まった。予約して購入した初めての全集で今も我が書架にある。

 個人文学全集の魅力は日記篇や書簡篇にある。私は年譜が好きなので、年譜を収めた別巻も気が付けば古本で購入してきた。亡くなってしまったが克書房さんは全集を専門とする古本屋さんで、東京古書会館の即売会では全集端本を数百円で販売してくれた。そうした中から日記や書簡、年譜の収められた巻を随分求めた。克さんは晩年、「全集類が安くなって、それでも売れなくていやになるよ」とよくこぼしていた。私と同じような昭和40年代、50年代に青年期を過ごした者は全集への憧憬が強く、克書房さんはありがたい古本屋さんであった。全集を扱う古本屋はまだいるが、克さんのように専門で扱う店はないだろう。商売にならないほど
安くなってしまったからだ。

 先日、知り合いの古本屋が抜けた巻が三冊あるからと旧版と定本版混合の『中野重治全集』をくれた。第二十四、二十五巻と別巻が抜けていて、月報もほとんどない。確かにこれでは
商品にならない。「日本の古本屋」で検索しても別巻だけでは売られていない。いわゆる
キキメなのかもしれない。将来処分する時に困ることになるが、非常に状態の良い本なので
頂くことにした。だが、問題は置き場所である。書棚を見回して、吉川弘文館の『日本随筆
大成』を物置に移すことにした。この叢書も現在人気がなく投げ売りされている全集だ。この叢書の欠点は索引がないことである。シリーズを通した完璧な人名、書名、事項索引を作れば利用価値は格段に上がる。もっとも現在は電子化されて全文検索も出来るようだが、利用できる者は限られている。それに全体を俯瞰するには印刷された索引が必要である。索引は案外に読むと面白いものなのである。

 その当面不要な『日本随筆大成』を書棚から運び出し、偶々一冊手に取ったのは第三期第四巻。中に森山孝盛の「賤のをだ巻」があり読みだしたら面白い。どんな人物かと解説を見ると第二期二十二巻の「蜑の焼藻の記録」の解説を参照とあった。それを見ると、森山は幕臣で
冷泉家門下の歌人であるが、あの鬼平・長谷川平蔵組に属する火付盗賊改役だったという。
何とも興味を惹かれる人物である。処分しようとすると、よく起きる実例の一つである。
しかし、これは次回に語ろう。

 さて、今回は困り物の全集端本だが、その書簡篇の魅力に注目したい。何方も感じていると思うが、今年は例年にも増して年賀状仕舞を伝える挨拶が多かった。葉書が値上がりしたことも理由だが、義理で惰性的に出すことを嫌う風潮が受け入れられてきたのだろう。メールや
ラインの普及で知り合いとの連絡は頻繁にもなっている。ありきたりな年賀状ならいらないという感じだろうか。

 近代日本の作家たちはどんな年賀状を出していたか、手元にある全集の書簡篇から拾ってみよう。基本的に最初期のものを上げることにする。

〇漱石・斎藤阿具宛 明治28年 
新年の御慶目出度申納候今度は篠原嬢とご結婚のよし謹んで御祝ひ申上候小子昨冬より鎌倉の楞伽窟に参禅の為帰源院と申す處に止宿し旬日の間折脚鐺裏の粥にて飯袋を養ひ漸く一昨日
下山の上帰京仕候五百生の野狐禅遂に本来の面目を撥出し来らず御憫笑可被下候先は右御祝ひまで餘は拝眉の上萬々。
一月九日 夏目金之助拝 斎藤學兄

〇啄木・小林茂雄宛 明治37年 
 天姫がうちふる領の白彩に光は湧きて新世成りぬ
 地に理想天に大日の眩ゆき希望の春をむかへぬ
明治三十七年一月一日 渋民村 石川啄木 小林茂雄様

〇荷風・井上精一宛 明治42年 
二日三日両日とも君とあや子をまつてゐた二日の晩寒月を踏んで一人濱町へ行つた新富座で
ブイキな鼠小僧を見た「ふらんす物語」はすつかり出来上つた今年から原稿料全額を貯蓄し
五年間に千円ためて伊太利へ行てヱスビアスの火山へはいつて死にたい。兎に角今年からはつゞくだけ書く。書いて金をためる日本にゐるのはいやだ。

〇芥川・葛巻義定宛 明治42年 
粛啓 新年の御慶目出度申し納め候 先達は結構なる御歳暮を頂戴致し難有く存じ候。小弟の貧しき書庫が新しき光を放つべきも近き事と思ひ候へば此上なく嬉しく覚え候 予て御存知の旅行は愈々本夕六時半の列車にて出発の事と相成候 ロングフェローが歌の巻を懐にせる痩軀の一青年が青丹よし奈良の都に其かみの栄華を忍び、薬師寺の塔を仰いで、大なる「タイム」の力を思ひ 去つて東山のほとりに銀閣を望んで 室町将軍の豪奢を懐ひ、嵯峨野のあたりに蕭条たる黄矛を踏んで祇王祇女のむかしを床しむは近く来む七日間に御座候 小生は唯今 
学校の奉賀式に列する所に候 早々頓首 芥川龍之介 兄上 硯北

〇朔太郎・萩原栄次宛 明治44年 
昨年中の御無沙汰平にご海容被下度願上候 まへばしニテ 朔太郎
賀正 赤城山かのこまだらに雪ふれば 故郷びとも門松を立つ

〇朔太郎・白秋宛 大正4年 
新正 うららかに俥俥とゆきかへるけふしも年の初節なるらむ 
大正四年一月一日 萩原朔太郎

〇野上弥生子・小手川実宛 大正8年 
あけましてお目で度う。赤さんのお誕生もおめで度う。お日立もおよろしいのですか。二度目のことで今度は万事に経験があつて先ほど困ることもないとおもひます。長い手紙を一度かき度い〵〳とおもひながら何となしに心にゆとりがなくて今日まで延引、あしからず。皆様へ
よろしく。その内に何か赤さんへあげませう。兄さんからもよろしく申します。明子へまりを送つておきましたよ、

〇梶井基次郎・宇賀康宛 大正12年 
盲腸炎でねてゐることを矢野からきいた。困つたことだね。早く癒つて呉れ。Bone(-―)D(d) ryだつたから小喀血はやつてゐる。こちらは小康だ。今日は元旦だ、お芽出度を云つておく。どうか皆様によろしく御慶を申し上げておいて呉れ。元旦 梶井基次郎

〇柳宗悦・志賀直哉連名・圖師尚武宛 
其后どうです、待つてたけど、こないから、もう断念してる。勉強はお正月に逢つちや
―a+bなんか駄目だと思、其かはり、Cornetの練習は、成巧してると想像してる、今、
志賀、田村、木下の三兄と一緒、病院通ひはまだ續けてるんですか、學校の事は大丈夫にや、そろ〵〳近いので気がもめる 宗
謹賀新年 當地今日は、朝四十二度。(志)

〇堀辰雄・神西清宛 昭和5年 
お正月の旅行が駄目になりて残念なり 「文學」第五號に小説を書いてほしい 〆切十日嚴守(三月の豫定を急に繰上げたのだ)七草すぎまで僕は一歩も出られぬ

〇太宰治・尾崎一雄宛 昭和13年 
拝啓 昨年は、いろいろ御むりをお願ひいたし、さぞ、ごめいわく でございましたでせう どうやら 切り抜けました故 他事ながら御安心下さい、原稿なかなか むづかしく、どうやら三枚、本日別封にてお送りいたしました、あんなのでよかつたら、どうか御使用下さいまし、年賀状いただき、私喪中ゆゑ欠礼いたしました、あしからず御了承下さい、末筆ながら
山崎様にもよろしく 不一

 こういう物は、全集の書簡篇でしか読めない。以上のような年賀状なら誰でも貰えば嬉しいだろうし、「年賀状仕舞」が流行ることもないだろう。
 
 
ozakikazuo
◯尾崎一雄・十和田操宛 昭和26年(筆者家蔵)
 
 
※シリーズ古書の世界「破棄する前に」は随時掲載いたします。
 
 

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