雑誌ケトルと無駄について考えた嶋 浩一郎 |
雑誌ケトルを創刊したのは4年前。コンセプトは「無駄が詰まった雑誌」。創刊号は本屋特集だったのだが、特集の中で典型的な書店員のペルソナを解き明かすべくアンケートを実施した。結果、書店員は長男が多くて、A型が多くて、AKBなら篠田真理子好きということが判明。そんな情報が何のために役立つのかと思う人もいるのだろうが、僕は雑誌には何のために役に立つのか分からない“雑な”情報がたくさん入っているべきだと思うのだ。アシモフは“人間は無駄を楽しめる唯一の動物”と言ったそうだが、無駄を楽しむことほど贅沢な体験はないと思う。
映画を見るのも、本を読むのも何かと理由を付ける人が多い。広告業界にいる自分が言うのもなんだが、“泣ける映画”とか“アイデアが出る本”とかコンテンツの効果効能をアピールし過ぎなのではないか? ところで次号の特集は“バックトゥーザフューチャー”。なのだが、この映画は伏線だらけの映画である。前のシーンに出て来たほんの些細なセリフが重大な局面を救うことになるのだ。たとえば、主人公マーティーが教会でもらったビラのおかげで過去の落雷事故の時間が分かり、それが現代に戻る重要な手がかりになる。あるいはタイムマシンを発明したドクが「トイレで滑って便器に頭をぶつけた時にタイムマシンを思いついた」と話していたことを過去のドクに伝えることでマーティーが本当に未来から来た人間だと信用させた。 映画の作り手は、あるシーンやあるセリフが、次のプロットにどう繋がるか分かっている。ある意味、神の視点でストーリーをつくることが出来る。しかし、映画の中の登場人物は未来に起きることを知らない。
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