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破棄する前に5
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(上)

廃棄する前に5
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(上)

三昧堂(古本愛好家)

もう二、三年前になるが、沖縄関連の本を読んでいて、もし沖縄に独自の文字、琉球文字があったら、沖縄の文化や文学はどうなっていたろうかと想像したことがあった。古書展で求めた『山之口貘詩集 鮪に鰯』(昭和39年・原書房)に「弾を浴びた島」という短い詩がある。

 島の土を踏んだとたんに
 ガンジューイとあいさつしたところ
 はいおかげさまで元気ですとか言って
 島の人は日本語で来たのだ
 郷愁はいささか戸惑ってしまって
 ウチナーグチマディン ムル
 イクサニ サッタルバスイと言うと
 島の人は苦笑したのだが
 沖縄語は上手ですねと来たのだ

昭和33年に『定本山之口貘詩集』(原書房)が刊行され、大正13年の二度目の上京以後35年ぶりに沖縄に帰郷し、島の変化に衝撃を受けた時の思いを詠んだ作品である。詩人のショックも想像がつくが、私はこの詩を読んで、琉球語をカタカナで表現するしかない「悲劇」を感じた。

調べると「日琉同祖論」とか琉球語は日本語方言の一つであるとか、古い日本語が残っているとか、琉球が日本の亜流であるような考え方はどこか違うのではないか、独自の琉球文化を
築きながら独自の文字を発明できなかったのは如何にも不思議である、そんなことを考えていた時、大学時代の同級生のグループラインに「高田渡のLPアルバムがあります。欲しい方に
譲ります。希望者がいなければ処分します」とあった。私は即名乗りを上げて着払いで送ってくれとラインした。しばらくして届いたのは以下の6枚だった。

 汽車が田舎を通るその時(1969・10)
 ごあいさつ(1971・6)
 系図(1972・4)
 石(1973・6)
 ヴァーボン・ストリート・ブルース(1977・6)

それに「武蔵野タンポポ団の伝説」(1980)というライブ盤があった。

20250610_LP

 高田渡が山之口貘の詩に曲を付けていることは知っていたが、貘の詩に興味を持ったのは
比較的最近なので、これまで聞いたことはなかった。その6枚に入っている高田渡が歌う貘の詩は「鮪に鰯」「結婚」「生活の柄」(ごいあさつ)、「告別式」(系図・武蔵野タンポポ団の伝説)「石」(石)、「座布団」(ヴァーボン・ストリート・ブルース)の6曲である。

その他、フィシング・オン・サンデー(1976)に、「頭を抱える宇宙人」が収録されている。今は便利な時代ゆえユーチューブで聞くことが出来る。これも所持していないが、高田渡が数人のミュージシャンが歌う貘の詩を集めた「貘」というCDアルバム(1997)もあり、
高田自身も上記以外に「歯車」「深夜」「夜景」を収めている。でも古本人間はレコードかCDで欲しいのである。

 因みに書き添えれば、今回、そのレコードを聴くために書斎に持ち込んだレコードプレイヤーは電源を入れてもターンテーブルが回らないので処分しようと思っていたものだが、調べたらゴムのベルトが外れていただけですぐに直った。これも捨てずに良かった。

 7曲を聞いて「石」が、メロディ―も含め一番心に残った。次のような詩である。

 季節季節が素通りする
 来るかとおもつて見てゐると
 来るかのやうにみせかけながら

 僕がゐるかはりにといふやうに
 街角には誰もゐない
 
 徒労にまみれて坐つてゐると
 これでも生きてゐるのかとおもふんだが
 季節季節が素通りする
 まるで生きすぎるんだといふかのやうに

 いつみてもここにゐるのは僕なのか
 着てゐる現実
 見返れば
 僕はあの頃からの浮浪人

 処女詩集『思弁の苑』(1938・むらさき出版部)に収録されているから戦前の作品である。高田渡は微妙に詩を変えていて「徒労」は「むだぼねおり」、「現実」は「まいにち」、「浮浪人」は「ふろうしゃ」と読んでいて、第三聯の「まるで生きすぎるんだといふやうに」と、四聯の「いつみてもここにゐるのは僕なのか」を削除して、「着てゐる現実」につなげている。他の詩もアレンジしたものがあるだろう。

 高田渡自身にも『個人的理由 高田渡詩集』(昭和47・ブロンズ社)がある。彼は貘の他、金子光晴、高木護、木山捷平、添田亜蝉坊などの詩を歌っているが、それぞれ個性を持ちながらも共通したものがあるようだ。

 高田は『個人的理由』の「あとがき1」の冒頭に次のように書いている、
 これらの詩は十八~二十までの二年間の記録である。父も十九~二十の時に詩を書いていた。そして、それらの作品は四十年以上も過ぎて初めてうすっぺらな一冊の詩集となったのである。「詭妄性詩集―高田豊」 今、わが家にはこの一冊のカビ臭い詩集だけが残っている。

20250610_takadayutaka

 高田渡の父へのリスペクトには強いものがあるのだろう。アルバム「系図」のジャケットには恐らく豊の晩年と思われる写真と「田舎の電車」という詩が印刷されている。因みに収録曲ではない。豊の詩では「火吹竹」が「石」に収録されている。

「田舎の電車」

電車は走っている
車輪の音響に促されて
無意識に走っている
私は後に凭り掛って瞑目している
私は行先を考えてはいない
運転手の目は
慣れ切っている前の
レエールなんか見てはいない
唯った4,5人の客は
てんでに人の足を眺めていた
車掌は
出口にもたれて
客の風体を全部見てしまっていた
桑畑の中を電車は真直に走っていた
夕陽の影に追駈られて電車はいつまでも
走っていた

 大正13年の作品である。高田渡に「汽車が走る 十年ぶりに/田舎という駅に向かって/もうずい分昔のこと/汽車が走ったのは」という「汽車が田舎を通るそのとき」という作品があるが父の詩からの連想だろうか。

 高田渡の父が詩人であったことを知る人でも、どんな経歴の詩人、人物であったか知る人は稀だろう。大和郡山市の海坊主社が「大和通信」というB4判裏表だけの新聞(?)を出している。池田市の中尾務さんが主に編集し自らも執筆しているが、その115号(2020年8月)に「弛みのダダイスト詩人高田豊―富士正晴調査余滴」(中尾)が掲載され、また同人誌
「VIKING」839号(2020年11月)では「〈「三人」の葬式〉、その後―冨士正晴余滴」でさらに詳しく、戦時中、富士と同じ弘文堂書店で編集者として働いていた豊のことを、富士の日記などから詳しく紹介している。

富士が師と仰いだ竹内勝太郎の詩集『春の犠牲』(1941)を刊行した弘文堂書店に入社したのは1942年2月で翌年2月まで在社するが、先輩で後に未来社社長となる西谷能雄がいたがその従兄が京大の哲学者西谷啓治である。『春の犠牲』の刊行はその西谷啓治と鈴木成高、下村寅太郎の好意によるものと富士は後に語っている。弘文堂への入社斡旋も彼らに依頼したもののようだ。僅か一年ほどの期間だが、富士はそこで中国文学の狩野直喜やドイツ文学の大山定一、高安国世、谷友幸などと出会うことになる。そして弘文堂の中で富士が一番親しくなったのが少し前に入社していた高田豊だった。

富士は豊を「乱暴な生活者」と評しているが、二人を結び付けたのは酒だけでなく、型にはまらない奔放自由な生き方にあるだろう。戦時の重圧は時流に流されない者に最も重くのしかかる。豊は佐藤春夫から「彼は燃えながら燻っている炎だ」と評されたダダイスト詩人であった。弘文堂は富士よりも先に退職、故郷岐阜に帰り、ヤギの飼育、保育園設立、町会議員、
牛乳の自動販売、芸者屋の親分などをした後、妻に先立たれ、四人の子供を連れて夜逃げ、
東京深川の援護施設へ入り、日雇い労働者となり、その組合・全日自労の役員も務めた。その四人の男兄弟の一番下が高田渡である。

 豊は1964年12月、二十代の詩を集めた『詭妄性詩集』を刊行して、富士にも送った。
B5判、43頁、66篇の詩を収録している。「あとがき」に「この本ご覧のとおりの見窄らしいものだが、百五十円づつで買ってもらえると有難いと思う。出版費用の一分を援助して下さる意味で」と書いている。

 巻頭の詩「詩に與う詩」だけが1964年作の詩である。

 これらの詩
 書かれて
 四十年ぶりに
 世に出るとは、
 書いた私自身よりも
 書きつけられた紙―
 原稿用紙が
 よっぽど
 辛抱づよかったろう
 呵々

 高田豊の職歴は山之口貌に通じるものがある。『山之口貌詩集』(現代詩文庫・思潮社・1988)に茨木のり子が解説「精神の貴族」で、貌を「生涯、借金につぐ借金で、首がまわらず、たいていの人なら、いじけてしまうとこころですが、貌さんはだれよりも貧乏したのに、心は王侯のごとしという、ふしぎな豊かさをますます自分のものにしていった人でした」と書いている。高田豊も同様だったのではなかろうか。

 大田区の古書店、月の輪書林の2001年発行の古書目録『特集・寺島珠雄私記』に山之口貌関連資料が160点ほど掲載されている。その内68点は昭和6年の「改造」から没年昭和38年の「文芸」まで作品の初出誌である。古書目録ゆえに総てが収録されたものではないかもしれないが、明らかに優れた書誌である。

20250610_tsukinowa

私の手元にも、今回調べたら何部かあったが、「改造」「中央公論」「文芸」「新潮」「小説新潮」など所謂一流誌が少なくない。創作期間も短くないし、けして埋もれた詩人とは言えないと思う。事実多くの友人やファンがいた。それなのにどうして貧乏だったのだろう。詩を読む限り原稿料を全部飲んでしまうような浪費家ではない。高田渡もその知名度に比し豊かだったとは言えない。生涯安アパート暮らしだったはずである。名人林家彦六師匠も生涯長屋に住み続けたが、彼らにどこか共通したものがあるのだろう。(つづく)

〇中央公論昭和15年1月号「思ひ出」
〇中央公論昭和15年1月号「思ひ出」
 
〇列島昭和_昭和27年3月号「影」
〇列島昭和_昭和27年3月号「影」

 
 
※シリーズ古書の世界「破棄する前に」は随時掲載いたします。
 
 

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