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香川大学図書館神原文庫
本と記録への情熱が成した一大コレクション【書庫拝見35】

香川大学図書館神原文庫
本と記録への情熱が成した一大コレクション【書庫拝見35】

南陀楼綾繁

 20代の頃、大学院に通いながら、小さな出版社で働いていた。週に何日か国会図書館に
通い、仕事の調べ物をする合間に、興味のあるテーマを調べていた。

 当時の国会図書館は、資料を請求してから出てくるまでにかなり時間がかかった。閲覧表をカウンターに出すと、その横にあった人文総合情報室(その頃は人文社会科学資料室)で時間を過ごした。事典や目録などのツールが揃っていて、それらを眺めているだけで飽きることはなかった。

 全国の図書館の文庫・コレクションが並ぶ棚で、ふと手に取った一冊が『神原文庫分類目録』(風間書房、1964)だった。香川大学の初代学長だった神原甚造の蔵書をもとにした文庫で、和洋の刊本、古典籍、古文書、古地図などがずらりと並ぶ。「創刊号雑誌」という項目もある。

 もう一冊、『神原文庫分類目録(続)』(香川大学附属図書館、1994)をめくると、こちらも同様の分類だが、後ろの方に「収集物・器物等」という項目があった。そこには「[外国乗車券・小切手集]」「[汽車・電車乗車券集]」「[マッチレッテル集]」などとあった。[]でくくっているのは、タイトルが表記されていない資料を示す。おそらくスクラップブックだろう。

 大学図書館のお堅いイメージをくつがえす資料が並ぶこの目録に、当時からこの種の資料に目がなかった私は大いに関心を持った。
 しかし、実際に香川まで足を運ぶことは思いもよらず、30年が経過した。

さまざまな形態の資料が並ぶ

 1月14日の朝、高松駅からタクシーで香川大学幸町キャンパスに向かう。構内に入ると、
左手に図書館がある。

1_kagawa university library
★香川大学図書館

 香川大学は1949年に発足。香川師範学校・香川青年師範学校を母体とした学芸学部及び
高松経済専門学校を母体とした経済学部の2学部だった。図書館もこれらの蔵書を受け継いだが、1945年(昭和20)7月4日の高松市の戦災により、香川師範学校・香川青年師範学校の
蔵書はほとんど燃えてしまったという。

 現在の図書館は2014年5月にリニューアルしたもので、4階建て。階段を上がって、2階の受付に向かうと、情報図書課長の吉田弘子さん(当時)、貴重書担当の河原佳子さんが出迎えてくれる。
 いつもだと図書館全体の書庫に案内していただくのだが、今回は神原文庫だけを取材することになっている。
「特殊文庫としては、神原文庫のほかに、椹木八郎氏がドイツ法学の原書を集めた『椹木文庫』、有馬忠三郎氏の法学に関する文献の『有馬文庫』があります」と、吉田さんが教えてくれる。

 いよいよ、神原文庫の書庫に入る。案内してくれるのは、教育学部教授の守田逸人さんだ。
「私の専攻は日本中世史です。明治時代、全国に散逸した東大寺文書の研究をしています。
神原文庫のことは知っていたので、2016年に本学に着任した際、調べてみたら3件の東大寺文書が見つかったんです。これは嬉しかったですね」と目を細める。

 守田さんはそれをきっかけに、神原文庫の研究を始めるようになった。
「書庫の資料は、目録に記載されている順に並べられています」と説明する。
 ざっと眺めただけでも、中性紙箱、古文書を入れた袋。和本、洋書と、棚ごとにさまざまな形態の資料がある。

2_shelf lined with neutral paper boxes
★中性紙箱が並ぶ棚

3_shelf of ancient documents
★古文書の棚

4_shelf lined with japanese books
★和本が並ぶ棚

 創刊号雑誌を収めた棚もある。その数は1000点以上あり、農業・園芸、化学、スポーツ、法律・政治、社会、文芸、児童と多岐にわたる。
 その中から、『左翼藝術』(1928年創刊)と『樂天パック』(1912年創刊)を見せてもらう。どの創刊号も状態がよく、丁寧に保管されてきたことが判る。

5_sayokugeijyutsu
★『左翼藝術』

6_rakuten
★『樂天パック』

文字と本への情熱

 書庫で一冊ずつ手に取ってじっくり見たいところだが、取材時間は限られている。別室で
話を伺う。
「神原甚造の旧蔵書・資料は約1万2000点、1万6560冊にのぼります」と、守田さんが説明する(以下、守田逸人「香川大学図書館神原文庫と所蔵史料について」、『古文書研究』第90号、2020年12月、を参照)

 神原甚造は1884年(明治17)、香川県多度津町生まれ。丸亀中学校、第三高等学校を
経て、京都帝国大学法学部に進学。卒業後は司法官となり、1925年(大正14)には大審院判事となった。

 1950年(昭和25)に香川大学の初代学長に就任。1954年(昭和29)に死去した後、その蔵書は香川大学に寄贈され、神原文庫となった。
『神原文庫分類目録』では、その特徴をこうまとめている。
「神原先生の御蔵書に、先生の専門とせられた法律学に関するものが多いのは当然であるが、しかしその中心となるものは、江戸時代後期から明治維新を経て、日清戦争頃にいたる約百年間における、わが国の西洋文化摂取の過程を跡づけるための根本資料となるべき諸文献である。

すなわち、その第一は、蘭学書にはじまる仏語、独語、英語などの語学書、第二には、それらの語学によって齎された、人文、社会、自然の各方面にわたる新しい文化内容に関する図書、第三には、これらの新文化を摂取した当時の社会状勢を物語っている、外交、政治、
経済、芸術、風俗などに関する書籍である」

 神原が小学校に上がる前、祖母から教科書の読本を教わった。「これこそが私が文字と云ふものを知つた始めであり、又本と云ふものに親しむに至つた抑の端緒である」(『おもひでの記』)。この『初學第一讀本』の現物も神原文庫に所蔵されている。

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★『初學第一讀本』

 第三高等学校在学中には、神原彩翅の名で与謝野鉄幹が主宰する『明星』に短歌を発表していた。

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★神原の短歌が掲載された『明星』

入手の記録と戦前の古書店事情

 若い頃から文学や本に関心を持っていた神原が、資料の収集をはじめたのはいつからだろうか。
 それを明らかにするのが、『古資料収集記録帖』だ。1922年(大正11)から1944年(昭和19)にわたる収集品と入手元を時系列に記録している。全部で17帖ある。薄い帳面を守田さんが開いて見せてくれる。

9_collection records
★『古資料収集記録帖』

10_collection records around1925
★『古資料収集記録帖』1925年の項

 書き込まれている情報は、佐藤恒雄「神原甚造先生の集書と古資料収集記録帖(下)「古資料収集記録帖」と「書籍抜粋抄」」(『香川大学附属図書館報』第37号、2004年3月)によれば、「①書名(若干の書誌情報などを伴うこともある),②冊数,③買値の符丁を記し,
上部罫の欄外(または罫内の最上段)に,④購入した年月日と,⑤購入した書店または場所」である。
 「スコ、マイ」「サ、サ」などの符丁も使われている。

 収集をはじめたきっかけについて、「神原は1918年(大正7)に妻のすみを亡くしたことが、コレクションを始めたきっかけだったかもしれません」と、守田さんは推測を述べる。
 関西で暮らしてきた時期、神原は京都の古書店で多く購入している。1924年(大正13)に東京控訴院の判事として上京すると、東京の古本屋との付き合いが増える。

「神田では巌松堂、大屋書房、一誠堂、雄松堂、本郷では本吉書店、赤門俱楽部(木内誠商店)など、神田神保町・本郷の古書肆を中心に頻繁に取引するようになる」(守田逸人「香川大学図書館神原文庫と所蔵史料について」)

 現在も残る名店や木内書店のように業界史に残る店ばかりなのは、さすがだ。
 守田さんによれば、最も多く取り引きしたのが巌松堂で、『古資料収集記録帖』には195回登場する。「多いときには、一回で284点も入手しています」。

 実際、書庫で見つけた箱には「本書三割引買戻」というラベルが貼られていた。
「此新型サツク(本年三月弊古典部創案にかかる)使用の古書類御読了の節は一ヶ年以内ならば甚しき汚損なき限り三割引にて買戻しますから御用命下さい(略)昭和七年十月 巌松堂書店古典部 波多野重太郎」
 顧客サービスとして行なわれたものだろう。
 これらの記録を巌松堂の社史と照合すると、さまざまな発見がありそうだ。

11_lebel of ganshodo
★巌松堂のラベル

 神原が上京した1924年は、前々年に発生した関東大震災の影響で、諸名家の売り立てが
相次いだ時期である。
また、古書即売展も盛んに行なわれた。神原は駿河台図書倶楽部即売展、青山会館展、丸ビル即売展、新宿三越即売展などこまめに足を運んでいる。

この年には吉野作造、石井研堂、尾佐竹猛らが「明治文化研究会」を結成。彼らもまた即売展に通って、資料を発掘した。同会には神原と同じく香川出身の宮武外骨も参加していたが、
神原は17歳年上のこの同郷人とどこかの即売展で会ったことがあるかもしれない。そう考えると楽しい。

「京都や東京の露店の古本屋で買ったという記録もあって、その当時の本の文化の広がりが
判ります」と、守田さんは云う。
 守田さんが神原の子孫から「書店に行けば『この竿からこっちの竿まで』という大胆な買い方をしていたようです。吉祥寺の家にもリアカーに本をたくさん積んだ人たちがよく売りに来ていたとか」という逸話も聞いている。

 『古資料収集記録帖』やその他の資料には、購入時の領収書や請求書、古本屋と交わした
書簡なども残されている。恐るべきマメさだ。

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★請求書や領収書

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★古書店との書簡

 神原はこれらの資料を保存するだけでなく、折に触れて見直して整理したり、書き込みをしたりしている。
 さらに、関心を持つテーマについては、「飲食」「古文書写」「書物関係奇談雅話」などと封筒に記し、資料を読んだメモを入れている。

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★「飲食」のメモ

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★「古文書写」のメモ

「『神原』という名前にも関心があったようで、それが出てくる資料のメモもありますね」と守田さんは教えてくれた。
 法曹界で忙しい日々を送っていた神原は、いつ、このような作業を送っていたのだろうか? 仕事を離れて、夜に資料のページをめくる時間が、彼にとっての生きがいだったのかもしれない。

天下の孤本と紙モノ

 このような膨大なコレクションを同大は時間をかけて整理し、2冊の目録を刊行した。
 そして、1995年からは神原文庫の資料展を開催した。第1回は「啓蒙の源流」と題して貴重な洋学関係資料を展示した。

 その後、1年に一回、「中世の武家文書」「幕末・明治初頭の新聞・雑誌」「絵本」「江戸知識人の見た世界」「知の体系」などを開催してきた。2回にわたって開催した「妖怪展」では、妖怪が描かれた和本や錦絵などを展示した。図録も発行している。
 個人のコレクションでこれだけ幅広いテーマの展示が成り立つことは、神原文庫の力を示している。

 2023年には守田さんの監修で「香川大学図書館『神原文庫』と初代学長神原甚造の人物像」という展示を開催。そこでは、神原の人生や法曹界での活動、資料収集、貴重書などが
展示された。

 守田さんに神原文庫の貴重品を選んでいただいたところ、次々にテーブルに並べられた。
 たとえば、藤原家隆『詠百首和歌』。藤原家隆は鎌倉前期の公家で、新古今和歌集の選者の
一人。この写本は1462年(寛正3)のもので、最も古い部類の写本だという。

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★『詠百首和歌』

 1492年(弘治5)の『伊路波』朝鮮版。ハングルが公布されて間もない時期に、朝鮮人のための日本語学習書として刊行された。朝鮮にも現存しない、「天下の孤本」だという。

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★『伊路波』朝鮮版

 もしくは秋山伊豆『讃岐物語』。著者は江戸時代の儒者で、古代、中世の讃岐の政治動向などをまとめた本だという。

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★『讃岐物語』

 ……貴重な資料ばかりで息がつまる。
 口直しに、というのも変だが、私が30年前に神原文庫の目録で見た紙モノも、見せていただく。
「[マッチレッテル集]」は明治期の輸出用マッチのラベルを貼り込んだスクラップブックだ。

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★「[マッチレッテル集]」

 ほかにも、蔵書印や印影を貼り込んだスクラップブックがあった。

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★蔵書印スクラップブック

 世の中に二つとない古文書や写本、地図の一方に、誰かが集めないと消えていってしまう紙モノがあるのが素晴らしい。神原の几帳面さと本への情熱があってこそ、これらは同じ場所に残されたのだ。

 それでは、これらのコレクションを成すことで、神原がめざしたことはなんだったのか。
 佐藤恒雄は、神原が1945年に退官したのち、資料を使って研究をまとめることに没頭したと指摘する(「神原甚造先生の集書と古資料収集記録帖(下)」)。

 3年後に弁護士を開業する際の挨拶状には、次のようにある。
「十数年前から道楽に続けて来ました或研究に没頭して居ましたが、もともと非実用的な而も相当大部な著述なので、時節柄出版不可能となって張合も抜け、一時研究を中止しました」
 その研究がどんなものだったかはっきりしないが、これだけ多くの資料を前にすると、どうまとめればいいかが見えず、かえって挫折するものなのかもしれない。

 むしろ各分野の研究者が、神原文庫の資料の一点一点と『古資料収集記録帖』を対照し、
共同研究することで、神原が夢見た研究が形になるかもしれない。
 私のような門外漢が駆け足で眺めただけでも、恐るべきポテンシャルを秘めた書庫だと感じた。
 
 
香川大学図書館神原文庫
〒760-8525 香川県高松市幸町1番1号 香川大学 幸町北キャンパス内

神原文庫の資料の一部は、以下のページから閲覧できます
https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/KMBR/index.html
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu
 
 

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