「むさぼり読む」という表現があります。
私は幼いころ、両親が買い与えてくれた紫式部の伝記を読むのが好きでした。紫式部が、父の藤原為時の赴任に随行し、都から遠く離れた越前で、持参した書物をたちまち読み尽くしてしまい、手持ち無沙汰にため息をつくシーンが、なぜかとりわけ好きでした。
「むさぼり読んで」「読み尽くす」。
まるで腹を空かせた怪獣が手当たり次第に喰らい尽くし、尚まだ足りないと吠えているイメージ。私は式部のように才気煥発な子どもではありませんでしたが、幼心に、読書という行為はパワフルなものなのだと感じ、自分もむさぼるように片っ端から本を読んで強い人になりたいと思いました。そんな遠い憧れを、今もまだ追いかけ続けて、気付けば、様々なかたちで本に憧れる人が出てくる『本なら売るほど』という漫画を描いています。この作品を描くに至ったのは、思い返せば奇妙なめぐりあわせでした。
2020 年ごろから始まった世界規模のパンデミックの最中、接客業を生業にしていた私は(今も漫画と兼業で続けています)、感染対策のためまともに働くことが難しくなり、収入も先が見通せなくなりました。そんな矢先、体に異変を感じて病院に行ったら、そこそこ深刻な病気が見つかったのです。この先何十年、当たり前に生きるつもりで将来の心配をしていた私でしたが、それどころか、このままでは来年この世にいないかもしれない、という現実を知ったとき、急に自分の来し方を思いました。逃げを打つばかりの人生だった気がしました。
KADOKAWA のハルタという、未知の雑誌の編集部員を名乗る人からメールがあったのは、その半年ほど後です。治療の山場を乗り越え、命拾いした記念に、最後の挨拶のつもりで描いた漫画をネットに放流した直後でした。漫画家という、思いもよらなかった仕事に挑戦する
恐怖がありましたが、死にかけたばかりで少し大胆になっており、何よりお金に困っていたので、恐る恐る連絡を取ってみたのでした。
それからは、いつ終わるとも知れないボツとダメ出しの日々。私をスカウトした担当編集A 氏はすこぶる頭の切れる人で、私が「なんとなく」描いたぬるいネーム(打ち合わせの叩き台にする漫画の設計図のようなもの)のどこがダメでいかに面白くないか、徹底的に理論で解説してくれました。悔しいことにぐうの音も出ず、「あいつ……スカウトしたくせに……!〇〇歳も下のくせに……!」と、およそ年上らしからぬ幼稚な反感を抱きもしましたが、あるとき一度、「新人に嫌われてしまって辛いんです……」みたいなことを彼がポロっとこぼしたことがありました。思えば、誰より漫画を愛しているのに、面白い漫画を作るためには当の漫画家に嫌われることも言わねばならない、漫画編集者とは因果な商売です。そう、まるで、本を誰より愛しているのに、だぶついた在庫を客の代わりにその手で葬らねばならない古本屋のように……。
単行本一巻の一話にあたる読切『本を葬送る』を七転八倒して描き上げたとき、そんな担当A 氏が「この作品を担当できたことを誇りに思います」と言ってくれたことは、私の人生の財産の一つになりました。作家の持ち味は否定せず、そのうえでちゃんと「ダメ」を言ってくれる誠実な編集者の伴走があったからこそ、作品を世に出せたと思います。
私は当初、できれば本をテーマに描きたくないと思っていました。勝手気ままに本を愛でることは、私だけの、誰にも侵されたくない趣味の最後の砦のように思っていましたから。それを仕事にしてしまえば、当然第三者の評価の的になる。私は自分の安息地を食い扶持のために手放してしまうのではないだろうか……そんな怖さを感じていました。しかし商品になり得る漫画を作るということはそう甘いことではなく、時に恐怖心や羞恥心を乗り越えて自分を曝け出し、相手(担当編集者や読者)と殴り合わなければならない土壇場だったのです。試行錯誤を経ましたが、結局、手放したくないものこそが、描けるものだということを思い知りました。
郊外にポツンとある小さな個人経営の古本屋の雰囲気が好きだったのと、私自身にすこし古物商の経験があったため、主人公は古本屋の店主にしました。彼は、人はいいけどちょっと軽薄で、本は好きだけど店主としてはまだ未熟な青年です。誌面に連載予告が載る直前までタイトルは決まっておらず、仕事帰りの疲労困憊した車中でふと浮かんだ言葉が、そのまま私のデビュー連載のタイトルになりました。
『本なら売るほど』
作品の出来はともかくとして、我ながら、それ以上でも以下でもない、絶妙なタイトルをつけたものだと自負しています。
一冊の本が呼び水となって、次はこれを、その次はあれを……と、どんどん読みたい本が増えてしまう楽しさともどかしさは、読書の醍醐味のひとつではないでしょうか。私の描いた本が誰かにとっての呼び水になれば、こんなに光栄なことはない、と思っています。
■本なら売るほど 1
■本なら売るほど2
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『本のなら売るほど』は
漫画誌『ハルタ』で好評連載中!
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書名:ハルタコミックス『本なら売るほど 1』
著者:児島青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:792円(税込)
ISBN:978-4-04-738107-0
Cコード:C0979
書名:ハルタコミックス『本なら売るほど 2』
著者:児島青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:836円(税込)
ISBN:978-4-04-738374-6
Cコード:C0979
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