弓立社の始め方としまい方
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僕は1965年に徳間書店に入り、66年に、吉本隆明の評論集『自立の思想的拠点』を編集した。24歳の時であった。それ以来、本腰を入れて編集の仕事をしたが、後年まで大きな意味を持つのは、吉本さんの講演集『情況への発言』を68年に出したことだった。それ以前も、60年の大学生時代から吉本さんの読者であり、未刊の著作の収集者だったが、講演の収集、という新しい分野が開けてきて、現在まで僕の仕事の基調となっている。 2012年に吉本さんが亡くなり、全集の内容見本が出たが、僕の知っている語られたもので収録されないものがあまりに多い。そこで、未収録講演集12巻や未収録対談集5巻、公刊されたことのない質疑応答集5巻などを出し始めている。 この『弓立社という出版思想』という本は、吉本さんの存在を抜きに語れない。出版社の始め方も、吉本さんの「試行」という雑誌の販売形態を参考にしたものだった。一人で30歳の時始めたのだが、普通、東販・日販と取引を始めるものだが、僕は鈴木書店という極小取次一社との取引・数十の書店との直接取引・直接の読者への販売、という形を選んだ。 僕が編集しか知らず、販売に無知だったこともあるが、「試行」方式というのは、僕にとって最も魅力あるものだった。「試行」は、300部の同人誌(書店と読者への直接販売を半々に考える)として出発したが、吉本さんの精力的な執筆があって、最盛期には8000部くらいまで行った。取次の存在なしにだった。これは驚異的なことだった。この方式を真似すれば、販売を知らない一人出版社も成り立つのではないかと思った。それが、弓立社の始まりである。 終わり方も、「試行」が魅力的だった。予約販売だから、読者は予約金がいろいろになる。それをいちいち勘定して支払ったら大変だから、『アフリカ的段階について』という本を書き下ろし、全読者に配ることで解消した。 僕は最後の数年間は、「吉本隆明全講演ライブ集」というCDを「吉本隆明全講演CD化計画」という別の版元にして、注文だけの取次、地方・小出版流通センターで販売した。七年間くらいかかった。その間、弓立社では殆ど本を出さなかった。最後の在庫が350部だった。市場在庫もそのくらいと見切って、友人に無償で譲った。これが弓立社の始め方としまい方である。この本で、このことが上手く伝われば望外の幸せである。 |
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