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メールマガジン記事 シリーズ古書の世界

破棄する前に8
久山康教授から俳人川本臥風、そして山崎弁栄上人に

破棄する前に8
久山康教授から俳人川本臥風、そして山崎弁栄上人に
樽見博

蔵書処分の効果

昨年末、仕事を辞める前に少し蔵書を整理してくれという家内の強い要望もあり、2トンほど処分した。物置や押し入れにあった物だから、見た目はあまり変わらない。それでも書庫の棚や床に積み上げた本もそれなりに処分したので少しは風通しが良くなった。家内はお金にならなくても良いから整理してくれと言っていたが、茨城県住まいなので神田までの運送代が56000円、古書市場に出品するための仕分け代が50000円、売り上げは128000円で、20000円ほどは手元に残った。不要な雑然とした物だったから満足である。数年前に1000冊くらい処分したが、整理するとそれ以上に増えますよと言っていた古書店主の言葉はその通りになったが、3月には神保町ともお別れなので、今後は前ほどには増えないだろうと思っている。

蔵書を整理するために、不要となった物を処分するのは基本的に良いことである。必要な本を見つけ出し易くなるし、こんな本を持っていたんだという発見があるからだ。買っておいて発見もないものだが、昔、新劇俳優で新劇史の研究者であった松本克平さんが、足を悪くされた晩年に、最近の古書即売会より自分の書庫を見ていると案外発見があると言っていたが、まさにそんな感じである。
今回も二件そんなことがあったので書いておきたい。この「破棄する前に」という連載は三昧堂の名で書いてきたが、内容上本名に変えて書くことにする。

久山康編『春夏秋冬』

この「日本の古本屋メルマガ」で昨年「田川建三と1960年~70年代の雑誌文化」を3回連載させて頂いたが、その中で関西学院大学の久山康教授が基督教学徒兄弟団の名で刊行していた雑誌『兄弟』を取り上げた。久山康教授(1915~1994)はプロテスタントの宗教学者で『近代日本の文学と宗教』(国際日本研究所)『文学における生と死』(創文社)などの著書があるが、今回書棚を整理したら、久山康編『春夏秋冬』(創文社・兄弟選書・昭和37年)という小型桝形の箱入りの本が出て来た。何時買ったか覚えていないが、値札がついていて、神保町にあった時代のかんたんむ書店で購入したようだ。久山教授が愛誦する現代俳句と短歌を四季に分けて観賞を加えたものである。「編」とあるが実質的に著書で、私は例の如く買ったまま読んでいなかった。赤岩栄の『キリスト教脱出記』の箱の中に、この赤岩の本について特集した雑誌『兄弟』の128号が入っていたことから久山教授を知ることになったのだが、「兄弟選書」まで出していたのである。『春夏秋冬』巻末に基督教学徒兄弟団の既刊12点が一覧されているが、「兄弟選書」は吉村善夫著『邂逅』、キェルケゴール・久山訳『野の百合・空の鳥』(予告)、椎名麟三著『キリスト教と文学』が出ている。『春夏秋冬』は同誌裏表紙の半分に掲載されたものを編集したもので長い連載であった。


〇(左)『春夏秋冬』久山康編(創文社・兄弟選書・昭和37年)
〇(右)『月刊兄弟』2月号

川本臥風の自然詠

この久山教授にも興味があるが、今回取り上げたいのは、久山教授が『春夏秋冬』の中で数多く取り上げている川本臥風という俳人のことである。現代俳句に興味のある方でもこの臥風について詳しく知る方は稀だろうと思う。私も『樹心』(石楠社)という第一句集を持っていたなと思い探したが見つからなかったが、名前を知るくらいであった。戦前に知識の基礎を築いた久山教授のような西洋文化や宗教を専門とする方で俳句や短歌を好む方は、俳句は中村草田男、短歌は斎藤茂吉を高く評価するケースが極めて多い。『春夏秋冬』で臥風は草田男と同数の16句、茂吉はダントツに多く22首(因みに次に多い赤彦と憲吉が14首)である。久山教授にとって草田男と同じくらいに重みのある川本臥風とはどんな俳人であったのか興味を覚えたのである。久山教授があげた16句を紹介しておく。

 春潮の船室四角な藺の枕
 麦藁をばしばし自転車で轢き通る
 旅どこでも牛はしづかに青草喰む
 青田行く農の自転車堅牢に
 黒揚羽の黒りんりんとわが前を
 夏山に入るのこぎりの刃をつつみ
 日焼けして少女東洋の目を持てり
 炎天へ水路ゆたかに流れ出づ
 突堤の中に灼けたる無人の船
 台風どこかを過ぎゆく着物吹かれ立つ
 家財積むごとく稲束を荷車に
 巨木黄葉なおいんいんと青こもらせ
 人それぞれ一日を外套につつみ帰る
 ほしいままに天がけり来し雪片これ
 風邪の眼をつむり寒禽耳に満つ
 わが病躰へこたつの熱の流れ入る

久山教授は同書の「あとがき」で、「私は短い生をこの日本の風土の中で過ごしている者として、生命の許されている間に、この自然とできるかぎり深く親しみたいと願っているが、そのために短歌や俳句が大きな通路を開いてくれていることを思わずにおれないのである。というのは短歌や俳句は形こそ短いが、日本文芸の精髄であり、それは日本固有の美しい自然と寡黙で内省的な民族の心とが相触れて生み出した日本独特の詩であるからである。しかもそれは仏教や老荘思想の影響のもとに、短詩型ながら深い象徴の境にまで到達しており、そこには日本人の自然との親和の厖大な努力の結晶が集積されているからである」と書いている。昭和37年の文章だから、終戦後の第二藝術論を経たうえでの認識であり、非常に俳句や短歌への肯定的な評価であると言える。また、「短歌や俳句の世界においても軽率に近代化を推進した人々は、内容も格調も整わぬ泡沫のような作品を生産したに過ぎなかった」と書いており、具体的に俳人やその作品を上げているわけではないが、恐らく戦後の社会性俳句や前衛俳句を指しているのだろうと思う。自然詠としての俳句や短歌に重きを置いている点は確かである。
臥風と同じく22句をあげた中村草田男の作品はどうか、7句だけあげてみよう。

 勇気こそ地の塩なれや梅真白
 ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道
 春山のかの襞は斯くありしかな
 萬緑の中や吾子の歯生えそむる
 蚊の声のひそかなるとき悔いにけり
 妻二タ夜あらず二タ夜の天の川
 秋の航一大紺円板の中

いずれも草田男の句として人口に膾炙した有名な作品である。臥風の作品とは全く趣を異にした俳句で自然詠とは言えない。どのように鑑賞しているか、「秋の航」の句でみてみよう。

 虚子は草田男の処女句集『長子』の序に、ただ「印度洋を航行している時
 もときどき頭をもたげてくるのは」この句であったと記した。処女句集の
 序にただこれだけというのは、いかにも人を食っていて、ホトトギス王国
 の枠からはみ出していく弟子への或る種の感情が汲めなくもないが、また
 この句の力掚が『長子』を貫くものだという、簡にして要を得た推薦と思
 えなくはない。

これは草田男句の鑑賞と言うよりも久山教授の虚子観を示していて興味深い。その虚子の句も10句あげて高い評価をしているのは、人間性と作品の価値は別と言うことなのか、意外な気もする。虚子の巧さの故であろうか。有名な「流れゆく大根の葉の早さかな」の鑑賞は以下の如くである。

 鬱積された感興がさっと一筆がきに流れ出たように、冴えた単純化が自然
 の脈管を掴みあげたような生命感を感じさせる。虚子は「その瞬間の心の
 状態をいえば、他に何物もなく、ただ水に流れていく大根の葉の早さとい
 うことのみがあったのである」と述べているが、この心の充実し切った集
 中ということは並大抵の修練でできることではないのである。

有名な虚子句、例えば10句に選ばれた「白牡丹といふといへども紅ほのか」など、『ホトトギス』が提唱した「花鳥諷詠」「客観写生」という範疇には入らない句が多い。草田男句には虚子のような巧さはないが、複雑な悩みを抱えた人間の姿が隠さず表現されていて、同世代に共感を得たのであろう。

俳句と東洋的無

 臥風は京都の三高で、日野草城と同級で俳句的な関係はなかったが親しくしており、京大独文卒業後1923年(大正12)赴任した松山高等学校では、1899年(明治32)生まれの臥風とは僅か2年の違いだが、草田男(1901年生まれ)は生徒(大正11年入学)であった。臥風の句は15歳上の虚子に近いものがあるように思う。『現代俳句大事典』(三省堂)で臥風は次のように解説されている。

 岡山県生まれ。本名、正良。旧制六高から三高に移り、1923(大2)年、
 京都帝国大学文学部独文科卒。同年、松山高等学校教授。49年、愛媛大学
 教授。64年、定年退官。俳句は六高時代に先輩から手ほどきを受け、
 22年、臼田亜浪に師事し『石楠』に投句、のち最高幹部。松高着任後間も
 なく、「松高俳句会」を組織、以後25年間指導にあたり、50年1月より
 愛大俳句会を指導。同年6月『いたどり』(のち『虎杖』と改題)を
 創刊、主宰。代表句に〈すすきの葉みなすきとほり月の空〉(『樹心』)
 がある。

非常に簡単な解説で、久山教授を捉えた臥風の俳句世界の魅力は伝えられていない。まず、亜浪主宰の『石楠』での活動から見ていきたい。戦前の『石楠』がかなり手元にあるので、見ていくと臥風が頻繁に誌面に登場するのは大正11年から昭和3年の間である。殊に大正11年から15年が多い。俳句の他にエッセイや紀行、俳論も寄稿している。没後に出された句集『芬泉』(昭和54)『雪嶺』(昭和58)に附録された文集にほとんどが収録されている。


〇(左)『石楠』(大正15年12月号)(右)『石楠』(大正12年3月号)

 その中で、大正12年3月号の「正月三日」、同年7月号の「狂女」、大正15年12月号の「紀行SとOと私」などのエッセイ類を読むと大正末期の青年によく見受けられる精神的不安定というか苦悩が鮮明である。芥川を自殺に追いやったような時代の重圧が臥風にものしかかっていたのであろう。それを癒したのが自然であったようだ。亜浪は『石楠』巻頭に毎号のように俳論を掲載している。大正11年12月号に「俳句を求むる心」、大正12年6月~翌1月号に「俳句は一句一章たるべし」などである。
『現代俳句大事典』でも「亜浪が俳句に求めたものは、深い感動にもとづく力(「俳句に甦りて」)であり、感動を偽ることなく一句に貫き通し表現することであった。(略)亜浪はまこととともに、広義の十七音、定型を肯定した上で、感動の自由な発露を詩型に求めるもので、破調を自在に駆使することも許した。自然観は、季題趣味を排して直接自然に触れ、自然と呼応した心の働きをとらえようとするものである」と解説されている。拙著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)でも書いたが、亜浪は優れた指導者で『石楠』から栗生純夫、大野林火、篠原凡、八木絵馬など著名な俳人を多数輩出している。

 臥風も『石楠』大正12年2月号に掲載された亜浪の句集『紅芒集』の書評や、大正14年3月十周年記念号の「官能から本質へ」で同様の俳句観を書いている。殊に「季題趣味を排して直接自然に触れ、自然と呼応」する生き方に力点が置かれている。
臥風は旧制三高、京都帝国大学独文科で成瀬無極と藤代禎輔から教えを受けている。臥風には生前この方面での研究書は無いが、没後遺稿を集めた『ゲーテと鷗外』(川本臥風著作刊行会)が刊行されている。


〇川本臥風書籍 左から『雪嶺』『芬泉』『ゲーテと鷗外』

臥風の自然観はゲーテの自然観に近いものがある。旧制高校世代に多いゲーテ讃仰、久山教授もその世代に属する。改めて『春夏秋冬』の著者略歴を見たら、大正4年岡山県出身で松山高校から京都大学文学部哲学科を卒業されている。同郷であり、高校時代に臥風に教えを受けていた可能性が高い。久山教授による臥風句の鑑賞を2例見てみよう。

  黒揚羽の黒りんりんとわが前を
 黒揚羽の飛翔は蝶とは思えぬ雄大な感じのものである。小さな庭などには
 容れることのできないような巨きな飛び方を、高く低く力に満ちて行うが、
 翅の黒がまた実に生々として印象的である。この句は「黒のりんりんと」
 で揚羽の力のこもった飛翔の生態を心にくいほど鮮やかに捉えていて、
 誠に剰すところがない表現である。

  ほしいまままに天がけり来し雪片これ
 一面の吹雪の中から風に乗ってふと窓硝子に飛んできた一片の雪であろう
 か。美しい結晶の面影を硝子ににじませながら静かに消えようとしている
 雪片は、思えば無限の広がりをもった虚空をほしいままにかけめぐって来
 た雪片なのである。そう思うと窓の一片の雪にも、不羈の精神をもって思
 いのままに人生を生きぬいてきた人の静かな終焉を見る想いも湧いたりす
 るのである。

黒揚羽や天から舞い降りてくる雪片に臥風を見ているのであろうか。
臥風は大正末期盛んに『石楠』寄稿を続けその後はやや遠ざかっていたが、戦後の昭和23年2月号に「俳句と東洋的無」、25年5月号に「わびとさび」という重要な論考を寄稿する。これが主宰誌『いたどり』のめざす俳句であったと言えよう。終戦後に大きな反響を呼んだ「第二藝術論」に対する自らの俳句観を説いたものである。「東洋的無とは何か(略)それは個人的に天地の大道に随順し、大宇宙に直参せんとする方向と云っていいであらう」「西洋的有のアンチテーゼとしての東洋的無の価値は、世界文化の大きな視野の中において充分に検討さる可きである」というものである。

山崎弁栄の光明会

 これは『現代俳句大事典』や久山教授の『春夏秋冬』にも書かれていないことだが、臥風はドイツ留学から帰国した昭和4年、浄土宗の山崎弁栄上人が大正3年に創設した光明会に入会している。同会との関係は松山高校時代にさかのぼる。更に弁栄の高弟後継者でもある笹本戒浄上人にも帰依している。前記したように大正末期のインテリ青年たちを悩ませた精神的不安により、ある者はマルクス主義やキリスト教に救いを求め、臥風は念仏の光明会運動に己の道を求めた。この一文の中ではくわしく触れる余裕がないが、その自然観は臼田亜浪主宰の『石楠』の自然観に共通していると言える。

 私は大学を出て一年ほど東京国立博物館の図書室でバイトをしていたが、その時に入って来た本に山崎弁栄の伝記があった。巻頭に豪華な僧衣を纏った若く精悍な弁栄の写真があり、何者だろと強い印象が半世紀を経た今も残っている。弁栄の遺稿集『人生の帰趣』が岩波文庫に収められている。解説は幼児洗礼を受けているカトリック教徒でもある若松英輔さんである。その解説は弁栄讃仰と言って過言ではない。興味のある方は是非読んで頂きたい。 日本人は一般的に宗教に対して関心が薄いが、近代の日本人の中にも凄い宗教家がいたことに驚くだろう。

 最後に臥風が生前最後に自選した句集『雪嶺』(昭和58)の昭和49年~52年の作品から7句を紹介して終わりとしよう。泰然とした老境が静かに伝わってくる。

 如月や白けるものはしらけきり
 はるかまで初蝶なれば日をはなれず
 雪がかっと明るくなりぬ降りいるに
 わが起ち居寒蘭の香がつきまとい
 木肌ほのと春となりたるぬくもりを
 夢路やすし時々庭の時雨るる音
 灯を入れて壺の蝋梅浮きあがる

蔵書整理によって出て来た一冊の本から、これまで詳しくは知らなかった川本臥風というドイツ文学者の俳人の事績、その思想の根幹をなした山崎弁栄や笹本戒浄の光明会のことを知ることとなった。また臥風を核に『石楠』の面白さも再確認出来た。今回新たに購入した本は臥風の句集や論文集など3点、約6,000円である。蔵書処分の余剰金はまだ残りがある。


樽見博
昭和29年生まれ。平成20年から「日本古書通信」編集長。先頃「早く逝きし俳人たち」
(文学通信)を刊行、「戦争俳句と俳人たち」(トランスビュー)「自由律俳句と詩人の俳句」(文学通信)とあわせて三部作を完成。

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