『神田神保古書店街と組合組織
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2025年9月、ロンドン発の情報サイト「タイムアウト」で、神保町は「世界で最もクールな街」ランキング1位にランキングされた。そんな神保町の昭和戦前・戦時下の姿をご存知だろうか。筆者らは「新しい戦前」という言葉が単なる流行語にとどまらず、ますます現実味を帯びてくるなか、ぜひ当時のありのままの事実を知ってほしいとの思いで本書を世に問うた。以下は、古書に公定価格制(実質的には最高価格の設定)が敷かれようとするとき、東京古書籍商組合幹部が警視庁から、古書価格暴騰の「咎」で出頭させられた際に、警察当局から浴びせられた言葉である。
君たちは古本を骨董品のように考えているらしいが、当局では神保町あたりで 売っている古本は骨董品とは観ていない。投書もこの通り頻々ときているくらい で、古本はどうもあまりにも騰(あが)っている。定価の何倍もするなど高すぎ るから。(中略)それですぐ取り締まりに出る前、一応お話して自発的に営業者 があらためてもらいたいので来ていただいた。(中略)とにかく、これからは従 来のような利己的、自由主義なやり方はダメで、国策に副うように全然頭を切り かえてもらいたい。本当は市があるからいかぬのだ。物の値を競り上げるところ に市の悪い本質がある。 出頭命令は、日中戦争が熾烈化し、アジア・太平洋戦争開戦1年半前となった1940(昭和15)年7月30日に警視庁保安課経済部からあり、翌日、東京古書籍商組合の井上組合長以下幹部4氏が出頭した(東京都古書籍商業協同組合(1959)『東京古書籍商組合史稿』,p.205、および『日本古書通信』第133号, 1940年8月5日,pp.8-9による)。 私たちは、戦時下の神保町古書店街の研究をはじめた初期に、この記録に出くわした。そのとき、基本的に一点ものであるという古書の特性と、古書店主たちのプライドを頭から否定し、警察当局の公定価格制を含む戦時統制に対する決意を露骨に示す発言に、強い衝撃を受けたことをいまでも覚えている。「神は細部の宿る」というが、まさにこのやりとりに政府当局の意図が凝縮されているように思える。これを一つの契機として、私たちは戦時下の組合組織をはじめとする史料を渉猟した。そして、その部分をいわば鯛焼きの餡とし、明治から大戦間期の発祥・発展期、および戦後から近年までの展開・成熟期における、神保町の新陳代謝の動態を鯛焼きの上下の衣として、5章構成の1冊に編んだのが本書である。 さて、上記出頭命令の1年近く前の1939(昭和14)年10月18日、モノ不足と物価高騰への対策として価格等統制令が発出され、生活必需品を含む主要な商品・サービスの価格を同年9月18日時点に固定することとされた(いわゆる「九・一八停止令」)。その後、生活必需品分野では配給制がとられる品目が拡大されていったが、古書については、政府当局が公定価格を設定するという直接的な統制手法がとられた。 それは、1940(昭和15)年8月1日、組合が警察庁より「昭和14年9月18日当時の売価を調査評価した価格表を提示し、これが認可を得たる上、厳守販売するように」との通告を受けたことにはじまる。これを受けて、当初、組合は各市会に「九・一八価格の自粛断行」を依頼するとともに、組合として「九・一八価格」を実質的な最高価格とする『自粛自戒 古書籍基準販売価格表』を作成し、同年8月16日に警視庁および東京府当局に提出した。 しかし、こうした組合の対応では古書価格暴騰を止められなかったことから、価格統制に臨む組合の姿勢をあらためるために断行されたのが、上記出頭命令である。これ以降、古書という価格統制が馴染みにくい分野に、商工省(後に農商省)が直接乗り出してきて、一気呵成に公定価格表の策定が行われ官報告示された(その後、何度か改正)。公定価格表は、個別の書籍ごとに公定価格を指定する特掲品の一覧と、それ以外の書籍について出版年ごとに奥付け定価の何割掛けかを定める規程からなる。 上述のように、当時の価格統制はモノ不足と物価高騰に対する経済政策として実施されたのであるが、古書について、これだけの手間暇をかけて公定価格を設定する経済政策上の意味が、果たしてどれだけあったのか。逆にいえば、古書の価格統制は、経済政策としての狙い以上の何かがあったからではないだろうか。ちなみに、新刊本の出版・流通についてみてみると、一方で、出版用紙の絶対的不足を背景に、政府は用紙割当制という強力な権限に基づいて、新刊本の出版・流通にかかわる事業者および組合の組織的統制(企業整理・統合を含む)を価格統制と並行して進めた。と同時に「良書普及、悪書排除」との建前的な掛け声のもと、出版物の検閲等を行うことで思想言論統制を強行した。 古書の場合、用紙割当制は権限としてあまり意味をなさないが、その分、政府が直接乗り出して直接的な公定価格設定を敷くとともに、新刊本の業界と同様に、古書店の組合を同業組合から商業組合、統制組合へと、より政府の統制が効きやすい組織体に再編させた。そして、これらと並行して、古書店の取り扱い品に関して、いわゆる左翼本、マルクス本といった発禁本だけでなく、世界地図や海外情勢など、当局にとって都合の悪い書籍を幅広く摘発する一方で、組合組織と並列で東京古書籍商報国推進隊を結成させ、国威発揚のための行事や職域奉公・勤労奉仕への動員、さらには店主徴発などといったかたちで、思想言論統制を強めた。 つまり、古書にしても新刊書にしても、生活必需品ではないかもしれないが、そこには人間の知恵や生きる意味などが結晶のように詰まっていることから、政府にとっては、むしろ生活必需品と同等かそれ以上に統制が必要なものと意識されたのであろう。それを本書では、価格・組合組織・思想言論の三位一体の戦時統制下と表現し、そのトライアングルが徐々に締め付けられる様相を描いている。 私たちが本拠とする専修大学神田キャンパスは、神田神保町3丁目8番地に立地することから、そんな神保町の古書店街を日々北西から眺めている。北西は戌亥(乾)の方角で、「天門」などとも呼ばれ、どうやら吉の方位らしい。それはともかく、私たちにとって古書店街は平和な日常の一部のような存在であるが、現在の店主たちの先代、先々代の時代には、こんな閉塞感、緊張感に満ちた社会であっことをあらためて記録し記憶にとどめたい。よろしければ、ぜひ一度手にとっていただきたい。 ![]() 書名:『神田神保古書店街と組合組織――戦時統制化における役割の変遷を中心に』 著者:渡辺達朗(専修大学教授)、山﨑万緋(専修大学兼任講師) 出版社:有斐閣 判型/ページ数:A5判上製カバー付/296ページ 価格:4,950円(税込) ISBN:978-4-641-16648-6 好評発売中! https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641166486 |
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