文化センター・アリラン
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1月11日の午前中、私は新大久保駅からよたよたと歩いていた。足がしびれるので長くは歩けない。数百メートル行ったところで、ガードレールにもたれかかって休む。目の前を韓国アイドルのグッズを手にした女の子たちが通り過ぎていく。
ご無沙汰しています。南陀楼綾繁です。冒頭から景気の悪い描写ですみません。昨年の夏、急に腰が痛くなって、外出もままならなくなり、引きこもりの生活を送っていました。椎間板ヘルニアだと判明してからは、メンタルも落ち込み、仕事が手につかない日々でした。というわけで、「書庫拝見」も半年以上休んでしまいました。再開しますので、またお付き合いをお願いします。 新大久保の路上に話を戻す。普通の身体なら7、8分で着く距離を、20分近くかかって目的の「第二韓国広場ビル」にたどり着く。編集のHさんとも久しぶりにお会いする。 今回取材する〈文化センター・アリラン〉はこのビルの8階にある。その下の階には、韓国・朝鮮の歴史を伝える〈高麗博物館〉が入っている。 ![]() アリランのドアを開けると、事務局の李正守(リ・ジョンス)さんが迎えてくれる。ここは朝鮮関係の書籍、資料を約5万点所蔵する、日本では数少ない朝鮮学の専門図書室なのだ。 ![]() 「資料の9割は三郷市にある資料室に所蔵されています。この大久保の図書室では、一般の利用者に必要な資料や新しい刊行物を置くようにしています」と、李さんは説明する。たしかに、壁面の棚には在日韓国人・朝鮮人をめぐる本がずらりと並ぶ。 ![]() また、韓国や朝鮮に関する雑誌や、運動の機関誌なども揃っている。 ![]() 利用者は研究者や学生が中心。意外にも在日の人は少なく、日本人の方が多いという。「下の高麗博物館の来館者が立ち寄ることもあります。また、来日した韓国や中国の方が来館されることもありますね」 コリアンタウンである大久保にこのような資料館があるのはふさわしいことのように思えるが、「アリランは最初、西川口にあったんです」と李さんは話す。その設立から現在地に移転するまでの経緯をたどってみよう。 なお、アリランの沿革や所蔵資料については、アリランの理事でもある鄭栄桓(チョン・ヨンファン)さんによる「文化センター・アリラン(東京都新宿及び埼玉県)所蔵資料調査及び解題」(以下、鄭栄桓論文)を参照した。 【在日としての思いが原点】 1992年11月7日、西川口に文化センター・アリランがオープンした。開館を伝える新聞記事には、「朝鮮史関係の蔵書2万冊」「関東に『在日文化』の拠点」などの見出しがある。読売新聞の記事には、書架に並ぶ資料を手に取る男性の写真が載っている。これが創設者の朴戴日(パク・チェイル)理事長だ。 【田川文庫の貴重書】 先に述べたように、アリランでは現在約5万冊の資料がある。そのうち約4万冊が日本語で書かれたものだ。 【箱の中から多様な資料が】 数日後、金町からタクシーで三郷資料室へと向かう。この辺だと降ろされた場所にはそれらしき建物がなくとまどうが、ある会社の入り口に小さくアリランの名前が見つかりホッとする。 【梶村文庫と海野文庫】 箱の間をさまよっていると、「梶村」と書かれた箱が見つかった。ほかにも、何か所かに「梶村文庫」の文字が見える。これらは梶村秀樹文庫である。 |
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