『ディスカバード・ジャパン 鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔(いまむかし)』について大木 茂(写真撮影業)
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かつてぼくは蒸気機関車を追いかけて全国各地を旅する「鉄道少年」だった。高校1年生だった16歳の時から大学を卒業した25歳までの足掛け10年間(1963~1972年)、列車が走る沿線、駅の風景を撮り続けた。蒸気機関車、鉄道が好きで写真を撮りに行った、ということになっているが、実はふらふらと旅をすることが面白かったのかも知れない。東京郊外に生まれ育ったぼくにとって、地方は、地方に住む人々は、知らないことばかりのの世界だった。学校の勉強をしなかったこともあり、旅をして教わったことも多く、「旅はぼくの学校だった」と思っている。大学は理系に進み、鉄道技術者になろうと考えていたのだが、時代は1970年前後で全共闘運動、反安保闘争が吹き荒れ、その影響を受けて価値観が大きくに変わった。なんとか大学を卒業したのだが、旅が続けられる職業がないかと思い、無謀にも「写真撮影」を生業としてしまった。「鉄道」はひとまず卒業して、主に一般雑誌の写真ページの仕事をした。写真屋のジャンルも、今のようにスポーツ、風景、動植物・自然、鉄道、自動車…などと専門化する前だったので、いろんな世界に関わることができて楽しい仕事だった。幸い助けてくださる方もあり40年ほど仕事を続けてくることができた。
大きな仕事も少なくなった、60歳代後半、古希を目前にして、あの学生時代に趣味として撮った蒸気機関車の写真を思い出した。そうか、半世紀以上も前に高校生の時に立った場所にもう一度立ってみたら何が見えるか?と考えたのだ。趣味で撮っていた写真を、職業写真屋としての経験を通して見直してみよう、この半世紀の間ぼくは一体何をやってきたのか? きっと「センチメンタルな旅」になるだろうな、と思ったのだ。 2016年に始めて足掛け10年、2025年まで全国の262の駅、区間を再訪してみた。「あの撮影地は今、どうなっているのだろう」軽い気持ちで始めたこの企画だったが、この体験は私に想像以上の衝撃を与えた。 「センチメンタル」?始めてみるとそんな甘い感傷は吹っ飛んでしまった。ぼく自身も鉄道沿線から離れていたこともあり、久しぶりに見る鉄道の姿、その周辺は大きく変わっていた。半世紀前に比べて我々の生活は豊かになったはずなのに、なんと国土が荒廃しているではないか。その姿をあちこちで見ることになった。 狭い土地を耕して「棚田」として米作をやっていた場所、海辺を干拓して耕地としていたところなど、苦労して維持していた田畑に人手がかけられなくなり耕作放棄地となっていた。都市周辺では、かつての農地が住宅、工業敷地へと変わり、それも人口減少で空き家も増えていた。 一次産業(農業、林業、漁業)が衰退してしまったことが分かった。「田舎の美しい風景」と思っていたのは、実はお百姓さんたちや住民が手入れしていたからだ。決して「自然そのもの」だったわけではなく人手が入ることによってバランスが取れていたのだ。更に田畑だけでなく里山も、かつては住民たちが炭焼きや、かまどの燃料にする粗朶を取るために山に入り手入れをしていた。今話題になる、熊、猪、鹿などの市街地への出没の原因は、そんなバランスが崩れてしまったところにあるように思う。 そして、一方この国は1960年から70年代にかけて「工業化」による高度経済成長を遂げてきた。その結果都市部に人口が集まり、一次産業の担い手も、季節労働者として始めは出稼ぎ、後に都市部の労働者となり、都市人口はますます増えていった。 鉄道の話をすれば、地方の人口減少によって鉄道利用者が減少した。しかし過疎化による以上に、輸送手段の変化、鉄道から自動車への変換が大きかったはずだ。国は、基幹産業として自動車産業を推進し、幅広い雇用の裾野を持つ土木建設産業を重視したため、輸送の主役が入れ替わった。道路関係予算は国費で約6兆円。新幹線を除く鉄道関係予算は約200億円、なんと1/300ではないか。かつては「山手線で稼いだ金で北海道のローカル線を走らせている」と言われ、過疎地で暮らす人々も支えていたはずなのだが、JR化・分割によりそれもできなくなり、「ともかく稼いで採算を取れ」ということになってしまった。自動車交通が発達しているヨーロッパのいくつかの国でもエネルギー効率の良さなどで鉄道が見直されている。自動車を運転できない弱者のためにも、公共交通機関としての鉄道に採算を求めるのは違うのではないか、警察や消防に採算を求めるか?という議論も決して的外れではないだろう。 世の中の動きは、徐々に徐々に変わっていく。人々は毎日の変化になかなか気が付かないのだが、こうして新旧の写真を見ると見過ごしてしまった大きな変化に驚く。人間の曖昧な記憶を超えた「写真」の持つ記録媒体としての力を再認識している。 今回、B5サイズ、512ページのずっしりと重い「本」が出来上がった。「紙の本」の良さを求めて「デザイン・造本」には力を入れた。親しい友人だった造本家・鈴木一誌さんは「紙の本は100年後も残るからな」と言っていた。掴みどころのない「データ本」は、それを表示してくれるディバイスがなくなったらば読むことも見ることもできない。物理的に存在する「紙の本」は消えてしまうことはないはず。そして「紙の本」ならではの良さもある。この本では、同じテーマが何度も繰り返し出てくるので「何ページ参照」があちこちで出てくる。「データ本」ではその参照ページに飛ばすことはできるが戻ってこられない。その他多くの工夫をしているので、お手に取って見ていただけたらばと願っている。 残念ながら鈴木一誌さんは3年前に亡くなってしまった。今回は「鈴木デザイン事務所」で仕事をしていた吉見友希さんにお願いし、数々の工夫をしてくださり良い本ができたと喜んでいる。しかし、鈴木一誌さんにも見てほしかったな、と思っているところだ。 もしできたらば、50年後、100年後のこの国の姿を見て、撮影したいと思うのだが、叶うはずもない。せめて、50年後、100年後の「読者」が何を思い考えてくれるか… 想像するだけだが、楽しくなってくる。 大木茂(おおき・しげる) 写真撮影業。 1947(昭和22)年、東京都世田谷区生まれ。小学、中学生の頃は乗り物、特に飛行機が好きな「飛行少年」だったが、高校生になり「鉄道少年」となり蒸気機関車を追いかけて全国を旅するようになった。 1972年、早稲田大学理工学部卒業。以後、写真撮影を生業とする。主に一般週刊誌や月刊誌、書籍の写真ページを担当し、30歳代後半から映画のスティル写真撮影も。 60歳を超えたあたりから昔ながらの「貧乏ひとり旅」を楽しんでいる。 主な著書:『やきもの里・雑記帳』(朝日新聞社、1978年)『ノスタル ジック・アイドル二宮金次郎』(新宿書房、1989年)『World Golf Res orts』(平凡社、1990年)『ヨーロッパの鉄道撮影ガイドブック』(弘 済出版社、1999年)『ヨーロッパ汽車の旅』(平凡社、2002年)『汽罐 車ーよみがえる鉄路の記憶』(新宿書房、2011年)『ぶらりユーラシア 』(現代書館、2021年) 映画スティル写真は、この数年で『北の桜守』(2018年)『最高の人生 の見つけ方』(2019年)『いのちの停車場』(2021年)『てっぺんの向 こうにあなたがいる』(2025年)などを担当した。 ![]() 〇『ディスカバードジャパン』190ページより ![]() 書名:『ディスカバード・ジャパン――鉄道沿線に見るこの国の姿、今昔』 著者:大木 茂 出版:現代書館 判型/ページ数:B5判/512ページ 価格:7,700円(税込) ISBN:978-4-7684-5991-1 cコード:C0065 好評発売中! https://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5991-1.htm |
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