江戸から伝わる古書用語 1 セドリ橋口 侯之介(誠心堂書店) |
セドリは、各地の本屋を回って本を仕入れ、それを古書市場や専門店に持っていって利ざやを稼ぐことをいう。これを「背取り」と書いて、本の背を見ながら抜いていくことからきているという解釈がまかり通っている。しかし、これは誤っており、一種の都市伝説である。この用語は江戸時代からあり、当時の本は和本であり、背中なるものは見えないのだから。 このセドリがいつから始まったかは定かではないが、少なくとも18世紀には確認できる商慣習である。曲亭馬琴の書いた『近世物之本江戸作者部類』によれば人情本の人気作家・為永春水は、「柳原土手下小柳町の辺に処れり。旧本の瀬捉といふことを生活にす。且軍書読みの手に属て、夜講の前座を勤ることも折々ありといふ」とあり、小柳町(現在の神田須田町あたり)にいて、若い頃は古本の「せとり」をしていたという。別の本にも為永春水は講釈師をしながら、糴取の担商をしていたと出てくる。担商とは西行法師が包みを背に載せて旅をした故事からきており、いつも背中に風呂敷包みを放さず江戸中を巡り歩いていた人たちである。この瀬捉あるいは糶取とも表記されるのがセドリである。 最近、某国が海上で船を横付けして原油などを手に入れる行為を「瀬取り」というそうだが、古本屋からすれば気持ちの良い話ではない。 江戸の本屋・和泉屋庄次郎も本屋の息子として生まれたが、初代の没したのがまだ13歳だったため、すぐには店を継げず、紙漉きをして十七歳まで働いて銭を貯めて、それを元手にセドリを始め、刻苦精励して寛政初年頃(1790年前後)、浅草新寺町に本屋を再興したと伝えられている。セドリだけで店を持つまで稼げたのだ。その日記『堂前隠宅記』によれば晩年になっても江戸中の店を巡り歩いて本を探すことは続けていた。本屋にとってそれは「楽しい」ことでもあったのだろう。 当時、出版もするような書物問屋に対して、本屋仲間に属さずに本を売買する者を世利子(せりこ)とか売子(うりこ)と呼んで区別してきた。このフリーランスの層の主な仕事はセドリだった。当時の貸本屋もそうだが、店をもたずに本の商いをする者の商売道具は風呂敷だった。明治初期を描いた次の一文には、 「この一団には仁義があつて下駄は履かず泥鰌草履(どじょうぞうり)ばきで風呂敷を背負ひ……店先へは腰を下さずかゞんで商ひをした。この糶取のことを俗に風呂敷と云つた」(『日本出版文化史』とある。 明治期の古本屋は江戸の流れで店をかまえて本を売っていた者と、このセドリ商からスタートして次第に店を出すようになった者たちとで成り立った。昭和期になってもセドリを商売にしていた者はけっこういた。 和泉屋庄次郎と同じように私も若い頃は各地の本屋を訪ね回るのが好きだった。古本屋の甲斐性でもあるのだ。
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