江戸から伝わる古書用語 3 江戸時代の市場橋口 侯之介(誠心堂書店) |
前回、江戸時代にも古書の市場があったことを述べた。河内屋和助こと三木佐助の懐古談『玉淵叢話』によれば、「糶市(せりいち)と申すものでござりました。……伊丹屋善兵衛で市の定日が二、七の日、外に内々の市屋、柏原屋儀兵衛のが四、九の日、播磨屋太助のが三、八の日でありまして此等の糶市が私共若年者には誠によい参考になりましたのでござります。凡て書籍と云ふ書籍は御経浄瑠璃本まで悉く此市で売買されたものであります」とその盛況ぶりが描かれている。 今回はその実態をもう少し明らかにしておこう。 江戸・京・大坂では本屋仲間が株を与える公式な市場があったことを紹介したが、このほか長崎に入ってくる唐本についても入札で取引されていた。では当時、どのような方式で行われたのだろうか。入札方式なのかセリ方式なのか、ということも知りたいことである。実は入札とセリが併用されていた。 唐本の市では本ごとの落札値段が出てくる史料が残っており、天保2年(1831) 5月12日に開かれた市には、およそ300点が出品されたが、前半は「入札(いれふだ)」で、後半は「是よりふり市」となって方法を変えている。 入札は紙に希望価格と店名を書いて、主催者がそれらを比べて高値の者に落札できるようにする方式で、現在とそう変わらない。それを後半はふり市に変えて行うというのである。ふり市は現在でこそ少なくなったが、昭和期はよく行われていた。振り手が本をかざし、参加者の中から欲しい者が声で値を言い合う。そこで最後まで残った最高値の人に決まるセリ方式である。このほうが盛り上がって高くなることが多いので、後半の善本はそれで競わせたらしいのである。 別名振り立てともいって、文久2年(1862)大坂の市の申し合わせ事項に取引には「えこひいき」がないように、あるいは一度落札した価格を値引きさせるようなことは禁止であると出てくる。たくさん出品したから手数料の値引きをいうようなことをしてはならない、という決めもあった。誰に対しても公平であるように勤めていたのだ。 取引の精算も問題だった。寛延2年(1749)の江戸三組行事の規約によれば、「世利物」といわれた本市で取引された品の支払い期間は十日とし、その支払いを延ばすなら、品物を受け取るのは清算がすんでからである。もし、不算用が判明したらその者の名を市宿(市の会場)に張り出し、現金といえども今後の取引を禁ずるという厳しいものだった。 大坂では、市に荷物を出す売り主にはその月の晦日に売り上げ分を支払い、買い方はその前の二十七日までに支払うことという達しだった。晦日に払うためにはその前に資金を確保するために買い方に早めに支払わせる必要があるからである。ところが、買い方の中には払いを延ばす者がいて困るので、払わない者へは遠慮無く催促するよう申し聞かせるということだった。こういうことは古くて新しい問題である。
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