江戸から伝わる古書用語6 江戸時代の本屋の終焉橋口 侯之介(誠心堂書店) |
江戸時代の本屋の仕組みはよくできていた。それを整えた本屋仲間への信頼度も高く、安心して代々継承していた。業界への参入の門戸が広いために個人単位でも末端に入り込むことができた。 しかし、そうした体質は明治に入ると外堀を埋められるような形で変貌を余儀なくされてしまう。そこには現代に通ずる問題があるので私たちもじっくり考えなくてはならない。 江戸の仕組みは別の意味では進化しすぎていた。そこにどっぷりと浸かっていたため、新しい時代についていけなかった。明治に入ってもしばらくは江戸的な方法でやっていけたのだが20年もたつと周囲はすっかり変わってしまったのだ。 和装本から洋装本へ、木版印刷から活版へ、和紙から洋紙へと変わっただけではない。それまで本屋仲間が自主的に行ってきた吟味は政府による検閲になり、古本は鑑札制度と台帳の保存義務が厳密になって新本と古本が分離されていく。取次という専門卸会社ができて全国どこにでも大量の印刷物が届けられるようになっていく。いわばグローバル化が進んで欧米的な出版制度になったともいえる。そうなると独自な制度で生きてきた江戸の本屋たちは行き場を失う。結局明治20年頃にはほとんどが廃業してしまった。この頃結成された出版組合の名簿には明治になって創立されたところばかりが並び、江戸時代からの本屋はもうほとんど入っていない。 今日まで伝わる古本屋も大半は明治初期の新規開業の店ばかりだ。京都では数軒生き残ったが、東京では浅倉屋書店くらいなのだ。 この明治20年が書籍にとっての近代化の画期だった。古い店でも考えを変えていけば生き残ることは可能だったはずだが、それをしなかった。そこにあるのは、意識の問題だ。商売を続けるという意欲が無くなってしまったのである。 これを私は密かに「明治20年問題」と考えている。これが現代でもおきていないだろうか。グローバル化の流れで電子化が進もうとしている今、書籍のあり方自体が大きく変わってしまおうとしている。すでに出版の弱体化、小規模な新刊書店の廃業などでその兆候がある。 古本界でも同様だ。「明治20年問題」がつきつけたように、本屋を続けていこうとする意欲が無くなると危険だ。生き残る道はあるはずである。明治におきたことを教訓に対策を考えてかなければならないだろう。
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