第9回 七面堂さん 奥付のない本を探すひと
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1997年から8年間、私は『季刊・本とコンピュータ』という雑誌の編集室にいた。それまでネットと云えば、パソコン通信しかやったことのない私にとって、インターネットは深い海のようなもので、ヒマさえあれば検索エンジンやリンク集をたどってその海にダイブしていた。いまスマホを操作していても得られないあの頃のワクワクした感覚を、ときどき懐かしく思い出す。古本好きの人が開設したサイトもずいぶん見て、ブックマークに入れたものだ。「閑話究題 XX文学の館」もそのひとつだった。 このサイトは「地下本」の書誌を載せたものだ。この場合の地下本の定義は、「公刊する事を前提としていない出版物の内、性を主題として扱っているもの」となるらしい。艶本、 好色本、春本などとも呼ばれるものだ。 私も地下本らしきものは即売展で見かけていたが、あまり手に取ることはなかった。しかし、このサイトでは梅原北明、酒井潔、伊藤竹酔ら戦前のコレクター文化とも関係の深い人々や、彼らが発行した雑誌について詳しく記されていた。 その後もときどき覗いていたが、SNSが主流になってからはあまり見なくなった。最近見に行くと、しばらく更新が止まっているようだ。七面堂究斎と名乗る主は最近どうされているのだろう? と思って、取材を申し込んだ。 「仕事をしていたときは、サイトを更新するのが息抜きになっていたんですが、定年で退職すると、いつでも作業ができると思うとかえってやる気が落ちるんですよね(笑)。地下本について前に書いた原稿もアップしなければと思っているんですが……。ツイッターなどはやってないですね」と、七面堂こと佐々木宏明さんは云う。 佐々木さんは1953年、足立区生まれ。父は帽子職人だった。小学生の頃から本好きで、周囲もそれを知っていたという。 「小学校の担任が辞めるときに、他の級友には小説の本を上げていましたが、私だけ『社会科年鑑』をもらいました。そういう本が好きだと思われたのでしょうか」 マンガ雑誌も好きだった。読んだら近所の古本屋で売って、週100円のこづかいの足しにしていた。立ち読みして、「出てけ!」と叱られたこともあるという。 中学になると、小説ではなく雑学系の本にハマり、宇宙人や古代史、奇術、占いなどあれこれ読む。占いについては、易経について調べたり文化祭で占いをしたりした。また、奇術については、大人になってから日本奇術連盟に入り、カードマジックを研究した。「興味を持つと、つい深いところまで行ってしまうんです」と笑う。 その頃、新刊書店で『千一夜物語』を見つける。河出書房から出たリチャード・バートン訳の全7巻本だが、高くて手が出なかったので、古本屋でバラで集めた。これがエロスの世界への入り口となる。 工業高校を卒業し、汎用コンピュータの会社に入って保守部門に配属される。のちに別の会社に移るが、そこもコンピュータ系だった。この経験が書誌やサイトづくりに生かされる。 就職してしばらくは本を読む時間もなかったが、28歳ごろに『地下解禁本』を読み、地下本に興味を持つ。 「編者の小野常徳は警察のOBだった人で、この前に『発禁図書館』も出しています。『地下解禁本』には芥川龍之介が書いたと云われる『赤い帽子の女』や、『О嬢の物語』などが入っていました。それで、ここで紹介されているような地下本が実際に手に入らないかと思って、神保町の古書店の棚をじっくり見て、戦後の発禁本である『蚤の浮かれ噺』と『バルカン戦車』を見つけて買ったんです」 ちなみに、「地下本」と「発禁本」の違いは、摘発されたかどうか。法律を無視して出版した段階では前者だが、摘発されると後者になる。 「地下本の全体像を把握するのは、とても難しいです。活字版はまだ見当がつきますが、ガリ版で発行されたものとなると判りません。奥付がないので、発行年代を確定しにくいです。刊行案内や会員通信のチラシが一番確かです。『袖と袖』という題で知られているテキストは、最も多く発行されていますが、『痴狂題』というタイトルになっていたりする」 その後、古書展や古書目録でも地下本を探しはじめる。一回の目録でまとめて買うことにより、七面堂さんが地下本を集めていることが認知されるようになった。 「山の本に強い文京区のある古書店は、私が地下本を注文するようになると、その方面だけで自家目録を出した。配布する前に私に見せてくれたので、60万円ほどまとめて買いました。もっとたくさん買いたかったが、予算が足りませんでした(笑)」 この中で買ったのが、伊藤晴雨が石版刷りで刊行した『論語通解』だった。五十部限定の私家版だが、性文化研究家の高橋鐵が所蔵する本のみの天下一本とされていた。七面堂さんは目録の中にこの本が違う題名で載っているのを見つけたのだ。 この調子で買いまくった結果、木造の家の床が本棚ごと抜けたという。 最初は集めた地下本を読んでいたが、タイトルが異なっていても同じテキストであることを確認することが主になっていく。もはや、エロスが動機ではなくなっている。パソコンのカード型データベースで、一冊ごとの書誌項目を入力して管理した。 1987年からは〈進和文庫〉という古本屋が出していた『IGNORANCE SIMPLE REPORT』で、「高資料」と呼ばれる性記録文献についての研究を発表する。作家の龍胆寺雄がこの資料にどういう関わりがあったかなどを検証した。 そして、これまでの地下本データをもとにHTMLの勉強を兼ねて2000年につくったのが、「閑話究題 XX文学の館」というサイトだった。 「コレクションが溜まってくると人に見せたくなるという、コレクター心理からですね(笑)。本当は雑誌を発行したかったのですが、やり方も判らないし、サイトなら広く公開できるので。それと前年に別冊太陽の『発禁本』が刊行されたこともありました。発禁本研究家の城市郎さんのコレクションをもとにして、図版も多く収録していました。でも、地下本の現物にあたってみると、少し違うところがあると知らせたかったという理由もありました」 七面堂という名前にしたのは、「しちめんどうくさい、という意味もありますが、当初、古川柳、奇術、古代史、占いなど自分が好きなテーマごとに七種類のサイトをつくりたかったんです。でも、地下本だけで手いっぱいになってしまった」 最初のコンテンツは少なかったが、手に入れた地下本について判ったことを書いていくうちに、どんどん詳細になっていった。 「地下本はどの版が正統なのかを確定しにくく、Aという版とBという版の現物を比べてみるしかありません。その難しさが集めて、調べるようとする原動力になっているのかもしれません。サイトでは同好の士からの反応があるのが嬉しかったですね。アクセス数は一番多かった時期で月に1000件ぐらいでした」 これまで集めた地下本は単行本が3000冊くらい、雑誌は20~30種。それ以外の本も2000冊以上所蔵している。 「すべての地下本をコンプリートするのは不可能ですが、見たことがないものがあとから出てくるから、なかなか蒐集をやめられません(笑)。いつかはそれらをまとめて書誌として刊行したいと思っているので、全部取っています。ただ、必要なときに出てこなくて困ることも多いです」 コレクションを継ぐ人もいないため、いずれは国立国会図書館などに寄贈し、研究の材料にしてほしいと考えている。 「地下本を集めるようになったのは、誰もそれが『本』だと認めていなかったから。だったら、自分で集めてやろうと決意したんです。でも、自分ひとりではやりきれなかったので、後世に託したいんです」 インタビューの際に、七面堂さんは持参した地下本の一冊ずつについて、丁寧に説明してくださった。私のような門外漢がそれを引き写すよりも、「XX文学の館」には詳しく解説されているので、ぜひそちらを読んでいただきたい。 そして、いつかは地下本の書誌が刊行されることを願う。「奥付のない本」を網羅したその書誌には、七面堂さんの名前と発行日を記した奥付がつくはずだ。
「閑話究題 XX文学の館」
南陀楼綾繁 ツイッター
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