古本屋めぐりの体験をネットで書いている人は多い。井下拓也さんもその一人で、2013年からFacebookで「古書店巡礼」と称して、訪れた古本屋とそこで買った本について書いている。最近の記事に312店目とある。東京の主要な店にはほぼ足を運んでいるのではないか。
「自分の見たままの印象を正直に書いています。訪れた店では礼儀として、必ず1冊は買うようにしています」と井下さんは云う。文学等、音楽、映画、美術などの本を中心に集めているようだ。著者の署名本もお好きらしい。
記事の印象通り、穏やかに話す好青年でエキセントリックな感じはない。会社員として働きながら、好きなことをマイペースで続けてきたという印象だ。しかし、子どもの頃からの話を聞いてみると、極度の凝り性であることが判ってきた。
井下さんは1978年に東京都で生まれ、埼玉県浦和市で育つ。会社員の父は本好きで、家じゅうに小説や歴史に関する本があふれていた。父方の親戚に真鍋鱗二郎という愛媛県在住の作家がいて、著作が出版されるとその献呈本が家に送られてきたという。
「小学1年のとき、父が子ども向けの歴史人物事典を買ってくれました。それが面白くて、図書館にある人物事典を片っ端から借りて、そこから引用してオリジナルの人物事典を手書きでつくっていました。熱中していたので、友だちが家に泊まりに来ても、作業のキリが付くところまで待ってもらったほどです(笑)。テレビやゲームには興味がなく、夜も本ばかり読んでいたので、目が悪くなりました」
母は、若い頃からバンドでボーカルをやっていた。その影響で、井下さんは4歳でピアノを習いはじめる。井下さんが幼い頃、母が入院して青森の親戚に預けられていたことがある。
「寂しくて、子ども向けの伝記をたくさん読みました。バッハやベートーベン、シューベルトらの生涯を知って、こういう人がこの曲をつくったんだと思いました」
人物への興味はこの頃から生まれていたのだろう。
小学生の頃は、図書館で借りた江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズを読破したり、エドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』の挿絵が怖くて、熱を出して寝込んだりした。自分で雑誌をつくり、それを母のバンドが練習していたスタジオに持っていって大人に見せたという。
しかし、中学になるとハードロックに目覚めたこともあり、本から離れてしまう。授業をさぼりがちになり、友だちと学校を抜け出して遊びに行ったこともある。高校でも音楽漬けの日々が続く。ところが、浪人生になると、本の世界に戻り、図書館の文庫コーナーを著者の50音順に片っ端から読んでいった。「自分にノルマを課したい気分だったんです」。とくに明治・大正の小説が好きになった。
有島武郎の「生まれいずる悩み」と「惜しみなく愛は奪う」を読み、自分に正直に理想を追い求める生きかたに感銘を覚える。大学では文学部に入り、卒論は有島武郎をテーマにした。
「卒論のために作家論や作品論をたくさん読みました。調べて書くことが好きなんだと、改めて思いました」
音楽サークルでバンドにのめり込んでいたが、一人になりたいときには研究室の書庫に籠った。本に囲まれると安心したという。
大学卒業後は、一人で曲をつくり、小さなプロダクションに属したが、仕事としてではなく自分の音楽をつくりたいということで、会社に就職する。しかし、そこを辞めて、実家で引きこもった。
「当時は音楽を聴けない状態で、音のない本に没頭しました。家にある世界文学全集の類いを読みまくりました。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだときは、自分のなかで何かが変わったようでした」
井下さんは「僕は人生にストップがかかるたびに本にハマるようです」と言う。浪人時代に続き、第二のストップも本で乗り切ることができた。
家にある本を読み尽くし、もっと読みたくなって、ネットで知った古本屋に足を運ぶようになる。
2010年頃、神保町の〈小宮山書店〉で三島由紀夫の初版本が並んでいるのを見て、集めようと思った。その後、都内の古本屋を回って、本を買うようになった。
「ある作家やテーマから次第に範囲が広がっていきました。三島経由で、澁澤龍彦が訳した幻想文学を読み、そこから美術やゴシックの本を読むようになりました。いまは、カミュ、カフカ、サルトルなど不条理をテーマに書いた作家が好きです」
坂本龍一の音楽が好きで、彼が影響を受けたドビュッシーを通じて、フランス文化への興味を持ち、現代音楽に関する本も読む。映画のDVDも数千本集めている。それらすべての体験が、自分のつくる曲にも反映されていると井下さんは言う。
2010年にいまの会社に就職してからは、仕事が終わると古本屋をめぐる。
「神保町の〈三茶書房〉で、閉店間際の時間に三島関係の本を買ったとき、店主が三島由紀夫文学館の話をしてくれました。開館の際、資料収集に関わったそうです。とっくに閉店時間を過ぎたのに、1時間ぐらい話し込んでしまいました(笑)。そのとき、文学館の初代館長だった佐伯彰一さんの話も出ましたが、家に帰ってネットを見たら、佐伯さんが亡くなったというニュースが流れていて、不思議な気分になりました」
Facebookでは、すでになくなった古本屋の思い出も書かれている。
「池袋の〈夏目書房〉にはよく行きました。おばあさんの店主がとてもいい人でした。閉店したのが残念です」
毎日のように買っているので、家には本が増殖し、近くに倉庫を借りた。
「『この本、欲しかった!』と喜んで買って、家に帰るとすでにあった、などはザラですね。同じ本が4冊もあったこともあります(笑)」
読んだ本はExcelでリストに記録している。年間200冊近くは読んでいるそうだ。
じつはこの10年間も、心身ともに不調が続き自分にストップがかかっていたと井下さんは言う。
「思うように動けないなかで、本や映画、音楽からインプットしつづけてきました。そろそろ、表現するほうにシフトを切り替えていきたいと思っています。曲だけじゃなくて、伝えかたや場のつくりかたも含めて、自分の音楽をつくろうと思っています」
今後も古本屋通いはつづけるとのこと。本に助けられ、本から得たものが、どんな音楽となって発信されていくのだろうか。
南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)などがある。
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