☆古本乙女の独りごと⑧ 古本愛によって生み出されし咄嗟の判断カラサキ・アユミ |
その古本屋店主は「え・・・入るの・・・?」と言わんばかりの表情で私を見つめた。 ある日、いつも開店している気配の無い草臥れた雰囲気の古本屋の扉に『営業中』の張り紙を見つけた私は嬉々として初めてドアを押した。入店するなり出迎えたのはあからさまに困惑したような店主の顔だった。一瞬怯んだ私だったが、目の前には狭い店内の至る所に古本が積み上げ並べられた魅惑的な風景、すぐに店主の存在を忘れて漁書に没頭した。 やがて五百円の値段が付いた一冊を店主の座る帳場に持っていった。すると怯える表情の店主。私はなおも「?」。恐る恐る本の見返し部分を開き値段を確認する店主。(その手は年齢のせいなのかフルフルと小刻みに震えていた。)私はこの不穏な空気を一喝したい気分もあって勢いよく千円札を手に「ハイ、これでお願いします。」と店主に差し出した。しかしその札はなぜか受け取られず、自分のポケットから年季の入った革製の小銭入れを取り出した店主は震える指で小銭を漁り始めた。ジャラ・・・ジャラジャラ・・・。店内に小銭が重なり合う音が響き渡る。そして突如チャリチャリチャリーン‼︎と軽快な音を鳴らしながら小銭入れが落下した。「あぁぁぁ・・・」と悲痛な声をあげる店主。私もその様子を見て慌てて散らばった小銭を拾いあげ店主の手に乗せた。広げられた手の平に乗るのは百円玉三枚に十円玉五円玉一円玉が少々・・・。 どうやら察するにお釣りの準備が無いらしい。これまでの店主の一連の珍妙な動作の謎が解けて少し霧が晴れたような心持ちになった・・・が、あいにくこの日に限って私も小銭を持ち合わせておらず札しか財布に準備がなかった。近くには両替出来る銀行はおろか自販機すらない。尚も続く沈黙の空気。店主は手に乗せた小銭達を一心に見つめたまま微動だにしない。何かを諦めたかのような空虚なその眼差しは、もはや手の平を通り越し更に床をも遥かに通り越しているようだった。 このままでは事態は変わらない・・・。そう悟った私は五百円の値が付いた本を無理やりもう一冊見つけ、「これも買うんで・・・ハイ、これで丁度ですよね・・・。」と店主に再度千円札を差し出した。小銭を握り締めたまま、その千円札を素直に受け取った店主の眼は微かに輝きを取り戻していた。 退店後、「古本漁りに必須の小銭を持ってないとは私もまだまだ古本屋素人だな・・・フッ・・・」と切ない表情で何度も己に言い聞かせたのであった。
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