☆古本乙女の独りごと(最終回) 或る古本者の閑話カラサキ・アユミ |
古本屋にとって〝いいお客さん〟とは何だろう。色々な像が浮かぶがシンプルに表現するとしたら答えは至極簡単で、百円でも一万円でも店で買い物をする、つまりお金を使う人がそれに当てはまるのは間違いない。もしくは、質の良い本を売りに来てくれる人も該当するだろう。いやらしい言い方かもしれないが、商売の世界ではそれが当たり前の単純な真実であることに変わりはない。
それでは対して、古本屋を利用するお客にとって〝いいお店〟の定義とは。掘り出し物や探している本がいつ訪れてもあるとか、店がある立地とか店主さんが優しいとか、お客の数だけ店に対して良しと評価する基準がそれぞれあるわけなのでそれこそ十人十色の答えがあり一辺倒にまとめることは難しい。ちなみに客側としての私の場合は、ただその場所に存在してくれているだけでもう百点満点の〝いいお店〟の評価に値する。 人生頑張って最低でもあと四十年は生きたいとして、仮にその残りの時間でどれだけ未踏の店に行く事が出来るだろう。この春以来、家に籠らざるを得ない時間が増えた分このように改まって考える事も多くなった。 先のことは誰にもわからないし金銭的な部分や体力等もふまえると長い目で見据えてもどうやら全ての店を制覇するのは難しいようだ。そうして手元でパラパラとめくっていた全国古本屋地図をそっと閉じた。 体験してなんぼ‼︎のスタンスで生きている自分にとって「古本屋に行って本を漁る」というのは一種の人生のテーマでもある。そんなワケで暇さえあれば地図片手に交通機関や宿の情報やらを調べながら無地の紙に架空の古本行脚旅のスケジュールを組み立て書き込みニヤニヤするのが日課となった。今や机の引き出しの中には決行待ちの旅程表が何枚も重なっている。 実は、その引き出しには自分が居なくなった後の我が蔵書達の行く末について細かくしたためた古本遺言書なるものもひっそりと置いている。自分の身に万が一何か起こった時にはその白い封筒を開けるよう家人には伝えてはいるものの勿論、まだまだこの世を去る予定もつもりもなければ不測の貰い事故に遭遇しないよう注意を払いながら日々を過ごしている訳なので単なる飾りと化しているわけだが。 何はともあれ、「ふらりと店に訪れて静々と古本を買って帰る」、この体が動く限り生涯現役で〝普通のいいお客さん〟でいたいと強く思う。
|
Copyright (c) 2020 東京都古書籍商業協同組合 |