昨年の3月、岡山大学のキャンパス内のスペースで「小さな春の本めぐり」というイベントが開催された。「瀬戸内ブッククルーズ」というグループの主催で、中四国の個性的な本屋が出店した(このイベントは今年も開催予定だったが、新型コロナウィルスの影響で中止となったのは残念だった)。私は一箱古本市に箱を出し、トークもしたのだが、このとき温厚そうな男性に声を掛けられた。それが「倉敷から遠いで」さんだった。その半年後、倉敷でお会いして話を聞いた。
「ホントは〈蟲文庫〉で会いたかったんですけど、休みで……」。「倉敷から遠いで」さん(以下、遠いでさん)は、駅前のカフェで会うなり、残念そうに云った。蟲文庫には頻繫に通っているそうで、その空間に居るのがいちばん落ち着くようだ。
遠いでさんは、1960年に倉敷で生まれ、育つ。実家は神社で、祖父の代まで11代続く神主だった。昔は寺子屋も兼ねており、家には和本や習字の道具があったという。父は神社を継がず、会社員となった。遠いでさんは3人兄弟の真ん中で、上は兄、下は妹だった。
家には『少年少女世界の名作全集』があり、小学生の頃に全部読んだという。『少年サンデー』『少年ジャンプ』などのマンガ雑誌を買ってもらい、テレビのアニメや特撮にも熱中した。
「母に連れられて、玉島の商店街の本屋によく行きました。保育園のときに『絵本を買ってほしい』と頼んだ記憶がぼっけえ(すごく)残っていますね」
1973年小学6年の冬、岡山市民会館で兄と一緒に吉田拓郎のコンサートを観て衝撃を受ける。本屋で拓郎の『気ままな絵日記』(立風書房)を買い、熟読した。
「この本の最後に『ここからあなたの絵日記です』と書き込めるスペースがあるのですが、のちに岡山の古本屋で買った本には、当時の持ち主がその岡山でのコンサートのことを書いてあって驚きました」
中学校に入ると、吉田拓郎らがDJの深夜放送を聴き、レコード屋と映画館に通った。高校ではパンクロックとレゲエにハマり、本屋で『ロッキング・オン』などの音楽雑誌や音楽に関する本を買った。遠い出さんが通ったという、78年に岡山市に開店した中古レコード屋〈LPコーナー〉は、私も大学生の頃に帰省のたびに寄った店で懐かしい。
この頃好きだった作家は、星新一、筒井康隆、北杜夫、遠藤周作などで当時の定番と云えるだろう。この時期は古本屋に入ったことはないそうだ。
高校を卒業し、岡山市内の会社に就職すると、自分で使える金ができたことから、レコード集めに熱中した。この時期には村上春樹、村上龍、橋本治、金井美恵子などを読む。しかし、1980年代後半になると仕事が忙しくなり、好きなバンドが解散したことなどで、音楽や本から離れていった。
35歳で結婚し子どもが生まれると、空いた時間に本を読もうという気持ちになった。「いままでと同じような本だと飽きるじゃろうから」と、吉本隆明を読んでみることにした。「生きかたへの答えが欲しかったんですかね」。倉敷や岡山市の古本屋をめぐって、吉本の著作の7、8割を集めた。
「当時は何店かあった〈万歩書店〉にもよく行きました。荷物を持たずに古本屋にいると、なぜか店員に間違えられることが多かったです。客に訊かれた本を一緒に探してあげたこともあります(笑)」
倉敷の蟲文庫は、別の場所で開店したときには何となく入りにくく、現在の美観地区に移転してから行くようになった。最初は吉本の本しか目に入らなかったが、次第に通うようになる。
そのうち、吉本隆明が評論で取り上げた詩人や、書肆ユリイカの本などの詩の出版社に興味が移った。また、書物同人誌『sumus』の存在を知り山本善行、岡崎武志、林哲夫らの本を読んだ。
「『sumus』で取り上げていた尾崎一雄、木山捷平、上林暁らの私小説や、洲之内徹、渡邊一夫らの随筆を集めるようになりました」
私小説のどんなところに惹かれるのかと訊いてみると、「なんじゃろう、なにか惹きつけられるんですよね。木山や上林の文章には、死を感じます」と、遠いでさんは云う。梅崎春生の『幻化』や佐藤泰志の『海炭市叙景』のように、緊張感のある小説が好きだそうだ。
木山捷平は岡山の地元作家ということもあり、とくに好きだという。笠岡市にある生家も訪ねた。その場所を知っていると、読むときに情景が目に浮かぶからだ。ほかにも、内田百閒、正宗白鳥、永瀬清子、高祖保らの地元作家の本を集めている。
『sumus』同人でもある山本さんが、2009年に京都で古本屋〈善行堂〉を開店したときには、「下鴨納涼古本まつり」に合わせて訪れた。そのときに山本さんに、「来週にでもまたこの店に来たいけど、倉敷は遠いでー」と話したことから、その後、ネットで「倉敷から遠いで」と名乗るようになったという。
古本ブログが主流だったころは、更新されるのを楽しみにしていたが、ツイッターが盛んになるとそちらを見るように。そこで知った古本イベントやトーク、ライブなどに足を運ぶ。「倉敷から遠いで」とぼやきつつも、関西にもしばしば遠征している。
「イベントには古本屋をめぐるのとは別の面白さがありますね。これがあるから、飽きずに20年近く古本ライフが続いているのかもしれません」
古本屋や古本好きの知り合いも増え、本の話ができるようになったのも嬉しいという。
「ブログ『古本屋ツアー・イン・ジャパン』の小山力也さんが、倉敷の古本屋で買った本を忘れたと書いたのを見て、その店まで探しに行って見つけ、送ってあげたこともあります」
「自宅の2階に本を置いていたら壁に割れ目ができてしまったので、定期的に本を処分している」「〈万歩書店〉でいい本が並んでいる棚だなと思ったら、自分が売った本が並んでいました(笑)」「買ったはずの本がどこにあるか判らなくなることはしょっちゅう」
2人いる娘はどちらも本好きで、小学生のときは読書感想文のための本を「遠いで」さんがブックオフで探して揃えていた。
「いまもLINEで欲しい本を連絡してきます。ふだんは小遣い制で、本を買う金を捻出するのに苦労していますが、こういうときは妻に隠さず正々堂々と古本屋に行けるんです」と云うのが、なんだか笑える。
遠いでさんの話は、古本好きなら共感することばかり。のんびりした岡山弁でぼやきながら古本の話を聞いていると、たちまち時間が過ぎていく。
「漠然といずれは古本屋をやりたいと思っていて、不動産屋の物件をつい見てしまいます」とおっしゃる。プロの古本屋になったとしたら、善行堂の山本さんがそうであるように、古本好きの気持ちをくすぐる店主になるのだと思う。
南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)などがある。
ツイッター
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