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第15回 矢部登さん 静かに書誌をつくりつづけるひと

第15回 矢部登さん 静かに書誌をつくりつづけるひと

南陀楼綾繁

 5年前に田端に引っ越してきて驚いたのは、矢部登さんのご自宅がすぐ近くにあったことだ。
 矢部さんとは文学同人誌『サンパン』の集まりでお目にかかり、温厚な人柄に接した。好きな文学者の書誌をこつこつとつくっているという。私たちが不忍ブックストリートの活動をしている谷中・根津・千駄木とは歩いていける距離ということもあり、一箱古本市などのイベントに顔を出してくれた。
 マンションが立ち並ぶ通りに、矢部さんの家はひっそりと静かにある。その前を通るたびに、矢部さんにふさわしい住まいだと感じていた。
 そして今回、この家を訪れて、矢部さんにお話を聞くことになった。

「うちは戦前からこの場所にありました。過去帳によると、父で7代目です。私は戦後に建てた家で、1950年に生まれています」
 父は公務員。兄弟は4人の姉と、矢部さんの下に弟の6人。一番上の姉は矢部さんより一回り以上うえで、その姉たちが買った日本文学全集が家にあった。赤い函が新潮社で、グリーンの函は河出書房だった。幼少時に読んだ絵本や童話はよく覚えていないという。
 小学生のとき電気に興味を持ち、都バスで神田錦町にあった誠文堂新光社の分室(いまでいうアンテナショップか)で『子供の科学』を買ったり、都電で秋葉原に行って部品を買い、ラジオを組み立てたりした。高校1年生でアマチュア無線の免許を取ったが、開局するまでには至らなかった。

 中学校のとき、学校帰りに田端の高台通りにあった〈石川書店〉の表にマンガ雑誌が積まれていたが、このときは買わなかったという。のちに通うようになったが、いい本が見つかる店だった。
「20代のころ、ここでよく買ったし、また買ってもらいました。大きな紙袋に本を詰めて、坂を上っていったことを覚えています」
一間ほどの間口の昔ながらの構えで、私も好きな店だったが、数年前に閉店した。 
高校は護国寺の日大豊山高校で、卒業生には坂口安吾がいた。卒業後は日大法学部に進む。当時は大学闘争の名残りで休講が多く、ヒマな時間は白山通りや靖国通りの古本街を回った。無頼派の文学に興味を持ち、冬樹社から出た『坂口安吾全集』を端本で集めたり、織田作之助や石川淳の本を買った。
「一方で、幻想的な世界へのあこがれがありました。澁澤龍彦の単行本や『稲垣足穂大全』(現代思潮社)は造本が凝っていて欲しかったけれど、新刊では高いので古本屋で探しました。神保町よりも安いだろうと、池袋や本郷の古本屋に行きましたね」
 大学卒業後は、電気関係の業界誌を経て、加除式法令集などを出していた大成出版社に入り、そこで定年まで35年間つとめた。
「会社は世田谷区羽根木にあったんですが、近くに中井英夫の家がありました。中井は田端生まれで、与楽寺の辺りに家があったことを知っていたので、縁を感じました」

 26歳のとき、渋谷の〈旭屋書店〉のレジ横に、結城信一の『文化祭』(青娥書房)の署名本を見つけた。
「知らない著者でしたが、その本と目が合ったので買いました。読んでみると文章がよく、私の心臓の鼓動に合いました。その頃、これからどう生きるのかと焦っていたのですが、この本を読むことで心が静まりました」
 結城に手紙を出すと、自分の著作を贈ってくれた。その中には『文化祭』の私家版もあった。それがきっかけで、結城信一の本を集めるようになった。
 当時、神保町の古本屋で「結城信一の本はないか」と訊くと、「あるわけないじゃないか」と怒鳴られた。それぐらい珍しかった。それでも、こつこつと集めた。
日暮里の〈鶉屋書店〉では、主人に結城が寄稿した『風報随筆』を教えてもらい、買った。
目録専門の〈青猫書房〉では、結城が個人的につくった『鶴の書』の特装版を買った。
「青猫書房の目録は、手書きで10枚ぐらいのものでしたが、説明文がすごく詳しくていろんなことを教えてもらいました」
 池袋西口の〈芳林堂書店〉の上にあった〈高野書店〉の番頭とは、本を買ってもらったから親しくなり、結城信一が亡くなったあと、蔵書を買い取ったことを教えてもらった。その中から、結城が寄稿した雑誌を一山買っている。

「1984年に結城さんが亡くなったとき、自分なりに記録を残しておこうと思って、ある同人誌に追悼文を書きました。それを荒川洋治さんにお送りしたら、『本にしよう』と言ってくれて、荒川さんの出版社である紫陽社から『結城信一抄』を出しました。このときはじめて、結城さんの書誌をつくりました」
 本書が出たことで、近代文学研究者の保昌正夫さんと知り合い、矢部さんは書誌づくりの面白さに目覚めていく。
「これまでに島村利正、中戸川吉二、清宮質文や、出版社の帖面舎、津軽一間舎の書誌をつくりました。書誌学の知識はないので自己流です。自分の好きな作家で、知りたいことを調べて書いていくという感じです。結城さんの掲載誌でひとつだけ分からないものがあるのが、長らく気になっています。書誌は現物が手に入らないと書けないですね」
 書誌をつくるほどだから、本はきちんと整理されているだろうが、それでも「あるはずのものが見つからず、家じゅう探し回ることがよくあります」と笑う。スペースが限られているので、毎年1000冊ほどは古本屋に処分するという。

 矢部さんの場合、書誌づくりは小冊子を出すこととつながっている。
 1988年に『結城信一「鎮魂曲」の前後』という68ページの冊子を100部ほど、軽印刷で発行したのが最初で、現在までに15冊ほど出している。
「文学が好きな人に送って読んでもらっています。やっているうちに、次第に癖になりました。2009年からは『書肆なたや』を名乗っていますが、これは先祖が紺屋を営んでいたときの屋号です」
 2012年からは『田端抄』を発行。区画整理によって、子どもの頃から住む田端の風景がなくなったことから書いておこうと考えた。芥川龍之介、室生犀星ら田端文士村の作家をはじめ、田端にゆかりのある人々が、その著書や関連本とともに登場する。矢部さんの長年の蓄積が、存分に生かされているようだ。7冊で完結したのち、龜鳴屋から書籍として刊行された。ちなみに、私がいま住んでいる部屋の辺りに村山槐多が下宿していたことも、本書で知った。
「いまは続編として、『田端人』を出しています。その別冊をつくっているところで、春には出したいと思っています」

 神保町や早稲田でよく行っていた古本屋が姿を消したのは寂しいが、東京古書会館の即売会にはいまでも足を運ぶ。
「先日は『アサヒグラフ』の明治大正名作展号に、田端に住んでいた池田蕉園という日本画家の作品が入っているのを見つけました。眺めていると、向うからふっと現れることがあるんですね。何気なく手に取った本が、いま知りたいことにつながっているというのは不思議です。そのためには、いつも自分なりのテーマを持っていたいです」と、矢部さんは言う。
 好きな作家や愛する故郷に関する本を集め、調べて、書誌をつくったり、文章を書く。それを長年マイペースでつづけている矢部さんに、畏敬の念を抱く。

南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)などがある。

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