『舢板』(サンパン)という雑誌があった。
エディトリアルデザイナーの松本八郎さんが社主のEDIが発行する雑誌で、1983年4月に創刊。誌名の「サンパン」とは、中国や東南アジアの沿岸を行き交う小舟のことだ。小舟のようなこの小雑誌で紹介されるのは、文学史や出版史の片隅に埋もれてしまったような文学者や出版社の足跡だった。
私は第Ⅲ期がはじまった2002年に、同誌で「早稲田古本屋店番日記」を連載していた〈古書現世〉の向井透史さんに連れられて、面影橋にあったEDIの事務所を訪ねた。そして、私も松本さんも敬愛している作家である小沢信男さんの聞き書きを連載することになった(第3号~第13号 「〈聞き書き〉作家・小沢信男一代記」)。
同誌は半同人誌制を取っており、執筆者はページ割で発行費を負担していたはずだが、私はそれを免除されていたと思う。いや、支払っていたのか? もう20年近く前で覚えていない。同人は仲が良く、松本さんを囲んでお茶会みたいなこともやった。そのときお会いしたのが、この連載に登場していただいた矢部登さんだった。
松本さんは私も所属している書物同人誌『sumus』のメンバーであり、『サンパン』には同誌メンバーの林哲夫さんが連載したり、他のメンバーもよく寄稿していたので、兄弟雑誌みたいな関係だった。思えばその頃は、よく会って飽きることなく本の話をしたものだ。
『サンパン』は2008年の第14号を最後に休刊し、松本さんも私たちの前から姿を消す。そして、2014年に亡くなった。
だから、新潟市の新刊書店〈北書店〉で「私も『サンパン』に書いていたんですよ」と声をかけられたときには、びっくりした。3年ほど前、トークイベントの打ち上げだったと思う。
関西弁の温厚そうな男性で、小野高裕さんとおっしゃる。その名前は聞き覚えないけど……と思ったら、島良作というペンネームで「独逸古書日記」を連載していたとのこと。たしかに、ドイツの古書店をめぐって洋書を買いまくる話を書いていた人がいた。「島良作は大学のとき、イラスト漫画研究会で同人誌を出していたときのペンネームです」と小野さん。
あとで書くように、小野さんは5年ほど前から新潟で暮らしている。その後、いろんな機会に顔を合わせるようになった。昨年は、新潟のアイドルグループ「RYUTist」のライブを北海道の西興部村まで見に行った際、小野さんの友人の車に札幌まで同乗させてもらった。
前置きが長くなったが、昨年の年末、小野さんに話を伺うことにした。場所は新潟市の西大畑にあるマンションの一室。西大畑は日本海が近く、坂口安吾が少年時代を過ごした地域で、いまでもゆるやかに文化的な雰囲気が漂う。
「ここにある本は500冊ぐらいですね。大阪の家から読もうと思って持ってきた本と新潟に来てから買った本が半々ぐらいです。単身赴任で新潟に来てから、はじめて書斎を持つことができて嬉しいです」と小野さんは笑う。
1957年、兵庫県の芦屋に生れる。自宅は大正時代の長屋で、大阪から避暑に来る人のための借家だったという。父は歯科医師で、診療所は自宅の前庭にあった。
家族は両親と双子の弟、父方の祖父母の7人暮らし。家には本はあまりなく、小さな本棚には、俳句をたしなむ祖父が買った正岡子規の本などがあった。また、信州大学の学生の回想記『ルリ子に寄する 十代への訣別のときに』(手塚哲、葦出版社)を父に勧められて読み、甘い恋にキュンとしたという。
記憶に残る最初の本は、仏教説話の絵本。仏教系の幼稚園に通っていたため、読まされたという。インドの説話を描いた『ジャータカ絵本』を覚えている。
小学生のときは病気がちで、学校を休むと祖父が本を買ってきてくれた。後藤竜二『天使で大地はいっぱいだ』(講談社)やC・S・ルイス『ナルニア国物語』などを布団の中で読んだという。学校の図書室では、クイーンやクリスティーなどミステリのジュブナイルを読んだ。
父がマンガ好きだったので、『少年サンデー』は定期購読していた。「毎週買ってもらえるのが当時としてはぜいたくで、友だちにも貸していました。待合室にはマンガがけっこうありましたね。1969年に出た小学館の『手塚治虫全集』の『ジャングル大帝』を読んで、同じ作品でも版によって違うことに気づきました」
小学4、5年生には自分でもマンガを描いて、同級生に見せた。その後も描き続け、歯科医師になるために進んだ広島大学ではイラスト漫画研究会に入る。後輩に『この世界の片隅に』のこうの史代がいた。自分の作品の原稿や、好きなマンガの連載をスクラップして、梅田の〈紀伊國屋書店〉にあった製本工房に発注して一冊だけの本をつくるほど、マンガに入れ込んでいた。
本屋は近所に貸本兼業の小さな店があったが、中学生になると梅田の紀伊國屋や〈旭屋書店〉などの大型書店に通い、1、2時間過ごしていた。
ミステリ熱に火が点き、創元推理文庫や角川文庫でミステリを買い、その奥付に通し番号を振って、ノートに感想を書き込んだ。
「そのノートを毎週、現国の先生に見せていましたが、『もうちょっとマトモな本を読みなさい』と云われました(笑)」
紀伊國屋には、早川書房のポケットミステリ(ポケミス)の品切れタイトルが、定価で買えるコーナーがあった。そこから絶版ミステリを探すために、大阪駅前第一ビルの1階に数軒あった古本屋に通うようになった。
高校に入学した頃には現代文学に関心が移り、遠藤周作や辻邦生などを読む。好きな作家の初版本や特装本が気になって、母親にせがんで買ってもらうこともあった。美しい本への傾斜は止まらず、大学に入ってからも帰省するたびに大阪や神戸の書店に足を運んで、美本の入ったケースを眺めていた。
「当時、三宮の地下街の〈コーベブックス〉には限定本のコーナーがあって、その担当の女性に本を見せてもらいました。顔にあざがあって、どこか陰のあるひとでした。奢灞都館(さばとやかた)が出したジョルジュ・バタイユの『眼球譚』や、画家の戸田勝久さんが卒業制作として出した限定本『郵便飛行士』などもありました」
そんな頃、母から「文学好きなのはいいけれど、お父さんみたいになったらあかんよ。出版なんかに手ぇ出して家つぶしたんやから」と諭される。それではじめて、母方の祖父・河中作造が戦前に大阪にあった出版社「プラトン社」の副社長だったと知る。河中は母が結婚する前にすでに亡くなっており、家にはプラトン社の本は一冊もなかった。
プラトン社は1922年大阪に設立。『女性』『苦楽』の二誌を発行した。前者には小山内薫が、後者には直木三十五や川口松太郎が編集に関わり、山六郎、山名文夫らがデザインを担当した。
「大阪球場の中に古本屋街があって、そこで初めて『女性』を見つけました。母に見せたら懐かしがっていました。その後、古本屋で見つけると買うようになりました」
同誌の記事からは、当時のハイカラで上質な趣味の生活文化が伝わってきた。小野さんには、もうひとつのこだわりがあった。生れ育った芦屋という街の成り立ちへの興味が湧き、昔の地図を頼りに開発の跡をたどったり、古い住人への聞き書きを行なったりした。そこで芦屋というブランドイメージの根源になった、1920~30年代の生活文化としてのモダニズム、個人のこだわりの深さと幅広さを知る。
「プラトン社の出版物には個人のテイストや趣味が横溢していて、祖父に対して『ええ遊びしとるなあ』と思いました(笑)。私の中にも近い部分があるから、そのために苦労させられた母には申し訳ないけど、大いに共感しました」
小野さんは広島大学の歯学部を卒業後、大阪大学に勤務する。結婚して芦屋に住んでいたが、1995年の阪神淡路大震災でマンションが全壊した。
「本を拾い集めて、4トントラックで避難しました。大学の同僚が手伝ってくれたんですが、大量の本を運ばされるので怒ってましたね」と苦笑する。そして、1996年に日本出版学会から依頼されたプラトン社についての報告が編集者・高橋輝次氏の目にとまり、2000年に西村美香・明尾圭造との共著で『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』(淡交社)を刊行するにいたる。
その後、箕面に住んで大阪大学に勤めていたが、結局、父の診療所は継がなかった。そして、新潟大学に教授として赴任することになった。
「50代後半で生活が大きく変わりました。でも、新潟には〈北書店〉があるし、〈Fish on〉や〈古本もやい〉という古本屋もあります。Fish onで買った『This is Japan』は日本の産業と文化を海外に紹介する目的で1958年に出されたもので、タイトルを焼印した立派な木の箱に入っています。広告がたくさん入っているので、当時のデザインのレベルが判ります」
最近集めているのは、大阪で1930年代後半に発行されていた『近代人』という雑誌だ。「当時のキャバレー、映画、音楽、美術シーンの生の情報が詰まっていて、貴重です。あまり知られていない雑誌なので、調べる価値があります」
できるだけ、ネット古書店や古書目録ではなく、古本屋で現物を手に取って買いたい。そして、ネットの情報や図書館に頼るのではなく、実際に手に入れた本を一次資料として研究したいと、小野さんは云う。
この先、新潟と大阪のどちらに住むのかは決まっていないが、「これまで集めてきた本を一カ所に並べて、晩年を過ごせたら幸せですね。本棚にはそれまでの自分が詰まっていると思うんです」と云う。
いまやりたいことは、1930年代に『芦屋夫人』など阪神間を舞台にした小説を多く書いた丸尾長顕の作品集をまとめること。「それを私の理想の装丁で出すことができたら、最高ですね」。夢見るように語る小野さんは、たしかに、出版の理想を貫いた祖父のDNAを受け継いでいるのだ。
南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)などがある。
ツイッター
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