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第27回 吉田純一さん 町に向かって本棚を開くひと

第27回 吉田純一さん 町に向かって本棚を開くひと

南陀楼綾繁

 2年前に、兵庫県のたつの市にはじめて行った。山田洋次監督『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976)でも描かれているように、揖保川沿いの龍野町には古くから町並みが残る。童謡「赤とんぼ」の作者・三木露風の故郷であり、路の側溝やマンホールの蓋には赤とんぼが描かれている。

 このときの目的は、〈九濃文庫〉を訪れることだった。その少し前、千駄木の〈古書ほうろう〉で、「小沼丹生誕百年祭 井伏鱒二・三浦哲郎と共に生きて」と題するDMを見つけた。
「今年は小沼丹が亡くなって二十三年目の年となる。小沼丹の教え子、映画監督の前田陽一が亡くなって二十一年目、前田と同窓の三浦哲郎が亡くなって九年目、前田の畏友、竹内和夫は、昨年の六月に亡くなった。
そのような年に行う生誕百年祭である。
皆様のご来訪を願います。
~いずれの青春も 茫々たる人生の只中にある~」
とある。その頃、小沼丹の復刊が続き、私もそれらを読んでいた。

 サイトにもSNSにも情報が見つけられないまま、その場所に行ってみると、静かな通りのある家に、〈九濃文庫〉と書かれた板が出ている。商家の土間のようなスペースには、壁際に本棚が並んでいる。相当な冊数だ。
 中に入ると、店主の吉田純一さんが迎えてくれる。優しそうな風貌の方だ。
 大小のテーブルには単行本や、ページを広げた雑誌が無造作に置かれている。すべて、小沼丹が書いたものか、小沼について誰かが書いたものである。
 展示を観るために集まっていた人たちが椅子に座って話しているのを聴くと、DMに出てくる三浦哲郎と前田陽一は、早稲田大学のフランス文学科で小沼の授業を受けており、前田は龍野の出身で、龍野高校の同級生だった竹内和夫らと『酩酊船』という同人誌を発行していることが判った。そして、吉田さんは前田の高校の後輩にあたるのだ。
 そういう縁があって、ここで小沼丹の展示が行われたのである。

 その2年後、昨年12月に再びたつの市を訪れた。今度は、吉田さんに取材することが目的だ。早めに着いて、三木露風や哲学者・三木清らの資料を展示する霞城館、龍野歴史文化資料館、うすくち龍野醤油資料館などを見学する。かなりの距離があるので、九濃文庫に着いたときには腰が痛くなっていた。
 待っていてくれた吉田さんに、「この辺りには商家が多いですね」と云うと、「なかには200年前からの店もあるんですよ」と教えてくれる。
 吉田さんは1946年、この場所で生まれた。母は吉田さんの実の父と離縁している。義父はシベリア抑留ののち、1949年に帰国。電気工事の職人として働く。両親と祖父母と暮らす。
 一人っ子で、家にはあまり本はなかった。
「『小学1年生』を毎月買ってもらってました。岩田専太郎や小松崎茂の絵を真似て描いていましたね。近所の友だちの家に遊びに行くと、兄か姉の本を借りて読みました。獅子文六の『悦ちゃん』、横溝正史の『八つ墓村』などを覚えています」

 母は教育熱心で、吉田さんは小学6年から英語の塾に通った。中1のとき、塾の永井先生に寺田寅彦を読むように勧められて読む、高校に入ると、寺田寅彦全集を買ってもらった。
「寺田寅彦から中谷宇吉郎を読むようになりました。この二人には論理的なものの見方を教わりました。いまでも、寺田と中谷の記念会の会員になっています」
 中学3年生だったか、新潮社から『世界文学全集』全50巻の刊行がはじまり、近所の〈伏見屋商店〉に注文して、毎月受け取りに行った。ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』、ユーゴ―『レ・ミゼラブル』などを読む。
「伏見屋は明治時代からある龍野で唯一の新刊書店です、三木清も通ったそうです。私も中学から60年通っています」
 いまも営業中ときき、翌日行ってみたが、木造2階建てで2階が回廊になっており、「知の殿堂」という感じだった。吉田さんはここで、『世界文学全集』に続いて同じく新潮社版の『日本文学全集』全72巻も買ったそうだ。
 また、龍野城の下にあった図書館にも通い、松本清張や水上勉、獅子文六などを読む。
「清張の『或る「小倉日記」伝』はいまでも毎年読み返します。『父系の指』『半生の記』などの自伝的作品も好きです。私自身の家庭も複雑だったので、重ね合わせていたのでしょう」

 龍野高校に入ると、中原中也の影響で詩を書くようになった。
「この頃、はじめて姫路の〈岩崎書店〉という古本屋に行きました。同じく姫路の〈三耕堂〉は、詩集が多かったです」
 大学では文学部に入りたかったが、父に許されず、関西学院大学の商学部に入学。家から2時間半かけて通う。元町や三宮の古本屋にもよく行った。
 文芸部に入り、詩を書くが、なかなか掲載されなかった。文学部仏文科に移ろうとするが、これも父に許されず、卒業後は父の仕事を手伝うことに。25歳で結婚し、子どもも生まれた。
「でも、不器用で電灯をつけるとゆがんだり、ナイフで指を切ったりしました。夜になると、龍野の居酒屋を飲みまわっていました。その頃、作家の三浦哲郎が講演会で龍野に来たんです。それを聞いた日、妻子を置いて出奔しました」
 京都に住み、大学の後輩の紹介で家具のクリーニングや百科事典のセールスなどの仕事をしていた。「地べたを這うような5年間でした」。楽しみは月に1冊、500円で本を買うことだった。この頃読んだ丸谷才一の『文章読本』で、小沼丹の名前を知った。

 33歳で、父と和解して龍野に戻る。建築関係の仕事に就き、金の余裕ができると、神戸の古本屋を回って、長谷川四郎、洲之内徹、曾宮一念らの本を集めるようになる。神保町や地方の古書目録を取り寄せ、好きな作家の本が見つかれば注文した。
 明治以降の作家の個人全集は95点所蔵している。「100人の全集を集めるのが目標です」と笑う。全集のいいところは、日記や年譜まで入っており、必要な際に参照できること。作品を読むのは、単行本の方が多い。
 25年前に父が亡くなり、電気店の倉庫を改装した。倒産した本屋の本棚を買い取って、そこに据え付けた。それが九濃文庫の向かいにある2階建ての書庫で、私も見せてもらったが、2~3万冊は入っているだろう。
「50代は書画も集めていて、ずいぶん金をつぎ込みました。書画に比べたら、本は安いですよ。あの分で本を買っていたらと、いまでも後悔することがあります(笑)」

 2006年、還暦を機に、自分の好きな空間をつくって本と遊びたいと、〈九濃文庫〉を開館。個々の本棚は、姫路の古本屋〈文藻堂〉が廃業する際に引き取ったもの。週に2日開館し、自由に本を見てもらう。地元の人には貸し出しもする。
「いままで返されなかったことはないですね。本好きのみなさんを信用しています。高校生の男の子が毎月SFを読みに来ます。彼が舞城王太郎が好きだというので、買って貸しています。私は全然読まないのですが(笑)」
 文庫の名前は、作家のレーモン・クノーにちなむ。京都で鬱々としていた頃に読んだ、クノーの小説『人生の日曜日』に救われたのだという。
「前田陽一に本を送って、映画化してほしいと提案したこともあります。『九濃』は私の俳号でもあります」
 2014年10月には、版画家・装丁家の山高登の展示を開催。装丁した本250冊を集める。
「夏葉社から出た関口良雄『昔日の客』を読んで、山高さんのことを知りました。小沢書店の『小沼丹作品集』の装丁が素晴らしいです」
 翌年10月にも、山高登展を開催した。

 そして2018年9月に、前に触れた「小沼丹生誕百年祭」を開催。著作のほか、小沼が寄稿した雑誌も並べた。
「小沼の年譜を毎日のように眺めて、掲載された号の雑誌を調べ、古書目録に出ていたら注文しました。また、東京古書会館で「山高登・玉手箱」を見るため上京した際に、夏葉社の島田潤一郎さんに案内されて行った西荻窪の〈盛林堂書房〉で、小沼の『風光る丘』(集団形星)を見つけたときは驚きました。小沼の著書で一番珍しいもので帯付きの美本でしたが、3万6000円の値段がついていた。一晩考えましたが、『小沼さんが呼びよせてくれた』と思って、思い切って買いました」
 小沼丹の魅力は、独特のユーモアだと吉田さんは云う。
「とぼけていて、湿り気のない文章が好きですね。読んでいくうちに、小沼の文章に父が登場しないことが気になっています」
 次にやりたい展示は、佐多稲子。佐多は14歳から2年間、たつの市に接する相生市で過ごしている。没後25年にあたる2023年に開催したいと、こつこつと本を集め、読んでいる。そのマイペースぶりには頭が下がる。

 九濃文庫をはじめてから、仕事が終わってからここに来て、好きな本を読むのが至福の時間だと吉田さんは言う。好きな本は繰返し、何度も再読する。
「この場所に来てくれるのは通常で月に10人ほど。展示の際もそんなにたくさんの人は来ません。でも、ここで一日でもいたいという人が来てくれるのが嬉しいんです。私が80歳になって完全に仕事を引退したら、この場所をサロンにしたいと思っています」
 いや、すでに立派なサロンですよ。近年になって、マイクロライブラリーや住み開きなど、自分の場所を地域に向かって開く活動が注目されているが、吉田さんはごく自然にそれを実現している。そこがいい。
 吉田さんは自分が亡くなる前には、本をすべて処分するつもりだ。
「本は回っていくものですからね」と淡々と話す吉田さんに、本好きの神髄を見た思いだった。

九濃文庫
〒679-4161 兵庫県たつの市龍野町日山435の2

南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

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