『日本の包茎』と古書市場澁谷知美 |
『日本の包茎 男の体の200年史』という本を筑摩書房より上梓した。日本人男性の過半数が仮性包茎である。清潔にしていれば医学的には問題がないとされる状態だ。なのに仮性包茎を「恥ずかしい」と感じる男性が多いのはなぜか。そのナゾをさぐるべく、幕末から現代まで、医学書から週刊誌まで、ありとあらゆる包茎にまつわる語りを集めて分析した。
明らかになったのは、包茎を恥ずかしいと思う感覚はすくなくとも1890年代から存在したこと、その感覚が消えつつあるという指摘が1920・30年代にあったこと、にもかかわらず、恥の感覚をあえて増幅させ、商売のタネにした人びとが戦後に登場したことだった。その人びととは、包茎手術をウリにする美容整形外科医である。彼らのうちのひとりは、包茎は手術すべきという「常識」を「ビジネス」のために「捏造」したと、後年、白状している。 タイトルにギョっとする方もおられるかもしれない。しかし、自分でいうのもなんだが、内容はいたってまじめである。わたしは女性であり、わたしにとって男性の身体は他者の身体だ。他者に失礼があってはいけないので、調査は真剣かつ念入りにおこなった。だから、男性の読者から「包茎は恥ずかしいという観念が商売のために作られたものだとわかり、長年のコンプレックスから解放された」という声をいただいたときは、ほっとした。 執筆には12年かかった。時間がかかった理由のひとつが、敗戦から1960年代にかけての資料が不足していたことだった。戦前なら、大学図書館にある医学雑誌や国会図書館にある通俗性欲学と呼ばれるジャンルの書籍にあたればよい。わずかだが自分でも古書店で買い集めた。1970年代以降であれば、大宅壮一文庫に所蔵されている青年誌や大衆誌などが資料となる。だが、そのあいだをつなぐミッシングリンクがなかなか埋まらなかった。 もちろん、『完全なる結婚』(1946年)をはじめとする、敗戦後に流行したセックス指南書は国会図書館にあり、実際に手がかりとした。だが、それだけでは足りない。当時、大量に刊行されては消えた『夫婦生活』などのカストリ雑誌や『100万人のよる』などのエロ雑誌も見なければ、当時の人びとのビビッドな感覚はわからない。『夫婦生活』は国会図書館にもあるが欠号が多い。『100万人のよる』にいたっては所蔵がない。かといって、わたしの財力では収集するにも限界がある。はて、どうしよう……。 そうやってグズグズしていた矢先、とある方にコレクションを見せていただけることになった。『夫婦生活』や『100万人のよる』はもちろん、そのほかの類似の雑誌も十分な数があった。いったいどのくらいの資金を投入されたのか。見当もつかない。 酸化した表紙をそっとめくる。見つけて思わず快哉をさけんだのは、「仮性包茎はそのままで性生活に支障ないか?」という『夫婦生活』1954年1月号の記事だった。仮性包茎は「普段は包茎だが“その時”には包茎でなくなる」ものとして描かれている。問題であるようなないような、仮性包茎はそんなイメージでとらえられていたことがわかった。この号は国会図書館にはない。 同時代の『夫婦生活』には、「仮性包茎か? いつも早漏気味」という記事、「半包茎なのですがどんな注意が必要でしようか?」という相談もあり、当時、仮性包茎が注目されつつあったことがわかった(同誌1951年6月号および1955年6月号。これらの号は国会図書館にあり)。仮性包茎という概念そのものは戦前から存在するが、ここまで一般向けの雑誌で注目されたことはなかった。 一方、同時代のほかの資料からは、仮性包茎に手術をすすめる医師はそれほど多くはないこともわかった。そこで、「かならずしも手術がすすめられるわけではないが、仮性包茎が注目されはじめた時代」として当時を位置づけることができた。ミッシングリンクが埋まったのである。 『100万人のよる』では、1962年刊の7巻8号に載っていた記事「あなた! 性器整形はちよつと待て」に助けられた。60年代に性器整形ブームがあったが、その裏で手術の失敗も多かった。性器を台なしにされた患者は医師に再手術を請うも、「ノイローゼ」と一蹴される。あるいは、場所が場所だけに泣き寝入りを強いられる。そんな悲惨な事例が報告されている。失敗した手術の「尻ぬぐい」、つまり再手術を某大学病院がさせられているとも書かれており、ブームを多面的に見ることができた。くりかえすが、この雑誌は、国会図書館に所蔵がない。 図書館の資料だけでセクシュアリティの歴史を研究することはできない。図書館は見向きもしないような、古書市場に出回っている性にかんする有名無名の本や雑誌。これらがあってこそ、歴史家は時代を描くことができる。時代の諸相を書き記したものの集積を文化と呼ぶならば、古書市場は文化を支えているのである。
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