第一章執筆 鹿島茂先生からのメッセージ
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今回、縁あって『東京古書業組合 百年歴史』のイントロダクションを担当することとなった。四年前に『神田神保町書肆街考』という本を上梓して神保町の古書店街の歴史を書いたことが東京古書業組合の百年史制作委員会の目にとまったようである。この本の執筆に当たっては『東京古書業組合 五十年史』にひとかたならぬお世話になったので、恩返しの意味で今回、イントロダクションを引き受けたのだが、しかし、『東京古書業組合 五十年史』の要約ではつまらないので、自分なりにいくつかの問題を設定してみた。それは以下のようなものである。
①そもそも日本ではなにゆえに古書店と新刊書店がはっきりと分かれているのか? ②『東京古書業組合 五十年史』では、明治二十年代くらいまで古書店という業態には欠かせない市会というものが存在しておらず、「せどり」と呼ばれる独立の古書ハンターが古書探しを引き受けていたのはなぜなのか? ③明治維新で古書の最大顧客だった武士が東京からいなくなったため、明治二十年代まで和本は底値に張り付き、買い手は外国人だけだったが、しかし、だとすると、一般の古書店はどうやって営業を続けていたのか? ④明治十年代から神保町に進出した新しいタイプの古書店は有斐閣、三省堂、冨山房など一橋近辺に誕生した大学や専門学校相手の洋古書店としてスタートしたが、やがて業態を新刊本屋に移した。その際、洋装本という特異な書籍形態が生まれたが、その特異形態はどのようなところから来ているのか? ⑤明治三十年代に入ると和本は完全に洋装本に入れ替わり、神田神保町に古書店街が形成されたが、その多くが改正道路(靖国通り)の南側に集まった。それはいかなる理由によるのか? ⑥神田神保町の古書街は何度か大火に見舞われ、関東大震災で灰燼に帰したが、そのたびに規模を拡大して発展していったのはなにゆえか? ⑦東京の古書店は大学・専門学校の発展と軌を一にして発展していったが、それはかならずしも大学生や専門学校生が良き買い手だったわけではない。大学・専門学校と古書店の本当の関係はどのようなところにあるのか? ⑧東京古書業組合は、市会の改革をきっかけに百年前に生まれたが、組合と市会との関係は旧態依然だった。これが劇的に変わったのは統制経済が進む太平洋戦争の直前だった。その劇的な変化とはいったいなんだったのか? ⑨古書店は書物が耐久消費財であることを前提にして成立するが、円本の登場以来、本は戦後にはますます消費財化していった。では、前提が崩れたにもかかわらず、古書店があいかわらず存在しつづけているのかいかなる理由によるのか? イントロダクションでは以上の疑問に私なりに答えようとしたつもりだが、しかし、その本当の答えの多くはイントロダクションというよりも、古書組合員が自ら執筆した本編の中にありそうだ。 『古書月報』2021年6月号より転載 |
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