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第30回 末永昭二さん 「ジャンルのない本」を集めるひと

第30回 末永昭二さん 「ジャンルのない本」を集めるひと

南陀楼綾繁

 神奈川県立近代文学館で開催された「永遠に『新青年』なるもの」展を観に行って、懐かしい名前を見つけた。会場で販売していた「新青年」研究会の機関誌『「新青年」趣味』に、末永昭二さんが文章を書いていたのだ。もう20年以上前のことだが、同誌について取材する際に末永さんとはじめて会った。その後、古書雑誌『彷書月刊』で私と同じ時期に末永さんが連載されていたこともあり、顔を合わせる機会が何度かあった。そのたびに、「この人は何者なんだろう?」と気になっていた。なんでもよくご存じだが、どこかつかみどころのない印象があった。

久しぶりに会った末永さんは、仙人のような髯をたくわえ、「神保町、久しぶりに来ましたよ」と話す。自宅で編集仕事をしていて、人と会う機会は少ない。新型コロナウイルス禍の前から、そういう生活を続けているそうだ。

末永さんは1964年、福岡県生まれ。大分県に近く、海も山もある田舎町で育つ。両親と6つ違いの兄との4人家族。父は中学校で技術家庭科を教えており、家には教育関係の本が多かった。
「技術家庭科だけど、本来は園芸が専門なんです。だから、授業で製作するラジオキットを検品代わりに私に教材を組み立てさせることもあった。小学生がつくれるんなら大丈夫って(笑)。それで『ラジオの製作』などの雑誌を買うようになりました」

記憶に残る最初の本は、小学校に入った頃に読んだ『吾輩は猫である』。子ども向けのものではなく、旺文社文庫版に母がルビを振ったものを読まされたという。
「ほんとうは何も判ってなかったのですが、なんとなく面白かったですね。めんどくさくなったのか、途中でルビがなくなるんですが、勘で読み通すことができました」
小学校に入ると、図書室の本を片っ端から読む。市の図書館や児童館でも借りまくり、それらを枕元に積み上げていた。あまり本ばかり読むので、言いつけを守らないときは、本を読ませないことが罰だった。小学校の図書室で週一回借りる本はすぐ読んでしまうので、兄に頼んで中学校の図書室で借りてもらっていたら、兄が多読で表彰されてしまうというハプニングもあった。
小学校3年のとき、校舎が建て替えで、図書室の蔵書が移動された。その中には、古すぎて開架にしていなかった終戦直後の仙花紙本が混じっていた。
「NHKのラジオドラマ『三太物語』シリーズもありましたね。ラジオドラマの本をよく出していた宝文館が発行したものです。この本で旧かな遣いが読めるようになったと思い込んでいましたが、最近確認したら新かな遣いでした。でも、この頃から新かな・旧かなの両方が読めていたのはたしかです」
恐るべし、旧かなを読む小学生!

乱読なので何でも読んだ。とくに保育社の原色図鑑を熟読する。「写真の説明を読むのが好きでした」。親に買ってもらった、小学館の全集「少年少女世界の文学」に収録されていた海野十三の『海底大陸』で探偵小説というジャンルを知った。1973年のことだ。だからと云って、特定の作家を愛読するということはなかった。
この頃から数年は、1冊ごとに読書感想文を書いて母に提出しないと、次の本を買ってくれなかったという。
「このあたりから『子ども向け』に編集された本を読まなくなりました。雑誌もマンガも読まず、テレビも子ども向けの番組はあまり観ませんでした」
なお、末永さんの母方の祖父は戦前に大阪で暮らしており、母は昔、祖父が買ったであろう『新青年』を読んでいたという。祖父の家には講談社版の江戸川乱歩全集があり、それを読んで、ポプラ社の乱歩シリーズが改変されていることに気づいた。

中学では吹奏楽部に入り、ギターも弾くようになって、バンドも組んだ。いまでもライブ活動を続けていて、楽器を自作する凝りようだ。
相変わらず本を乱読する。学校の図書室で、渡邊一夫が訳したラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』を読み、その文章に魅せられる。『鞍馬天狗』や『収容所群島』など、長い小説を好むようになる。
「田舎だったので、高校まで電車やエレベーターの乗り方を知りませんでした。高校の修学旅行で東京に行った際、自由行動の時間に友だちと秋葉原に行ったのですが、駅のホームが交差していて、電車がドンドン来るのに怖気づいて、早々に帰ってしまいました(笑)」

そんなウブな少年は、立命館大学の文学部哲学科に入学。京都で一人暮らしする。はじめての古本屋体験もこの地だった。
「映写技師のアルバイトをしていて、映写中は本を読んでいました。そこで安い本を買いたいと思って入ったのが、クラスの友人に教えられた〈アスタルテ書房〉でした」
澁澤龍彦も通ったと云われる伝説の古本屋だ。当時は河原町三条にあった。探偵小説が並んでいる棚があり、その中からまず、江戸川乱歩の本の解説で名のみ知る、小酒井不木を買ってその面白さに引き込まれた。
「この店では久生十蘭や橘外男といった作家の戦前の本を買いました。いま思えば安かったですね。週に3、4回通っているうちに店主の佐々木一彌さんから『探偵もの好きの学生』として覚えてもらいました」
新刊は立命館大学の生協で買う。ここの書籍部は国内最大級の広さがあり、組合員は割引で買える。葦書房の『夢野久作著作集』全6巻や三一書房の『少年小説大系』全27+6巻、『宮武外骨著作集』全8巻(河出書房新社)といった、長期にわたって刊行された全集物はここで買いはじめた。
「宮武外骨や小酒井不木を経由して、梅原北明という出版人に出会います。古本屋で、彼が編集した雑誌『グロテスク』や『カーマ・シャストラ』、『変態十二支』シリーズなどを集めました」
ウィトゲンシュタインで卒論を書き、ビュトールの言語遊戯に魅せられる。その流れで、1976年から刊行された集英社版『世界の文学』全38巻を揃いで買って、セリーヌやゴールディングを知り、当時知られていなかった作家の変わった作品を読んだ。
「ちなみに私は、文学作品は海外作家だけで、日本の作家は読みません。でも、探偵小説となると逆で、日本人作家ばかり読んで、海外ミステリには疎いです。なぜか手が出ないんです(笑)」

大学在学中、就職活動のために何度か東京へ。はじめて神保町の古本屋と楽器店をめぐる。〈中野書店〉の探偵小説の充実ぶりに目を見張り、「やはり東京に出ないとダメだ!」と思う。卒業すると、1987年、卒業とともに上京。府中のメーカーに就職し、技術開発として働くが、あまりの残業の多さに1年半で辞める。
その後、日本エディタースクールの通信教育の校正コースを修了し、同校から紹介されて、技術関係の出版社で編集者として働く。
「小さな会社で、給料が出ないこともありました。仕事が多くて、会社に泊まり込むこともあった。でも、好きにやらせてもらえたので、10年くらいいましたね」
神保町には足しげく通う。その頃から古い雑誌を集めるようになる。
「単行本と違って、当たり外れがあるのがいいんです。袋に入った雑誌の隅っこに、面白そうな記事がひとつでもあれば当りという遊びです」
その頃、『橘外男ワンダーランド』(中央書院)収録の単行本リストに入っていないタイトルを、読者カードに書いて送ったところ、編者である作家の山下武さんから自宅に誘われる。山下さんは古書関係の著作が多く、「参土会」という古本好きの集まりの主宰者だった。
「その日に出会ったのが、浜田雄介さんら第二次『新青年』研究会のメンバーでした。同世代で古本の話ができる人たちと会えて嬉しかったです」
山下さんとは40歳近くの差があったが、集めている本が重ならないことや古い演芸の話が通じることから可愛がられ、蔵書の整理も手伝った。その付き合いは2009年に山下さんが亡くなるまで続いたという。

また、ジャーナリストの竹中労を囲む月例会にも参加し、父の画家・竹中英太郎についての話も聞いている。末永さんはのちに竹中英太郎が挿絵を描いた小説を集めた『挿絵叢書 竹中英太郎』全3巻(皓星社)を編集している。同シリーズの横山隆一、高井貞二も担当。多種多様の雑誌に目を通してきた末永さんだからこそできる仕事だ。

会社を辞めたあと、編集プロダクションで校正のアルバイトをしたのち、90年代末から誠文堂新光社の雑誌『MJ無線と実験』にフリー編集者として関わるようになった。少年時代から親しんできた電気の知識が役に立った。
2001年には、『貸本小説』(アスペクト)を刊行。昭和30年代に貸本屋向けに出されていたライトな小説本を紹介した、ユニークな本だ。
「異なる出版社から似たような装丁の本が出ていることから、貸本小説ということに気づき、自分の中でひとつのジャンルになりました。お金が貯まると地方をめぐって、古本屋で買っては自宅に送るという旅行をしたり、田舎の元貸本屋で貸本小説がたくさん見つかったときは、数人で共同購入したりしました。『貸本小説』というジャンルに気づいてから2、3年で、500冊ぐらい集めたと思います」
同書は安くて変色しやすい本文用紙を使用し、時とともに古びる本だとアピールした。古本に関する本が盛んに出ていた時期でもあり、注目された。
「書評が書きたくなる本だ、なんて云われましたね(笑)」
同じ年、『彷書月刊』から「昭和出版街」を連載。そののち、PR誌『アスペクト』で「『垣の外』の文学」を連載した。いずれも、出版史・文学史の主流ではない、まだジャンルとみなされていないものに注目している。
「目的を持って集めるのではなく、目の前に来てくれたものを読んで、その意味を考えるのが好きです。いろいろ見ていくうちに、これまでジャンルとして成立していなかったものを、ひとつの塊として認識できるようになる」
いま気になっているのは、戦前のユーモアものだという。
「たとえば、原田宏『夫婦戦線異状なし』(1930年)の主人公は、探偵小説の研究家で、テーマはドッペルゲンガーです。版元の中村書店はマンガで有名ですが、こういう奇妙なユーモア小説も出しているんです」

以前は即売会にも通っていたが、10年ほど前から行かなくなった。
「あるデパート展で、初日の開場に集まったマニアの列におばあさんが巻き込まれて倒れてしまった。それに目もくれず走っていく連中を見て、自分もこうだったのかと、なんだかいっぺんに醒めてしまったんです。いまは目録やネットで買う方が多いですね」
それと、老眼で読書に根が詰められなくなったのも辛い。これについては、私も他人ごとではない。

自宅の本は以前は整理できていたが、東日本大震災と棚の老朽化でぐちゃぐちゃになって以来、諦め気味だという。
「もともと私以外には価値がない雑誌が多いですし、体系立ってもいません。私が死んだら捨てるしかないでしょうね」
しかし、その体系のないところに新しい山脈を発見するのが、末永さんという人なのだと思う。私はその成果が読める日を待っています。

 

 

南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

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