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濡れた本

濡れた本

書肆吉成 吉成秀夫

 2019年晩夏、仙台市に「book cafe 火星の庭」をたずねた。店主の前野久美子さんには以前私が発行する「アフンルパル通信」に寄稿してもらったことがあった。
道路に面した大きな窓から店内が見える。たくさんの本が丁寧に並ぶとなりにカフェコーナーがあり、奥のカウンターに小柄な女性、前野さんがいた。店に入り「札幌の書肆吉成です」と告げると、目を丸くして驚いてくれる。妊娠中の妻にはエルダーフラワー、4歳の息子にはバナナセーキを出してくれた。どちらもメニュー表にないドリンクだった。
「火星の庭」は店内でミニコンサートを開いたり地域に根差した市民活動をするなど、古本屋の枠におさまらないユニークな活動をしている。私たちが訪れた前日には原マスミがライブをしたそうだ。最近知ったのだが、前野さんは一時本気で自分の店をNPOにしようと考えていたらしい。そのバイタリティーはどこからくるのだろう。
「けっきょく古本屋さんはそれぞれ自分のスタイルをつくるしかないですよね」。雑談のなか、ふっとこんな言葉が漏れた。他のお店の真似をしてみたくてもそううまくいかないものだ。しかし、だからこそ個性的な古本屋さんの話を聞くのは楽しい。3冊の本を買った。安東量子『海を撃つ』、『念ふ鳥 詩人高祖保』(龜鳴屋)、『FREE USHIKU|EVERYONE HERE, EVERYONE COMING/ ここにいるすべてのひと、ここにくるすべてひと』。

仙台文学館に行くと東日本大震災の津波で泥にまみれた本のオブジェが展示してあった。どこにもあるような文学全集の端本や家庭雑誌が汚れている。津々浦々に本があることを実感するとともに、どこにもあるような本棚が津波にのまれたのだという事実がいままた胸に刺さった。泥まみれでよれよれになった本を前にして、立ち尽くすしかない。全集の残りの巻は海底で蟹と戯れているだろう。文字は魚が食べたに違いない。花を添えたくなる。

この東北旅の目的は、石巻の牡鹿半島で開催のReborn-Art Festivalに詩人・吉増剛造さんを訪ねることだった。
吉増さんは津波が押し寄せた集落の一つに「詩人の家」をつくって本棚に本を置き、そこで客人を迎えるという、これを展示と言っていいのか作品と言っていいのかわからないけれど、とにかくその場所で生きる、人と出会い言葉をかわす、そんな営みをしていた。それとはべつに霊山として知られる金華山(キンカサン)が見えるホテルの一室に詩作の部屋がしつらえられ、詩「Voix」の原稿用紙、文具、本が置かれ、大きな窓にはカラーペンで新しい詩が書きつけてあった。なんとも不思議な明るい部屋だった。金華山のむこうの海が大震災の震源地という。妻の胎内で羊水に浮かぶ赤子はへその穴から窓の光を見ただろうか。長男は鯨の歯で遊んだ。

それから半年後、世界は新型コロナウィルスの恐怖に覆われて一新した。
2020年4月、コロナの禍中で吉増剛造さんがYouTubeに映像作品を発表することを思い立ち、私はその手伝いをすることになった。吉増さんから毎週送られてくるモノローグと歌のビデオを編集し、概要欄に説明と文字起こしをのせてYouTubeにアップする。出版社コトニ社の後藤氏と協力して毎週の発信が続く。この記事が配信される頃には70回近くなるはずだ。映像作品は国内外で展示され、イギリスの芸術祭への出展作品には字幕を入れるお手伝いをした。https://www.youtube.com/channel/UCiSexx2GYYS_JAYlpt8n5Kw

「書肆吉成」は吉増さんが名付け親だ。古書店の独立準備をしているとき、売るための本がほしかった私は必死の思いで吉増さんに「ご不要な本があればお譲り下さい」とお願いした。その願いは叶えられた。しかしいざ届いた本をみて、敬愛する詩人の蔵書だと思うととたんに手離せなくなり、しまいこむことに決めた。いまや段ボール300箱をゆうに超えている。

ときどき吉増さんから探して欲しい本のリクエストがくる。求めに応じて送った本が詩や講演や映像作品になり、再び私のところに送られる。最近吉増さんは本のリクエストに「山口昌男大先生みたいです」と言葉を添えていた。たしかにかつて私が山口先生の付き人をしていたときもひたすら本を探していた。あれから20年以上ずっと古い本から新しい表現が生まれることのお手伝いをしている。これが私の古本屋のスタイルなのだろう。今夏刊行予定の吉増剛造詩集『Voix』(思潮社)には吉増さんへ書き送った私の手紙が引用される。

一つ懺悔しなくてはならないことがある。吉増さんの蔵書を古い一軒家に保管していたときのこと、春の大雨で大量の雪解け水が屋根からあふれて室内に降り注いだ。そのため多くの本が水に濡れてしまった。すぐさまべつの建物に本を移し、吉増さんに謝罪の手紙を書いた。数日後、速達で届いた吉増さんからの手紙には「本も濡れてみたかったんだと思います」と書いてあった。涙がこぼれた。

昨年、火星の庭の前野さんがコロナ禍の間隙をぬって札幌に来てくれた。前野さんの札幌滞在最終日に私たちは再会して、書肆吉成の店や倉庫を案内し、帰りの新千歳空港までの車中よもやま話を楽しんだ。仙台から石巻の間に名所が多いこと、店からあふれるたくさんの本のこと、山登りのことなど。震災後、原発事故の影響を心配した前野さん御一家は仙台から移住しようとして西日本を転々としたことがあったそうだ。移住を断念してからは娘さんの通う仙台市内の学校給食を心配し、西日本の食材で作った弁当を持たせつづけたらしい。このあたりに前野さんのバイタリティーの源泉の一つがあるのかもしれないと思った。倉庫に保管してある吉増さんの大量の蔵書をお見せすると目を丸くして驚いていた。水に濡れて波打った蔵書が、前野さんとの出会いを喜んで、心なし身をよじっていたように見えた。



書肆吉成
https://camenosima.com/

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