札幌・一古書店主の歩み
|
昨年11月に刊行された『北の文庫』71号「古書専門弘南堂書店高木庄治氏聞き書き一~三」を、これから2年近くに亘って再録させて頂く。聞き書きは、元藤女子大学付属図書館司書大館光男氏、元北海道大学付属図書館司書藤島隆氏を中心に、古地図研究家で高木氏と親しい髙木崇世芝氏を加え、平成12年9月、13年7月、14年10月に収録された。今回B5判2段組を本誌の体裁に変更、また挿入の写真を新に製版、追加した。 なお、大館氏は本年2月8日に逝去された。この聞き書きは20年前の記録だが、昨年初めて刊行された。しかし小部数の為、今回敢えて高木、藤島氏の御了解を得て広く公開するものです。(編集部) 少年時代・南陽堂書店の思い出 明治四十三年の札幌市の商工地図をこの間やっと手に入れましてね。以前一度手に入れて札幌市の図書館に寄贈したことがあるんですが。それに坪田さんと沢田さんが載っていました。その地図の北の方(現JR札幌駅(北六条西二~四丁目)以北)で僕が知っている店はその二軒だけです。 それがこの写真です。この左隣りが今の店の場所です。この坂口という洋服屋が現在の南陽堂です。その右隣りが亀山と言ったか、標本屋さんで三階建てのちょっと洒落たサイロ造りの建物でして、現在フシマン商事というビルになっています。北七条の南陽堂の写真はあるのかどうか分かりません。 ある年、亀山さんの三階の屋根から雪が落ちてきました。昭和十二・三年頃かな。僕がまだ小学校に上がる前です。店の中にドーンと雪が、屋根をぶち抜いて入ってきて大騒ぎになりました。そんなこともあって、隣りの坂口さんが引越しされて店が売り物に出たときに、親父がそこへ、借家ではない初めての自分の店(家)として移るわけです。それが今の場所です。 当時は店というのは朝六時から起きたら掃除を始め、七時か八時にはもう完全に開いている状態でしたからね。夜は夜で十時くらいまでやりましたから。夜カーテンを閉めても電気は消さなかったものです、戦前は。私のところは消さなかったね。全部じゃないけれど。ほとんど店の中が明るくなった状態で夜通し点いていました。電気代というのは割合い安かったのではないでしょうか。昭和十四・五年頃までそうでしたね。裸電球でしたけど。 カーテンは白い木綿のカーテンでした。夜、店を閉めてからでも学生さんなどがよく戸をドンドンドンドン叩いて、「親父、イノシシ(旧十円紙幣の俗称・裏にイノシシの図があった)一枚貸してくれ」とかね。 こちらの隣りに移った時にストックしてあった本を、店員さんが雑誌を=親父は雑誌が好きで坪田さんの隣りを借りて倉庫にしていましたが=当時の北大の先生は雑誌のバックナンバーを皆さんお持ちで、植物学雑誌や医学の雑誌を製本して並べてありました。そういう雑誌は教授室の部屋に、アクセサリーといえば悪いけれど置いてあるんですよ。また、そうした雑誌のバックナンバーはある程度の金額だったんです。先生が退職される際などにバックナンバーを買うことがよくありました。親父は同じタイトルでもAセット、Bセット、Cセットなどと随分持っていました。 僕ら子供の頃に巌松堂の先代さん、波多野重太郎さんが、札幌へ来て、それを馬車に一台か二台買ってもらって大した大商いだったことがあるんですよ。その時のことははっきり覚えてます。それで何となくそういうような仕事をしているのを見たり、それから雑誌のカードを作って=南陽堂は早くからカードがありました=殆ど利用はしないんだけど、仕入れたものなどをカードに記入していました。見よう見まねで私も中学時代からするようになりました。
|
Copyright (c) 2021 東京都古書籍商業協同組合 |