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たたかう講談師、松林伯円

たたかう講談師、松林伯円

目時美穂

 講談師の得物はただ一本の張り扇。
 これをたずさえて高座にあがり、刃物にも、調子をとる道具にもして、あとは己の舌先だけで幕末、明治の世の大衆を熱狂的に踊らせた講談の名人がいた。
 二代目松林伯円という。
 時流を読むことに長けていたとともに、それを作品に組み込む創作の才にも恵まれていた伯円は、幕末期動乱の不穏な空気のもとでは、どろぼう物を講演して大成功を博し、どろぼう伯円とあだなされ、明治の世になると文明開化を、西南戦争を、自由民権運動を、自作に取り入れて、生涯に70作以上の新作講談をうみだした。

 新聞や雑誌の情報を参照した伯円の作品のなかには、情報が時につれて摩耗して講演されなくなり、講談速記がはじまる明治18年まで残らなかったものも多い。当時の新聞を読むと、タイトルのみ伝わって、内容が分からない作品はいくらでも見つかる。
 そんなことより新聞を読んで驚くのは、情報に対する伯円の即応性と、なにより大衆の恐ろしいほどの熱気である。ひとたび伯円の看板があがれば、どの寄席も、文字通り立錐の余地がないほど客がおしかけた。立ち見どころか、会場にいたる階段をのぼりきれず、頭だけだして聞く客さえいた。それでもみな、伯円の講演を聞きたがった。いったいなにがこれほどまでに人々を熱狂させたのか。

 『講談五百年』(佐野孝、鶴書房、昭和18年)にはこう書かれている。「伯円は、江戸最後の講釈師であり、明治最初の講談師であつた。彼は旧幕時代から明治にかけて、その時代と共に生き、その時代を代表した希有の名人であつた」。人々は伯円を追いかけたとともに、伯円が代弁した時代のなにかを熱烈に求めたのだ。伯円を追えば、幕末、明治という時代の、文字に残されなかった大衆の空気が分かるのではないか、そんな関心がまず湧いた。
 しかし、伯円の人生は、江戸終焉の35年前、天保5年にはじまり、数え73歳で、明治38年2月、日露戦争の旅順要塞陥落のひと月後におわる。一口に、江戸末期から明治の文化といっても、この100年に満たない間の日本の政治、文化、大衆の精神の激変はすさまじい。探るにしてもどうしたらよいか悩んだ。

 考えて、まず伯円というひとりの人間の人生に寄り添ってみることにした。
 伯円は、養子先で不興をかって不遇の身となっても、周囲の反対を押し切ってようやくついた師匠から見捨てられても、訥弁、だみ声で生来が話芸に向いていなくとも、講談が好きで好きで、好きで堪らず講談師になった人だ。
 伯円の人間性は、名人のもつ、たとえば中年以降の三遊亭円朝のような清廉な聖人のイメージとはまったく違う。
 豪傑でもなかった。武士の家に生まれ育ったが、剣術、武術ははからっきしだめ。若かりし頃に、伯円の出世をねたんだ同業者に襲撃された時には、挿していた脇差しには手も触れず、場所も分からなくなるほどの勢いで走って逃げた。
 そのくせに喧嘩っ早く、江戸を占拠していた官軍の兵士に食ってかかって首をはねられかけたり、明治になってからは、気に入らない客を高座のうえから罵って、怒った客に殴られそうになったりしている。文明開化がはやればいちはやく流行に迎合し、誰よりもはやく髷を落とし、洋服を着て、釈台をテーブルにかえて、得意満面で高座にあらわれた。

また、てらいもなく成功を誇り、己の伎倆を自慢し、新聞記者にも、席亭主にも強い態度で接した。そんな人柄だった。
 そういうところに、俗気というか、人間臭い魅力を感じるのだが、伯円がこうした一見高慢に見える態度をとったのは、持ち前の性格のほかに理由があったと思う。当時、芸人の地位はけして高いものではなかった。いくら人気があろうが、話題をさらおうが、影響力を持とうが、しょせん、いわばB級グルメ。権威づけられた芸術や学問といった敷居の高い料亭料理と同列に扱われることはなかった。そんなことは自明のことかもしれないが、伯円の人生をたどりながら肌身に感じた。そのなかでも伯円は、客にこびることをしない人だった。芸は売っても心を売ることはしなかった。心のうちに理想を高く掲げて、講談の地位と芸の質の向上に、生涯をかけてひたすらに挑みつづけた人だった。

 拙著の表題は『たたかう講談師』であるが、お読みになって、ちっともたたかっていないじゃないか、と思われる方もおられるかもしれない。もちろん「たたかう」は、暴力よる闘争の意ではない。また、議論、論争といった言葉による戦いでもない。流行と時流の激流に身を浸しながら、逆らわず、さりとて流されず、大衆の期待にこたえ、また講談にかける夢を実現しようともがきつづけた伯円の生きかたこそが、たたかい。生涯たたかいつづけた伯円は、まさにたたかう講談師だ。
 幕末、明治の時代の余香とともに、松林伯円というひとりの人間の魅力を感じていただけたら幸いである。

『たたかう講談師 二代目松林伯円の幕末・明治』 目時美穂 著
四六判・並製・402頁(カラー口絵1頁)
定価:本体2,500円(税別) 好評発売中!
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-66-1.html

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