古本読書史と古本に飽きたときの展開法(古本の読み方5最終回)書物蔵 |
最後は古本の読み方、というか、それを少し広げて「使い方」「楽しみ方」の歴史をざっと概観して、古本に飽きた時の対処法につなげてみたい。
■明治まで本は「借りる」ものだった 江戸中期に商業出版が成立し、「本屋」で新刊書も買えるようになるのだが、その新刊部数は1000部も刷ればそれはベストセラー扱い、発行部数は少ないため単価も高く、八犬伝(1815-1842)といった読み物であっても揃いで現在の1万円以上はした。 江戸時代、寺子屋などで大都市の庶民も読み書きができるようになったので(農村だと地主層は読めたが庶民はまだ読めない。ルビンジャー、川村肇訳『日本人のリテラシー』 柏書房、2008を参照)、本をデリバリーの貸本屋から借りて読んでいた。 明治になり公共の「書籍館」(図書館のこと)も設置されたが、明治末になるまで各地に広がらず、文化の都・東京でさえ3館(帝国図書館、大橋図書館、教育会図書館)しかなかったが、ちゃんと「高等貸本屋」で硬い本も借りられたのだった。だから、明治中頃までの「読書術」の本には、本の買い方が書いていない。 ■古本なら半値だから買えば――明治末 一方で雑誌の部数が増えた明治30年ごろから新刊雑誌の「月遅れ」が市中に出回りはじめ(定価の3割くらい)、大正期の庶民はそれらを買うようになっていった(同時に「雑誌回覧会」も大規模に成立して新刊書店と揉めている)。 「本を買う」ことが「新刊書を買う」意味になりはじめたのは、やはり、初刷部数が万単位となった「円本」ブーム(1926-ca.1929)からだろう。それまで、庶民が本を買う場合、絵双紙屋で軟派系の本を買うか、古本屋や露店で古本を買っていた。古本を買う目的は何より、安いからだった。 ■安い本から珍しい本へ 『古本年鑑(昭和8年)』(古典社、1933)に載っている全国古本屋リストは、和本屋と洋本屋にわける印が付けられている。これは単に安く買いたい人と、古い和本・珍本を買いたい人がお店を選べるようにしたものだ。これはちょうど平成期に、ブックオフ=安い本、街の古本屋=古い本、と考えられるようになったのと同じ図式だ。戦前期の古本趣味を書いた河原万吉『古書通』(四六書院、1930)に出てくる「古本」は、基本的に崩し字の和本(和装本)である。 ■古本マニアの発達段階 南陀楼綾繁『古本マニア採集帖』(皓星社、2021)を見ると、一見普通の人から濃ゆいマニアまで、いろんな古本マニアが紹介されている。もちろん古本趣味のバラエティは幅広いのだが、実は特定個人の中でも、時期によって趣味の熟成度というか、発達段階というのもあるのではないかと思う。たとえばこんな。 ステップ1(普通の本好き):古本屋で安い本を買う ■いつまでも楽しむためには――メディア形態をずらす ■古書会館の週末古書展で意外な発見をする方法 理由は2つあって、一つは、週末古書展での本の並びが、主題別でも形態別でもなく、お店別。これが意外といい。結果として古本の出どころ別になっており、これが図書館でも新刊書店でも不可能な独自配列で勉強になるのだ。前にその本を使っていた人の文脈が部分的に保存されているんよ。 その文脈を釣り上げるには、まず自分の知っている本、興味のある主題の本を見つけ、その周りの本を見る。すると、情報検索や主題書誌では絶対に見つからない意外な、けれど関連する面白い本が見つかるはずである。一般の古本まつりに出品されないような特殊な濃ゆい本が週末展だと出品されるということもある。 あと、週末展だと立ち読みをしやすいこともある(コロナ禍中はなるべく短くすべきだが)。店頭よりじっくり古本が選べる寸法だ。ただし、古本というのは基本、一期一会なので「買わない理由が値段なら買いなさい」と言われていることをお忘れなく。そういえば4月創刊の『近代出版研究』(皓星社発売)なる雑誌に、前代未聞の「立ち読み」の歴史が載るんだった。 ■書くことを始めると沼にはまる? 書物蔵 ツイッター |
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