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第二次世界大戦 全4巻揃い <河出文庫>
裁かれたキャンパスの神社 信州大学政教分離訴訟
三民主義(孫中山=孫文著 上海民智書局/民国十四年=1925年/第四版) 全一冊
大仏次郎敗戦日記
第二次世界大戦 全4巻揃い
フルトヴェングラーと私 : ユピテルとの邂逅
アイヌの秋 : 日本の先住民族を訪ねて
第二次世界大戦 1~4 4冊セット 1~4 4冊セット <河出文庫> 新装版
リリアン・E.スミス 『今こそその時』 「ブラウン判決」とアメリカ南部白人の心の闇
絢爛たる悪運 岸信介伝
『復刻版「愛生」戦前編』 全4回配本・全15巻・別冊1(総目次・索引付)
安西啓明直筆絵入り年賀葉書 昭和28年 橋本亀次郎宛日本画家の安西啓明は1月11日、老衰のため東京都大田区の病院で死去した。享年93。1905 (明治38)年4月15日、東京府八王子に生まれる。本名正男。1920(大正9)年荒木寛畝門下の広瀬東畝に師事したのち、21年川端龍子に入門。26年第13回再興院展に「学校」が初入選するが、29(昭和4)年龍子が青龍社を結成するに及んでこれに参加、同年の第1回展に「アパート」「本門寺風景」を出品した。以後同展で36年第8回「集鹿」がY氏賞、39年第11回「埴輪」が奨励賞、40年第12回「游亀」が蒼穹賞を受賞し、30年青龍社社子、翌年社友、42年社人となる。また龍子の画塾御形塾の塾頭もつとめた。45年6月満州(中国東北部)に開校した新京芸術院の教授として同地に渡るが、終戦とともに帰国。48年より全国の建築をテーマにした風景連作を青龍展に発表、60年からは急速な勢いで変貌していく東京の街や建物に思いを寄せ、連作「東京シリーズ」に着手する。またその一方で坂口安吾「信長」(52年)、室生犀星「杏っ子」(56年)、庄野潤三「夕べの雲」(64年)といった新関連載小説の挿絵を描く。57年以後毎年個展を開き、61年には自ら主宰する青明会の第一回展を開催。同66年龍子死去に伴い青龍社は解散、以後、無所属で活動する。日本美術家連盟理事もつとめる。98(平成10)年3月大田区ほかの主催で「安西啓明日本画展」(於太聞区民プラザ)を開催。
後漢書 列伝[二](早稲田文庫)
貧農に生まれて 梨木作次郎の歩んだ道編集・発行 梨木会 金沢市野町一丁目二十一番地刊行年 1966年3刷 ページ数 155p (図版共) サイズ 19cm 梨木作次郎(1907年9月24日 - 1993年4月9日)日本の弁護士、社会運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。金沢弁護士会会長、自由法曹団常任幹事などを歴任する。来歴石川県石川郡蝶屋村出身。日本大学専門部法科を卒業後、弁護士資格を取得。1931年に日本国民救援会の前身である日本赤色救援会へ入り、三・一五事件や四・一六事件をはじめ治安維持法違反事件の弁護に当たるが、1933年の日本労農弁護団一斉検挙事件で検挙。1935年には懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受け、5年間の弁護士資格停止を命じられる。1946年に日本共産党へ入党すると、自由法曹団や解放運動犠牲者救援会の再建活動に奔走。また、これと並行して翌年には日本農民組合及び全日本産業別労働組合会議の支援を展開する。1949年の衆院選で旧石川1区から出馬し初当選を果たす。当選1回。この間1948年には小松製作所ストに関して建造物侵入罪で起訴されるものの、後に無罪が確定した。1947年、1951年の各県知事選挙に立候補するも落選。議員落選後もスモン病やイタイイタイ病を中心に公害訴訟の弁護団長などを務めていたが、1993年4月9日、前立腺がんのため石川県金沢市内の自宅で死去。85歳。
にぬふぁ星 喜久山朝重自伝
死の天使はドミノを倒す 初版
自存 上田秋夫詩集 著者 上田秋夫 出版社 啓明社 刊行年 昭和2年初版・函少痛高知県生まれ。詩人。青年期に作家ロマン・ロラン、詩人マルセル・マルチネらと親交を結ぶ。帰高後は詩作とパステル画にうちこむ傍ら、詩壇の選者として後進の育成に尽力。芸術家、人道主義者として精神の高みを求め清雅に生きた。1899(明治32)土佐郡土佐町に生まれる。本名秋夫(ときお)。高知県立第一中学校(現・追手前高等学校)に進学し片山敏彦と学友になる。1925(大正14)東京美術学校木彫部卒業。1926(昭和元)ロマン・ロラン危篤の誤報が掲載された新聞記事を見て、ロランに見舞の電報を打つ。ロランから返信が届き、以後、交流を深めてゆく。1927(昭和2)第1詩集『自存』出版。題名のみ「Ce qui est」と直訳しロランやマルセル・マルチネに送る。1928(昭和3)単身フランスに渡り1年3か月滞欧。ロラン、マルチネほか作家のヴィルドラックやシャトーブリアンらと交流し帰国。1930(昭和5)『マルチネ詩選』翻訳刊行。翌年『続マルチネ詩選』翻訳刊行、詩集『五月柱』、感想集『薔薇窗』を刊行。1932(昭和7)帰高。出版社「新生社」を設立し雑誌「映画高知」「鉱脈」を発行。1936(昭和11)感想集『氷花集』刊行。以後は高知新聞記者となり詩壇の選者として後進の育成に尽力。1969(昭和44)詩と画による個展開催。(「詩画展」はその後も2回開催)1995(平成7)3月22日、土佐市蓮池で死去。96歳。
アイヌの秋 日本の先住民族を訪ねて
徳大寺前内大臣實堅公色紙
史料纂集古記録編227 東武実録2
日光叢書第2巻 御番所日記2 <日光叢書>
[仮題] 株式会社帝都座創立事務所 株主向け案内書簡 <安西啓明宛>
私たちのワンダフルライフ
中國文化 原子爆彈特輯號 創刊號 並に二~十八號抜き刷り
改訂増補 名曲集 全(錦心流宗家印)作曲者 永田 錦心 刊行年 昭和5年 全102頁 本吉屋発行永田 錦心(ながた きんしん、明治18年(1885年)12月1日 - 昭和2年(1927年)10月30日)は、明治時代から大正時代にかけての薩摩琵琶演奏家、日本画家。来歴東京府芝区虎ノ門の出身。本名は永田武雄といった。画号は武州、茶道の雅号は櫻水、俳名は牛骨。父は永田一右衛門。母はきよ子。まず16歳の時に田口米作に入門するが、1903年、19歳の時に田口が没したため、小林清親及び寺崎広業に師事して日本画を習得する。その後、明治36年(1903年)、19歳の時に薩摩琵琶に転じ、正派の肥後錦獅に師事、翌年、20歳で薩摩琵琶の吉水錦翁から錦心の号を受けた。明治39年(1906年)には帝国黄嘴会を組織した。明治41年(1908年)、一水会を結成して毎週、新橋倶楽部で演奏会を開き、多くの門弟を育てたほか、明治42年(1909年)4月5日に神田和強楽堂で第1回の演奏会を開催、以降、毎年演奏会を行っている。内国勧業博覧会に「那須与一」を出品、入賞を果たした。大正3年(1914年)の文展に出品した「野武士」が初入選をし、大正6年(1917年)の文展にも「仏敵」を出品、入選をしている。その間、大正4年(1915年)には錦心流を創始、琵琶の一般大衆化に貢献する。代表作として「石童丸」が挙げられる。著書に『愛吟琵琶歌之研究』全2巻がある。また、文学、能楽、弓道、馬術、易学などに造詣が深かった。享年43。墓所は多磨霊園。
十五年戦争極秘資料集 補巻55 陸軍登戸研究所関係資料
文言語法
D27070101〇ディジタルPDF和本JPEG版 銅版画 日本合戦図古戦場 日本外史 全46枚 明治11年〇和本古書古文書
シモーヌ・ヴェーユ最後の日々 初版
今こそその時 : 「ブラウン判決」とアメリカ南部白人の心の闇
オーストリア皇太子の日本日記 : 明治二十六年夏の記録 <講談社学術文庫>
日本文壇史 2 (新文学の創始者たち) <講談社文芸文庫 回想の文学> 初版1刷
総動員帝国 : 満州と戦時帝国主義の文化
街道をゆく 八 初版
ローバー、火星を駆ける : 僕らがスピリットとオポチュニティに託した夢
小林秀雄全文芸時評集 上 <講談社文芸文庫 こB3>
貨幣の哲学 <叢書・ウニベルシタス 779>
【英語洋書】 名指しと必然性 『Naming and necessity』
琉球三省并(ならびに)三十六嶋之図 『三国通覧図説』 (林子平・天明5・6)の内
日本文化へのまなざし : 司馬遼太郎記念講演会より
ウイグル大虐殺からの生還 再教育収容所 地獄の2年間
大正デモクラシー・天皇制・キリスト教 <シリーズ近現代天皇制を考える 2>
佐藤清藏(佐藤玄玄)葉書 教学局学藝課宛
オリガ・モリソヴナの反語法
シモーヌ・ヴェーユ最後の日々
坂口安吾と中上健次 <批評空間叢書 9>
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