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作文講座〈別巻 第1〉文章範例集
季刊銀花 第109号 1997年春 <特集①やきもの隠れ里 ; 特集②南洋の華布 ジャワ更紗千四百枚を集め続けた英子・アドナン・クスマの長い旅路>
みづゑ No.817 1973年4月 <特集 : 華麗なる小世界=インド・ミニアチュール>
芸術餓鬼岡本かの子伝
横山大観展 : 良き師、良き友
大乗菩薩道の研究
ニューヨークのとけない魔法 <文春文庫> 3刷
大上海 : 時空旅行ガイド
色の歴史手帖 : 日本の伝統色十二カ月
鳥居耀蔵 : 天保の改革の弾圧者 中公新書 <中公新書>
日本少年 八月号付録 夏の少年百科事典 23(8)
中国の仏教美術 初版
解はひとつではない : グローバリゼーションを超えて
詩林 不揃79冊 (漢詩) 46号・47号・51号・52号・54号・55号・62号から123号まで揃(78号・92号120号3冊欠 118号及び119号は合併号) 132号・138号・139号・140号・141号・142号・144号・145号・146号・147号・147号・148号・151号・152号・153号・154号(147号以降の6冊は背に傷み)
紙碑 <紙業叢書 第4編>
みづゑ No.795 1971年4月 <特集 : 雅宴の夢と享楽=ロココ>
万葉山代志考
季刊銀花 第62号 1985年夏 <特集①大相撲の美=心技体の工芸 ; 特集②散華=大和の花供養>
山陵 2冊揃+巡陵紀程 計3冊揃
血をわたる 初版第1刷
花将軍 北畠顕家
めいじ 安城市立錦町小学校 安城のあけぼの/安城ケ原の石器と人々のくらし、安城のムラ、荘園のひろがり、安城の地名のおこり、新しいいぶき/安城村・安城町ができる、明治の学校、駅ができる、日本のデンマーク/明治用水ができる、新しい農業へ、安城市のたん生と発てん、錦町小学校の開校、七夕まつりと七夕神社、伊勢湾台風とそのひがい、安城の発てん、 安城の文学/新美南吉、文学の散歩道、安城の人物/都築弥厚、石川丈山、山崎延吉、岡田菊次郎、寺部だい 他
正倉院文書研究 11
江戸時代前期出版年表〔万治元年~貞享五年〕
室の梅 : おろく医者覚え帖 <講談社文庫>
女学世界 第12巻第5号 明治45年4月
みづゑ795号 特集 雅宴の夢と享楽=ロココ/ジャコメッティ
名短篇、さらにあり <ちくま文庫>
ケルト人 <「知の再発見」双書 35>
日本医事新報 3631 Japan medical journal 1993年11月27日
吉備古瓦図譜 第二輯
少年倶樂部26巻8号 少痛 乱歩 大佛 吉川英治 紅緑 十三 水泡 挿画/樺島 口絵/まさを 義水 表紙/岡吉枝
華岡青洲の妻 (新潮文庫) 新潮社 有吉佐和子
洋書 R.W. Loveless / R.W.ラブレス コレクションブック
(明治彩色木版保存良好絵葉書)広重東海道五十三次のうち「岡崎」保永堂版広重版画複製明治彩色木版保存良好一枚+二代目歌屋吉左衛門(=小西大東=笠原直治郎)による「膝栗毛」の当地部分を底本とした説明葉書 二枚組+発刊説明書(コピー)。
みづゑ 829号 特集:セザンヌ=自然存在の絶対化/作家論=宇佐美圭司/ジョージ・トゥカー
倭国 東アジア世界の中で
院展100年の名画 : 天心ワールドー日本美術院 <ショトル・ミュージアム>
月刊考古学ジャーナル (199)
中国21 Vol. 48 いまさら文革、いまなお文革、いまこそ文革
フランス文学万華鏡
現代中国の歴史 : 1949~1985 毛沢東時代から鄧小平時代へ <有斐閣選書>
原始仏教 第7巻(中部経典4) <原始仏典 第7巻> 第1刷
季刊みづゑ No.817 <特集>華麗なる小世界 インド・ミニアチュール、清水登之の軌跡、ディアローグ 村岡三郎、パナマレンコ
続 近代日本の日記 続
西洋紀聞 <東洋文庫> 新訂
樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。
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