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「ここ“も”愉しい古本屋さん」を編んで

「ここ“も”愉しい古本屋さん」を編んで

月刊「望星」編集部 石井靖彦

 文筆家であり古書大好き人間の岡崎武志さんと会ったとき、「なにかやりましょうよ」と持ちかけた。「そやなぁ、ボクがやるんやったら、やっぱり古本と古本屋さんの特集やなあ」と口を滑らせたので、「じゃお願いします。構成案考えてえてださい」「ヨッシャ!」となり、十月号の特集「ここ“も”愉しい古本屋さん」とあいなった。

 古本屋さんといってもいろいろで、誌面で取り上げるのであれば、強い個性を持ち、古書店の範疇に入りきらないようなところを紹介してみたい――これがこちらの要望。それに対して岡崎さんが半世紀にならんとする古書店巡り人生から、ピックアップしてくれたのが、「古書 日月堂」(東京)、「book café 火星の庭」(仙台)、「盛林堂」(東京)、「古書 善行堂」(京都)である。本当はもっと多くの古書店を取り上げたかったが、マイナー誌ゆえの財力、機動力のなさから仕方ない。

 各店主の話はすべて実におもしろかった。開店に至る経緯、開店後の苦労、やっていけそうという手応えを感じたときなど、話は尽きない。

 ビジネスだから、好きでやっているでは済まないのは当然で、各店、戦略がある。その戦略と自身が好むテーマ、ジャンルがマッチして、かなり個性的な店が誕生したのだと感じた。

 そしてなにより古書の魅力を再認識したのは、モノとしての存在感。いま私たちは、ほとんど画面に現れるものとばかりつきあっていて、それでけっこう事足りていると思ったりしている。毎日、画面からは集中豪雨のように情報が流れ、それがマトモなものならばまだしも、マユツバものだらけでうんざりなのだが、取捨選択し、つきあわざるをえない。

 それに比べ、古本や昔の印刷物は“気品”をまとう。気品と知識がモノとして存在している。紙の生命力の、なんとありがたいことか。紙は偉大――あらためてそう実感した。

 紙媒体は凋落の一途といわれ、明るい材料は皆無のよう。それでも「やっぱり本が好き」「本屋さんが好き」「古本屋さんが好き」という人たちはいる。救いはそれくらいかもしれないが、本がない世の中は暗黒そのもので、想像もしたくない。小誌もご多分に漏れず青息吐息。まあ、それをいっても仕方ないのだが、なにはともあれ紙が持つ永遠性に盛大な拍手を!

 最後に小誌「望星」は一九七〇年に東海大学の創始者・松前重義氏が文理融合を掲げ、学生や保護者向けに創刊した。
「政治に希望なく、経済に曙光見えず、人の心はようやく自暴の域に追い込まれているかのごとくである。しかし私は悲観しない。日本はまだ大丈夫である。努力によっては、絶望のごとく見える燈火も、希望の油を注入して新しき生命の芽生へを見いだすことができる」

 敗戦後、そう書いた松前氏の志を理念としている。八十年近く前の言葉に、今をみるようで、びっくりする。

 
 
 
 

『フローとストック』 月刊「望星」編集長・石井靖彦
(『望星』2018年3月号 古書・品切れ・絶版に宝物あり!)

 


月刊『望星2023年10月号』 ここ”も”愉しい古本屋さん
東海教育研究所刊
税込価格:660円
ISBNコード:4910087131039
好評発売中!
https://www.tokaiedu.co.jp/bosei/contents/2310.html

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草森紳一蔵書 後編 白い迷宮に残された本【書庫拝見18】

草森紳一蔵書 後編 白い迷宮に残された本【書庫拝見18】

南陀楼綾繁

 北海道音更町にある帯広大谷短大の資料室と旧東中音更小学校に収められている草森紳一さんの蔵書を取材した翌日、私はふたたび音更町にいた。

 十勝大橋を渡ってすぐ、東側の木野地区に、草森さんが生前に建てた書庫「任梟盧(にんきょうろ)」があるのだ。

佐藤利男さん(右)と宗像教全さん

 案内してくれたのは、「任梟盧ブッククラブ」の佐藤利男さんと宗像教全さん。お二人とは前夜に、帯広の焼き肉店〈平和園〉で会っている。任梟盧で活動している6人と、東京から見学に来た3人、そして私で会食したのだ。

 同席した地元組の吉田政勝さんは、生前の草森さんと交流があった方だ。
「帰省のたびに草森さんは喫茶『川』に寄りました。気の置けない同級生のマスター、及川さんと語り、うまいコーヒーを飲みながら故郷の街に着きひとときの安寧に浸ったのでしょう。私が『川』に顔を出すと『草森が来ているよ』とマスターが声をかけてくれ、やがて草森さんの執筆が一段落すると、会うようになりました」(「ふるさとでの草森紳一さん」『草森紳一が、いた。 友人と仕事仲間たちによる回想集』草森紳一回想集を作る会)

 〈川〉は正式には〈珈琲と音楽 川〉で、帯広にあった。マスターの及川裕は帯広柏葉高校の草森の同級生だった。
「草森が帰ってきた時は、いつも『川』で原稿を書き、大きい益子の灰皿はすぐ両切ピースが山のようになったものだ。広辞苑、角川漢和辞典は店の備品だったが、彼が一番利用してくれた」(「草森紳一との時間」『草森紳一が、いた。』)

 東京から参加した方々も、それぞれ草森さんとの縁が深く、興味ぶかくみなさんの話を聞いているうちに夜は更けていった。

白い塔の書庫

 草森紳一の実家の敷地にある任梟盧は、高さ9メートルの白い塔だ。

 周りに一般の住宅が並んでいるので、かなり唐突で異様な建物に見える。

任梟盧の外観

 草森さんは増えた本を実家に送っていた。不要と判断した本のはずだったが、それが必要になってくる。
「送り返して貰うには、量が多すぎ、そこで、のこのこ北海道まで出かけていかねばならぬ。原稿料の十倍の費用をかけて、仕事をしに出かけていくというマンガを演じることになる」と、「白い書庫 顕と虚」(中公文庫版『随筆 本が崩れる』に収録)で書いている。

 これは私には痛いほど判る。20代の頃、私も増えた本を実家に送っていた。一時は、一月に何箱も送っていたが、帰省した時にそこから抜き出した本をまた東京に送るという愚行を繰り返していた。結局は、宅配便の費用がかさんで止めてしまった。

 そして、草森さんは「本をたくさん持ってますぞといわんばかりの恥ずかしい存在」である書庫を、建てるはめに陥ったのだ。

 1977年に竣工。設計者は建築家の山下和正。「小さな家のなかに目一杯本が入るようにと考え、2間角の3階建ての大きさのボリュームを構造用に用いる合板のサイズから決め、その壁面を全部本棚とした。いわば『本のサイロ』である」と、山下はコメントしている(『別冊新建築 山下和正』1981年9月)。工費は予定より増えて400万円になった。

 中に入ると、たしかに天井まで壁面が本棚になっていて、それに沿うようにらせん状に階段がある。各階(実際には◎階と決めにくいのだが)の床の面積は狭く、人よりも本が主役になっている。

本棚と階段

下から見上げる

 入ってすぐのところに、小さなテーブルが置かれている。

 1階と2階には横に小部屋がある。2階の洋間は机が置かれていて、小さな書斎になっている。「草森さんはここで本を読んだり、原稿を書いたりしたようです」と、佐藤さんは話す。

 1階和室の入り口上部には、和田誠がデザインした「草」と「森」のマークが掲げられている。草森さんは帰省したときに、ここで寝泊まりしていたらしい。

ミニ書斎

和田誠デザインの「草」「森」のマーク

 どこを見ても本でぎっしりだが、空いた場所には交流のあった井上洋介、片山健らの絵や横尾忠則のポスターが飾られていて、目を楽しませる。玄関にかかっている扁額も、井上さんの手になるものだという。

井上洋介が描いた李賀の絵

任梟盧の入り口。上部に扁額が掛かっている

 ところで、「任梟盧」とはどういう意味だろう?

 草森さんの弟で、実家を継いだ草森英二さんは、こう書く。
「ある時、兄に任梟盧の意味をたずねると、『勝手にしやがれ』といった意味かなと一蹴された」

 その後、地元の情報誌に載ったインタビューで草森さんが述べたところによると、任梟盧は「生涯をかけて研究して来た中唐の詩人鬼才李賀の詩の一部をとったとのことだ。梟盧とは賽の目(サイコロ)のことで、サイコロ任せ、なるようにしかならぬ、勝手にしやがれといった意味らしい」という(「任梟盧」『草森紳一が、いた。』)。

 任梟盧のテーブルには、荷物の中から佐藤さんが見つけたという正12面体のサイコロが、草森さんが愛飲したピースの空き缶に入っていた。

正12面体のサイコロ

頭の中を反映した本棚

 最上階からゆっくりと棚を見渡す。

 私の印象で、ジャンルやテーマを書き出すと、こうなる。

 中国、デザイン、イラスト、歴史、マンガ、ナチスドイツ、日本史、新選組、文学、ユートピア、内田百閒、漢詩、奥野信太郎、2・26事件、民俗学、泉鏡花、島尾敏雄、野球、やくざ、UFO、オカルト、古代文明、詩、美術、麻雀、ミステリー、SF、ジャズ、北海道……。

古代文明やオカルト関係が並ぶ一角

 ここに収まっている本は、この書庫ができた1977年以前に入手されたものが主になっているはずだ。そうすると、『マンガ考』『ナンセンスの練習』『江戸のデザイン』『子供の場所』『イラストレーション 地球を刺青する』あたりは、この蔵書をもとに書かれたのだろう。

 しかし、1979年に完結した『絶対の宣伝 ナチス・プロパガンダ』全4巻の場合はどうなのか。同書で参照されただろうナチスドイツに関する本は、研究書から小説まで、多数並んでいる。あとで佐藤さんに検索してもらうと、少なくとも600冊以上はあるそうだ。草森さんは任梟盧完成時にここに入れた本を参照するたびに、わざわざ帰省したのか? それとも全巻の原稿を書き終えてから、本を送ったのか?

ナチスドイツ関係の本が並ぶ一角

 ただ、私が見る限り、任梟盧に本を並べたのは草森さん本人で、他の人が並べたとは思えない。彼自身の頭の中を反映した並べ方になっているのだ。

 草森さんは高校を卒業して、故郷を離れる際に、弟の英二さんに「俺はエゴイストだ。親の面倒はみない。一生独身で結婚しない」と宣言したという(「兄紳一のこと」第1回、『草森紳一蔵書プロジェクト通信』第1号、2016年5月)。

 実際、その後は東京で自分の世界に没入し、実家に帰ることは少なかったようだ。

 それが、任梟盧ができてからは帰省する頻度が増えた。「草森さんの母親のお見舞いもかねていたように思います」と、吉田政勝さんは推測する(「ふるさとでの草森紳一さん」)。

 しかし、1984年に母のマスエが亡くなり、1989年に父の義経が亡くなったあとは、故郷に帰ることはなかった。

 任梟盧の本棚を見渡したところ、新刊では1985年に「週刊本」シリーズで出た磯崎新『ポスト・モダン原論』が見つかった。持参したにしろ、送ったにしろ、それぐらいが草森さん自身が任梟盧に関わった最後の頃だったのだろう。
『絶対の宣伝』に話を戻せば、この仕事の資料について、草森さんはこう語っている(『随筆 本が崩れる』)。
「むかし、ナチスの宣伝に興味を抱き、四冊の本にまとめたが、終ってみると、やはり数千冊になった。切りがないのであきらめたから、これでとどまったともいえる」
 任梟盧のナチス関係が600冊程度とすれば、その他の本は東京の自宅で所持していたのだろうか。しかし、帯広大谷短大の吉田眞弓さんに調べてもらうと、ナチスドイツ関係は100冊以下のようだ。

 草森さんは蔵書を古本屋に売ったことはないと、何度も書いている。そうなると、2つの書庫に入っていないナチスドイツ関係の本がどこかに存在するのだろうか?

縁のある本や書いた雑誌

 ここに並ぶ本について、自身が文章で触れているものもある。

 たとえば、井伏鱒二の『一路平安』(今日の問題社)は、草森さんが編集者だった時代に、伊丹十三から借りたものだった。「よければお持ちになってもかまいませんよ」と云われて借りたが、「お返しする間もなく、退社してしまったので、今も借りたまま北海道の書庫の中に眠っている」(『記憶のちぎれ雲 我が半自叙伝』)。

伊丹十三から借りた井伏鱒二『一路平安』

 同書には、フランシス・ベーコンの「一ヵ月間の給料がふっとんでしまうほど、高価な」画集を衝動買いした話が出てくるが、佐藤さんがその本を見せてくれた。残念なことに雨漏りによって、ページが開けないほど傷んでしまっているが。

フランシス・ベーコンの画集を示す佐藤さん

 草森さんが執筆した雑誌もある。

 慶應義塾大学推理小説同好会の『推理小説論叢』には、日影丈吉論などを寄稿。先輩には紀田順一郎や大伴昌司がいた。この会の同級生の薮田安晴は「われら三代目」で、「私達は推理小説の作家やグループに積極的に近づいた。(略)草森君と私は遠慮なくいろんな作家や批評家に会って話を聞いた」(『推理小説論叢』第25号、1967年12月)と書く。草森さん自身も会員は「どこか、みな変人なところがあり、彼等といると、氣がやすらいだ」と回想する(『記憶のちぎれ雲』)。また、『三田映画』にはアンリ・ヴェルヌイユなどを書いている。

『推理小説論叢』

『三田映画』

 高校の同級生でもある詩人の嵩文彦が帯広で発行した『あすとら』には、「嗚呼、哀哉」を連載(38、39号、1984~1985)。1回目は寺山修司、中原淳一について、2回目は三島由紀夫、スタルヒンについて。その後の号はないので、連載がどうなったかは判らない。内容的には『記憶のちぎれ雲』を補完する内容で、貴重だ。

『あすとら』

 さらに、雑誌の連載や掲載記事を製本したものが数冊ある。プロの仕事で、背表紙にタイトルも印字されている。当時、どれぐらいお金がかかったのだろうか? 自分の書いたものへの愛着が感じられる。

 たとえば、『女性歌手周遊雑記 付・スクリーン番外地』は、1970年代に『新宿プレイマップ』に連載されたもの。見返しに「スターダスト 星と屑」というタイトルが書かれ、女性歌手の名前や北公次、三国連太郎、藤純子、ビートルズなどの名前が並ぶ。本にする際の構想を書き込んだのだろう。

雑誌記事の製本版

 そう考えると、この書庫に並ぶ本から新たな本が生まれる可能性はあった。しかし、故郷との縁が切れたことや、より歴史を掘り進む方向に向かったことから、任梟盧は「1977年までの草森紳一の頭の中」として、そのまま残されたのだ。

青春時代の記録

 ひととおり見終わって、一息ついたところに、「まだ半地下がありますよ」と佐藤さんが云う。

 入り口に戻り、茶室の躙り口のようなところを腹ばいで抜けると、『太陽』『近代麻雀』『漫画サンデー』など多様な雑誌が並ぶ一角があった。『NEW YORKER』などの海外雑誌は、1コママンガのページが切り抜かれている。マンガ論のために切り抜いたのだろう。

雑誌が並ぶ一角

 また、高校生までに読んだと思われる本も並んでいる。

 さらに、自筆のノートが何十冊もあり、映画の鑑賞記録や推理小説の感想などに交じって、「草紳文庫 1952年以降 購入記録」と題されたノートがあった。

ノートが並ぶ棚

「草紳文庫」ノート

 1952年と云えば、中学3年生のときだ。几帳面な字で買った本、雑誌、参考書までが記されている、

 弟の英二さんによれば、実家の屋根裏を改造して中二階をつくったとき、草森さんは「大工さんにできるだけ多くの本を収納できる備え付けの本棚を注文した」。そして、「蔵書は几帳面にノートに記録していた」という(「兄紳一のこと」第2回、『草森紳一蔵書プロジェクト通信』第2号、2016年8月)。
「本棚は羞恥する」というエッセイで、草森さんはこう書いている(『狼藉集』ゴルゴオン社。中公文庫版『随筆 本が崩れる』に収録)。
「本というものは、たえず気をつかっていないと、物も言わずにしのびよってくる獣のようなところがあり、気がついた時は、すでに遅かりしで、人間の居場所などは、知らずに狭められてしまっている。そこで、ようやく整理しようという決心がついて、ボール箱につめて、田舎へ送ることにしたのだが、四十箱にもなってしまった」

 あるいは、こう書く。
「私の本棚との最初の出会いは、父のそれである。(略)観音開きの飾り戸がついており、中にどんな書物が並んでいるか、そと目からは、わからない仕組みになっていた。(略)そういう本箱をつくって隠したいという気もあるが、それにしては本が多すぎるし、かといって書庫を作るなどというのも大袈裟すぎて、余計、気恥しさの種をつくるだけだ」

 このエッセイの初出は『室内』1972年7月号で、任梟盧建設の5年前だ。ここでも書庫を持つことへの気恥ずかしさが語られている。

 一度は決心して書庫を持った草森さんだが、故郷にある、自分の頭の中を一目瞭然に配置した書庫よりも、自室の中に積みあがった本とともに生きることを選んだのではないか。なんとなくだが、混沌とした状況のなかで仕事をする方が草森さんには合っているような気がするのだ。

保存と公開

「任梟盧ブッククラブ」の佐藤利男さんは、帯広畜産大学を卒業後、数年して帯広に住むようになった。その頃の帯広には、「花を喰う会」という文化的な活動を行なうグループがあり、そこで嵩文彦さんに会う。

 そして、嵩さんを通じて、帰省した草森さんに会ったのだという。「スマートでカッコいい人でした」と振り返る。

 草森さんが亡くなったあと、帯広大谷短大が蔵書を引き受けることが決まった。その蔵書整理のボランティアに参加する。宗像さんも一緒だった。そして、「草森紳一蔵書プロジェクト」副代表(当時)の高山雅信さんの紹介で、草森英二さんに会った。
「英二さんは怪奇小説か神秘学とかがお好きで、映画の話をよくしましたね」と、宗像さんは話す。
「2011年にはじめて任梟盧を見学しましたが、外壁に壊れた箇所があり、雨が中に入り込んでいました。内部も埃だらけでした。それで大掃除からはじめました。そして、書棚ごとに番地を決めて、それをもとに蔵書目録をつくろうとしました」

 YouTubeには、当時の任梟盧を撮影した動画がアップされている(https://www.youtube.com/user/kusamori)。「この撮影のために、いちど貼った番地を示す紙をぜんぶ外したんです(笑)」と佐藤さん。

 その後、佐藤さんが震災復興のために東北に住んでいたこともあり、そのままになっていたが、2019年に英二さんが亡くなってからは遺族の希望もあり、2021年から任梟盧の復旧を再開した。
「外壁や屋根を直したり、本棚の番地を振り直して入力を進めたりしました。電気ストーブしか使えないので、冬は寒くて手がしもやけになりそうでした」と佐藤さんは云う。一方、宗像さんは「一冊一冊に発見があって、入力するのが楽しくてしかたないです」と笑う。

番地が振られた本棚

 2022年9月からは、念願だった任梟盧の一般公開を開始。12月から3月を除く毎月1回、自由に見ることができる。見学者は一日に15、16人程度で家族連れもいたという。

 同年11月には「任梟盧ブッククラブ」を結成。「草森マンガ塾」と題して、任梟盧所蔵の1枚もののマンガの解読会を開催。「いずれは映画観賞会などもやりたいです」と、佐藤さんは話す。

 メンバーが増えたことで作業も進み、蔵書の入力は終わりが見えてきた。
「蔵書数は3万冊と云われていましたが、実際には約1万5000冊でした。草森さん自身もそれぐらいだと見立てていたようですね」と吉田さん。

 たしかに、「本の行方」というエッセイには、任梟盧の冊数についてこう書いている。
「友人などは、わが書庫を見て、まあ三万はあるなという。(略)まさか、おそらく、そんなにない。一年に五百冊近く増えていくとして、十年で五千冊。このペースになってから、かりに三十年として一万五千。まあ、二万そこそこといったところだろう。個人の蔵書は、たかがしれている」(中公文庫版『随筆 本が崩れる』収録)。

 任梟盧以降、東京でさらに3万冊を増やしたことを考えると、とても「たかがしれている」とは云えないが、冊数に対して正確な認識を持っていたことに驚く。

 佐藤さんらは、今後も蔵書の整理と公開を進めながら、任梟盧の保存の道を図っていきたいという。

 任梟盧は草森さんの意志が働いた書庫であり、帯広短大に所蔵される蔵書は草森さんの最後の姿を反映するものだ。

 2つ(場所としては3か所)の蔵書群は性格は異なるが、草森紳一の仕事をたどるうえでどちらも欠かせないものだ。

 いまのところ、両者は別々に運営されているが、今後は蔵書検索システムを共有することや、双方の蔵書をもとにした展示やシンポジウムを行なうなどで、互いに協力していってほしいと思う。

 そして、川を渡って、東京から音更町にたどり着いた草森紳一さんの蔵書を、また見に行きたいと願う。

 
 
 
 
 
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080-5725-2960 佐藤利男

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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2023年10月10日号 第380号

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 古書市&古本まつり 第129号
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━━━【調べる古本1】━━━━━━━━━━━━

過去の調べ本 『第二の知識の本』『文献探索学入門』

                             書物蔵

■前口上
 魂の双子が『調べる技術』(皓星社、2022)なる本を書いて当たった
ので(東京堂で何度かベストセラー入りし、公称3万部)、その余勢を駆
り、自分も調べ物関係の「古本」を紹介する連載を日本の古本屋メルマ
ガに載せることになりました。〈調べの古本〉と、〈古本の調べ〉の両
方について半年ほど連載します。具体的には、代表的な調べものの本の
回顧と、いま売っている古本の見つけ方、買い方といったところ。

■古本マニアをやっていると思いつく
 いままで30年ばかり古本マニアをやってきたので、わりとすぐ「いま
までも同種の本があったよね」「そういえば、アレとかアレとか、この
本と同じ」と思いつく。

 『調べる技術』は要するに、司書なら誰でも多少は実践しているちょっ
とした調べ(=レファレンス)の技法(参照技法)を、一般向けに書いた
もの。「自分の専門外のことを、少しだけ、けれどちゃんと調べたい(参
照したい)場合、どうすればよいか、そのノウハウを書いた本」といった
ところ。

続きはこちら
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※当連載は隔月連載です

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━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見18】━━━━━━━━━

草森紳一蔵書 後編 白い迷宮に残された本
                           南陀楼綾繁

 北海道音更町にある帯広大谷短大の資料室と旧東中音更小学校に収め
られている草森紳一さんの蔵書を取材した翌日、私はふたたび音更町に
いた。

 十勝大橋を渡ってすぐ、東側の木野地区に、草森さんが生前に建てた
書庫「任梟盧(にんきょうろ)」があるのだ。

 案内してくれたのは、「任梟盧ブッククラブ」の佐藤利男さんと宗像
教全さん。お二人とは前夜に、帯広の焼き肉店〈平和園〉で会っている。
任梟盧で活動している6人と、東京から見学に来た3人、そして私で会食
したのだ。

 同席した地元組の吉田政勝さんは、生前の草森さんと交流があった方
だ。
「帰省のたびに草森さんは喫茶『川』に寄りました。気の置けない同級
生のマスター、及川さんと語り、うまいコーヒーを飲みながら故郷の街
に着きひとときの安寧に浸ったのでしょう。私が『川』に顔を出すと
『草森が来ているよ』とマスターが声をかけてくれ、やがて草森さんの
執筆が一段落すると、会うようになりました」(「ふるさとでの草森紳
一さん」『草森紳一が、いた。 友人と仕事仲間たちによる回想集』草
森紳一回想集を作る会)

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南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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https://twitter.com/kawasusu

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「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

※今月の新コンテンツはありません。

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

━━━━━【10月10日~11月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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光が丘 秋の古本市

期間:2023/08/16〜2023/10/15
場所:リブロ光が丘店 東京都練馬区光が丘5-1-1 リヴィン光が丘5階
   都営大江戸線光が丘駅A4出口より徒歩3分

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ひばりが丘の古本市

期間:2023/10/04〜2023/10/22
場所:ひばりが丘PARCO1階

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ア・モール古本市(北海道)

期間:2023/10/05〜2023/10/10
場所:アモールショッピングセンター1階センターコート
   (北海道旭川市豊岡3条2丁目2-19)

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第23回 四天王寺 秋の大古本祭り(大阪府)

期間:2023/10/06〜2023/10/11
場所:大阪 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
http://kankoken.main.jp/

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ぐろりや会

期間:2023/10/13〜2023/10/14
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
http://www.gloriakai.jp/

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フィールズ南柏 古本市(千葉県)

期間:2023/10/13〜2023/10/30
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  柏市南柏中央6-7

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『BOOK DAY とやま駅』(富山県)

期間:2023/10/14〜2023/10/14
場所:富山駅南北自由通路(あいの風とやま鉄道中央口改札前)
https://bookdaytoyama.net/

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好書会

期間:2023/10/14〜2023/10/15
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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高円寺均一まつり

期間:2023/10/18〜2023/10/19
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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港北古書フェア(神奈川県)

期間:2023/10/18〜2023/10/31
場所:有隣堂センター南駅店店頭ワゴン販売
最寄駅:横浜市営地下鉄 センター南駅
    市営地下鉄センター南駅の改札を出て直進、右前方。※駅構内
http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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洋書まつり Foreign Books Bargain Fair

期間:2023/10/20〜2023/10/21
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
http://blog.livedoor.jp/yoshomatsuri/

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本の散歩展

期間:2023/10/20〜2023/10/21
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
   JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分

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第30回紙屋町シャレオ古本まつり(広島県)

期間:2023/10/21〜2023/10/29
場所:広島市中区紙屋町シャレオ中央広場
https://twitter.com/koshohiroshima

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第104回シンフォニー古本まつり(岡山県)

期間:2023/10/25〜2023/10/30
場所:岡山シンフォニービル1F  自由空間ガレリア

------------------------------
第54回 鶴屋古書籍販売会 (熊本県)

期間:2023/10/25〜2023/10/30
場所:鶴屋本館6階会場 熊本市中央区手取本町6-1

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2023/10/26〜2023/10/29
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)
https://twitter.com/urawajuku

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特選古書即売展

期間:2023/10/27〜2023/10/29
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
https://tokusen-kosho.jp/

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第63回 神田古本まつり 青空掘り出し市

期間:2023/10/27〜2023/11/03
場所:千代田区神田神保町古書店街
https://jimbou.info/

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杉並書友会

期間:2023/10/28〜2023/10/29
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
https://www.kosho.ne.jp/?p=619

------------------------------
東京愛書会

期間:2023/11/03〜2023/11/04
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
http://aisyokai.blog.fc2.com/

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第2回 高円寺優書会

期間:2023/11/04〜2023/11/05
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
https://www.kosho.ne.jp/?p=726

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反町古書会館展(神奈川県)

期間:2023/11/04〜2023/11/05
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10
http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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新橋古本まつり

期間:2023/11/06〜2023/11/11
場所:新橋駅前SL広場
https://twitter.com/slbookfair

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2023/11/09〜2023/11/12
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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趣味の古書展

期間:2023/11/10〜2023/11/11
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
https://www.kosho.tokyo

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高知蔦屋書店 古本まつり(高知県)

期間:2023/11/11〜2023/11/12
場所:高知蔦屋書店  高知市南御座6-10

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日本の古本屋メールマガジンその380 2023.10.10

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 URL  https://www.kosho.or.jp/

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調べる古本① 過去の調べ本 『第二の知識の本』『文献探索学入門』

調べる古本① 過去の調べ本 『第二の知識の本』『文献探索学入門』

書物蔵

前口上

 魂の双子が『調べる技術』(皓星社、2022)なる本を書いて当たったので(東京堂で何度かベストセラー入りし、公称3万部)、その余勢を駆り、自分も調べ物関係の「古本」を紹介する連載を日本の古本屋メルマガに載せることになりました。〈調べの古本〉と、〈古本の調べ〉の両方について半年ほど連載します。具体的には、代表的な調べものの本の回顧と、いま売っている古本の見つけ方、買い方といったところ。

古本マニアをやっていると思いつく

 いままで30年ばかり古本マニアをやってきたので、わりとすぐ「いままでも同種の本があったよね」「そういえば、アレとかアレとか、この本と同じ」と思いつく。

 『調べる技術』は要するに、司書なら誰でも多少は実践しているちょっとした調べ(=レファレンス)の技法(参照技法)を、一般向けに書いたもの。「自分の専門外のことを、少しだけ、けれどちゃんと調べたい(参照したい)場合、どうすればよいか、そのノウハウを書いた本」といったところ。

未知の知を求める独学書は1960年代から

 『調べる技術』は独学書の一種なので、独学書の歴史を見てみよう。

 独学技法の百科事典、『独学大全』(ダイヤモンド社、2020)を書いた読書猿さんによると、「学問のすすめ」以来、明治初めから独学書はいろいろあったが、それらはみな、既存の学問や知識体系を学ぶもので、自分でイチから知識を作るという側面は弱かった。それが1960年代末、経済成長でビジネス人の新しいニーズが出てきたことで変わっていく。川喜田二郎『発想法』(中央公論社、1967)と梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波書店、1969)はベストセラーになったが、ともに「予定外の、種類の異なるデータ」を得られるフィールドワークという知の現場を背景に出版されて大ヒットしたのだった。(「来たるべき独学書史のためのプログラム」『近代出版研究』(1)、2022)。

藤川正信『第二の知識の本』――実地でなく人類知から必要な知識を

 ちょうどこれらに先行して出版され、そこそこヒットしたのが今回紹介する『第二の知識の本』(新潮社、1963)だった。新潮社が出した新書判「ポケット・ライブラリ」で、当時、慶應義塾大学で図書館学科で情報検索を教えていた藤川正信という学者が書いたものである。

 いま梅棹忠夫の『知的生産の技術』を見てみると、調べ(インプット)にあたる読書術の章はちゃんとあるのだが、意外なことに通読・ノート取りを推奨し、本そのものの選書や断片的参照のことは書いていない。これは文献でなく、フィールド(実地)から直接知識を引っ張り出してまとめるというところに梅棹「知的生産」の眼目があるからだろう。一方で、どうしても文献によらねばならないこともあろうから、『第二の知識の本』のサブタイトル、『人類の持っている全知識からあなたの必要な知識を引きだす本』というのは、はなかなかよい。Googleスカラーのモットー「巨人の肩の上に立つ」と同趣旨である。メインタイトル中の語「第二の知識」の説明が本文にないが、おそらく「セコンド・ハンド・ナレツヂ〜第二の知識といふ意味で、自分の独創で無いところの知識」(生田長江編『文学新語小辞典』新潮社、1913)のことだろう。

【図1】さまざまな「調べる技術」本

てんこ盛りで調べ方は解らないが、ツールのリストとしてはOKか

 ただ、いま改めてみるとこの本、てんこ盛りすぎる。一応、いろんな例え話でやわらげているのだが、それがとりとめのない文化論風で、肝心のレファレンス・ツール(参照用の「工具書」。読む本でなく引く本。辞書や文献リスト)の機能の説明に必ずしもなっていない。

 例えば「調べ方の基本」という章で「英語を習い始めた人は、lとrの区別がつかなかったり」などと、あまり関係ない話を2ページもやってしまい、読み物としたいのはわかるのだが、その後で専門的なレファレンス・ツールを列挙してしまう。

 こういった本の読み方としては、全体をなんとなく読んで、自分のニーズにあったツールが出てきたらそれをメモする、といったことになる。後半で、調べる過程の情報処理やまとめ方(論文の書き方的な)ものも載っており、これもまた私から見ると別書にしたほうがよい。

 それでもなお、洋書も含め特殊なレファレンス・ツールが列挙されていたのは、この世にそのような本が現存し、参照しうる、ということを一般人に知らせた意義があろう。NDLデジコレをタイトルで検索すると、週刊誌などで紹介されているのが判るし、河原淳といった偉大な雑学家も、参考にすべきと言及していたりする。

佃実夫『文献探索学入門』――司書のビジネス支援はYシャツの口紅消しから

 これも同じく一般人向けのレファレンス・ツール紹介としておおいに売れたらしいのが佃実夫『文献探索学入門』(思想の科学社、1969)である。これも各種雑誌で紹介され、普及したようだ。著者の佃自身が「文献探索」なる四字熟語は自分の造語が普及したと、改定新版(1978)で述べている。

 著者は横浜市立の図書館員だった人だが、さすが『思想の科学』(1946-1996)系の人だけあって、読者対象にビジネスマンを設定し、実際に調べの例として最初に「電車のなかで、あるいはバーへ遊びにいって、背広に、あるいはワイシャツに口紅ついた」それを落とすにはどうすればよいか、という疑問を掲げる。「口紅の取り方を書いた資料が必ずある」。「図書館のレファレンス・サービス係に電話をしたら、懇切丁寧に教えてくれる」とも(答えは『家庭百科大辞典』にあるとも)。

 このワイシャツ口紅の事例を読むと、カウンターでジャムの作り方を聞かれたと憤慨したレファレンス司書が国会図書館にいたことを思い出す。まるで逆さの態度である(国会図書館ではレファレンスが「考査」と漢語訳され、高度で真面目が疑問がよい疑問と誤解されたフシがある)。

 ただ、これも中を見ると、案件ごとに回答の理路を説明するというものではなく、事例問題の列挙と、それに対する答えのあるツールの列挙である。レファレンスの疑問・回答を数式に例えると、問題の式と答えの数値はあるのに、途中の解法の術式も考え方も書いてないようなもの。結局、読者は解き方をわからないままになってしまう。

 本の後半を占める1400点弱のレファレンス・ツールの分野別列挙は当時、とても役立ったにしても、真ん中にはさまれた「学としてのレファレンス・ワーク」という章は、ビジネスマンに読ませるには疑問(司書に読ませるならアリ)。

 ワタシ的には「弥吉式資料探索法」なる参照技法が当時、あったことが判ったことが収穫だったが。ただし、佃は「考え方としてはユニークであるが〜ややむりな点がある」という。

次回は

 この9月に、古本屋探偵ものの新装版『古本屋探偵登場』、『夜の蔵書家』を創元社から出した紀田順一郎さんを次回とりあげます。氏は愛書家から出発し、きちんとした調べものの実践・解説へと展開したという意味で1960年代の新しい独学者でもあります。

 
 
 
 

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https://twitter.com/shomotsubugyo

※当連載は隔月連載です

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bungakusuru

『文学する中央線沿線』

『文学する中央線沿線』

矢野勝巳

 今年の5月に刊行した『文学する中央線沿線』(ぶんしん出版)は、18回に及んだ「中央線沿線の文学風景」を基本テーマとする講演のエッセンスに新たな知見を加え書き下ろしたものである。
 私は三鷹市職員として長く文化事業に携わってきた。文学事業の一環で、三鷹を描いた文学作品を調べていたこともある。当然のことだが、登場人物は市域を越えて自由に移動する。もう少し広いエリアで地域を描いた作品を調べると新たに見えてくるものがあるのではないかと思っていた。

 2019年に葛飾図書館友の会から文学関連の講演依頼があった時、「中央線沿線の文学風景~太宰治から村上春樹まで~」をテーマに講演した。会場は金町駅(常磐線)近くの葛飾区立中央図書館にもかかわらず参加者の関心は高かったので、中央線沿線の都市ではより関心を持っていただけるのではないかと思い、三鷹駅近くの三鷹ネットワーク大学推進機構に連続講座の企画を提案し採用された。その後、国立市公民館など沿線各地で講演を行うようになった。個別の講演テーマは毎回異なるため、その度に新たに調査した。
 調査の過程で多種類出版されている中央線本にも目を通したが、沿線の地域ごとに文学作品を紹介する本はなく、他の鉄道沿線本にもなかったので、講演内容を書籍として刊行する意義はあると思った。ただし、エリアは新宿以西の中央線沿線としたが、私鉄沿線と接近している地域もあり、本文中では中央線から近い鉄道路線周辺を描いた作品も一部紹介している。

 新宿以西の中央線に駅が設置されている2区8市の総人口は約250万人であり、都内人口の18%を占めるが、中央線沿線に住んでいる方だけが想定読者ではない。どこの都市に住んでいる方でも興味を抱くような普遍的・本質的な内容にしようと思った。
 本書では文学と地域の風景との関連について記した後、沿線を七か所の地域ごとに瀬戸内寂聴から角田光代や又吉直樹まで全部で22人の現代作家の特色ある22の文学作品を地域の視点から読み解いている。また、22作品以外にも地域ごとに多数の作品を紹介している。そこには、刊行時は話題になったが、現在、絶版の作品も含まれている。さらに、22人のうち、松本清張、村上春樹、大岡昇平、黒井千次、山口瞳、多和田葉子の6人については、別途、個別に都市風景に関連する特集テーマを設け考察している。

 同じ地域を描いていても作家や書かれた時代の相違により描き方が大きく異なり非常に興味深い。また、よく知られている作品でも地域の視点から読み返すと別の面が見えてくる。
 たとえば、ベストセラーでありロングセラーでもある有吉佐和子の『恍惚の人』は認知症高齢者の在宅介護を描いた先駆的作品としてよく知られている。一方、有吉が長年住んでいた杉並区の特定地域を描いたご当地小説でもある。高円寺駅から南に下る梅里や松の木さらに堀ノ内という場所が小説の舞台であるが、私はこの地域を訪れたことがなかった。中央線に乗車すれば近いが観光地や繁華街ではないので一般的にはあまり知られていない。
 作品に描かれる沿線地域の多くは一見平凡な場所である。だが、講演や本書の執筆過程で知らなかった場所を丹念に歩き、町の多様性と奥深さを感じた。中央線は前身の甲武鉄道が新宿から八王子まで開業したのが1889(明治22)年と山手線以西ではもっとも歴史があり、そのため町の構造が重層的であることもその要因のひとつである。
 しかし、作家は必ずしも地域を正確に描写しているのではない。地域の特徴を強調するためにあえて事実に紛れて虚構を設けることもある。大岡昇平『武蔵野夫人』や長野まゆみ『野川』のなかの虚構を探す行為は、地域の歴史や地形を深く知ることでもある。
 また明らかな虚構も描かれる。村上春樹『1Q84』は高円寺を平坦な土地だと強調している。北口の高円寺純情商店街などは平坦だが、駅の南側は高低差のある地域である。土地勘のある村上がなぜそのような事実と異なる地形描写をするのかを考察した。
 作家に限らず人々はどのような状況で住居を定めたかによって地域イメージは変わる。29才の時に追い詰められて単身上京した笙野頼子は、自伝的要素の入った『居場所もなかった』のなかで、荒涼とした風景として八王子をはじめとする中央線沿線を描いた。
 笙野のような上京者ではなく昔から住む地元住民でもない団地住民であった多和田葉子の芥川賞受賞作『犬婿入り』は、郊外都市の南北問題を小説でしか表現できない方法で示している。

 これらはほんの一例だが、地域の視点で読み解くことは作品の新たな魅力と地域の本質を知ることに繋がるのではないだろうか。
 好きな作家あるいはゆかりのある町などどこからでも読んでいただける構成である。けれども、本書全体を読むと中央線沿線だけではなく日本の郊外都市さらには戦後社会の光と影が文学作品の紹介を通して立ち現われることを目指した。

 
 
 
 


『文学する中央線沿線~小説に描かれたまちを歩く~』
ぶんしん出版刊
矢野勝巳著
税込価格:1,870円
ISBNコード:978-4893902009
好評発売中!
https://bunshin.base.shop/items/72316245

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2023年9月25日号 第379号

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☆INDEX☆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1.『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』
                           政木哲也

2.『文学する中央線沿線』
                            矢野勝巳

3.『「君たちはどう生きるか」で宮崎駿監督が伝えたかったものとは』
                   武田文彦(早稲田大学出版部)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━━━【自著を語る(312)】━━━━━━━━━━━

『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』
                           政木哲也

 本書は、全国津々浦々に所在する個人書店・私設図書館・ブックカフェ
計44件を、筆者が実際に訪れ、インタビューを行うだけでなく、その内部
空間を実測し、立体的に描き起こした図を作成するという、ずいぶん手間
をかけたものとなっている。さぞ本屋がお好きなのだと思われるかもしれ
ないが、実のところ私自身は、特に書店マニアというわけではない。京都
在住のため、本書で取りあげた誠光社やba hütte.を訪れたことはあったし、
個性的で面白いと好意的に感じたものの、熱狂するほどではなかった。そ
れまで書店や図書館なんて、大きければ大きいほど良いのだと思っていた
程度である。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12281

『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』
学芸出版社刊
政木哲也著
税込価格:2,750円
ISBNコード:978-4761528614
好評発売中!
https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761528614

━━━━━━━━━━━【自著を語る(313)】━━━━━━━━━━━

『文学する中央線沿線』
                           矢野勝巳

 今年の5月に刊行した『文学する中央線沿線』(ぶんしん出版)は、
18回に及んだ「中央線沿線の文学風景」を基本テーマとする講演の
エッセンスに新たな知見を加え書き下ろしたものである。
 私は三鷹市職員として長く文化事業に携わってきた。文学事業の一環
で、三鷹を描いた文学作品を調べていたこともある。当然のことだが、
登場人物は市域を越えて自由に移動する。もう少し広いエリアで地域を
描いた作品を調べると新たに見えてくるものがあるのではないかと思っ
ていた。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12274

『文学する中央線沿線~小説に描かれたまちを歩く~』
ぶんしん出版刊
矢野勝巳著
税込価格:1,870円
ISBNコード:978-4893902009
好評発売中!
https://bunshin.base.shop/items/72316245

━━━━━━━━━【大学出版へのいざない10】━━━━━━━━━━━

『「君たちはどう生きるか」で宮崎駿監督が伝えたかったものとは』
                    武田文彦(早稲田大学出版部)

 先日(7月下旬)、宮崎駿監督の10年ぶりの新作長編映画「君たちはど
う生きるか」を観た。本作については評価が割れているようであるが、筆
者は非常に面白いと感じた。ここで詳細について書くことは、映画を観て
いない人から楽しみを奪うことになるので控えるが、本作で宮崎監督が提
示したイメージは、極彩色の絵の具をキャンバスにぶちまけて描きあげた
絵のような、まさに宮崎ワールドと呼ぶべき独特の世界であった。筆者は
それを面白く、心地良いと感じたわけであるが、観る人によっては本作で
提示された世界はまがまがしく、不吉なものにうつるのかもしれない。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=12265

書名:『映像作家 宮崎駿――〈視覚的文学〉としてのアニメーション映画』
著者名:米村みゆき
出版社名:早稲田大学出版部
判型/製本形式/ページ数:四六判/並製/272頁
税込価格:2,200円
ISBNコード:978-4-657-23007-2
Cコード:0074
好評発売中!
https://www.waseda-up.co.jp/art/post-854.html

━━━━【東京古書組合 【募集終了】古書の日イベント企画】━━━━

『古本屋に「なる」講座ー古本屋の始めかた、続けかた』

9月15日(金)をもって、応募は締め切らせていただきました。
たくさんのお申し込みありがとうございました。

詳しくは東京古書組合WEBサイト「東京の古本屋」内にて
https://www.kosho.ne.jp/?p=853

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━━━

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「大学出版へのいざない」シリーズ 第11回

書名:『第3版 教育の制度と経営 15講』
著者名:樋口修資
出版社名:株式会社 明星大学出版部
判型/製本形式/ページ数:A5判/並製/298ページ
税込価格:2,640円
ISBNコード:978-4-89549-232-4
Cコード:C3037
好評発売中!
http://www.meisei-up.co.jp/books/330/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『笠置シヅ子ブギウギ伝説』
興陽館刊
佐藤利明著
価格:1,400円+税
ISBNコード:978-4-87723-314-3
9月26日発売!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784877233143
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
月刊『望星2023年10月号』
東海教育研究所刊
税込価格:660円
ISBNコード:4910087131039
好評発売中!
https://www.tokaiedu.co.jp/bosei/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

9月~10月の即売展情報

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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日本の古本屋メールマガジン その379・9月25日

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『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』

『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』

政木哲也

 本書は、全国津々浦々に所在する個人書店・私設図書館・ブックカフェ計44件を、筆者が実際に訪れ、インタビューを行うだけでなく、その内部空間を実測し、立体的に描き起こした図を作成するという、ずいぶん手間をかけたものとなっている。さぞ本屋がお好きなのだと思われるかもしれないが、実のところ私自身は、特に書店マニアというわけではない。京都在住のため、本書で取りあげた誠光社やba hütte.を訪れたことはあったし、個性的で面白いと好意的に感じたものの、熱狂するほどではなかった。それまで書店や図書館なんて、大きければ大きいほど良いのだと思っていた程度である。

 では、なぜ全国の「本のある空間採集」をすることになったのか。

 私はもともと建築設計に従事していて、仕事柄いろんなモノを測ったり、いろんな場所を測ったりするのが習い性みたいなところがある。ホテルの設計をしていた頃は、修行と言いつつ出張先で泊まったホテル客室を実測しては、備え付けのメモ箋に平面図を記録するほどである。これは今も続いていて、メモ箋は溜まる一方だ。この妙な私の習慣は、以前に設計製図の教科書を出版したときの担当編集氏にうっかり目をつけられてしまう。それ以降氏からは私に「なにか」を大量実測し一冊の本にするべく、虎視眈々と狙われることになった。

 「なにか」は何がよいか。当初は編集氏が大好きな街角の赤提灯が候補にあげられた。狭小空間にたくさんの人がひしめき合い酒を酌み交わす、そんな猥雑な空間の特徴を捉えよというのである。下戸の私には、そのような場にあまり馴染みがなかったが、抗いがたい魅力を感じてもいた。特に「狭小である」ことに興味を引かれた。ではそろそろ取材対象リストを、と企画が動き出す矢先にパンデミックが発生。街から賑わいが消え、赤提灯の灯りも消えた。

 仕切り直しとなった。特に代案も浮かばず茫漠と過ごしていたとある日、同担当編集氏から、尾道の深夜のみ開く古書店について熱く語られることがあった。氏の中では私がそこを実測することがすでに決まっていたようである。折しも「不要不急」だの「自粛」だのと叫ばれていた時期である。小さな書店や図書館であれば、大勢の人が集まることはないし、当時誰もが敏感になっていた「三密」になることもなかろう。「小さな空間」ならではの魅力が気になりだした私も乗り気になった。よし、ならば新たな書籍企画は小規模な書店や図書館を対象にしよう、と決めた。

 しかし、取材対象をどのようにリストアップするかが次の課題となった。ウェブを少し漁れば、全国的に書店が減る一方で、個性的な書店が草の根的に登場しつつある状況が次第にわかってきた。こうした書店を取り上げた特集記事がいくつも存在し、中には丁寧な取材による紹介文と美しい写真が掲載されたものもあり、とても参考になった。ただ、多くの記事が書店(や図書館)店主の人物描写と選書に注目していたため、こちらとしては人物と本との間にある「空間」がどうなっているのか知りたいところ、もどかしく推測を重ねるしかなかった。

 それでも、ここはぜひ実測したいと思わせる事例は集まりつつあった。出来上がった一覧をもとに、一件ずつ取材依頼をお送りし、「緊急事態宣言」の合間を縫うように全国44件を訪れることになった。当初私には、47都道府県を網羅するという密かな野望があったが、我々のレーダーにかかった事例の地理的分布には、ずいぶんとムラがあった。とりわけ瀬戸内地方に個性的な書店が集中した。年中通して温暖な地域の方が、小規模かつ野心的な書店が成立しやすいのではないか、と仮説を立てたほどである。

 一方で東京都の事例数は全44件中4件と、東京にある書店・図書館の総数を鑑みれば、かなり少なく抑えたと思われるかもしれない。筆者も出版元も京都という地方都市を拠点にしているからか、あえて大都市圏に集中するのではなく、全国各地に散らばっている「本のある空間」の様相を捉えるべく、あえて分散させたという狙いもあった。ただしこの高尚なコンセプトは、そのまま取材費(自費)に跳ね返ってきて苦労した。それでも遠くの地で私を暖かく迎えてくださった取材先のみなさんとの出会いは、かけがえのないものであったと申し添えておく。

 最後に、書名について触れておきたい。執筆途中までは「本のある小空間(仮)」であったが、「しょうくうかん」という響きが私にはどうしても「商空間」に脳内変換され違和感を拭えなかった。そのため代わりに「空間採集」という語を登場させることにした。当然、今和次郎や路上観察学会の仕事が私の念頭にあった。のちに、令和ヒト桁の時代が振り返られたとき、当時の特徴的な空間類型の1つとして、個人書店・私設図書館・ブックカフェが浮かび上がればいいなと秘かに願うからである。

 
 
著者プロフィール

政木 哲也
京都橘大学工学部建築デザイン学科専任講師。博士(工学)。1982年大阪府生まれ。2005年京都大学工学部建築学科卒業後、2007年同大学院修士課程修了。株式会社久米設計、株式会社メガにて設計業務に従事し、2016年より現職。2019年京都工芸繊維大学大学院博士後期課程修了。国内外の住宅団地における祭礼空間に関する研究をはじめ、建築設計・都市研究をなりわいとする「自称・実測家」。

 
 
 
 


『本のある空間採集 —個人書店・私設図書館・ブックカフェの寸法—』
学芸出版社刊
政木哲也著
税込価格:2,750円
ISBNコード:978-4761528614
好評発売中!
https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761528614

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miyazaki

「君たちはどう生きるか」で宮崎駿監督が伝えたかったものとは 【大学出版へのいざない10】

「君たちはどう生きるか」で宮崎駿監督が伝えたかったものとは 【大学出版へのいざない10】

武田文彦(早稲田大学出版部)

 先日(7月下旬)、宮崎駿監督の10年ぶりの新作長編映画「君たちはどう生きるか」を観た。本作については評価が割れているようであるが、筆者は非常に面白いと感じた。ここで詳細について書くことは、映画を観ていない人から楽しみを奪うことになるので控えるが、本作で宮崎監督が提示したイメージは、極彩色の絵の具をキャンバスにぶちまけて描きあげた絵のような、まさに宮崎ワールドと呼ぶべき独特の世界であった。筆者はそれを面白く、心地良いと感じたわけであるが、観る人によっては本作で提示された世界はまがまがしく、不吉なものにうつるのかもしれない。

 筆者はこの映画を一映画ファンとして楽しんだのと同時に、弊社刊『映像作家 宮崎駿』の編集担当者としても興味深く観た。観終わった後にまず思ったのは、本作はこれまでの宮崎映画のパターンに当てはまらないのではないかということだった。本書の著者米村みゆき教授によると、多くの宮崎映画にはもととなる原作があり(『魔女の宅急便』であれば角野栄子原作の同名小説、『ハウルの動く城』であればダイアナ・ウィン・ジョーンズの『Howl’s Moving Castle』、『崖の上のポニョ』であれば夏目漱石の『門』など)、それを宮崎監督が類まれな脚色力(著者曰く「翻案」力)を発揮して、オリジナルを超えると言っても過言ではないアニメーション作品に昇華させてきた。ところが、『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎による著名な作品とは似ても似つかないものであった。「映画は面白かったけれども、今回の作品はこれまでの宮崎映画のセオリーに当てはまらない。本のセールスに影響がなければいいなあ…」というのが、直後の正直な感想だった。

 その後、『君たちはどう生きるか』にも元ネタといわれる原作のあることがわかった。詳細は読者諸氏にご自身で調べていただくとして、ネットで得た情報によると(現時点で筆者も未読である)、原作と映画のあらすじはかなり似ているようである。ただ、映画のタイトルだけが吉野源三郎の名作と同じというわけで、宮崎監督がなぜこのようなトリッキーなことをしたのかという謎は依然として残る。監督の意図についてこれから大いに議論されることになるだろうが、議論にあたって非常に興味深い考察を提示しているのが本書『映像作家 宮崎駿』である。ご一読いただき、宮崎監督の企みを考える一助となればうれしい。

 ところで、著者の米村教授は専修大学文学部に所属していて、早大との接点はこれまでなかった方である。弊社が刊行する書籍は、これまで早稲田大学の教員か、各界で活躍している早稲田OBが著者となるケースがほとんどであった。それがなぜ、早大関係者以外の本を出すことになったのか。背景として、ここ数年来、弊社書籍の世間での認知度を高めようという機運が社内で高まってきたことがある。早稲田関係者に限らず、すぐれた研究をされている方の著作は、弊社からどんどん出版しようというわけである。

 もう一つ、米村教授が弊社から出版するきっかけとなったのが、西口拓子早稲田大学教授の存在である。西口教授は私が編集を担当した『挿絵でよみとくグリム童話』の著者である。西口教授も専修大学での教員経験があり、米村教授と共著を出されたこともあるなど、お二人は以前から親しい関係にあった。『挿絵でよみとくグリム童話』の編集担当であった筆者のことを西口教授が思い出していただき、本書の刊行を模索していた米村教授をご紹介いただいた次第である。ちなみに、西口教授の『挿絵でよみとくグリム童話』は、日本児童文学学会特別賞を受賞、朝日新聞の書評でも横尾忠則さんにご紹介いただくなど、非常にスリリングで面白い内容の本である。昔の絵本の美しい挿絵は見ているだけでも楽しい。ご興味のある方はぜひご一読いただきたい。

 本書の特長として、アニメの多くの画像が掲載されていることがあげられる。アニメ制作会社への許可申請手続きはなかなか大変だったが、おかげでわかりやすく、楽しい本になった。読者の反応も上々であり、7月14日の発売日(『君たちはどう生きるか』の公開初日でもある)を待たずに重版決定、本稿を執筆している8月9日現在も書店注文は好調に推移と、ヒット作になりそうな気配である。今年12月15日(金)には芳林堂書店高田馬場店で、米村教授と西口教授によるトークイベントも開催予定である。ご興味のある方は、芳林堂書店のホームページやX(旧ツイッター)などチェックのうえ、ぜひ足を運んでいただければ幸いである。

 
 
 
 
 


書名:『映像作家 宮崎駿――〈視覚的文学〉としてのアニメーション映画』
著者名:米村みゆき
出版社名:早稲田大学出版部
判型/製本形式/ページ数:四六判/並製/272頁
税込価格:2,200円
ISBNコード:978-4-657-23007-2
Cコード:0074
好評発売中!
https://www.waseda-up.co.jp/art/post-854.html

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草森紳一蔵書 前編 草森さんの本は川を渡って【書庫拝見17】

草森紳一蔵書 前編 草森さんの本は川を渡って【書庫拝見17】

南陀楼綾繁

 6月18日の朝、私は帯広駅前のベンチにいた。今朝までいた釧路に比べると、ちょっと涼しい。

 しばらく待つと、吉田眞弓さんが車で迎えに来てくださる。帯広大谷短期大学の副学長で附属図書館の館長でもある。

 取材の段取りを話しているうちに、車は十勝川に架かる大きな橋に差しかかった。
「十勝大橋です。ここから先は音更町です」と、吉田さんが話す。

 今回の目的は、草森紳一さんの蔵書を取材することだが、草森さんの実家は渡ってすぐのところにある。その敷地には、自身が建てた「任梟盧(にんきょうろ)」という書庫がある。また、没後に残された蔵書を受け入れた帯広大谷短期大学も、音更町にある。

 しかし、私の記憶では、草森さんの著書で「音更町」という単語を目にしたことがない。

 付き合いのあった編集者・椎根和さんもこう書く。
「ぼくは本の著者経歴などから草森さんは帯広出身、つまりそこで生まれたものだと思いこんでいた。何回か故郷の話をしたが、音更という名はでてこなかった。音更といっても帯広から支線で…と、説明しなければわからないだろうし、面倒だ。帯広と言えば、たいていの人は、アアーと反応するだろうと考えていたにちがいない」(「本が呼ぶ」、『草森紳一が、いた。 友人と仕事仲間たちによる回想集』草森紳一回想集を作る会)

 実際、草森さんは帯広柏葉高校に通い、本屋や映画館に入りびたった。音更町よりも帯広の方に多くの思い出が残っていたのかもしれない。

 これから二日間、私はこの橋を何度も渡ることになる。そのたびに、自転車なのか歩きなのか、橋を渡って帯広に向かう草森少年の姿を思い浮かべた。

 そして、永代橋の袂、門前仲町のマンションで草森さんが亡くなり、残された蔵書が音更町にたどり着いた経緯を思うと、何万冊もの本が川を渡るイメージが頭から離れなかった。

本の山に埋もれて生きた人

 草森紳一は1938年、北海道河東郡音更村生まれ。慶應義塾大学文学部中国文学科卒業後、編集者を経て、物書き(自身の表現)となる。

 その範囲は多岐にわたり、自らがつかんだテーマをひたすら掘り進んだ。著作からキーワードを挙げれば、ナンセンス、円、子供、マンガ、イラストレーション、土方歳三、ナチス、アンリ・ルッソー、オフィス、麻雀、写真、書、食客、穴、フランク・ロイド・ライト、中国文化大革命……などとなる。

 本屋でも図書館でも、同じ棚に収まらないテーマばかりだ。私は大学二年でその名前を知り、古本屋で著作を集めはじめたが、「こんな本も書いてるのか!」という驚きの連続だった。『絶対の宣伝 ナチス・プロパガンダ』全4巻(番町書房)のうち、なぜか第3巻だけが一向に見当たらず、20年近く経って入手できたときは嬉しかった。

 その後、小さな出版社にいたとき、草森さんから本を注文する電話があった。どんな人か会ってみたくて、直接持参することにした。門前仲町にあった(いまもある)〈東亜〉という喫茶店の二階で会った草森さんは、ひょろ長い白髪の人だった。年譜を見ると、当時57歳。いまの私とほぼ同年齢であることに驚く。私は28歳だった。

 古本好きということで気に入ってもらえたのか、その後もお会いする機会があった。1998年、『季刊・本とコンピュータ』で「『新聞題字』蒐集狂」というエッセイを書いていただいた。締め切りをかなり過ぎてから受け取った原稿を、なんとか解読してゲラにし校正を送ったら、電話で著者校正をすることになった。わずか5枚の文章が一行ごとに真っ黒になり、2時間を超える電話に気を失いそうになった。しかし出来上がった文章は、原稿から格段に面白くなっていた。

 草森さんは2008年3月に70歳で亡くなる。

 その3年前に刊行した『随筆 本が崩れる』(文春新書、現在は中公文庫)は、部屋に林立する本が崩れたことで、風呂場に閉じ込められた事件を描いたものだ。当時の部屋の状況はこうだった。
「長い廊下は、入って右側へ本棚を並べたので、狭くなっていたが、さして歩くのに困らなかった。ところが大きな資料ものの仕事が、好運にもかさなったため、廊下の本棚の前へも積み上げる書物が何段にも重畳しだした。あいていた左側の壁もつぶしはじめる。廊下も、かろうじて通れるかどうかの狭い小道となっていった」

 草森さんはこの本の山に埋もれるようにして亡くなり、連絡が付かなくなったことを心配した編集者によって発見される。

残された本をどうするか

 草森さんは一生結婚しなかったが、2人の遺児がいた。その一人の母親である編集者の東海晴美さんが中心となり、草森さんの蔵書を整理し、寄贈先を探す目的で「草森紳一蔵書整理プロジェクト」がはじまった。
「本にはそれを書かざるを得なかった人の思いがこもっています。草森さんは本を通じて、多くの著者たちと対話していた気がするんです。草森さんの死は、人と書物のターニングポイントで起きた事件のように思えました。それで子どもたち相談して、できれば残そうということになったんです」と、東海さんは話す。

 整理にあたっては、マンションにある本の位置をざっと6つに色分けし、それぞれを箱詰めした。印刷会社の紹介で借りた高島平の倉庫に蔵書を移し、6月から整理作業をはじめる。

 草森さんの担当者だった編集者で、漢和辞典編集者である円満字二郎さんと、編集・翻訳者の中森拓也さんが中心となり、すべての本をジャンルに分け、箱に詰めなおす作業を行なった。「倉庫のパレット(荷台)が作業台代わりでした」と東海さん。

 秋からは、本のデータ(タイトル、著者、出版社、刊行年)を入力する作業を半年以上かけて行なった。その結果、総冊数は3万1618冊と判明した。段ボール箱で731箱にもなる。参加したボランティアはのべ300名にのぼった。

 私は整理が一段落した頃に、この倉庫を訪れている。積み上げられた箱が圧巻だった。この倉庫は荒川に面していた。川を眺めていると、この場所に草森さんの蔵書があるのは偶然ではなく、永代橋の袂から隅田川を渡って、ここまで流れ着いたのではないかという空想が頭をよぎった。

 蔵書整理を進めながら、みんなで受け入れ先の可能性を探った。いくつか候補はあったが、なかなか実現しなかった。

 2009年、当時、帯広市図書館の館長だった吉田さんの元にも、東海さんから手紙が届いた。しかし、同館では3万冊を受け入れる余裕はなかった。
「それで帯広大谷短期大学の田中厚一先生(現学長)に相談したんです。田中先生が中川皓三郎学長と話し合ってくださいました」と吉田さん。同短大は1960年に帯広市で開学し、1988年に音更町に移転している。

 田中さんが学内の合意を取り付け、短大内に草森紳一記念資料室を設置し、学外に保管場所を確保するという体制をつくった。

 2009年11月、音更町のオサルシ公民館(元は長流枝小学校)に蔵書が到着する。しかし、ここは安住の地ではなく、翌年、廃校になったばかりの東中音更小学校に移動された。同校での維持費用は音更町が負担することになった。

 そして、2010年11月、「草森紳一記念資料室」がオープン。椎根和さんの講演「真の知の巨人」などが開催された。

 こうして、草森さんの蔵書は故郷の音更町に戻ったのだ。これは奇跡に近い。

 ジャンル越境という点で共通する植草甚一(名前も二文字共通している)の蔵書は、死後、古本市場に流れていった。研究者でなく市井の物書きが集めた膨大かつ雑多な蔵書を一括して受け入れる機関など、存在しない。草森さんの蔵書についても、同じ運命をたどってもおかしくはないはずだった。

仕事の過程を展示する資料室

 草森紳一記念資料室は、校舎の4階にある。同館を担当する加藤賢子さんが出迎えてくれた。

 壁の棚の右側には、マンガが並べられている。あとで見るように、音更町では「草森紳一蔵書プロジェクト」として、ボランティアが蔵書の整理にあたっている。最初に行なったのが、マンガの目録化だった。

草森紳一記念資料室。向かって右側の棚に漫画が並ぶ。

 マンガは、草森さんにとって物書きとしての出発点であり、ずっと関心を持ち続けたテーマだった。
「昨年、吐血以来、したたかマンガに凝っており、おそらく五〇〇冊以上は読破した、と思う。もっぱら『ブックオフ』にはまって、二日に一度は通い、そのたびに『一〇五円』コーナーで、一〇冊以上は買いこむ」と、晩年に書いている(『記憶のちぎれ雲 我が半自叙伝』本の雑誌社)。

 左側には、草森さんの著書や執筆した雑誌などが並べられている。

 反対側のガラスケースには、生原稿やびっしりと手が入ったゲラを展示。取材時には『本が崩れる』の一部が展示されていた。また、愛用の黒電話や灰皿なども。

『本が崩れる』のゲラや生資料の展示

 吉田さんは2013年に同短大に移り、この資料室の担当となった。
「本のほとんどは旧東中音更小学校にあります。この資料室では、草森さんの仕事の過程が判るような資料を展示しています」

 また、原稿、写真や記事のスクラップブック、手紙、手帳などの資料も所蔵している。

 草森さんはつねにコンパクトカメラを持ち歩き、写真を撮っていた。それらは1万枚以上あり、年ごとや「穴」「水に浮くもの」「自転車」「看板」など独自のテーマで、アルバムや箱にまとめられていた。


テーマごとに分類されたアルバムと写真の一部

 2022年と今年、同短大と蔵書プロジェクトの主催で、帯広市図書館と音更町図書館で「草森紳一写真展」を開催した(これとは別に蔵書の展示も行なっている)。「いずれは全点をデジタル化して、データベースにしたいですね」と、加藤さんは話す。

 また、毎年の手帳には簡潔に、会う人の名前などが記されている。1998年の記述を見ると、4月のところに「河上」(私の本名)とあり、翌月に「コンピュータ シメ」とある。締め切り日のことだろう。

1995年から98年までの手帳

 加藤さんによれば、草森さん宛の手紙の中には、日本近代文学館とのやり取りが何通もあり、そこには「コピー代1万5000円」などと記されていた。草森さんの資料集めへの情熱を感じたという。

廃校になった小学校を書庫に

 もっとこの部屋で資料を見ていたいが、そうもしていられない。次に旧東中音更小学校へと向かう。

旧東中音更小学校外観

 同校は2010年に廃校となり、同年8月に草森さんの蔵書を受け入れた。

 中に入ると、複数の教室に整然と棚が並び、3万冊の本が収められている。その姿は壮観だ。同時に、草森さんが集めた本だが、自身はこのように一望したことが一度もないと思うと、複雑な気持ちになる。

初めて一望できるようになった3万冊の蔵書

 この本棚は、短大で不要になった古い書棚を持って来、さらに不足の分は東京プロジェクトから寄贈を受けたそうだ。

 本は東京のプロジェクトでざっとジャンル別に箱詰めされている。まず、一箱をひとつの棚に詰めていった。

 長年関心を抱いた「穴」に関する本が並ぶ棚には、『ザ・穴場』『鍵師』『穴の考古学』『中国現代化の落とし穴』『パンツの穴』などが並ぶ。公共図書館では絶対に隣になることのない本が一緒になっているのが、個人蔵書の魅力だ。もちろん、書き込みや付箋もそのまま残されている。


「穴」と「たばこ」の本が並ぶ棚

 棚を眺めているうちに、ボランティアの方々が8名も集まってくださった。「草森紳一蔵書プロジェクト」として活動しているみなさんだ。

草森紳一蔵書プロジェクトの皆さん

 2010年2月、帯広大谷短大のオープンカレッジで、東京の蔵書整理プロジェクトを推進した円満字二郎さんが講演を行なった。同年11月、資料室開設記念の講演の際、蔵書整理のボランティアを募集。そこで集まった人たちが、翌年4月から作業に入る。
「本棚に本を並べ終えたあと、東京で作成した目録と一冊ずつ照合しました」と、代表の木幡裕人さんは振り返る。木幡さんは1980年代、編集者として草森さんと仕事をしたことがあるそうだ。

 北村光明さんは地元紙で草森さんの死を知り、参加した。内田美佐子さんは音更町文化協会の『文芸おとふけ』の編集長でもある。同誌では52号(2020年)、53号(2021年)と二度にわたり草森紳一特集を組んでいる(53号には高山雅信「草森紳一蔵書整理プロジェクトの活動の歩み」を掲載)。阿部光江さん、能手真佐子さんは内田さんに誘われて参加。廣川優利さんは昨年の音更町図書館の写真展を見て参加した。

 吉田さんが短大に着任してからは、草森さんの書き込みや付箋の情報までを網羅した目録を作成することになった。パソコンへの入力を担当する平良則さんは、「書かれた文字で人柄が判りますね」と話す。

目録に記載する書誌情報のカード

 月に1回の作業では、棚の本をテーブルに運んで、話しながら行なう。「おしゃべりしながら作業するのが楽しいです」と、加藤香代子さんは笑う。

 2016年に創刊した「草森紳一蔵書プロジェクト通信」では、草森作品の紹介や会員からの一言、実弟の草森英二さん(2019年逝去)の連載などを掲載。現在も発行している。

 プロジェクトは、メンバーが入れ替わりながらも、13年も続いている。草森紳一という名前を知らずに参加した人も、いまでは愛読者になっているというのがいい。

 作成した目録は、順次、帯広大谷短大のサイトで公開。和書については、今年中に入力が終わる見込み。「洋書や中国書については、まだこれからです」と吉田さんは話す。

 整理を進めるうちに、吉田さんが気づいたのは、「ダブっている本が少ない」ということだ。本好きにありがちなのは、買ったはずなのに見つからず、何度も同じ本を買ってしまうこと。私自身もそういう愚行を繰り返している。しかし、草森さんの蔵書にはそれが少ないのだという。

 とすれば、マンションに林立する本の一冊一冊の場所までも覚えていたのだろうか? まさか。でも、草森さんならありえただろうか。

本と人の縁の不思議

 最後にまた、個人的な思い出に戻ることを許してほしい。

 2011年8月、当時は茅場町にあった〈森岡書店〉で「本は崩れず 草森紳一写真展」が開催された。私は東海さんからお声がけいただき、草森さんの親友だった『話の特集』発行人の矢崎泰久さん(2022年逝去)とトークを行なった。

 壁に貼られた写真を見て、思わず声をあげた。草森さんの部屋の中に積み上がった本を撮った写真の一枚に、1999年に私が出した『日記日和』というミニコミの表紙が写っていたのだ。草森さんに差し上げたことはすっかり忘れていた。

 写真の日付は、そのミニコミの発行からずっと後だった。その時期に本の山の一番上にこの片片たるミニコミが置かれ、それを草森さんが写真に撮り、それがいま、私の目に入ることは奇跡に近い。

 それから12年。ひょっとして、いまここに並んでいる蔵書の中に、アレがあるのではないか。

 和書については大ざっぱにテーマ別になっているが、雑誌については無原則に並べられている。これでは無理だろう。半ばあきらめながら、棚を眺めていった。

 15分ぐらい経ったころだろうか、歴史雑誌が並ぶ一角に、一冊だけ背に文字の入っていない冊子があった。すっと抜き出してみると、まさに『日記日和』ではないか!

自身のミニコミと12年ぶりの邂逅

 中を開くと、ワープロ打ちの送り状と封筒までが挟まっていた。以前、日本近代文学館の書庫で曽根博義さんに贈った私の本で、まったく同じ体験をしたことを思い出す。

 草森さんはこのミニコミをきっと読んでなかったと思う。もちろん、それでいい。でも、草森さんがこうして残してくれ、それを没後15年経って私が確認できた。そのことに、本と人が織りなす縁の不思議さを感じるのだ。
 
 帯広大谷短大の資料室と旧東中音更小学校、二つの草森蔵書を見てきたが、音更町にはもう一か所、草森さんの蔵書がある。次回はそれを見に行こう。

 
 
草森紳一記念資料室
月によって開館日時が異なりますので、お越しの際はお電話でご確認下さい
https://www.oojc.ac.jp/?page_id=6063

旧東中音更小
見学ご希望の場合は、お電話でご確認下さい
https://www.lib-eye.net/oojc-kusamori/servlet/Index?findtype=9

帯広大谷短期大学内 草森紳一記念資料室
担当・加藤賢子または副学長・吉田真弓
電話0155-42-4444(代表)

【追記】
「草森紳一蔵書プロジェクト」代表の木幡裕人さんは7月に急逝された。冥福をお祈りします。

 
 
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu

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懐かしき古書店主たちの談話 第2回

懐かしき古書店主たちの談話 第2回

日本古書通信社 樽見博

 私が日本古書通信の編集に関わるようになって10年目の1989年(平成元年)、日本国中がバブル経済の中にあった。古書業界は昔から景気の影響が後から出て来ると言われるが、明治古典会の七夕市なども高値続出で会場がどよめくことも多かった。

 日本古書通信社では昭和52年から『全国古本屋地図』を出し、ほぼ毎年のように改訂増補版を出していた。昭和61年版には全国の古本屋約1800店を紹介しているが、平成元年の1989年版では2180軒に増えている。当時各地の古本屋が本店の外に支店を出すケースが増えていたからだ。

 当時は神保町だけで91軒の古本屋があったことが分かる。小川町や西神田、三崎町にも31軒の古本屋があった。今回、その89年版に収めた靖国通りの古書店街の地図を見て改めて閉店した店の多いことに愕然とした。神保町古書店街は現在も健在だが、その様相は明らかに変化したようだ。当時あった実店舗のある古本屋で、閉店または他地域へ移転した店を、神保町1丁目から3丁目まで、その取扱い分野と合わせてあげてみよう。

一丁目
 大屋書房洋書部(実際は錦町の大島書房)理工書
 弘文堂 哲学書
 金子書店 法律社会科学
 佐藤書店 一般書
 四方堂 数学、理工書
 奥野書店 国文学
 巌松堂図書 全集、美術他
 村松書店 洋書
 文省堂 アダルト
 明文堂書店 社史・伝記
 自游書院 近現代史、思想
 友愛書房 キリスト教文献
 吾八書房 限定本
 蒐堂 版画・浮世絵
 太秦文庫 文学書
 文泉堂書店 近代文学研究書、全集

二丁目
 進省堂 洋書、辞書
 古賀書店 音楽書楽譜
 豊田書房 演劇落語
 山陽堂書店 岩波書店本
 東京泰文社 洋雑誌、ペーパーバック
 篠村書店 社会科学
 第二神保町ブックセンター(谷地文泉堂書店支店)マンガ
 日清堂書店 洋書
 高橋書店 近代文学
 神田古書センター内
 中野書店 漫画、文学書、古典
 前田書店 和本・国文学
 大塚書店 社会科学、文学書
 アベノスタンプコイン社 絵葉書・刷り物他紙資料
 いざわ書林 医学書
 
三丁目
 ドン・コミック (劇画家辰巳ヨシヒロ氏経営のお店)
 橋本書店 近代文学

 その他、西神田の金文堂書店(歴史・教育・和本)、小川町の明治堂書店(近代史・思想)、三崎町の長門屋書房(社史、年鑑、名簿)などもあった。専門性のある古書店が多いのが分かる。神保町は現在も専門店が多いが、他地域から進出してきて現在人気のある店を展開している、澤口書店、愛書館中川書房、@ワンダーさんなどは、専門店志向というよりは間口を広くすることに意を用いているように思う。現在の読者の傾向を反映したものなのだろう。洋古書店と社会科学専門店が減ったのもわかる。

 私は、先にあげた古書店の内、明文堂の中根隆治さん、蒐堂の山田孝さん、中野書店の中野実・智之さん親子、アベノスタンプコイン社の野本孝清さん、金文堂の木内茂さんにお話を伺い記事にし、また原稿を依頼してきた。なかでも中根さん、野本さん、木内さん、それに私と同年だが惜しまれて早世された中野智之さんが思い出深い。今回はその4人の談話を二回にわけて紹介したい。

 神田古書センターの6、7階に店をだしていたアベノスタンプコイン社の野本孝清さんのお話を伺ったのは昭和58年5月号である。当時「専門店と語る」という連載を、八木福次郎と私が交互に担当していた。昭和58年に私が担当したのは、野本さんの他に、落語本の紅谷書店紅谷隆司さん、社会科学の都丸書店外丸茂雄さん、漢籍の文徳書房川路俊三さんの4名である。皆さん既に鬼籍に入られている。選んだ分野から人選も私がしたのだと思う。私は28歳でその年の3月に結婚している。八木からは年中、お前はやる気があるのかと叱られてばかりいた。それでもこのインタビューの仕事は面白く、40年も前だがお会いした折の声や表情まで鮮明に記憶している。

 野本さんへのインタビューは、神田古書センターのカレー屋ボンディで行った。野本さんがお昼をご馳走してくれたのである。掲載した写真を見ると今の私よりかなり若い。この記事の5年後の平成元年1月激務が祟ったのか58歳で急死されてしまう。古書センターの6、7階のお店は商品であふれ、「紙クズ・珍品のデパート」がキャッチフレーズだった。昭和52年に神田古書センターが完成し、当初は9階が展示会スペースで、野本さんも参加していたが、高山書店さんの勧めで店舗を開いた。元々は切手やコインの店を大阪のデパートなどに11軒展開していたという。つまりやり手なのである。流行の波がある切手コインから、映画ポスターやパンフレット、古写真、古地図、引き札、相撲番付、マッチラベルなどおよそ200品目の「紙くず」を扱うようになっていく。野本さんは「人間の気持ちといいいますか、趣味家というのは気持ちがちょいちょい移るんです。だから、同じ物がずうーっと、平均点でいくのではないので、商売する側からいったら、ある程度先を読んで、やっていかないといけない」「途中で(収集に)挫折していく人が多いです。熱しやすく、さめやすい人が多いですからね。あまり急激に集められる方は、すぐやめてしまうんです。やっぱり、地道にやっている方がずっと続きますね」「貨幣の展覧会とか、貨幣をデパート商品にしたのも僕が最初なんですよ。それまで貨幣というのは古銭という感覚で、全然商品価値のないもので、ほんの一握りの趣味家の対象だったんです。そういうふうに、今まで見捨ててきたものを、どういうふうにか商品化するというのが僕らの使命ではないかと思います。そういう考えがなかったら、こういう商売は出来ません。しかも、そうしたものを残していくには、値付けをしなければいけない」「自分が完全にコレクターになってしまってもいけない。いい物はお客さんにすすめていかないといけない。そうしたものが有効に活かされる相手さがしのためにおいているという考え方でないとちょっと問題があると思います」。常に低姿勢でありながら、冷静に客を選ぶ必要を語っている。大阪商人の精神というものだろう。40年たっても、これらの言葉は商売の核心を衝いているといえるだろう。

 4人の中で一番近年のインタビューは平成24年(2012)5月号の明文堂中根隆治さんへのインタビューである。中根さんは大正9年浅草生まれ、家は鍼灸師だったが按摩と言われるのが嫌で、高等小学校を出た後、神保町の彰文堂という当時全盛を極めていた献呈教科書を扱う古本屋に丁稚奉公に入った。「毎年3、4月の春になると、当時の神保町古書店街は教科書シーズンで、ものすごく売れる。店内の商品を片付けて教科書を積み上げる。中学生が学校で使う教科書の配当表をもってきて、それに従って私らが棚から選んで揃えて渡すのです。お客は店の中には入れなかった。入られると、こちらが動けなくなってしまう。そのくらいお客がきたんですよ」。昭和15年兵隊検査、16年1月に陸軍に現役招集、麻布三連隊に入る。大東亜戦争が始まり、何処に行くとも告げられず、船が着いたのは大連。関東軍の指揮下に入る。終戦時は黒河省孫呉に居たが、ソ連軍の捕虜となり2年間シベリアに抑留される。「乗せられたシベリア鉄道の貨物列車が行ったり来たりしてどこに収容されたか分からないんですよ。ウラジオストックの方に向かったので、これで帰国できると思ったらまた戻ってしまう。それを繰り返すんですよ。三段になった貨物列車で一度寝たら起き上がれないんです。鉄道沿いでどのくらい死体の山を見たか分からないですよ。収容所ではお決まりの土木建築の作業をさせられたんですが、みんな諦めていましたね。酷いものでした」。運よく2年で帰国、彰文堂に戻る。昭和28年に、甲府出身の石井忠俊が神保町一丁目で経営していた明文堂書店の次女と結婚、店の仕事をするようになる。忠俊は震災後の東京で家業の建具屋をやっていたが、弟の辰男が駿河台下の明治堂書店で修業後、三崎町で明文堂を開いた。その後神保町に移るが、戦火を避け昭和19年に甲府へ疎開。当時、辰男の勧めもあり三崎町で日大生相手の古本屋を開いていた忠俊が後に入った。中根さんが明文堂で働くようになった頃、忠俊は商売熱心ではなく棚はガラガラ、ウインドウもない。「だから私は店を充実させるために本当に毎日市場に通いましたよ。神田は当然だけど、三ノ輪とか千葉や中央線、南部の市にも行きました。昭和30年代というのは高度経済成長時代ですからね、遣り甲斐がありましたよね。それで今でも不思議なのは、当時の私は経験は浅いのに、これはいい本だと思うものを、当時の東陽堂の先々代とか神保町のベテランたちとセリで競争して買えたんですからね。それを店に並べておくと、中央線とか本郷の専門店が抜きに来てましたよ」「明文堂のあった場所は靖国通りから入った横丁だから、表通りのようには売れないんですよ。だから何か特色を出そうと思ってね。だけどお金は無いから和本は扱えないし、それで社会科学系の専門店にしようと考えたんです。時代もあったんでしょう。よく売れました。お客さんは昭和50年代までは圧倒的に学生でした。明大、日大、中大、専大がありましたから、当時の学生は本当によく読んだんですよ」。

 インタビューの間、そばで娘さんが心配そうにずっと付き添っていた。記事になって雑誌を届けると喜んだのはその娘さんだった。中根さんは翌年平成25年6月に93歳で亡くなられお店も閉店した。雑誌に載せた写真も穏やかな人柄そのものの優しい表情である。昭和という時代を生きた古本屋を象徴する方だったと思う。

 それにしてもかつては古書売買の中心的分野だった社会科学系の需要が減ったのは何故だろう。世の中のスピードに印刷物では合わなくなったのか。最近気づいたのだが、評論系総合雑誌の記事の一篇あたりの頁数が30年40年前と比べると半減している。硬い論文の長さに現代人は耐えられなくなっているのではないかと思わないでもない。(つづく)

 
 


 
 
(「全古書連ニュース」2023年7月10日 第495号より転載)

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