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『文学する中央線沿線』

『文学する中央線沿線』

矢野勝巳

 今年の5月に刊行した『文学する中央線沿線』(ぶんしん出版)は、18回に及んだ「中央線沿線の文学風景」を基本テーマとする講演のエッセンスに新たな知見を加え書き下ろしたものである。
 私は三鷹市職員として長く文化事業に携わってきた。文学事業の一環で、三鷹を描いた文学作品を調べていたこともある。当然のことだが、登場人物は市域を越えて自由に移動する。もう少し広いエリアで地域を描いた作品を調べると新たに見えてくるものがあるのではないかと思っていた。

 2019年に葛飾図書館友の会から文学関連の講演依頼があった時、「中央線沿線の文学風景~太宰治から村上春樹まで~」をテーマに講演した。会場は金町駅(常磐線)近くの葛飾区立中央図書館にもかかわらず参加者の関心は高かったので、中央線沿線の都市ではより関心を持っていただけるのではないかと思い、三鷹駅近くの三鷹ネットワーク大学推進機構に連続講座の企画を提案し採用された。その後、国立市公民館など沿線各地で講演を行うようになった。個別の講演テーマは毎回異なるため、その度に新たに調査した。
 調査の過程で多種類出版されている中央線本にも目を通したが、沿線の地域ごとに文学作品を紹介する本はなく、他の鉄道沿線本にもなかったので、講演内容を書籍として刊行する意義はあると思った。ただし、エリアは新宿以西の中央線沿線としたが、私鉄沿線と接近している地域もあり、本文中では中央線から近い鉄道路線周辺を描いた作品も一部紹介している。

 新宿以西の中央線に駅が設置されている2区8市の総人口は約250万人であり、都内人口の18%を占めるが、中央線沿線に住んでいる方だけが想定読者ではない。どこの都市に住んでいる方でも興味を抱くような普遍的・本質的な内容にしようと思った。
 本書では文学と地域の風景との関連について記した後、沿線を七か所の地域ごとに瀬戸内寂聴から角田光代や又吉直樹まで全部で22人の現代作家の特色ある22の文学作品を地域の視点から読み解いている。また、22作品以外にも地域ごとに多数の作品を紹介している。そこには、刊行時は話題になったが、現在、絶版の作品も含まれている。さらに、22人のうち、松本清張、村上春樹、大岡昇平、黒井千次、山口瞳、多和田葉子の6人については、別途、個別に都市風景に関連する特集テーマを設け考察している。

 同じ地域を描いていても作家や書かれた時代の相違により描き方が大きく異なり非常に興味深い。また、よく知られている作品でも地域の視点から読み返すと別の面が見えてくる。
 たとえば、ベストセラーでありロングセラーでもある有吉佐和子の『恍惚の人』は認知症高齢者の在宅介護を描いた先駆的作品としてよく知られている。一方、有吉が長年住んでいた杉並区の特定地域を描いたご当地小説でもある。高円寺駅から南に下る梅里や松の木さらに堀ノ内という場所が小説の舞台であるが、私はこの地域を訪れたことがなかった。中央線に乗車すれば近いが観光地や繁華街ではないので一般的にはあまり知られていない。
 作品に描かれる沿線地域の多くは一見平凡な場所である。だが、講演や本書の執筆過程で知らなかった場所を丹念に歩き、町の多様性と奥深さを感じた。中央線は前身の甲武鉄道が新宿から八王子まで開業したのが1889(明治22)年と山手線以西ではもっとも歴史があり、そのため町の構造が重層的であることもその要因のひとつである。
 しかし、作家は必ずしも地域を正確に描写しているのではない。地域の特徴を強調するためにあえて事実に紛れて虚構を設けることもある。大岡昇平『武蔵野夫人』や長野まゆみ『野川』のなかの虚構を探す行為は、地域の歴史や地形を深く知ることでもある。
 また明らかな虚構も描かれる。村上春樹『1Q84』は高円寺を平坦な土地だと強調している。北口の高円寺純情商店街などは平坦だが、駅の南側は高低差のある地域である。土地勘のある村上がなぜそのような事実と異なる地形描写をするのかを考察した。
 作家に限らず人々はどのような状況で住居を定めたかによって地域イメージは変わる。29才の時に追い詰められて単身上京した笙野頼子は、自伝的要素の入った『居場所もなかった』のなかで、荒涼とした風景として八王子をはじめとする中央線沿線を描いた。
 笙野のような上京者ではなく昔から住む地元住民でもない団地住民であった多和田葉子の芥川賞受賞作『犬婿入り』は、郊外都市の南北問題を小説でしか表現できない方法で示している。

 これらはほんの一例だが、地域の視点で読み解くことは作品の新たな魅力と地域の本質を知ることに繋がるのではないだろうか。
 好きな作家あるいはゆかりのある町などどこからでも読んでいただける構成である。けれども、本書全体を読むと中央線沿線だけではなく日本の郊外都市さらには戦後社会の光と影が文学作品の紹介を通して立ち現われることを目指した。

 
 
 
 


『文学する中央線沿線~小説に描かれたまちを歩く~』
ぶんしん出版刊
矢野勝巳著
税込価格:1,870円
ISBNコード:978-4893902009
好評発売中!
https://bunshin.base.shop/items/72316245

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