■本なら売るほど1

『本なら売るほど』が本になるまで

『本なら売るほど』が本になるまで

児島 青

 「むさぼり読む」という表現があります。

 私は幼いころ、両親が買い与えてくれた紫式部の伝記を読むのが好きでした。紫式部が、父の藤原為時の赴任に随行し、都から遠く離れた越前で、持参した書物をたちまち読み尽くしてしまい、手持ち無沙汰にため息をつくシーンが、なぜかとりわけ好きでした。

 「むさぼり読んで」「読み尽くす」。

 まるで腹を空かせた怪獣が手当たり次第に喰らい尽くし、尚まだ足りないと吠えているイメージ。私は式部のように才気煥発な子どもではありませんでしたが、幼心に、読書という行為はパワフルなものなのだと感じ、自分もむさぼるように片っ端から本を読んで強い人になりたいと思いました。そんな遠い憧れを、今もまだ追いかけ続けて、気付けば、様々なかたちで本に憧れる人が出てくる『本なら売るほど』という漫画を描いています。この作品を描くに至ったのは、思い返せば奇妙なめぐりあわせでした。

 2020 年ごろから始まった世界規模のパンデミックの最中、接客業を生業にしていた私は(今も漫画と兼業で続けています)、感染対策のためまともに働くことが難しくなり、収入も先が見通せなくなりました。そんな矢先、体に異変を感じて病院に行ったら、そこそこ深刻な病気が見つかったのです。この先何十年、当たり前に生きるつもりで将来の心配をしていた私でしたが、それどころか、このままでは来年この世にいないかもしれない、という現実を知ったとき、急に自分の来し方を思いました。逃げを打つばかりの人生だった気がしました。

 KADOKAWA のハルタという、未知の雑誌の編集部員を名乗る人からメールがあったのは、その半年ほど後です。治療の山場を乗り越え、命拾いした記念に、最後の挨拶のつもりで描いた漫画をネットに放流した直後でした。漫画家という、思いもよらなかった仕事に挑戦する
恐怖がありましたが、死にかけたばかりで少し大胆になっており、何よりお金に困っていたので、恐る恐る連絡を取ってみたのでした。

 それからは、いつ終わるとも知れないボツとダメ出しの日々。私をスカウトした担当編集A 氏はすこぶる頭の切れる人で、私が「なんとなく」描いたぬるいネーム(打ち合わせの叩き台にする漫画の設計図のようなもの)のどこがダメでいかに面白くないか、徹底的に理論で解説してくれました。悔しいことにぐうの音も出ず、「あいつ……スカウトしたくせに……!〇〇歳も下のくせに……!」と、およそ年上らしからぬ幼稚な反感を抱きもしましたが、あるとき一度、「新人に嫌われてしまって辛いんです……」みたいなことを彼がポロっとこぼしたことがありました。思えば、誰より漫画を愛しているのに、面白い漫画を作るためには当の漫画家に嫌われることも言わねばならない、漫画編集者とは因果な商売です。そう、まるで、本を誰より愛しているのに、だぶついた在庫を客の代わりにその手で葬らねばならない古本屋のように……。

 単行本一巻の一話にあたる読切『本を葬送る』を七転八倒して描き上げたとき、そんな担当A 氏が「この作品を担当できたことを誇りに思います」と言ってくれたことは、私の人生の財産の一つになりました。作家の持ち味は否定せず、そのうえでちゃんと「ダメ」を言ってくれる誠実な編集者の伴走があったからこそ、作品を世に出せたと思います。

 私は当初、できれば本をテーマに描きたくないと思っていました。勝手気ままに本を愛でることは、私だけの、誰にも侵されたくない趣味の最後の砦のように思っていましたから。それを仕事にしてしまえば、当然第三者の評価の的になる。私は自分の安息地を食い扶持のために手放してしまうのではないだろうか……そんな怖さを感じていました。しかし商品になり得る漫画を作るということはそう甘いことではなく、時に恐怖心や羞恥心を乗り越えて自分を曝け出し、相手(担当編集者や読者)と殴り合わなければならない土壇場だったのです。試行錯誤を経ましたが、結局、手放したくないものこそが、描けるものだということを思い知りました。

 郊外にポツンとある小さな個人経営の古本屋の雰囲気が好きだったのと、私自身にすこし古物商の経験があったため、主人公は古本屋の店主にしました。彼は、人はいいけどちょっと軽薄で、本は好きだけど店主としてはまだ未熟な青年です。誌面に連載予告が載る直前までタイトルは決まっておらず、仕事帰りの疲労困憊した車中でふと浮かんだ言葉が、そのまま私のデビュー連載のタイトルになりました。

 『本なら売るほど』

 作品の出来はともかくとして、我ながら、それ以上でも以下でもない、絶妙なタイトルをつけたものだと自負しています。

 一冊の本が呼び水となって、次はこれを、その次はあれを……と、どんどん読みたい本が増えてしまう楽しさともどかしさは、読書の醍醐味のひとつではないでしょうか。私の描いた本が誰かにとっての呼び水になれば、こんなに光栄なことはない、と思っています。

 
 

■本なら売るほど1
■本なら売るほど 1
 
■本なら売るほど 2
■本なら売るほど2

✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
 『本のなら売るほど』は
 漫画誌『ハルタ』で好評連載中!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
 
書名:ハルタコミックス『本なら売るほど 1』
著者:児島青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:792円(税込) 
ISBN:978-4-04-738107-0
Cコード:C0979

書名:ハルタコミックス『本なら売るほど 2』
著者:児島青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:836円(税込) 
ISBN:978-4-04-738374-6
Cコード:C0979

好評発売中!
https://www.kadokawa.co.jp/product/322405000881/

Copyright (c) 2025東京都古書籍商業協同組合

自由への終わりなき模索_書影

「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
(『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』)

「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
(『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』)

清原悠(社会学者・模索舎アーカイブズ委員会)

 9月下旬に清原悠編『自由への終わりなき模索――新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』(ころから)を刊行することが決まった。その自著につける帯文を、自分で考えることになった。ええっ、帯文って自分で書くんですか? てっきり誰かに頼むのだと思っていました。まあ、確かに880頁もある本、しかも、2段組とか3段組まである。来月に迫る刊行までに原稿を読んでもらって、素晴らしい帯文を書ける暇人、才人、奇人、変人など、いるはずがない。日本の出版流通史に詳しく、社会運動史にも詳しく、カウンターカルチャー・サブカルチャーにも詳しく、書店論にも明るく、できれば社会的企業にも関心を持ってきた人で、なるべく著名人、100字で核心をつかみつつ7700円もの高価な本を買う意欲をガンガンあおれる文才があって、できたらタダもしくは「薄謝で申し訳ありませんが」で仕事を引き受けてくれる心の広~い人が・・・いるわけない。

 こんなことを書くと、まるで自分以外に適任者がいないと言いたげに思われるかもしれないが、それは大いなる誤解。まず、全く著名人ではない。のぶれす・おぶりーじゅで無償労働ができる身分になった覚えもないです。ジョン・レノンの歌詞も知らなかったくらい音楽には疎いので、「はっぴいえんど」とか「頭脳警察」とか「岡林信康」とか「水玉消防団」とか「水牛楽団」とか「ジュンスカ」とか「ブルー・ハーツ」とか「ZELDA」とか「オフ・ノート」とか本書の中であれこれ語られても、全然話題についていかれなかったです。元舎員へのインタビュー後に、国会図書館にひたすら通って全部調べました(脚注の数だけで700個程あります)。かろうじて演劇はわずかばかり知識があるので、「黒テント」の佐藤信さんが模索舎とどんな絡みがあったのかとか、沖縄の笑築過激団が東京で公演をやったときに模索舎の舎員が出張販売に1週間出向いたとか、新宿紀伊國屋書店の1階と2階のエスカレーターのところで消火器をかけあう「新宿大運動会」があったとかの話は、「へぇ~」とうなずくことができました。そういえば佐藤郁也『現代演劇のフィールドワーク: 芸術生産の文化社会学』(東京大学出版会、19991年)って名著ですよね。あ、他人様の古本(絶版本)の宣伝をしている場合じゃない。

 ミニコミの話もですね、吉本隆明がなぜ人気なのか(だったのか)さっぱり分からないので、『試行』がいかに模索舎で売れ筋だったかとか言われてもピンと来ない。小野田穰二『遠くまで行くんだ』がベストセラーだったと言われましてもね、「どこまでお出かけですか~?れれれのれ~」という感想しかでてきません。『野宿野郎』とか『南米マガジン』とか『HARD STUFF』とか『とほ』とか全く知りませんでした。生きててすみません。あっ、『草の根通信』は大好きでっす!

 じゃあ、社会運動史はどうか。模索舎といえば「新左翼の書店」、「党派」の機関紙で有名ですよね。でもね~、私は新左翼とか詳しくないんですよ、公害問題・住民運動の研究が出発点だったので。模索舎は「のんせくと・らでぃかる」の思想に基づいて作られたということなんですが、セクト(党派)に詳しくないと「のんせくと」の意味合いが定まりません。民青とか、反帝学評とか、社青同解放派とか、戦旗派、叛旗派とか、三派全学連とか、いっぱい出てきます。ところで、サンパって何?全学連って一個じゃなかったの?

 書店論の方はどうか。3年前に「模索舎50年史」のプロジェクトを始めてからは、数多ある「書店本」を読みつつ、時間を見つけては日本各地の本屋めぐりもしてみました。そういう過程を経て、模索舎を改めて調べてみると、際だった特徴があることが分かりました。模索舎は「過激派の書店」ではなく、取次を全く使わない新刊書店という「書店の過激派」だったということが。個人経営ではなく、創業時より共同経営を柱として運営されてきたということが。しかし、書店員になったこともない私が、いかに書店論を語りうるでしょうかね。

 そういうわけで、「帯文」をどうしようか。求められる条件を全部満たして書ける人間はいない、いたらそいつは人間じゃない! じゃあ、いっそのこと人間以外に書かせてみたらいいのでは、ということで生成AIに書かせてみることにしました(タダだしね)。売りどころの一つは段ボール55箱分もの資料を読み解いて歴史をつまびらかにしたこと。それから、舎員経験者を中心に18名にインタビューを複数回行ったこと(延べ44名)。あとは模索舎は社会運動と出版流通の両方にまたがった活動だというところですね。そこで次のようにオーダーしてみました。「次のキーワードを含む本の帯文を作って下さい 社会運動 本屋 表現の自由は流通の自由 共同経営の波瀾万丈の歴史 オーラルヒストリー」。

 「もちろんです!」と調子の良い返事に続けて、帯文案が出てきました。どれどれ、お手並み拝見といこう。

 「表現の自由は、書くだけじゃ守れない――届ける自由があってこそ。」社会運動の熱が渦
  巻いた時代、本屋は闘争の現場だった。単なる商売ではなく、思想の広場として生まれた
  共同経営書店たち。その波瀾万丈の歴史を、当事者達のオーラルヒストリーから堀り起こ
  す。本が、社会を変えようとしていた時代の記録

 むむ、なかなかやるじゃないか、と言いたくなるところ。でも、色々間違っているんだな。まず、模索舎はビラ・ミニコミといった表現物と、立派な装丁の本とをフラットに扱う、つまり表現物の形態の差によるヒエラルキーを否定するところから始まった「書店ならざる書店」だというところ。それにね「本が、社会を変えようとしていた時代の記録」とか言われると、まるで今がそうじゃないみたいですよね。本書は過ぎ去ったニッポン昔話の本じゃないんです。読んだ人の何かを、「今」を変えてくれるだろうこと、これを信じて作った本です。というか、作る過程でインタビューに答えてくれた人、作り手である「私たち(模索舎アーカイブズ委員会)」の何かを確実に変えてくれた本だから、読み手にも響くに違いないと確信が持てた本なんです。生成AI君、キミもまだまだだね。ネットばかりやってないで、もっと本を読みなさい!もちろん、タダ読みは許しまセン!

 さて、振り出しに戻る。帯文案、どうしましょう、というところで紙幅が尽きました。残念無念、続きは「Webで!」ではなく「書店で!!」。
 
 
自由への終わりなき模索_書影
 
書名:『自由への終わりなき模索
   -新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』
編著:清原悠
発行元:ころから
監修:模索舎アーカイブズ委員会
判型/ページ数:A5判/880頁
価格:7,700円(税込)
ISBN:978-4-907239-78-7
Cコード:C0036

2025年9月27日発行予定
http://korocolor.com/book/978-4-907239-78-7.html

Copyright (c) 2025東京都古書籍商業協同組合

ボックス

自著については語りたくない。が、しかし。
――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)

自著については語りたくない。が、しかし。
――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)

下平尾 直(共和国)

ひさしく編集者の仕事をしながら、「自著について語る」なんてナンセンスだと、ずーーーーっと思ってきた。語りたいことがあれば、その1冊のなかに注入するために書物にしているのではないのか。あるいは百歩も千歩もゆずったとして、モティベーションにあふれた有為な若い人びと、あるいは自分の業績を何十冊も世に問うてきた大先輩の訓話であればそれもありかもしれない。しかし、こちとらあと3年で還暦というおっさんである。20歳代の感性にはかなわずとも、中年は中年なりの工夫と知恵をふりしぼって、今回、1冊の本を出した。それ以上に何を語ればいいのであるか。恥のおおい半生にまた恥の上塗りといった感がなきにしもあらずである。

 *
ウェブサイト「日本の古本屋」のユーザーやそのメーリングマガジンの読者にどこまで認知されているのか、はなはだ心許ないことであるが、本稿の執筆者は「株式会社 共和国」という、世間でいうところの「ひとり出版社」を営んで、はや12年目になる。これまで90数点の新刊書を出してきたのだが、大きなベストセラーもなく、出せば出すほどマイナーになっていくような気がしてならないレヴェルの零細出版者だ。
にもかかわらず、あろうことか、破廉恥にも、「自著」なるものを出版してしまった。それが7月に刊行された『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社、2025年)である。タイトルからは、自伝やら伝記やら社史のように見られることが多いのであるが、じつはそういうつもりでは書くことができなかった。最初から最後まで読んでくださればわかるとおり、本人としては、「自分を疑え!」をモティーフにした一種の精神史のつもりである。

もともとは昨2024年9月のある夜、コトニ社の後藤亨真さんから「シモヒラオさんの本を出しませんか? 共和国も10周年を迎えたことですし、そんな感じの本を……」うんぬんと教唆煽動され、ついうかうかと引き受けてしまったわけだが、あらためて考えてみたら、「10周年」的な感情が自分には稀薄な気がしてきた。そもそも編集者の仕事といっても、著者訳者の原稿を預かって、読んで、本にするだけである。その本を最善の姿で世に送り出すために原稿に介入したりデザインに口を挟んだりすることは当然だし、会社としての一定の方針やコンセプトみたいなものもある。しかし完成した本はやはり著者や訳者のものであって自分のものではないという疎外感は抜きがたく、存外に大きいのだった。
だから、本書『版元番外地』では、三分の一ほどは独立創業する前後の経緯や、出版社としての動機や社会とのかかわりかた、あるいは出版や編集についての方向性などを書いてコトニ社にたいする義理を果たすことにして、残りの三分の二ほどはまったくの独自路線で稿を進めさせてもらうことにした。勝手なもんであるな。コトニ社には感謝しかない。自分が自分の担当編集者であれば、とっくにキレて絶交していることであろう。

そういうこともあって、この本が実際に出版されてしまうと、依頼から逸脱した本にしてしまった責任をそれなりに追わねばならない気がしてくる。なんといってもコトニ社も新進気鋭の「ひとり出版社」だ。まんいち売れないだとか在庫過剰だとか返本多数だとかの惨状ともなれば、これまで堅実丁寧にビジネスを続けてきた後藤さんとコトニ社の将来に大きな打撃を与えてしまう。それだけはなんとしてでも避けねばならぬ。となれば、自著についてだって語りもすれば、トークイベントなるものだってやりましょう。
で、また、自伝やら伝記やら社史のような路線からおおきく逸脱してしまったとはいえ、拙著は拙著なりにひとつのモティーフで完結させたつもりもある。そのモティーフを実現するために、執筆にあたって筆者が自分に課したいくつかの制約を披瀝してその責めの一端をふさぎたい。

1) コトニ社の意向を裏切ってしまったのであるから、なによりコトニ社に納得してもらえるだけの内容的な充実をめざさねばならない。売れるかどうかはわからないけれども、せめて出版したことを後悔させるような本になってはならないだろう。

2) 自伝でも伝記でも社史でもないとはいえ、自分について書くのであるから、一定の個人に言及せざるをえない局面に遭遇するはずだ。しかし、だれかを誹謗したり中傷したりして他者を貶めるようなことはしない。暴露的なことでしか興味を惹けないような本にするくらいならそこで出版を断念する。自分を大きく見せるようなことになるのであれば、自分をアホにすること。

3) なので、単なるエピソードの羅列ではなく、文体と構成に意を尽くし、全体として最後まで読んではじめて意味がわかるような、一部を読んだだけではなんだかよくわからないもの、AIに安易に要約させえないようなものをめざす。できれば、光と影、静と動、リズムをもちこんで、洋楽ロックアルバムのような書物にしたい。

4) かなしいとかくるしいとか主観の垂れ流しにしない。つねに自分を対象化すること。

ごく一部を列挙してみると、以上のようなことである。これによって「自分を疑え!」という本書の最大のモティーフがどこまで達成できているかは、ぜひ本を手に取ってご自分の目で確かめていただきたい。むろんこの場合の「自分」とは、わたしのことであるけれども、あなたのことでもあってほしい。

 *
しかし、今回こうして1冊の本をまとめながら、われわれ出版社は、なんと因果な不幸の星の下に生まれついてしまったのか、と考えざるをえなかった。よくよく考えなくても、やはり不幸でしかない。というのは、なにもこの共和国という出版社が、こういう本を出して世間にアピールしなければならないほどの零細出版社だからでも、ここまで書き進めていながらやはり「自著を語る」ということが不毛のような気がしてきたからでも、そのいずれでもない。小社であれ、コトニ社であれ、K談社やS学館やI波書店のような大企業であれ、あらゆる出版社が刊行する「新刊」なるものは、それが生まれて市場に流通しはじめた瞬間から「古書」として再流通してしまう宿命を負っているからなのだ。

いや、こう書いたからといって、何もそれをひがんだり恨んだりしているつもりもないのである。実際に拙著でもしばしば肝心なところで古書を利用した。むしろ古書店から古書を購入していなければ、本書は成立しなかったといってもいいくらいだ。内田魯庵訳『罪と罰』やら津田仙『酒の毒』やら中野光風『義民小平次』やら曾野綾子『華やかな手』やら中盛彬『かりそめのひとりごと』やらが、当の筆者よりも輝いているくらいだ。国会図書館にだって所蔵されていない本もかなりある。いわば本書自体が、古書/古書店との共同作業なのだった。

しかし、嗚呼、そんな拙著も、刊行からわずか1カ月ですでに「日本の古本屋」に出品されているではないか……。こうなれば、わたしに1冊でも古書を売ったことがある古書肆のみなさんが、拙著を新刊書店で購入してくださるよう願うしかないのではないか!?
 
 
ボックス
 
書名:『版元番外地――〈共和国〉樹立篇』
著者:下平尾 直
発行元:コトニ社
判型/ページ数:四六判・288頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-910108-22-3
Cコード:C0095

好評発売中!
https://www.kotonisha.com/project-21

Copyright (c) 2025東京都古書籍商業協同組合

2025年8月8日 第424号

■■■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■
 。*..*.:☆.:*・日本の古本屋メールマガジン・*:.☆.:*..*。
          古書市&古本まつり 第151号
      。.☆.:* 通巻424・8月8日号 *:.☆. 。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━【シリーズ古書の世界】━━━━━━━━━━

破棄する前に7 山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)
                       三昧堂(古本愛好家)

何時求めたのか、整理しようとした雑誌の中から『現代詩手帖』1978年
4月号「増頁特集=短詩系文学」が出てきた。高柳重信、赤尾兜子、永田
耕衣、三橋敏雄などがまだ存命中で執筆している。そんなことから買って
あったのだろう。頁を開いたら、辻征夫が「桃の花」という詩を寄稿して
いた。辻は前回ふれた小沢信男さんが、その死を惜しんだ浅草生まれで
向島育ちの詩人である。貘や高田親子同様、世渡り不器用な詩人だった。

2006年6月、東京古書会館で開かれた地下室の古書展の折、小沢さんと
坂崎重盛さん、石田千さん三人の記念トークショーが開かれたことがある。
小沢さんは辻との交友について思いを込めて話されたのだが、私は知らない
詩人であったので興味を持ち、その後、詩集やエッセイ集など目につけば
求めてきた。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23181
 
 
━━━━━━━━━━━━━━【本とエハガキ】━━━━━━━━━━━━━

本とエハガキ(7) 読書エハガキ②寄宿舎読書
                             小林昌樹

学校寄宿舎の読書エハガキ

 戦前、公的施設の記念エハガキが出版されることが多かったことは今までに
述べたが、学校などもそうで、運動会などがエハガキで残っている。ただ、
読書とのからみでいうと、授業中の読書風景などはそう多くない。そのうち
図書館エハガキの関連で学校図書館を紹介することになるだろうが、ここでは
存外に読書風景が多く残っている寄宿舎を紹介する。

 中学校や高等学校など、当時、義務教育ではなかった学校では寄宿舎が用意
された。戦後、大学の教養課程になる高等学校では、原則として寄宿舎に入ら
ねばならなかったくらいである。
 
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23215

 
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見37】━━━━━━━━━━

京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」
                            南陀楼綾繁

 3月13日の朝、市営地下鉄烏丸線の北山駅から地上に上がり、南へと歩く。
 右手にはかなり広い更地が広がっている。「ここには何が建つんだろう?」と
ぼんやり考えながら、京都コンサートホールを通り過ぎると、〈京都学・歴彩館〉
(以下、歴彩館)が見えてくる。

 隣には京都府立大学、裏には広大な府立植物園がある。京都府はこのエリアを
「北山文化環境ゾーン」と呼んでいるようだ。
「前身の京都府立総合資料館は、北山駅のすぐ南にあったんです」
 9時の開館と同時に中に入ると、出迎えてくれた資料課の司書・楠久美さんが
教えてくれた。さっきの更地がそうだったのか!
 総合資料館は2016年9月に閉館。後継の歴彩館は同年12月に一部オープンし、
翌年4月にグランドオープンした。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23307
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。
 
 
X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu
 
 
━━━━━━━━━━\\大好評発売中!//━━━━━━━━━━

            南陀楼綾繁 著
   
     「書庫をあるく アーカイブの隠れた魅力」

ご好評をいただいている『書庫をあるく』(連載1〜19回収録)は、
今も幅広い読者の皆さまにご支持いただいています。今後の連載と
あわせて、ぜひこの1冊からお楽しみください。

大好評発売中!
https://libro-koseisha.co.jp/history_culture/978-4-7744-0840-8/
 
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━【書影から探せる書籍リスト】━━━━━━━━━

「日本の古本屋」で販売している書籍を、テーマを深掘りして書影から
探せるページをリリースしました。「日本の古本屋」には他のWebサイト
には無い書籍がたくさんあります。ぜひ気になるテーマから書籍を探して
みてください。
 
「日本の古本屋」書影から探せる書籍リスト
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13964
 
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━【8月8日~9月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

------------------------------
ハンズ横浜古本市

期間:2025/07/25~2025/08/28
場所:ハンズ横浜店 7階イベントスペース 
   横浜駅西口 横浜モアーズ7階
URL:https://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

------------------------------
河原町地下古本市

期間:2025/08/01~2025/08/27
場所:丸善京都本店 地下2階 MARUZENギャラリー 
   京都市中京区河原町通三条下ル山崎町251 京都BAL
URL:https://honto.jp/store/news/detail_041000117616.html?shgcd=HB300

------------------------------
ひばりが丘の古本市

期間:2025/08/04~2025/08/11
場所:ひばりが丘PARCO1階 東京都西東京市ひばりが丘1丁目1-1
URL:https://x.com/TOKYOBOOKPARK

------------------------------
フィールズ南柏 古本市

期間:2025/08/06~2025/08/27
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  
   柏市南柏中央6-7(JR南柏駅東口すぐ)

------------------------------
第2回 夏の古本市・名古屋

期間:2025/08/08~2025/08/10
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12 
URL:https://hon-ya.net/
URL:
------------------------------
丸善博多店古本まつり

期間:2025/08/08~2025/09/07
場所:丸善博多店(JR博多シティ8F) 福岡市博多区博多駅中央街1-1
URL:https://x.com/maruzen_hakata/status/1943972978347454890/photo/1

------------------------------
第11回 昆陽古本まつり

期間:2025/08/09~2025/08/17
場所:イズミヤショッピングセンター昆陽 2階催事場 
   兵庫県伊丹市池尻1-1

------------------------------
第9回 Vintage Book Lab(ヴィンテージ・ブック・ラボ)

期間:2025/08/09~2025/08/10
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=830

------------------------------
第38回 下鴨納涼古本まつり

期間:2025/08/11~2025/08/16
場所:下鴨神社 糺の森にて
URL:https://kyoto-koshoken.com/sokubaikai/

------------------------------
BOOK DAY とやま駅

期間:2025/08/14
場所:富山駅南北自由通路(あいの風とやま鉄道中央口改札前)
URL:https://bookdaytoyama.net/

------------------------------
高円寺均一古本フェスタ by ヴィンテージブックラボ

期間:2025/08/16~2025/08/17
場所:高円寺西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=1270

------------------------------
球陽堂書房メインプレイス店 夏の古書フェア

期間:2025/08/18~2025/09/30
場所:球陽堂書房メインプレイス店 (サンエー那覇メインプレイス2F)

------------------------------
夏の阪神古書ノ市

期間:2025/08/20~2025/08/25
場所:阪神梅田本店8階 催事場 大阪市北区梅田1丁目13番13号
URL:https://web.hh-online.jp/hanshin/contents/hsst/hsst05/detail/2025/07/post_33.html

------------------------------
BOOK & A(ブック&エー)

期間:2025/08/21~2025/08/24
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9  
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=843

------------------------------
川崎古本まつり

期間:2025/08/21~2025/08/27
場所:アゼリア サンライト広場  JR川崎駅・京急川崎駅直結
URL:https://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

------------------------------
ぐろりや会

期間:2025/08/22~2025/08/23
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.gloriakai.jp/

------------------------------
第55回古本浪漫洲 Part.1

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
URL:https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

------------------------------
杉並書友会

期間:2025/08/30~2025/08/31
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9  
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=619

------------------------------
第55回古本浪漫洲 Part.2

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

------------------------------
第55回古本浪漫洲 Part3

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

------------------------------
フジサワ古書フェア(9月)

期間:2025/09/04~2025/10/08
場所:有隣堂藤沢店4階ミニ催事場  J
   JR・小田急藤沢駅南口フジサワ名店ビル4階

------------------------------
東京愛書会

期間:2025/09/05~2025/09/06
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:http://aisyokai.blog.fc2.com/

------------------------------
五反田遊古会

期間:2025/09/05~2025/09/06
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=567

------------------------------
第55回古本浪漫洲 Part.4

期間:2025/09/06~2025/09/08
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

------------------------------
高円寺均一まつり

期間:2025/09/06~2025/09/07
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

------------------------------
第55回古本浪漫洲 Part.5(300円均一)

期間:2025/09/06~2025/09/08
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

------------------------------
松菱古本市

期間:2025/09/10~2025/09/15
場所:松菱百貨店 6階催事場 三重県津市東丸之内4-10

------------------------------
第156回 倉庫会 古書即売会

期間:2025/09/12~2025/09/14
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12 
URL:https://hon-ya.net/

------------------------------
書窓展(マド展)

期間:2025/09/12~2025/09/13
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=571

------------------------------
第56回 鶴屋古書籍販売会

期間:2025/09/12~2025/09/15
場所:鶴屋本館6階会場 熊本県熊本市中央区手取本町6-1

------------------------------
好書会

期間:2025/09/13~2025/09/14
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=620

------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このメールは「日本の古本屋会員」の方で、メールマガジンの配信
を希望された方にお送りしています。
ご不要な方の解除方法はメール下部をご覧下さい。
【日本の古本屋】は全国1、003書店参加、データ約695万点掲載
の古書籍データベースです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

見逃したメールマガジンはここからチェック!
 【バックナンバーコーナー】
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_category.php?catid=48

┌─────────────────────────┐
 次回は2025年8月下旬頃発行です。お楽しみに!
└─────────────────────────┘

*゜*.:*☆ 本を売るときは、全古書連加盟の古書店で ☆*.:*゜*
全古書連は全国古書籍商組合連合会(約2,000店加盟)の略称です

https://www.kosho.or.jp/buyer/list.php?mode=from_banner

==============================

日本の古本屋メールマガジンその424 2025.8.8

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

==============================

・メールマガジンの購読停止、アドレスの変更はこちら
 https://www.kosho.or.jp/mypage/

・このメールアドレスは配信専用です。
 返信いただいても対応致しかねます。ご了承下さい。

・メールマガジンの全てまたは一部を無断転載することを禁じます。

・メールマガジンの内容に対するご意見、ご感想は
  melma@kosho.ne.jp までお願い致します。

・メールマガジン内容以外のご質問は info@kosho.or.jp へお願い
 いたします。なお、ご質問の内容によりましては、返信が大幅に
 遅れる場合もございます。ご了承下さい。

============================================================
☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*・
============================================================

京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」【書庫拝見37】

京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」【書庫拝見37】

南陀楼綾繁

 3月13日の朝、市営地下鉄烏丸線の北山駅から地上に上がり、南へと歩く。
 右手にはかなり広い更地が広がっている。「ここには何が建つんだろう?」とぼんやり考えながら、京都コンサートホールを通り過ぎると、〈京都学・歴彩館〉(以下、歴彩館)が見えてくる。

01 02
★京都学・歴彩館の外観

 隣には京都府立大学、裏には広大な府立植物園がある。京都府はこのエリアを「北山文化環境ゾーン」と呼んでいるようだ。
「前身の京都府立総合資料館は、北山駅のすぐ南にあったんです」
 9時の開館と同時に中に入ると、出迎えてくれた資料課の司書・楠久美さんが教えてくれた。さっきの更地がそうだったのか!
 総合資料館は2016年9月に閉館。後継の歴彩館は同年12月に一部オープンし、翌年4月に
グランドオープンした。
「一部オープンのときは、まだ資料の半分くらいしか運べてなかったんです」と、楠さんは当時の大変さを語る。
 歴彩館があるのは府立大の敷地で、建物には同大の図書館や研究室も同居する。隣には同大キャンパスがあるので、昼は大学食堂で安く食べられた。
 建物は地上4階・地下2階。2階には350席という広い閲覧スペースがあり、開架の資料も充実している。ここだけでも一日中いられそうだ。

京都資料の幅広さ

 資料課で公文書を担当する(当時)若林正博さんと合流して、地下の収蔵庫へと向かう。
 同館は図書資料、古文書のほか、美術工芸や歴史民俗の資料、つまり現物(モノ)も収集している。だから、「書庫」ではなく、「収蔵庫」なのだ。
 2023年現在の資料の総点数は、約88万点。内訳は図書資料が約41万6000点、文書資料が約40万9000点、現物資料が約5万5000点となる。
 これがすべて京都に関する資料とその関連資料というのだからすごい 。ここは図書館、文書館、博物館の3つの機能を備えた「京都学のセンター」なのだ。
 まずは地下1階から案内していただく。

03
★地下1階の収蔵庫

 左側には京都資料が並ぶ。ここにある資料の多くには、京都の意味の「K」のラベルが貼られている。これ以外に、後で触れる旧京都府立京都図書館時代 の蔵書もある。
 行政、歴史、地理、教育、美術……。当たり前だが、どの分野も京都に関する資料だけを集めている。それなのに、これだけ多くの棚を占めているということは、やはり京都には歴史の厚みがあるのだ。

04
★地域ごとの資料が並ぶ棚

 私が関心を持つ出版史の棚もある。『京都出版史』『京阪書籍商沿革史』『茶道ジャーナリズム六十年』『藤井文政堂板木売買文書』……。そそられる並びだ。

05
★出版史関係の棚

 精神科医・平澤一の書物エッセイ『書物航游』(新泉社)もある。中公文庫版で読んだはずだが、京都に関係あったっけ? 手に取ってみると、京都の古本屋との交流を描いた「古本屋列伝」が収録されている。
「ここに私の祖父が出てきます」と、若林さんが云うので驚いた。

 若林さんの祖父・若林正治は、幕末から続く京都の〈伏見春和堂〉という古書肆の主人で、反町茂雄や書誌学者の川瀬一馬とも親交があったという。
「当時の実家 は和本だらけでした」と、若林さんは幼い頃を振り返る。長じて古典籍担当の学芸員になる運命だったのかもしれない。
 なお、若林正治は旧制第三高校の生徒だった頃から半世紀にわたって、洋学史資料を収集。そのコレクションは現在、〈神田外語大学附属図書館〉に収蔵されている(他の資料と合わせ「神田佐野文庫」と呼ばれる)。2022年4 月、歴彩館での企画展「明石博高 京都近代化の先駆者」で、この若林コレクションの里帰りが実現した(『若林コレクションの里帰り 神田佐野文庫貴重資料』神田外語大学附属図書館)。

 芸能の棚に移動すると、戦前から戦後にかけての歌舞伎の「吉例顔見世興行」や、松竹などの喜劇・軽演劇のパンフレットなどがずらりと並ぶ。

06  
★吉例顔見世興行のパンフレット 1933年(昭和8)

07
★喜劇・軽演劇のパンフレットの棚

 教育関係で目に付いたのは、府内の学校誌や生徒の卒業文集・作文集だ。こういう資料は後になって集めようと思うと大変だ。

08
★卒業文集・作文集の棚

本以外の資料も大量に

 隣のブロックを見ていると、大量のスクラップブックが並ぶ棚があった。京都新聞など地元紙の連載から切り抜いたものだ。

09
★スクラップブックの棚

 また、写真のアルバムが並ぶ棚もある。『京都行幸写真帖』と題されたファイルを開くと、1940年(昭和15)に昭和天皇 が京都に行幸した際の写真が1枚ずつ入っており、手書きのキャプションが付されている。

10
★『京都行幸写真帖』 より

 さらに、府内の住宅地図が大量に並ぶ棚もある。各区のものが年代順に揃っているので、店や施設の消長を突き止めようとする際には便利だ。

11
★住宅地図の棚

 地図と云えば、同館には吉田初三郎が描いた鳥観図が280点近く 所蔵されている。そのうち40点 は京都を舞台としたものだ。吉田は祇園で生まれ、各地の鳥観図を手がけたが、昭和10年代に京都に帰って亡くなったという。
 そのなかから、『都ホテルを中心とせる洛内外名所交通鳥観図』(1928)を見せていただく。その美しさに息をのむ。都ホテルがやたら大きいのが面白い。

12
★吉田初三郎の鳥観図

 吉田の鳥観図を寄贈したのは、京都在住の朏(みかづき)健之介 だ。朏は郷土人形のコレクターで、総合資料館 の開館の翌年である1964年から何度かに分けて、収集してきた郷土人形や玩具を寄贈。その数は約1万2000点にのぼるという。
 さらに奥に進むと、他とは異なる請求記号の一群が並ぶ棚がある 。これらは旧京都府立京都図書館の蔵書を引き継いだものだ。

13  
★旧京都府立京都図書館時代の図書が並ぶ棚

14
★『京都教育』

「『京都教育会雑誌』は明治14年創刊 で、何度か誌名を変えて『京都教育』となります。
これだけまとまって揃っている館はほかにありません」と、楠さんは説明する。
 欠けている号は、古書店で購入する。〈みやこめっせ〉で開催される「春の古書大即売会」に出向いて探すこともある。
「これは持っていないかもというものはいったん確保しておいて、スマホがなかった時代は、近くの府立図書館に走って所蔵をチェックしたりしました (笑)。欠号が埋まると嬉しいですね」と楠さんは話す。即売会はこんな本が出ていたと知ることができるので勉強になるとも。
 別のブロックには、雑誌がまとまっている。この中にも貴重なタイトルが多い。
 ひとつ選んで見せてもらったのは、『技藝倶樂部』だ。京都の花柳界の雑誌で、グラビアには芸妓の踊りの写真などが掲載されている。

15
★『技藝倶樂部』

総合資料館から歴彩館へ

 書庫めぐりの途中だが、ここで歴彩館の開館に至るまでの経緯を見ておこう(『総合資料館40年のあゆみ』京都府立 総合資料館)。
 1963年11月、左京区下鴨半木町に京都府立総合資料館がオープンした。
 開館直前の「京都新聞」では、大きな写真や図解でこの館の全容を伝える。「一度に三千人利用」「書庫には二十万冊」という見出しが躍る。
 16日には一般公開を開始。開館の1時間前から行列ができ、夕方までに約3000人が来館したという。最初の展示は、風俗研究家・吉川観方が集めた京都の風俗資料だった。

 館の目的は「京都に関する資料等総合的に収集し、保存し、展示して調査研究等一般の利用に供するため」というものだった。
 初期のコレクションは、「吉川観方コレクション」(約1万5000点)、先に触れた「朏コレクション」、そして、和楽器界の老舗である佐竹藤三郎から寄贈された和楽器117点の「佐竹コレクション」の3つだった。
 1967年、京都府が教王護国寺(東寺)に伝わった「東寺百合文書」を文化財保護の目的で購入。奈良時代から江戸時代中頃までの約900年にわたる文書である。同館で整理が進められ、1980年に重要文化財、のちに国宝に指定された。
 1968年には、京都府開庁100年を記念して、京都府百年史の編纂事業を開始。同館に百年史編纂室が設置された。同室では『京都府百年の年表』全10巻、『京都府百年の資料』全9巻などを編纂した。

 編纂事業の終了した1972年には、同館に行政文書課が置かれ、明治以来の府庁文書が移管された。その一部は重要文化財に指定されている。
 2000年には、京都府立図書館との間で機能と蔵書の分担を行なうことになり、一時休館したうえで、蔵書の約半分にあたる政治、経済、自然科学、文学などの一般書を府立図書館に移管。
 翌年の再開館後は、「京都に関する専門資料館」として、「京都の歴史、文化、産業、生活等の諸資料(図書、古文書、行政文書、写真資料、近代文学資料等)を重点的に収集・整理・保存」するものと定義した。
 なお、資料の増加にともない、1971年には第2収蔵庫、1973年には第3収蔵庫が設置された。それでも収納スペースは足りなくなる一方だった。
「歴彩館が開館してからは、書庫の環境はずいぶんよくなりました。以前は空調も入っていませんでした」と、楠さんは云う。

府立図書館と湯浅半月

 総合資料館の蔵書には、旧京都府立京都図書館時代 から引き継いだものが含まれている。
 同館は1898年(明治31)、京都御苑内に開館した。1904年(明治37)に館長となったのが、聖書学者としても知られる湯浅半月(吉郎)である。
 湯浅は群馬県安中に生まれた。兄の治郎は福沢諭吉の影響を受け、私設図書館〈便覧舎〉を開設した(「明治の文化人 湯浅半月」1~3、『総合資料館だより』第117~119 号、1998年10月~1999年4月)。
 そうした縁もあり、図書館への情熱を持った湯浅は、アメリカの図書館事業を視察している。1909年(明治42)に左京区岡崎で開館した新図書館には、日本最初の児童閲覧室を設置した。

 湯浅はまた、旧来の書籍を死蔵するだけの「古代的図書館」を批判し、書庫を開放して本を自由に閲覧できる「近世的図書館」をめざした(高梨章「半月湯浅吉郎、図書館を追われる」、日本図書館文化史研究会編『図書館人物伝』日外アソシエーツ)。
 浅井忠ら洋画家の「二十日会」のメンバーだった湯浅は、図書館で展覧会を開催するなど、「文人的・趣味的ネットワークを介した図書館活動」を行なった。
 また、湯浅は京都の郷土史に関する貴重書を購入し、それらをもとに1914年(大正3)から『京都叢書』全16巻が刊行された。

 湯浅を支えた館員が、のちに宮武外骨とともに浮世絵研究を行なう井上和雄と、森鷗外の末弟で江戸時代の書誌学を研究した森潤三郎だったという事実は興味深い。その森が編集し、井上も寄稿したのが、京都の古本屋〈細川開益堂〉の雑誌『ほんや』だった。
 しかし、図書館に関する先見の明が理解されなかったからか、官僚主義からのやっかみのせいなのか、湯浅は1916年(大正5)に館長を辞任して、早稲田大学図書館顧問となった。
 こうして沿革をたどってみると、歴彩館が所蔵する資料は、さまざまな来歴を経て集まってきたものであることが判る。収蔵庫のなかには、それらの資料がいわば地層を成すように並んでいるのだ。

科学史家の脳内を再現した吉田文庫

 書庫に戻ろう。
 同館には、10以上の特別文庫や資料群があるが、最も分量が多いのが「吉田文庫」(「吉」は正式には「つちよし」)だ。京都大学名誉教授の吉田光邦の蔵書約3万3000点 のコレクションである。
 吉田光邦は1921年(大正10)、愛知県西春日井郡生まれ。京都大学理学部宇宙物理学科卒業後、同大人文科学研究所の助手となる。
 判りやすい専攻は「科学技術史」で、『江戸の科学者』(講談社学術文庫)という著書もあるが、著作目録を見ると、『ペルシャのやきもの』『京都の美と魅力』『ものと人間の文化史 機械』『万国博覧会』『田沼意次 都市と開発の時代』『イスラム 歴史と親交』など多岐にわたっている。『明治大正図誌』(筑摩書房)の海外編、『図説万国博覧会史1851-1942』(思文閣出版)など、編者としての仕事もある。いわゆる「京都学派」らしいジャンル横断ぶりだ。

 京都の古書店〈キクオ書店〉の前田司は、店番をしていた母から「黒い鳶のマントを着たいかつい顔の初老の人」から「洋書の本を片っ端からぬいては、値だけを見て一冊も買わんと帰っていったんえ」と聞かされる。
 セドリ屋ではと疑ったが、後日、助手の横山俊夫が買い付けに来たことで、吉田光邦だと判明したという。前田は吉田の研究会に参加し、その自由で活発な雰囲気に興奮する。そして、吉田の資料収集の手伝いを買って出る。

「先生はご研究のテーマを決められると、まずその分野の古今東西の文献を収集される。(略)先生の収集される文献はその時点では古書市場で誰も買わず石ころのように安価に転がっているものが多かったのである。他店を訪ねても、その多くは柵の下の方でホコリにまみれていた。(略)そして何よりも痛快なのは、こうして収集が一段落し、先生の論文や著書が発表されるや、この集めた古書の値がえらく高くなっていくのである」(「『吉田文庫』に寄せて」、『吉田光邦 両洋の人 八十八人の追想文集』思文閣出版)

 1991年、吉田は70歳で亡くなる。京大の横山俊夫は、友人の岡本道雄を案内して吉田の自宅の書庫に入る。
「本の密林であった。しずまった空気のなか、棚ごとに前後二重にならべられ溢れでている本の背の列、さらにその上のすきまごとに横積みにさしこまれた本が幾重もの庇のように影を落としている。それらが両側から迫るいく筋かの細長い通路。腹部を両手で押さえながら蟹歩きされる岡本先生を、本のなだれが圧しつぶさないかと気が気でなかった」(「吉田文庫の誕生」、『吉田光邦 両洋の人』)

 横山や研究者、編集者らが中心となって蔵書の行く先を考えた結果、翌年、長男の吉田茂博から京都府に蔵書が寄贈された。それを「吉田文庫」として、総合資料館で受け入れることになったのだ。
「資料の配置は、先生独自の分類体系を生かすため、元吉田邸における配置場所、序列を保つことに留意し、部屋毎にラベルを色分けし、通番を付して元の配架順を再現している」(文献課「〈業務報告〉吉田文庫について」、『資料館紀要』第25号、1997)
 そうすることで、吉田光邦の「頭の中」を再現しようとしたのだ。
 このような配列の先例には、〈京都市国際交流会館〉の「桑原武夫記念室」や〈明治大学図書館〉の「林達夫文庫」があったという。桑原武夫記念室に関しては、2017年に蔵書の一部を勝手に廃棄したことで問題となった。

 そういう経緯を知ったうえで棚を眺めると、たしかに、どの本のための資料だったのかがおぼろげに判って面白い。同じことを、井上ひさしの蔵書をもとにした山形県川西町の〈遅筆堂文庫〉でも感じた。
背表紙が気になって、『黒い魔術 或る発明家の運命』(天然社)という本を抜き出してみると、G・ビルケンフェルトという作家の小説だった。
 吉田文庫の設置にも関わったキクオ書店の前田司が、「しかし正直申せば、この『吉田文庫』をこのまま古本屋にすれば商売繁昌は間違いないと、はばかりながら町人の感覚がそう思わせるのである」と、まさに本音を漏らしているのもいい。

吉田文庫 (1) 
★吉田文庫の棚

17
★『黒い魔術』

 図書・雑誌のほかには、パンフレット、ポスターなどがある。パンフレットは「博覧会」「音楽」「演劇」などとテーマごとに袋に入れて棚に並べられている。

18
★吉田文庫のパンフレットの棚

「万国博1970」と題された袋の中には、大阪万博における「鉄鋼館」「三菱未来館」「三井グループ館」などのパビリオンの資料や、前年に発行された『日本万国博中学生ニュース』が入っていた。

19  20
★大阪万博のパンフレット

 また、吉田が収集した技術・工芸・美術関係の現物資料もある。たとえば、西南アジアの陶磁器や織物、中国の漆器、年画・絵馬、現代作家の版画、人形、置物、仮面など、これまた多岐にわたるという。
 吉田文庫は現在は収蔵庫に入っているが、総合資料館時代には開架されていた。そこで開催されていたのが、「半木半読会」(半半会)だった。誘いの言葉にはこうある。
「本好きが、みずから選んだ本を手に、半ばわかったつもりのことを半時ほど語り、聴く人また半時ほどそれに応えるという小さな会―そんな集まりがあればとの巷の声に、下鴨の半木町にある京都府総合資料館が、月にいちど場所を提供するとの、いきなはからい。そこで会の名はおのずと『半木半読会』略して『半半会』に、開催日は各月(隔月か?)の半ばと決まりました」

 第1回は1997年2月に開催。話者は吉田の本を出版した淡交社の臼井史朗が「編集者の懺悔」と題して話した。
 こういったサロン的な会は、吉田研究室の闊達な雰囲気を再現しようとしたものだろうが、じつに京都っぽいなあと感じる。町人による知的なサロンの伝統があるのだ。
 半半会はいつまで続いたのだろう? 歴彩館でも吉田文庫の蔵書を閲覧室に持ち出すなどして、半半会を再開したら面白い人たちが集まりそうだ。

戦災を逃れた資料も

 ほかのコレクションについても、駆け足で見ていこう。
「石井資料」は、大宝印刷の社長だった石井喜太郎が収集した印刷関係資料。印刷業界の雑誌や実物見本など約1000点。

21 22
★石井資料の棚

23
★チラシやレッテルのスクラップブック

「河上肇文庫」は、京都にゆかりの深いマルクス経済学者・河上肇の著作や原稿・ノート類、執筆した新聞・雑誌、書簡や写真など約800点。河上についての研究書もまとまっている。

24
★河上肇文庫

「佐々木惣一資料」は、憲法学者の蔵書や原稿、約1400点。河上肇や寺田寅彦を含む知人からの書簡、講演速記録などもある。

佐々木惣一 (1)
★佐々木惣一資料

 近代文学関係では、関西文壇の資料を集めた「天眠文庫資料」、歌人・吉井勇の原稿など
約4500点の「吉井勇資料」などがある。
 廊下を挟んだところにある扉を開けると、そこは貴重書庫だ。和本や吉田文庫の貴重書、古い「京都新聞」などが収められている。

26
★貴重書庫の和本の棚

27
★吉田文庫の準貴重書

 俳人・俳諧研究家として活躍した伊藤松宇が集めた、貴重な連歌俳諧書もある。このコレクションは、1945年(昭和20)の東京大空襲で焼失したと思われていたが、近年、総合資料館 に寄贈された資料を調査したところ、伊藤松宇のコレクションの一部だと判明したという。

28
★連歌俳諧書の棚

 壁際になにやら岡持ちのようなものが置かれている。「これは何ですか?」と訊くと、若林さんから「カチョウヨウリャクの函です」という謎の言葉が返ってきた。
『華頂要略』は京都青蓮院の寺誌で、本篇170巻169冊、附録44巻41冊 という膨大なものだ。それを収めていたケースらしい。

29
★『華頂要略』のケース

 この貴重書庫に収められた資料は順次デジタル化され、同館の「歴史資料アーカイブ」で公開される。

西山文庫のボックス資料

 やっと地下1階を見終わった。大量の貴重書を目の当たりにして、ちょっと食傷気味……なのだが、まだ地下2階がある。
 このフロアには、新聞や官報 、官公庁資料 などが収められている。ここには、同館が受け入れた最新の大型コレクションがある。
 それが「西山文庫」だ。なにしろ、2023年に受け入れたばかりなのだ。

 西山卯三は、1911年(明治44)、大阪市生まれ。京都帝国大学建築学科を卒業後、建築家として活動。住宅学者として、日本の住まいやまちづくりについて考えつづけた。『これからのすまい』『住み方の記』など著書も多い。旧制中学時代を回想した『大正の中学生』(彰国社)は、私の好きな本だ。
 1994年に83歳で亡くなると、同僚や教え子の尽力により、1997年に京都府木津川市で「西山文庫」を開設。のちに〈NPO法人西山夘三記念すまい・まちづくり文庫〉として、資料の整理・公開を行なってきた。

30 31  
★西山文庫の棚

 しかし、所蔵資料は経年的劣化の恐れがあり、「恒久的で安全な保管と広範な永続的公開」を望める機関として、歴彩館に寄贈された(「西山卯三と昭和のすまい・まちづくり展」パンフレット、歴彩館、2024)。京都は学生時代から西山が住んだまちであり、後半生は歴彩館のある下鴨の地を終の棲家としたという縁もあった。
 西山文庫の資料は以下のようなものだ。
「書籍・報告書・雑誌(約8500点)、手書き原稿・メモ・調査研究資料(約650ボックス)、著作原画(約70冊のクリアホルダー)、スケッチブック(約120冊)、写真ネガフィルム・スライド(約10万コマ)、日記・日誌・旅行ノート・講義ノート・学習ノート(約400点)、手紙・はがき・名刺(約45ボックス)」
 この引用だけで、じつにさまざまな形態があることが判る。整理するのには骨が折れただろう。
 建築関係の書籍や雑誌がずらりと並ぶ棚も壮観だが、テーマごとに分類されボックスに収められた調査資料が貴重だ。
 西山らが代表委員となり、1971年に結成された「京都市電をまもる会」のボックスは、棚の2段以上もあった。

30
★ボックス資料の棚

32
★「京都市電をまもる会」関係の資料

 ちょうど西山文庫の整理作業をしていた職員の 松田万智子さんにお会いすることができたが、「他のどこにもない手書きの資料が多いのが、西山文庫の面白さだと思います」と話してくれた。
 西山のスケッチの素晴らしさは、2017年に京橋の〈LIXILギヤラリー〉で開催された「超絶記録! 西山夘三のすまい採集帖」展で味わうことができたが、ここにはその現物がずらりと並んでいる。
「京都」と題されたスケッチブックを見せてもらうと、国際ホテルから見た比叡山や、嵐山が描かれている。

33 34
★西山卯三のスケッチブックより

 また、「安治川物語」という一冊には、ユーモラスな絵が見つかった。これは遺稿となった『安治川物語』(日本経済評論社)のためのスケッチだろう。

35
★「大和川堤での昼食」と題されたスケッチ

 ボックス資料には、1970年の大阪万博に関するものもある。
 西山研究室の助手だった広原盛明は、『評伝・西山卯三 20世紀の「すまい」を創った建築家』(京都大学学術出版会)で、大阪万博会場計画は西山にとって「苦い思い出」になったと評している。当初、会場計画の原案は西山と丹下健三が担当するはずだったが、結果として西山は外されたという。
 これを書いている2025年8月には、二度目の大阪万博が開催中だ。
 歴彩館では4月~6月に「EXPO 1851→2025」という企画展を開催。吉田文庫や西山文庫の博覧会関係資料が展示された。吉田光邦と西山卯三という専門もおそらく思想も異なる二人が、万博というテーマで結びついたのだ。
 展示というかたちで資料を生かす館の意義を、改めて認識させられる。

コレクションが生きる場所

 総合資料館の時代から、企画展、常設展、シンポジウム、講座などにより、情報発信の取り組みがされてきた。歴彩館になってもその姿勢は変わらない。
 企画展、資料紹介コーナー、京都学ラウンジパネル展などの展示、京都を学ぶセミナー、
京都学ラウンジミニ講座、資料に親しむ会などの講座、本を交換する「本の環」と同時開催の飲食イベントなど、じつに多彩だ。

 10月には、京都の本屋や出版社が出店する「下鴨中通ブックフェア」も開催する。こんなブックイベントまでやっていたのか! 「今年も開催する予定です」と楠さんは云う。歴彩館と京都府立大学前の広場 にずらりとブースが並ぶ光景は見ものだろう。私も参加したい。
 歴彩館のオープンから9年。収蔵庫の状況はどうなのだろう?
「スペース的にはまだ少し余裕がありますが、年に4000~5000点増加しているので、固定書架はもう満杯です」と、若林さんは苦笑する。

 同館には、ほかに所蔵されていない1点ものの資料が多く、現物資料も収蔵する。
「京都を舞台にしたアニメ『けいおん』のポスターや、京都府のキャラクター『まゆまろ』の手ぬぐいも収集しています」
 京都に関するものなら、とにかくなんでも収集対象になるのだ。
「地域の郷土誌は継続的に集めています。ぜひ当館に寄贈していただきたいです」と、二人は口を揃える。
 こんなに熱心な司書・学芸員がいる館だったら、自分のコレクションを預けたいと思う人は多いのではないか。

 取材のあと、閲覧室で同館の広報誌や紀要をざっと見る。久しぶりに調べものの快感を味わってから、シェアサイクルに乗って古本屋めぐりへと向かう。今夜は新刊書店〈誠光社〉でのトークイベントに出演することになっている。京都の本の文化に親しむ一日となった。

 
 
京都府立京都学・歴彩館
京都府京都市左京区下鴨半木町1−29
https://rekisaikan.jp/
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu
 
 

━━━━━━━━━━\\大好評発売中!//━━━━━━━━━━
            南陀楼綾繁 著
     書庫をあるく アーカイブの隠れた魅力」
 
ご好評をいただいている『書庫をあるく』(連載1〜19回収録)は、
今も幅広い読者の皆さまにご支持いただいています。今後の連載と
あわせて、ぜひこの1冊からお楽しみください。

cover_shoko_20241225

書名:「書庫をあるく アーカイブの隠れた魅力」
著者名:南陀楼綾繁
出版社名:皓星社
判型/ページ数:A5判並製/256頁
税込価格:2,530円
ISBNコード:978-4-7744-0840-8

大好評発売中!
https://libro-koseisha.co.jp/history_culture/978-4-7744-0840-8/

Copyright (c) 2025 東京都古書籍商業協同組合

廃棄する前に7
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)

廃棄する前に7
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)

三昧堂(古本愛好家)

何時求めたのか、整理しようとした雑誌の中から『現代詩手帖』1978年4月号「増頁特集=
短詩系文学」が出てきた。高柳重信、赤尾兜子、永田耕衣、三橋敏雄などがまだ存命中で
執筆している。そんなことから買ってあったのだろう。頁を開いたら、辻征夫が「桃の花」という詩を寄稿していた。辻は前回ふれた小沢信男さんが、その死を惜しんだ浅草生まれで向島育ちの詩人である。貘や高田親子同様、世渡り不器用な詩人だった。2006年6月、東京古書会館で開かれた地下室の古書展の折、小沢さんと坂崎重盛さん、石田千さん三人の記念トーク
ショーが開かれたことがある。小沢さんは辻との交友について思いを込めて話されたのだが、私は知らない詩人であったので興味を持ち、その後、詩集やエッセイ集など目につけば求めてきた。

〇「現代詩手帖」1978年4月号
〇「現代詩手帖」1978年4月号

  桃の花
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

山之口貘は書いている
いなかはどこだと
おともだちにきかれて
ミミコさんがこまったときのことだ

こまることなど
ないじゃないかと
貘先生
玄関の戸を
あけるまえ
靴をはきながらかんがえる
たとえいなかはどこでも
ミミコはミミコ
ぼくはぼく
それでじゅうぶん
この世界はなりたっている
その証拠に
咲いていなさい桃の花!

いささか
首をかしげざるをえない
         論理だが
桃の花はみごとに咲いていたと
山之口貘の詩が証明している

辻と貘にどういう交友があったのか不明だが、この詩で山之口貘と小沢信男と辻征夫が繫がった。辻のこの詩は詩集『落日』(1979・思潮社)に収録されている。
「桃の花」は、勿論貘の詩でもある。詩集『鮪に鰯』(1964・原書房)に収録されている。

〇詩集「鮪に鰯」(1964・原書房)
〇詩集「鮪に鰯」(1964・原書房)

  桃の花
いなかはどこだと
おともだちからきかれて
ミミコは返事にこまったと言うのだ
こまることなどないじゃないか
沖縄じゃないかと言うと
沖縄はパパのいなかで
茨城がママのいなかで
ミミコは東京でみんなまちまちと言うのだ
それで何と答えたのだときくと
パパは沖縄で
ママが茨城で
ミミコは東京と答えたのだと言うと
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

「ミミコはミミコで ぼくはぼく」、桜でも梅でもない「桃の花」。辻の詩が貘の詩の心を解説してくれている。辻の詩を読んだ者は、かならず貘の詩を探すに違いない。「ミミコ」は
貘の娘泉さんである。貘の詩に次の詩がある。

  ミミコ
おちんちんを忘れて
うまれて来た子だ
その点だけは母親に似て
二重のまぶたやそのかげの
おおきな目玉が父親なのだ
出来は即ち茨城県と
沖縄県との混血の子なのだ
うるおいあるひとになりますようにと
その名を泉とはしたのだが
隣り近所はこの子のことを呼んで
いずみこちゃんだの
いみこちゃんだの
いみちゃんだのと来てしまって
泉にその名を問えばその泉が
すまし顔して
ミミコと答えるのだ

山之口貘には、この娘さんを題材にした詩や小説が沢山ある。その前に長男も生まれたのだが僅か1歳で亡くなっている。それだけに昭和19年、41歳で授かった娘への愛は深いものがあったのだろう。

貘は昭和12年に金子光晴・森三千代の立ち合いで安田静江と見合結婚し、金子居に近い牛込弁天町の四畳半のアパートで暮らし始める。14年には「都新聞」の蒲池の紹介で東京府職業紹介所に就職する。仕事を転々とした詩人が職安に勤めることになるとは面白い。昭和23年まで務め、以後文筆一本の生活に入った。

結婚までの経緯と新婚当初の生活を描いたのが『中央公論』昭和26年12月号に掲載された「第4「貧乏物語」」である。戦中戦後の女傑3名を水泳法になぞらえて描いた伊藤逸平「第2「女ばかりの都」」、東京都清掃事業部の笠井恵策の「第2「糞尿譚」」と同時掲載であった。

笠井の文章は下水道完備以前の東京の衛生事情を軽妙洒脱な文章で解説したもので、極めて面白い。貘の一編はエッセイ風だが『山之口貘全集』では第2巻の小説篇に収録されている。
第4とあるのは、誰か他の三人が前に「貧乏物語」を書いているのだろう。貘が付けた題名ではないと思う。前回紹介した「詩人便所を洗う」の原稿料にも触れていて興味深い。

〇「中央公論」昭和26年12月号
〇「中央公論」昭和26年12月号

 
貘は当時(昭和12年)温灸屋をやめて、シミ雀斑の薬を販売する仕事をしていた。月給は30円、1人で生活するのがやっとだが、結婚したいと思っていた。世話をしてくれる人があって、月給は安いが詩人であり、その方で収入があると女性に伝え、金子光晴・森三千代媒酌で立派な結婚式もあげる。しかし時々書く詩の原稿料などあてにならない。新婦は話が違うと苦情を言うが、貘が心配した離婚はせず、丸の内にあった歯科医院で働き始めた。給料は30円。

そんな折、『中央公論』に「詩人便所を洗う」を寄稿、その原稿料は80円だった。この反響か文藝春秋の雑誌『話』(昭和14年2月号)に「風変わりな人達の『話』の会」という座談会に出る。昭和23年、山之口家は戦時疎開していた茨城県から練馬区貫井の豪壮な月田邸に移る。玄関わきの一室を借りたのである。昭和19年に生まれた長女泉は女子大の付属小学校に入ったが、家賃も学費も滞納続き、結婚して15年相変わらずの貧乏暮らしであるという内容である。高田渡が曲を付けた詩「結婚」(アルバム「ごあいさつ」収録)も引用されている。
因みに『話』掲載の座談会は、異常な潔癖家の松竹社員黒川一の話が強烈過ぎて、貘は「詩人便所を洗う」の話をするが影が薄い。

ペン一本の生活を始めた山之口家の収入は月二千円ほどだったという。他の著名な詩人たちの収入の程は分からない。最近利用度の増した国会図書館デジタルコレクションの全文検索で、貘がどんな雑誌に詩やエッセイを寄稿していたか調べてみたが、想像以上に多くの雑誌がヒットして驚いた。以下早い順にその誌名を上げる。『セルパン』『行動』『文藝』『東大陸』『公論』『書物展望』『新創作』『こどものまど』『風刺文学』『人間』『世界文化』『日本未来派』『文芸往来』『魔法』『改造文芸』『群像』『新潮』『新日本文学』『詩学』『文藝春秋』、これで1950年までである。『人間』への寄稿が一番多い。勿論先に紹介してきた『改造』『中央公論』への寄稿は多い。

比較は難しいが、前にも書いたように貘は埋もれた詩人ではない。しかし貧しいのは事実であった。昔から言われるように詩人や画家は食えない職業(?)なのであろう。
先に上げた寄稿雑誌の中で『詩学』昭和25年6月号掲載の「淵上毛銭とぼく」は悲しい詩人の運命を描いて心を打つ一文である。昭和23年に八雲書店から刊行されるはずが未刊に終わった詩集の序文を中心にした追悼文である。貘はあるとき本所の「はんろう」という珈琲店で店主の小野八重三郎氏からチェロ弾きですと若き淵上毛銭を紹介された。まだ少年のような感じで以後「坊や」と呼んで交流が続いたが、数年後、毛銭から長い間闘病生活を続けているが詩を書くようになった、詩集を出したいので序文を書いてくれと言う手紙が届いた。詩集は淵上喬の本名で昭和18年に出た『誕生』(詩文学研究会)である。貘は詩には触れず「チェロは鳴らずに詩が鳴った」と書いた。この『誕生』は稀覯本で未見だが、『淵上毛銭詩集』(1999年・石風社)で編者の前山光則氏が解説「淵上毛銭小伝」の中で、この時の貘の序詩を引用している。

十年前の
未来のチェロ弾きよ
チェロは弾かずに
うたつたか
きけばずゐぶん
ずゐぶんながいこと
チェロを忘れて仰臥てゐるとか
チェロの背中もまたつらからう
十年前のあのチェロ弾きよ
チェロは鳴らずに
詩が鳴つた

貘は毛銭の詩を「悲痛を極めた長い間の闘病生活」から生まれたものだが「あかるくて澄んでいて、澄んでいるくせにおもしろい」と評価していたが詩には直接触れないで来た。戦後八雲書店から詩集が刊行されることになり編集を担当、詩集の名を『ぶらんこ』と決めた。しかし八雲書店の都合で未刊に終わり、毛銭は昭和25年に亡くなってしまう。昭和22年に高橋輝雄の版画で飾られた限定300部の『淵上毛銭詩集』が青黴誌社から刊行されているので、それとは別に編まれる予定の詩集だったのであろう。その後、『淵上毛銭詩集』は昭和47年に国文社から刊行されている。

この水俣の詩人淵上毛銭もまた貘同様に、ダンスホールのバンド、新聞配達、トラック運転手の助手、寄席の下足番など職を転々としている。前記の前山氏は無技巧に見えて実は洗練された詩文など二人に共通性を見ているが、貘が故郷喪失者であるのに対し、毛銭は放浪者的傾向を持ちながらも「土着の人間や習俗への理解が深く」故郷喪失者ではなかったと書いている。成る程と思う。

貘は、岡本潤と共に『新日本文学』昭和25年5月号に許南麒の詩集『朝鮮冬物語』(昭和24年・朝日書房)の書評を「人間朝鮮のすがた」と題して書いている。「全巻が抵抗と反撥と涙と愛惜とに溢れた詩集である。これらの詩は永い間の歴史の底から抵抗し涙し愛惜しながら現代の明るみのなかへと這い出して来た「朝鮮」のひとつの姿なのであって、この詩人のいわゆる日本帝国主義の門弟である朝鮮帝国主義を押し除けて来た、人間朝鮮の姿なのである」と高く評価している。

許南麒は大正7年、日本統治下の朝鮮半島で生まれ、昭和13年に来日、日大と中央大学に学び日本語で詩を書いた。若き貘もまた琉球語を使う者に科された方言冊に象徴される日本政府の強烈な言語政策に反抗を続け結局は沖縄から出て行かざるを得なかった。日本統治下の朝鮮の人々は言葉だけでなく皇民化政策として創氏改名まで強制された。貘は、この民族への弾圧に抵抗するものとして許南麒に大いなる共感を得たのだと思う。

貘は生涯にわたって沖縄を詠い、沖縄への思いを随筆や評論で表してきたが、『山之口貘沖縄随筆集』(2004年・平凡社ライブラリー)の巻末に「沖縄・父・沖縄」を書いた、長女山之口泉さんが、『父・山之口貘』(1985年・思潮社)で「父と私の沖縄をめぐる意見の相違について触れた部分があり、なぜ沖縄は日本に帰る必要があるのかという私の疑問とそれに対する父の言葉が書いてある」とあるが、不思議なことに貘は沖縄が日本に帰属することに疑問を持っていなかったように見える。しかし、この連載の最初にも書いたが、琉球語を表記する場合にカタカナを用いることを、琉球語でなくやまとの言葉で詩や随筆を書くことに本当は抵抗があったのではないかと思うのである。日本語で書くことが当然の日本人との違いが、失われた古きよき沖縄への郷愁と相俟って、貘の詩に深い哀愁と深みを与えているのではないだろうか。

 
 
※シリーズ古書の世界「破棄する前に」は随時掲載いたします。
 
 

Copyright (c) 2025 東京都古書籍商業協同組合

本とエハガキ⑦ 読書エハガキ②寄宿舎読書

本とエハガキ⑦ 読書エハガキ②寄宿舎読書

小林昌樹

学校寄宿舎の読書エハガキ

 戦前、公的施設の記念エハガキが出版されることが多かったことは今までに述べたが、学校などもそうで、運動会などがエハガキで残っている。ただ、読書とのからみでいうと、授業中の読書風景などはそう多くない。そのうち図書館エハガキの関連で学校図書館を紹介することになるだろうが、ここでは存外に読書風景が多く残っている寄宿舎を紹介する。
 中学校や高等学校など、当時、義務教育ではなかった学校では寄宿舎が用意された。戦後、大学の教養課程になる高等学校では、原則として寄宿舎に入らねばならなかったくらいである。

本のタテ置き・ヒラ置き

 次の【図7-1】は1907年に開校した山口高等商業学校の寄宿舎自習室である。冬だからか手元に火鉢があり、壁にコートが掛かっている。さらに壁には洋画が掛けられ、勉強している(ふり?)の学生も高等商業(高商、戦後は大学に)なので大人びている。妙に明るく電灯の影が壁に写っているのは、フラッシュでも焚いたのだろうか。右の人物は辞書を卓上に広げている。卓上には壁によりかけて本をタテ置きしているが、本のタテ置きは明治30年代からで、この写真の撮影(明治40年代)からそう古いことではない。また今、見慣れている板金をL字ないし逆T字にしたブックエンドは見えない。明治30年代からブリキ製の「本立て」が普及してはいたようだが(「インキの話」『今世少年』1(14) p.64, 1900.12)、日本におけるブックエンドの普及史はまだ不明である(米国では1877年に特許が取られた)。

7-1
 【図7-1】「寄宿舎自習室(其二)」
 罫線パターンb 明治末〜大正初 山口高商消費組合発行

 次の【図7-2】は現在の長野県野沢北高等学校(佐久市)にあたる野沢中学校の寄宿舎。
その「閲覧室」だとキャプションにある。本棚は壁に掛けられたボックスにヒラ置きで30冊ほどがしまわれているのと、卓上に5冊ほど、これまたヒラ置きで置かれているくらいしか見えない。寄宿舎の場合、他に書庫があるとも思えないので、これが全蔵書なのだろう。やや乏しいように感じられる。

 ヒラ置きでなおかつハードカバーの本が少なそうに見えることから、ほとんどが雑誌と思われる。右の少年が(高さからいって)椅子に座っているが、その向こうにあるものは机というより小さなオルガンだろうか。逆光でよく見えないのは、室内写真はむしろ逆光が普通になるからである。前の【図7-1】は例外的にはっきりしているということも比較するとわかる。

7-2
 【図7-2】「長野県立野沢中学校寄宿舎創立十周年記念(其三)閲覧室」
 罫線パターンb 明治末〜大正初

蔵書はガラス戸つき書架へ。そして鍵を⋯⋯

 【図7-3】は広島県立忠海(ただのうみ)中学校の寄宿舎閲覧室である。キャプションに「寄宿舎生活」とあるように、おそらく寄宿舎の写真エハガキは郷里の親元に送られるために製造販売されたものだろう。これまでの図のキャプションの( )内に「其一(そのいち)」といった付記事項があるのは、他に「其二」といったセットのエハガキが頒布されたからだろう。

 学校図書館など、中小規模施設の蔵書保管法としてはこの写真のほうが標準的で、ガラス戸つきの大型書架に図書がしまわれていた。写真の右側にさらに同じ幅ほど書架が続いているはずで、1段に図書20冊が入るとすると、かける12段で240冊ほどを所蔵していることになる。

 殊勝にも読書にふけっているさまは、まさにポーズを取っている(カッコつけている)としか思えないが、新聞など薄物ばかりを見ているのは普段の使い方が反映されたものだろう。
壁に黒板があるのは、ここで多少の議論をしたものだろう。世界地図も貼られている。学校図書館では掛図や地図などが壁に貼られるのがむしろ普通だった。

7-3
 【図7-3】「広島県立忠海中学校寄宿舎生活 閲覧室」
 罫線パターンb 明治末〜大正 神崎栄一商店発行

 忠海中学の生徒はみな制服を着ている。拙著『立ち読みの歴史』(ハヤカワ新書)にも書いたが、戦前、とある地方都市では中学生だと立ち読みを書店がとがめない、という証言が残っている。当時の中学生は同世代の一割にも満たず、今と全く異なるエリート予備軍だった。

 【図7-4】は【図7-1】と同じ、山口高商のもの。前図と同様、さかんに新聞紙を読んでいるが、読者の年齢は高商なのでずっと高い(左端の少年はその隣の人物の弟だろうか)、何より重要なのは書架の前の人物が行っている行動である。彼が何をしているのかお分かりだろうか。そう、鍵を開けようとしているのである(閉めようとしているのかもしれないが)。

 これはより規模の大きい学校図書館でも同様なのだが、寄宿舎で蔵書はガラス戸つきの書架に収められるパターンが多い。なぜガラス戸つきかといえばもちろん背文字を見て選ぶためだが、一方で盗難に備えるためでもある。盗難に備えるには錠前が付いていなければならず、それは鍵をしかるべき担当が持って、開けたてをする、というのが基本だった。

 戦後の図書館改革で、戦前の学校図書館はガラス戸に鍵をかけてけしからん、と自由化が叫ばれたことから、鍵をかけていたことは知っていたのだが、その鍵の開けたての現場を、これこのように自分の目で見れるとは、写真エハガキを集めたかいがあったというもの。

7-4
 【図7-4】「寄宿舎閲覧室」
 罫線パターンb 明治末〜大正初 山口高商消費組合発行

 次の【図7-5】は名門、松本高等学校の寄宿舎「思誠寮」の居室と図書室の写真2枚が1枚のエハガキに印刷されている。『松本高等学校落成記念写真帖』(松本高等学校、1922)を見ると、思誠寮はなかなか大きな建物で、図書室も立派なものが附属していたのだろう。松本高等学校は1919年開校で同時に寮ができたとすれば、「思誠寮第八回記念祭」と押印された記念スタンプにあるので、1927年のものだろう。

 拡大しないとわからないが、右下の写真で、卓上にある雑誌は(おそらく穴をあけて紐を通し)綴られていたことがわかる。灰皿(香炉かも)の向こう側に置かれた分厚く堆積した大判の冊子(図版面が出るよう開かれている)は、いわゆる「画報」(図版主体の大判雑誌)で、テレビのない時代のテレビだ。大正期から昭和30年代まで主要なビジュアル資料であり、ホテルのロビー、各種の待合いなどに置かれ、かなり普及していたメディアだ。しかしいかんせん、保存されづらかったこともあり、出版史ではほとんど注目されてこなかった。ようやっと近年、藤元直樹による初の論考が『近代出版研究』2号(2023)に掲載されたくらいである。

 ガラス戸なしの棚が左に見えることから、セキュリティはわりとゆるい運用をしていたようだが、ラベルを付けてきちんと管理していたことがわかる。
 もちろん個人所有の図書類は左上の写真にあるように、居室に少しあるわけである。

7-5
 【図7-5】「思誠寮居室/思誠寮図書室ノ一部」
 罫線パターンc 1927年か

 居室では寝転がって読書しているが、右下、図書室ではきちんと西洋風の本棚、大テーブルで(椅子に座って)読書している。【図7-2】では閲覧室もまだ畳敷きだったのに、読書の仕方が大正期に、すくなくとも寄宿舎内のセミ・パブリックな場所では洋風になって行ったことがわかる。
 居室の棚は一見、今の本棚風だが、『松本高等学校落成記念写真帖』を見ると、どの部屋も同じ作り付け棚のようだ。柱に人物像が貼られているが、拡大すると米国大統領ワシントンの肖像とわかる。微笑ましい。雑誌から切り取ったものだろうか。

しゃべって勉強ができない(!?)旧制高校の寮

 次の【図7-6】は岡山市にあった第六高等学校のもの。表面を見ると使用済みエハガキで、「国富六高生徒寮中寮五室」にいた村上忠直くんが広島高校の「薫風寮」にいた友人に出したものとわかる。

7-6
 【図7-6】「寮生活(其一)自習室」
 罫線パターンc 表面消印から1930年か

 村上くんは言う。「夜は一室八人でシャベッテゐるから勉強はほとんど出来ない。町はさびしいしメッチェンは悪いし幾分幻滅の悲哀を感じてゐる。」と。「メッチェン」などと、戦前の学生語も微笑ましいが、居室では勉強できないのが実態だったようだ。となると、【図7-6】に写った自習室が重要になってくるのではあるまいか。村上くんはここで懸命に自習したようだ。

 というのも、大阪出身の彼は東京帝大を卒業し大林組に勤めたらしいのだ(高等学校生は多く帝国大学に進学したことから学士会『会員氏名録』を調べた)。
 第六高等学校生徒寮が出した『六稜寮史』(1929)によると、自習室の他にも「寮内閲覧室」という立派な図書館もあった。ちなみに寮はかなり大きな家屋(2階もある)で、『第六高等学校一覧 昭和4年至昭和5年』(第六高等学校、1929)に平面プラン【参考1】が
あったので掲げておく。下図の「田」の字型平面の建物(図内20)がそれ。東西に長い3棟を廊下で南北につないでいる。東に食堂が、東南に便所がある。西に図書館(図内16)、さらに図外に校舎がある。次に紹介する山形師範の寮から考えると、相部屋8人ほどの居室(寝室)のとなりに自習室が設定されていたようだ。

7-6_平面プラン
【参考1】寄宿舎平面図

黙読ならぬ「黙学」で勉強しまくり(!?)師範学校の寮

 次の【図7-7】は山形師範学校(戦後、山形大学教育学部、現・地域教育文化学部)の寄宿舎自習室である。
 床は板敷きで机に椅子ずわり。ずいぶん生活が西洋風になっているのがわかる。
 何より注目したいのは、卓上に置かれている横スライド式戸をつけた本箱である。名称は未だ不明だが(ご教示あれかし)、こういった学校の自習室におかれ、使用者の名前が明示されていることから、個人が手元で使う書籍(辞書類か?)、ノートなどが入れられていたものと思う。

7-7
 【図7-7】「山形師範学校 寄宿舎自習室」
 罫線パターンc 1929年か
 

 右列手前の人物は「田中富六」くん。拡大すると本箱のスライドふたの名標からわかる。同時にこの田中富六くん(改姓して大森富六)は大正14年卒業とわかるので、この写真エハガキの出版年は1925年前後だろう。山形師範の寄宿舎「馬畔寮」は1923年11月15日午前1時に全焼し、「共栄寮」が1924年12月再建されたが、田中富六は新寮舎に入れなかったので、おそらく「馬畔寮」時代の撮影。

 山形師範では「創立以来、寄宿舎では、午後七時から九時までは「黙学」という自学自習の時間があ」ったので(渡辺宏『六稜の青春:山形師範学校物語』中央企画社、1972、p.27)、この自習室が夜にも使われたのだろう。向こう側に裸電球が天井から吊り下がっているのが見えるが、よく見ると左にコードが長く垂れ下がっているのがわかる。これは必要に応じてこの裸電球の位置を変えられるための措置と考えられる。灯火の歴史と読書(夜の読書)の歴史は不可分であるがあまり検討されていない。ちなみに「黙学」は明治初めの東京師範学校からあるらしいが、各種辞典に立項されていない。戦後なくなったようだ。

 山形師範の自習室は居室(寝室)とセットだった(どうやら大正期から師範学校ではそういうパターンだったらしい)。「自習室の方は東側で二間に三間位、テーブルに椅子が七人分置かれていて、東側に八人分の本立てがあり、机の上には本箱があった。四人づつが向き合う様になって、真中に通り道があった。西側が寝室になっていて」と今泉亨吉という人の私家版『原方士族の次男坊』(1984、p.517)で説明されている。

 この今泉の証言によると【図7-7】の左奥に見える書棚は、銘々膳ならぬ銘々棚ということになる。一人宛て60冊以上本があるのは、師範(教員養成)ゆえだろうか。【図7-6】の旧制高校と比べると非常に多く感じられる。また、卓上の本箱と壁書棚の運用の違いを知りたいものである。壁書架の、上から二段目の本の並びで、高さが妙に一致しているのが気にかかる。今泉が「椅子が七人分」と書くのは、【図7-7】のように8人が標準のところ、今泉の部屋は1名欠員だったのだろう。

教養的読書と修養主義読書――次回は軍隊読書

 今回、こうして寮の読書風景を時代順にながめてみると、服装が洋風になると同時に、本の読み方も洋風になってきているのがわかる。また学校の種類でも読書の雰囲気がかなり異なることが直感できよう。正規の課程外の読書を重んじる「教養主義」だが、そんな雰囲気の旧制高校の自習室【図7-6】、きっちりきちきちした「修養主義」的な居住まいで本を読んでいる師範学校の自習室【図7-7】。読書エハガキに出てくる写真の人物は多分にポーズを取っているので、ありのまま、そのままではないのだが、それでもなお、「娯楽主義」がデフォルトになっている現代の我々から見ると、ずいぶん今と異なる雰囲気が写真エハガキから感じられてくる。拡大すると写っている人物名までわかってしまったのにも改めて驚いた。
 次回は読書エハガキの続きで軍隊読書。

エハガキの罫線パターン(連載1回にも掲載)

【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)
【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)

お知らせ――『出版社〈ミニ社史〉横断索引——2300社の自社紹介が見つかる』

 主宰する近代出版研究所で重要な事業の一つに、近代出版史に関するレファレンス・ツールの開発があります。この度、『出版社〈ミニ社史〉横断索引』なるツール【参考2】を開発し、夏のコミック・マーケット(2日目、8/17)で頒布します。

 昭和26年の『著作権台帳』ほか、40点以上の典拠に掲載された出版社の「自社紹介」記事――これを研究所では「ミニ社史」と称しています――数千点を、これ1冊で引ける横断索引です。近代日本の出版社、2300社分。おまけで単行本の社史の有無も付記しています。

 今までこのようなものはありませんでした。当分ないでしょう。
 コミケの残部は文学フリマやとしょけっと、皓星社のサイトで販売します。厚くなったので頒価は3000円です。

7-8
 【参考2】『出版社〈ミニ社史〉横断索引』版面(左)と、
 一部転載収録した『著作権台帳』の〈ミニ社史〉部分
 
『立ち読みの歴史』
 
書名:『立ち読みの歴史』
著者:小林 昌樹
発行元:早川書房
判型/ページ数:新書/200頁
価格:1,320円(税込)
ISBN:978-4-15-340043-6
Cコード:0221
 
好評発売中!
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000240043/

Copyright (c) 2025東京都古書籍商業協同組合

2025年7月25日 第423号

■■■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■
。*..*.:☆.:*・日本の古本屋メールマガジン・*:.☆.:*..*。
    。.☆.:* その423 7月25日号 *:.☆. 。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
このメールは「日本の古本屋会員」の方で、メールマガジンの配信
を希望された方にお送りしています。
ご不要な方の解除方法はメール下部をご覧下さい。
【日本の古本屋】は全国1、009古書店参加、データ約690万点掲載
の古書籍データベースです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

☆INDEX☆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1.刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画秘史
                            山本芳美

2.古本屋ツアー・イン・ジャパン2025年上半期報告
                  古本屋ツーリスト 小山力也

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━━【自著を語る(343)】━━━━━━━━━━

刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画秘史

                            山本芳美

 2025年3月末に、『刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画
秘史』を青土社より刊行した。沖縄や台湾で研究してきた文化人類学者が、
映画学専攻の若手研究者である原田麻衣さんや青土社の編集者である山口
岳大さんの力を借りて書き上げた本である。本書は、東映京都撮影所の映像
づくりと日本映画が大不振期にあった70年代までを、毛利さんのライフ
ヒストリーを含めて掘り起こした。世代も専門も異なる女性研究者が
バディを組んだこともあって、「奇書」と評されている。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=22950
 
 
書名:「刺青絵師 毛利清二-刺青部屋から覗いた日本映画秘史-」
著者:山本芳美・原田麻衣
発行元:青土社
判型/ページ数:四六判・256頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-7917-7691-7
Cコード:0074

好評発売中!
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4011
 
 

━━━━━━━━━━【古本屋ツアーインジャパン】━━━━━━━━━

古本屋ツアー・イン・ジャパン2025年上半期報告

                    古本屋ツーリスト 小山力也

 私は今年も、非常にてんてこ舞いなのである……その訳は、去年同様に
開催されることが決まってしまった、大阪「梅田蔦屋書店」での独り古本
フェアのために、またも古本五百冊以上を用意しなければならなくなった
のである。一度やってみて大変なことは重々承知していたのだが、「去年
のフェアはお客さんにも店長にも好評でした。今年も是非!」などと言わ
れたら、断れるわけがない。おかげで、様々なお店に不要古本を持ち込み、
買い取ってもらい、家を圧迫する本を減らしつつあったのだが、いつの間に
やら売る以上に、古本を買い込むモードに入ってしまったのである……
もはや私の人生は、どうにも古本から離れられぬようだ。

 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=22956
 
 
小山力也
2008年5月からスタートした、日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、
全調査踏破を目指す無謀なブログ『古本屋ツアー・イン・ジャパン』管理人。
西荻窪「盛林堂書房」の『フォニャルフ』棚と大阪「梅田蔦屋書店」で古本を
販売中。「本の雑誌」にて『毎日でも通いたい古本屋さん』、「日本古書通信」
にて『ミステリ懐旧三面鏡』連載中。
http://furuhonya-tour.seesaa.net/
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━【プレゼント企画】━━━━━━━━━━━━━

△▼▼△▼△▼「小田光雄を偲ぶ 著書一覧」▼△▼△▼▼△

昨年、逝去された小田光雄さんの追悼会が2025年6月に開催されました。
この会で配付された小冊子『小田光雄を偲ぶ 著書一覧』を、20名様に
プレゼントいたします。ご希望の方は、下記よりお申し込み下さい。
ご応募、お待ちしております。

■『小田光雄を偲ぶ 著書一覧』お申し込み

締切日 2025年7月28日(月)午前10時
※当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。

たくさんのご応募ありがとうございました。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━「中央線はしからはしまで古本フェスタ」のお知らせ━━

2023年、初開催にして大好評を博した「中央線古本市」が、今年帰って
きます!東京・中央線沿線の個性豊かな古書店たち、全36店が東京古書
会館に大集結。「どんなお店が参加するの?」と思った方は、ぜひHPで
チェックを。今回も、きっといい本との出会いがあります。
ご来場、お待ちしています!

中央線線支部HP
https://kosho-chuousenshibu.jimdofree.com/

中央線はしからはしまで古本フェスタHP
https://www.kosho.ne.jp/?p=783

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━【書影から探せる書籍リスト】━━━━━━━━━

「日本の古本屋」で販売している書籍を、テーマを深掘りして書影から
探せるページをリリースしました。「日本の古本屋」には他のWebサイト
には無い書籍がたくさんあります。ぜひ気になるテーマから書籍を探して
みてください。
 
「日本の古本屋」書影から探せる書籍リスト
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13964

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━━━

書名:『本なら売るほど 1』
著者:児島 青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:792円(税込) 
ISBN:978-4-04-738107-0
Cコード:C0979

書名:『本なら売るほど 2』
著者:児島 青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:836円(税込) 
ISBN:978-4-04-738374-6
Cコード:C0979

漫画誌『ハルタ』で連載中

好評発売中!
https://www.kadokawa.co.jp/product/322405000881/

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
書名:『版元番外地――〈共和国〉樹立篇』
著者:下平尾 直
発行元:コトニ社
判型/ページ数:四六判・288頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-910108-22-3
Cコード:C0095

好評発売中!
https://www.kotonisha.com/project-21

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
書名:『自由への終わりなき模索
-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』
編著:清原悠
発行元:ころから
監修:模索舎アーカイブズ委員会
判型/ページ数:A5判/864頁
価格:7,700円(税込)
ISBN:978-4-907239-78-7
Cコード:C0036

2025年8月発行予定
http://korocolor.com/news/202505-mosaku-yoyaku.html

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━━

2025年7月~2025年8月の即売展情報

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

見逃したメールマガジンはここからチェック!
【バックナンバーコーナー】
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_category.php?catid=49

┌─────────────────────────┐
次回は2025年8月中旬頃発行です。お楽しみに!
└─────────────────────────┘

*☆ 本を売るときは、全古書連加盟の全国の古書店に ☆*
全古書連は全国古書籍商組合連合会(約1,950店加盟)の略称です

https://www.kosho.or.jp/buyer/list.php?mode=from_banner

================================

日本の古本屋メールマガジン その423 7月25日

【発行】
東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
広報部・編集長:藤原栄志郎

================================

・メールマガジンの購読停止、アドレスの変更はマイページから
お願い致します。
https://www.kosho.or.jp/mypage/

・このメールアドレスは配信専用です。
返信いただいても対応致しかねます。ご了承下さい。

・メールマガジンの全てまたは一部を無断転載することを禁じます。

・メールマガジンの内容に対するご意見、ご感想は
melma@kosho.ne.jp までお願い致します。

・メールマガジン内容以外のご質問は info@kosho.or.jp へお願い
いたします。なお、ご質問の内容によりましては、返信が大幅に
遅れる場合もございます。ご了承下さい。

============================================================
☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*゜*・゜☆*.:*・
============================================================

古本屋ツアー・イン・ジャパン2025年上半期報告

古本屋ツーリスト 小山力也

 私は今年も、非常にてんてこ舞いなのである……その訳は、去年同様に開催されることが決まってしまった、大阪「梅田蔦屋書店」での独り古本フェアのために、またも古本五百冊以上を用意しなければならなくなったのである。一度やってみて大変なことは重々承知していたのだが、「去年のフェアはお客さんにも店長にも好評でした。今年も是非!」などと言われたら、断れるわけがない。おかげで、様々なお店に不要古本を持ち込み、買い取ってもらい、家を圧迫する本を減らしつつあったのだが、いつの間にやら売る以上に、古本を買い込むモードに入ってしまったのである……もはや私の人生は、どうにも古本から離れられぬようだ。

だが幸いなのは、今年のフェアは十月開催予定なので、少しだけ去年より余裕があるのだ。
今現在大阪に送ることが出来たのは二百冊強。つまり後三百冊プラス、フェア補充用の古本を用意しておかねばならぬのである……ふ、古本を買って買って買いまくるしか、道はない! しかも安く良い本を見つけなければ意味はない! そんな訳で、今日も馴染みの古本的相性の良いお店に、良質な古本を求めて通い続けているのである。  

 その仕入れの場所は、去年同様やはり主に近所である。遠くまで買いに行くと、交通費という足枷が重くなるので、仕入れはやはり交通費のかからぬ近所でということになる。その主なルートを去年より詳しく挙げてみると、まずは阿佐ヶ谷&荻窪コース。「古書ワルツ荻窪店」「竹中書店」「岩森書店」を回って徒歩で阿佐ヶ谷に戻り、帰り道がてらの「千章堂書店」と「古書コンコ堂」と「銀星舍」を覗いて行く。もっとも、阿佐ヶ谷の三店は、何処に出かけても最後に必ず立ち寄るお店である。

西荻窪コースは、「盛林堂書房」と「古書音羽館」で、ここに時々かなり離れた「古書西荻モンガ堂」が加わる。吉祥寺は「バサラブックス」から「古本センター」へ。そして最後に「よみた屋」というパターンが多いが、ここに最近「藤井書店」が加わってしまった。連続して署名本や良書を安く買えたので、ルートに加えざるを得なくなったのである。通うお店は、どのお店でも毎回買えるという訳ではない。無駄足になることも多いし、また潮目が変わり、今まで足を運ばなかったお店がルートに加わったりすることもある。色々組み合わせを替えることにより、古本屋さんを巡る楽しさもまた変化することに、今さら気付いたりもしている。

三鷹では「りんてん舎」と「水中書店」。武蔵境近辺では新小金井の「尾花屋」を合わせ、「プリシアター・ポストシアター」と「おへそ書房」。高円寺では「西部古書会館」の催事と「古書サンカクヤマ」を組み合わせることが多い。さらに中村橋の「古書クマゴロウ」と保谷の「アカシヤ書店」を繋ぐルートもある。さらに下北沢の「ほん吉」→「古書ビビビ」→「古書明日」のルートは高確率で“黄金のルート”となるので、いつも行くのを楽しみにしている(ちなみにここには、代々木上原「Los Papelotes」経堂「ゆうらん古書店」東松原「古書瀧堂」が頻繁に加わる)。もちろん各店で狙うのは均一本であるが、均一本に良書の混ざるお店は、店内もまた魅力的な可能性大なので、掘出し物や欲しかった本や読みたかった本を見つけてしまい、ついつい散財してしまうことが多いのも事実である。

 以上のようにご近所の古本屋さんにお世話になりまくり、古本を買い集める日々を送っているのだが、当然こればかりではなく、少しは他の活動もしている。ひばりケ丘の新店「ひばりが丘書房」でようやく古本を買えたり、柴崎の「古書柴崎」で中井英夫「虚無への供物」の元本を薦められたり、西新井の「高田書店」の閉店に駆け付けたり、関内の「博文堂書店」や
学芸大学の「SUNNY BOY BOOKS」が店舗閉店したのを教えてもらったり、若林の「十二月津文庫」がすでに昨年三月に閉店していたことを今さら知ったり、「小川書店平塚店」が本店に統合されたのをタレ込まれたりしたが、上半期のトピックは、何と言っても蕨の「古書なごみ堂」の閉店を、宣伝的にお手伝いしたことであろうか。一ヶ月以上に渡って行われた閉店セール(三割引→五割引→七割引と推移)を宣伝するとともに、己もそれに完全に巻込まれ、
ついついたくさんの古本を買ってしまい、悲しくも嬉しいお別れとなってしまった。

 そう言えば「古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸」を出したことにより、入手出来た新店古本屋さん情報もあった。京都の画家で古書研究家の林哲夫氏から献本のお礼に届いた、何枚かのカードである。京都の「共同書庫」「NAGORO BOOKS」「暮霞書房」、兵庫豊岡の「だいかい文庫」などである。今現在、京都はもしかしたら東京より新しい実店舗が出来ているかもしれない……。  

 古本屋さんを巡る以外にも、相変わらず古本屋さんでお仕事もさせてもらっている。西荻窪「盛林堂書房」の買取手伝いは大体月に一〜二回のお仕事で、いつも力の限り古本を運んでいる。そんな風にこの仕事もちょっとは慣れたものだったが、つい先日、本のギッシリ詰まった重過ぎるダンボール三十箱を、時間制限のある中で、三階から一階まで薄暗い螺旋階段を伝って単独で下ろし続けたら、見事にエネルギー切れになってしまい、改めて古本屋さんのハードさを思い知ったりしたことも。また買取以外にも『神保町さくらみちフェスティバル 春の古本まつり』のワゴン販売を手伝ったり(年を経るごとにどんどん勤務日数が増えている)、これを書いている時点の七月現在、東京古書会館で行われている盛林堂主催の『探偵作家・大阪圭吉展』の受付を務めたりと、お店での活動の幅を微妙に広げている。  

 とこのように、上半期も古本屋さんに通い、古本を買い、古本屋さんで働き、古本屋さんに関する文章を書き、究極の古本片付けの本を出し、古本フェアの準備をしたりと、もはや自分が何者なのかわからぬ毎日を送っている。恐らく下半期もより一層、上記のような行動にさらなる拍車を掛け、暮らして行くに違いない。  それでは最後に、こんな活動の末に入手した掘出し物を列記しておこう。博文館「空襲警報/海野十三」(函ナシ)が200円。覆面探偵作家・物集高音の署名本が660円。筑摩書房「犬の生活/小山清」が300円。博文館「猟奇の果/江戸川乱歩」(函ナシ)が1500円。筑摩書房「YASUJI東京/杉浦日向子」献呈署名入りが220円……こういうことを書いていると、今直ぐ古本屋さんに行きたくなって来てしまいます。
 
 
小山力也 (こやま・りきや)

2008年5月からスタートした、日本全国の古本屋&古本が売っている場所の、全調査踏破を
目指す無謀なブログ『古本屋ツアー・イン・ジャパン』管理人。西荻窪「盛林堂書房」の
『フォニャルフ』棚と大阪「梅田蔦屋書店」で古本を販売中。「本の雑誌」にて『毎日でも通いたい古本屋さん』、「日本古書通信」にて『ミステリ懐旧三面鏡』連載中。最新刊は「古本屋ツアー・イン・日下三蔵邸」(本の雑誌社

http://furuhonya-tour.seesaa.net/

 
 

Copyright (c) 2025 東京都古書籍商業協同組合

IMG_0471

刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画秘史

刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画秘史

山本芳美

 2025年3月末に、『刺青絵師 毛利清二:刺青部屋から覗いた日本映画秘史』を青土社より刊行した。沖縄や台湾で研究してきた文化人類学者が、映画学専攻の若手研究者である原田麻衣さんや青土社の編集者である山口岳大さんの力を借りて書き上げた本である。本書は、東映京都撮影所の映像づくりと日本映画が大不振期にあった70年代までを、毛利さんのライフヒストリーを含めて掘り起こした。世代も専門も異なる女性研究者がバディを組んだこともあって、「奇書」と評されている。

 確かに本書は珍しい。現代日本を含めた刺青事情を解説した一般向けの本はほとんどない。筆者が以前に刊行した『イレズミの世界』(2005年、河出書房新社)、イレズミ映画ガイドでもある『イレズミと日本人』(2016年、平凡社新書)。そして、皮膚科の医師である小野友道の『いれずみの文化誌』(2010年、河出書房新社)ぐらいである。

 もともと映画のインタビュー本は、監督やスター俳優が多く、スタッフ関連は少ない。映画やドラマに出演する俳優に刺青を描く「刺青絵師」の仕事を主題にすえた書籍は、ほぼ3冊に集約できる。東映京都撮影所の俳優会館3階にあった刺青部屋を拠点として仕事をした毛利さんが自身の刺青絵師40周年を記念して刊行した『刺青絵師:毛利清二自伝』(1998年、古川書房)がある。ほかには、松竹ほかで俳優として活躍した父親である三井一也の刺青絵師としての仕事を紹介する三井一郎『刺青絵師:銀幕を彩った男の記録』(1998年、日本図書刊行会)、日活調布撮影所を拠点とした河野弘の『映画の刺青百姿』(2006年、私家本)となる。

 刺青絵師として、テレビドラマでは「遠山の金さん」、映画では「緋牡丹博徒」、「仁義なき戦い」、「極道の妻たち」シリーズなどを手がけた毛利さんは、単発インタビューや仕事場紹介の雑誌記事が多い。詩人の嶋岡晨が毛利さんにインタビューした『日本のアルチザン:生き甲斐の創造』(1972年、芸術生活社。1981年、中公文庫)では初期の仕事が読める。NHK報道番組班 編『NHK新日本紀行 第5巻 (伝説と旅)』(1978年、新人物往来社)は、東映太秦映画村開村直後のルポだ。

 同じ東映で東京撮影所を拠点に活動した霞涼二さんについては、阿奈井文彦『アホウドリの仕事大全』(1985年、現代書館。1992年、徳間文庫)にインタビューが収録されている。雑誌記事では、1979年9月の『婦人公論』に掲載された「入れ墨の描き方」や『週刊サンケイ』1983年8月25日号の「山本晋也の艶笑対談」ほかがある。

 刺青絵師の仕事を紹介する書籍や記事は、男性週刊誌、写真週刊誌全盛の時代に集中している。70年代から90年代にかけてのスポーツ新聞を含めた各紙や、『Friday』、『Flash』などに毛利さんや霞さんの作品が確認できる。この時期、まだタトゥーは流行していなかったため、女優やモデルに刺青を描いたグラビアに需要があったのである。

 毛利さんへの初回インタビューでは、集英社から『プレイボーイ』別冊編集部から出された『松坂慶子写真集』(1984年)の仕事をしたと自慢された。松坂さんの背中の牡丹は、黒いレオタードに黒い網タイツ姿で歌った「愛の水中花」(1979年)の時より艶やかだ。毛利さんは仕事の詳細を明かしたくなかったためか、「女優さん相手なんで、昼も夜も忙しいんですよ」と吹聴した時期もあったようだ。だから、今回取材した人のなかには、「役得」を信じ切っていた人もいた。『刺青絵師』でも、スターと毛利さんが一対一で仕事していたように語られていた。

 しかし、今回のインタビューで毛利さんが回想した撮影所での仕事風景は、ゴシップを期待する向きには肩透かしだろう。俳優会館にあった刺青部屋は、人前で長時間肌をさらす俳優たちに室温などを含めて細かく神経を使うために必須の空間であった。部屋には当時高価だったテレビと冷蔵庫を置き、俳優を飽きさせないように話術を駆使した。刺青の輪郭線は毛利さんが担当し、壁に貼られた下絵に色指定して助手に指示する。俳優仲間や助手たち、時にはご家族が手分けして肌に色をぼかした。早朝から仕事をはじめ、昼前には刺青を完成させた。毛利さんは、撮影現場にかならずついて照明やカメラワークに目を光らせていた。その周囲には、スタッフや俳優などが大勢いる。松阪さんの仕事も、旅館の一室を借り切っての二人っきりの仕事のように語られたが、後で奥さんを助手にしていたことがわかった。

 「毛利さんが色の秘密を明かさなかった」と書いただけで、聞き取りが失敗したように評した人もいるが、筆者たちが企図したのは秘密の暴露ではない。「撮影所の中でいきいきと働いた」毛利さんを描きだすことにあった。映画は総合芸術であり、毛利さんの仕事もキャンパスたる俳優だけでなく、衣裳や照明などさまざまなプロフェッショナルとの協力で輝いてきた。下絵の準備、本番当日の撮影から刺青を落とすまでの過程の紹介に重きをおいたのは、映画研究や文化人類学ならではの視点だろう。

 2023年3月のインタビュー開始から2年で刊行できたのは、毎回4、5時間にわたるインタビューを9回受けてくれた毛利さんの心意気や東映太秦映画村・映画図書室をはじめとする東映京都撮影所の皆様のご協力にある。毛利さんが2025年4月に95歳になる前に刊行できたことに、肩の荷を下ろした気持ちである。
 
 
IMG_0471
 
書名:『刺青絵師 毛利清二
―刺青部屋から覗いた日本映画秘史」
著者:山本芳美・原田麻衣
発行元:青土社
判型/ページ数:四六判・256頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-7917-7691-7
Cコード:0074

好評発売中!
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4011

Copyright (c) 2025東京都古書籍商業協同組合

Just another WordPress site