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『憧れの住む東京へ』

『憧れの住む東京へ』

岡崎武志

 今年一月に出した『憧れの住む東京へ』(本の雑誌社)は、「本の雑誌」に二年連載ののち、大幅な加筆と新章を加えたもの。同じ一月にちくま文庫に収録された『ここが私の東京』、すでにちくま文庫入りした『上京する文學』を合わせ、「上京」三部作となる。江戸期もすでにそうであったが、地方から首都へ流入してくる人々のエネルギーにより「東京」の街と文化が作られてきた。そのことを実証するため、多くの上京者がいかに東京へやって来て、どこに住んで、何をなしてきたを調べる作業がずっと続いてきたのである。

 本書で取り上げた人物は六人。赤瀬川原平(名古屋)、洲之内徹(松山)、浅川マキ(白山)、田中小実昌(呉)、山之口貘(那覇)、耕治人(八代)。かっこ内は上京してきた地点で、時代も場所も上京してきた理由もバラバラだが、むしろそれを意識して人選した。いかに日本各地から無数の人々が上京したか。東京という磁力が強力であるかが分かる。男性ばかりになりがちなところを、女性を入れたいと前二作に引き継ぎ考え、異色ながら浅川マキを選んだ。選んでから、あれこれ資料を集めて浅川マキと東京に接近して行った。

 私は生で浅川マキを聴いたことがない。一九四二年に石川県の海沿いの寒村で生まれ育った歌好きの娘が、町に一軒だけあった映画館で「有楽町線に山手線が入ってくる」シーンを見て東京への憧れを募らせる。そして家出同然で上京し、まず目指したのが「有楽町」だった。のち一九六八年の新宿で寺山修司のサポートの元、黒い歌姫として君臨する姿からは想像できない。初々しい家出娘の姿に私は感動するのだ。「家出のすすめ」を書いて地方の若者を扇動した寺山も「家出娘」という点にまず食いついたのだった。

 選んだ六人中、直に会って言葉を交わしたのは赤瀬川原平だけ。有名な「ニラハウス」と命名されたご自宅へ著者インタビューでうかがった。赤瀬川は父が横浜、母が東京の出身で自身も横浜生まれだったが、幼少期より引越しを繰り返し、育ったのは大分市である。この大分で、兄の友人である磯崎新、先輩として吉村益信を知る。高校に通うのは名古屋だが、ここでも荒川修作がいた。つまり、のち前衛美術で活動する端緒を、移り住んだ町々で偶然にせよ掴んでいる。東京生まれで東京育ちでは、少なくとも若き日に知り合うことのなかった表現者たちだ。中村光夫は「田山花袋」論で「自然主義の勃興は文学の分野における『東京者』に対する田舎者の勝利であった」と書いた。「一旗揚げる」「故郷に錦を飾る」といった言葉に込められた「田舎者」が抱く過大な期待と夢があってこそ、東京は進化、膨張していったのではないか、と私は考えたのだ。

 その人について調べ書きながら、その人の影響を受けるということもある。田中小実昌は死後、古書価の上昇した作家だが、後半生、バスに乗ることを一種の趣味とする。映画試写会へ出向くのにもバスに乗るし、用がない時もバスに乗った。そしてバスでの移動や、車内からの見聞を文章につづった。近代文学の発生以来、鉄道はテーマとして大きく加担したが、バスについてこれほど熱心にくり返し書いた作家は皆無であった。山手線は大半が高架、地下鉄は言うまでもなく地下を走る。地上に近く、街並みをローアングルで視野に入れながら、しかも出発から終点まで、意外なルートをたどるバスという乗り物は、新しい東京の発見につながったのである。「べつにバスにのる必要もないし用なんかないのだが、ついバスにのっちまう」と書いたのは、バスのエッセイのみを集めた『バスにのって』という著作。私もコミさんに影響され、目的地へ行く手段としてではなく、道楽でバスに乗るようになった。鉄道路線だけでは知りえない、東京の顔に触れる楽しさをそれで知った。

 耕治人は晩年になって病妻の介護を私小説として描き、『天井から降る哀しい音』と『そうかもしれない』は大きな話題となり本もよく売れた。ずっと地味だった作家に、いきなりスポットライトが当たったのである。両著とも装幀は中川一政。「白樺」に影響され、中川一政に憧れて上京してきた耕は大正の若者だった。東京に憧れの人が住む。それが上京の大きな動機となる。私も東京へ行けばあの人に会えるという思いが三十を過ぎての遅い上京の起爆剤であった。耕夫妻は、放浪に近い転居を繰り返し、後半生に安住を求めて得た土地が「野方」だった。そこで深刻な土地問題に巻き込まれ苦しんだ。耕が住んだ中野区野方(西武新宿線)へも訪ねてみた。耕が住んだ家はとっくになくなっていたが、痴呆の妻を家に置き、買物を提げて歩いた商店街へは私も足跡をつけた。こんなこともなければ、訪れることのない東京の町だった。こうして私にも東京が身近になっていくのだった。

 
 
 
 


『憧れの住む東京へ』
岡崎武志 著
四六判並製
264ページ
定価1,980円(税込)
ISBN978-4-86011-475-6
好評発売中!
https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114752.html

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