高所綱渡り師たちーー残酷のユートピアを生きる石井達朗 |
ニューヨークの世界貿易センター(World Trade Center)は計7棟のビルで構成されていたが、そのなかのツインタワーは110階建て、416メートルの高さがあった。1973年にオープンしたときには世界一の高さだった。このツインタワーは2001年9月に発生した同時多発テロにより、すっかり失われてしまった。前代未聞のテロのニュースが世界を駆け巡ったのは記憶に新しい。2棟のビルの崩壊は、同時にここに刻まれたある歴史的な行為も消し去ってしまった。同時多発テロのことは知っていても、この特異な事実を知る人は少ない。
ツインタワーがオープンした翌年の1974年の8月、フィリップ・プティというフランス人の綱渡り師が、2棟のビルの屋上と屋上のあいだ42メートルにワイヤーをわたし、綱渡りを決行したのだ。命綱などはなし。眼下の道路の通行人がアリのように見える高所で、一本のワイヤーの上を歩く。彼のやったことはすべて違法である。この行為、どう見ても正気の沙汰とは思えないかもしれないが、彼は数年のあいだ心に秘めてきたことを、周到な計画のもとにやり遂げたのである。 プティの行為は、サーカスのテントのなかで行われる綱渡りとは別種のものだ。高層ビルのてっぺんからもう一棟のてっぺんにワイヤーをわたす作業は、綱渡りに劣らぬ至難のわざ。 そんなふうにしてビルや山や峡谷などの高所で綱渡りをする人間に対する関心が、急速にふくらんでいった。彼らはどんなふうにして恐怖や不安や緊張を克服するのだろうか? そもそも「恐怖」や「不安」などという言葉が色褪せて聞こえるほど類がない行為である。彼らは 高所綱渡り師について歴史を紐解いてゆくと、驚いたことにフィリップ・プティのような人は少なからずいる。男たちばかりではない。女たちも・・・。意外に知られてはいないが、現在よりもずっと女性に対する束縛が強い19世紀から20世紀前半にかけて、空中でアクロバットを見せることを生業にしていた女たちは、世間一般の女たちよりもずっと自由を獲得していた。彼女らは高所で芸をし、自分の力で稼ぎ、自由に恋愛や結婚をし、男と別れることがあればまた別の出会いもあった。わたしの高所綱渡り師たちに対する視点に、ジェンダー論的な見方もふくらんでいった。 高所綱渡り師たちの元祖ともいうべき人は、マダム・サキという女性である。男たちがやる難度の高い綱渡りを、彼ら以上の華々しい技で何でもやって見せ、80歳で亡くなるまでロープの上を歩き続けた。高齢になってからの演技は若い頃のように体がいうことをきかず、何度も失敗。その姿は壮絶だが、女であり綱渡り師であることの可能性を誰よりも早く開示したのである。 そのあと、歴史上最大の高所綱渡り師といわれ、綱渡りの代名詞にもなったブロンディン(フランスではブロンダン)がいる。彼は1859年6月、それまで誰もやらなかったことーーというより誰も想像だにしなかったことーーをやり遂げる。ナイアガラ川の峡谷に396メートルのロープを張り、渡ったのである。しかも彼はその後、これを難度を上げて繰り返した。ブロンディンの偉業に挑もうとする者たちが次々に出現し、なかには命を落とす者も・・・。ナイアガラに挑戦し、成功したただひとりの女性がいる。イタリア人の若いアクロバット芸人スペルテリーニである。 後にも先にも例のない壮大な綱渡り一族の血筋がある。19世紀末から21世紀の現在まで続くワレンダ一族は、これまで多くの突出した綱渡り師たちを輩出してきた。しかもその挑戦は、いつも限界に挑んでいる。代表的なものは4人→2人→1人と上乗りになり、ピラミッド状のかたちをつくり、互いにバランスをとりつつワイヤーを渡るのである。これは死傷者を出す落下事故を二度も引き起こしている。 なぜ彼ら/彼女らはそこまで挑戦するのだろうか。高所綱渡りとは、ITが万能であるかのように地球全体に浸透するデジタルテクノロジーの時代において、身ひとつで危険と隣り合わせのロープに立つ行為である。そのシンプルさ加減はITとは対極にある。ナマの身体行為の原点なのだ。人はもともと限界を超える挑戦心と、それを実現できる能力を内包しているのに、多くの人はそれを閉ざしているように思える。高所綱渡り師たちの静かで果敢な姿は、昔も今もそんなことを考えさせられるのだ。 |
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