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『「100まんびきのねこ」たちは、どこから生まれどこへいったの』

『「100まんびきのねこ」たちは、どこから生まれどこへいったの』

児童文学者・ノートルダム清心女子大学教授 村中李衣

 すべての始まりは、今から30年前、ブックグローブ社の伊藤元雄さんから手渡された1冊の小ぶりな絵本からでした。促され、シャリシャリ紙で丁寧にくるまれたその上から指で表紙のタイトルをなぞってみました。

 ”Nothing at All” 。「ワンダ・ガアグの最後の創作だよ。訳してみない?」と伊藤さんに言われ、恐る恐る中のページをめくっていきました。ガアグと聞いて、私の頭の中にはすぐさま代表作『100まんびきのねこ』に描かれたモノトーンの鮮やかな構図が思い浮かびました。(わあっ、あの有名なガアグが描いた絵本かぁ~。でも『100まんびきのねこ』とは雰囲気がちょっと違うなぁ。やわらかで穏やかな色彩だし、『100まんびきのねこ』のような両見開きを使った構図もほとんどないんだなぁ)と意外に思った記憶があります。でも、その意外だなぁ~の奥に潜んでいたガアグの心の軌跡に思いを馳せることなどなく、ただただガアグの作品に触れていられるという嬉しさだけで、「やってみます」と答えたのでした。

 でも、いざ”Nothing at All” という作品に向きあってみると、素人同然の私が簡単にこなせる仕事ではないことがすぐにわかりました。なにより悩ましかったのは、主人公の姿かたちが見えない子犬「ないない」が姿かたちを手に入れるため、ものしりガラスから授けられた魔法の唱え言葉I’m busy Getting dizzyの訳し方です。この唱え言葉は、九日間日の出とともに起き出して「ないない」がたったひとりで執り行う神聖な儀式の要です。その場の雰囲気も伝えながら、ガアグのリズミカルな言葉運びの魅力を音の響きも拍も異なる日本語に移し替えるとなると、いったいどんな日本語が似合うのかしら。

 I’m busy Getting dizzy I’m busy Getting dizzy I’m busy Getting dizzy……繰り返し声に出しているうちに、これに替わる訳などない気がしてきました。主人公の子犬「ないない」は、最初のうち、姿かたちは見えないけれどちゃんとそこにいることを兄妹たちにわかってもらえてさえいればそれでいいんだと思っていました。他者に見えないことなんか平気だったのです。でも、兄弟たちはもらわれていったのに姿が見えない「ないない」だけ、そこにいることに気づいてもらえず取り残されてしまった時、初めてやっぱりみんなに認めてもらえるような〈自分というかたち〉を手に入れなきゃダメだと気づきます。そして涙ぐましい努力の末にとうとう望みを叶えるわけですが、この唱え言葉はその努力の証し。ばっちり決まらなければ、はるばるアメリカから日本にやってこようとしている「ないない」の望みは端から断たれてしまうことになります。

 さてどうしたもんか・・・と考え込んでいる私の横で絵本をいっしょに眺めてくれていた母が、「そりゃ、笠置シヅ子のあれよあれ!」と言いながら、やおら立ち上がると、お尻を振り振りぐるぐる回りながら、歌い出したのです。

 ♪なぁ~にがなんだか てんてこまい~

 必死でお目当ての買い物を探しているうち、いったい自分が何をしてるんだか、さっぱりわからなくなりお手上げだという「買い物ブギー」の替え歌のようでした。歌い終わると「きっと、このワンちゃんもこんな感じだったんじゃないかしら?」と愉快そうに笑う母。なるほど!と、急に視界が開けたような気がしました。恥も外聞もかなぐり捨て、ただただ見える犬になりたい一心でぐるぐる回り続ける「ないない」の、傍から見れば滑稽なほどの一途さが、母の歌う姿の中で却ってくっきり見えてきました。

 こうして「てんてこまいまいぐるぐるまい」の唱え言葉が生まれたのです。

 人の一生には、『100まんびきのねこ』のちいさいねこのように、いつかだれかがそっと見つけ出し、受け入れてくれる日を信じて生き続けてみることが必要な時と、『なんにもないない』の子犬のように自分は他の誰とも替えの効かない唯一無二の存在であることを他者に伝える努力が必要な時の両方がある。そのことを、ガアグはまさに自分の歩いてきた道のりと重ね合わせながら表現し続けたのではないでしょうか?ガアグの存在に向けた哲学的な問いは、欠かさずつけていた日記と並行して作品を読み解いていくと、より鮮明になります。そして絵本の中に託されたこの問いから抜け出していくためのメッセージは、小さな子どもにもしっかりと共感でき、励ましを与えるものであることも、保育現場でガアグの絵本を読みあう実践を続ける中で確認できました。

 そんなこんなで、30年間知らず積もっていったガアグ作品への思いを、ぽつりぽつりと伊藤さんにお話しすると、再び「実はまだ世の中に知られていない、ガアグが手掛けたアリスのおはなしやカーランコレクションが所蔵しているガアグの貴重なスケッチがあるからそれも加えて1冊の本にまとめてみなさい」と励ましてもらいました。

 ガアグがどんな一家に生まれ、どんな少女時代を過ごし、貧しい一家の家計を支えるため青春時代どんな道を選択してきたか。また、苦しい生活の中でも学ぶことをあきらめず新しい一歩を踏み出すチャンスを逃さなかったこと、そして運命的な児童書編集者との出会いにより『100まんびきのねこ』を世に送り出すこととなったいきさつや、その後の仕事の進め方。さらに家族のために夢や理想を捧げてきたような人生ではあったけれど、ゴールが近くなってようやく、自分の表現したいものだけを自分のために思う存分描ける場所を手に入れた喜び。合わせてその喜びが創作の形になって表わされた『なんにもないない』が、現代の子どもたちの胸にしっかりと届いたいくつかの読みあい現場の報告。それらをつたない形ではありますが、ようやく1冊にまとめることができました。

 長い間、ぼんやりとしてそのかたちがみえなかったちっぽけな私からガアグへの愛ですが、本というかたちをもらって、♪わて ほんまに Nice to See You! です。

 
 
 
 


『「100まんびきのねこ」たちはどこから生まれどこへいったの』
ブック・グローブ社刊
村中李衣著
ISBNコード:978-4-938624-29-3
Cコード:C0095
定価:2,700円(税別)
好評発売中!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784938624293

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