懐かしき古書店主たちの談話 第3回日本古書通信社 樽見博 |
神保町周辺の再開発が急ピッチで進んでいる。駿河台下交差点に立つと、工事中の三省堂本店の上にはポッカリ空間が出来ているのが見える。古書店街だけれど三省堂書店がそこにある意味は大きいのだと改めて感じる。神保町二丁目のさくら通りも、巌南堂書店のビルがいつの間にか取り壊されて、その区画に大きなビルの建設が始まっている。
さくら通りのモダンなデザインで知られた東洋キネマの建物が残っていたのはもうかなり前になるのだろう。さくら通りは高級なオフィス街に変貌している。 神保町の姿が変わって行くのを見ていると、亡くなられた古書店主たちの記憶が逆に蘇ってくる。三茶書房の先代岩森亀一さんのエッセイ集『古本屋と作家』を「こつう豆本」106として刊行したのは平成五年九月だった。三好達治、佐藤愛子、中野重治、尾崎一雄、井伏鱒二との交流、加えて岩森さんの古本屋としての最大の功績であった「芥川龍之介資料始末記」を収めている。今回改めて読み直し、岩森さんの無駄のない、それでいて情感にあふれた文章に接し、すっかり魅了されてしまった。 岩森さんはお店二階のガラスケースで囲われた所で、いつも何か本を読んでおられた。どこか凛とした風格があった。古本屋としても押しつけがましいところがなく、古書市場で入札している姿も一人どこまでも静かであった。そのようなお人柄が作家たちに好まれ信頼された要因だろう。 本年六月半ばに、福井県坂井市の中野重治記念丸岡図書館を訪ねた。記念室が希望者に公開されていて、世田谷の旧居から二、三万冊はあるだろう蔵書が全て移管され、背文字が見えるように配架されている。驚いたのはその一、二割の本にカバーがかけられ中野の自筆で書名が書かれていたことだ。全体に保存が良く、中野が書物を大切にしていたことが伝わってくる。岩森さんの文章によれば定期的に用済みの本を整理されていたようだが、残る蔵書にも三茶書房で求めた本がかなりあるのではないだろうか。 本を大切にしている方の蔵書は整理を依頼されても気持ちが良いが、時に虐待にも等しい本の扱いをする人もいて、それが一部で知られた研究者であっても反感の気持ちが湧いてくる。岩森さんと中野の出会いは共に幸運だった。それが創業二十五年記念目録への中野の四百字三枚の祝辞として実現したのだろう。 東陽堂書店の先代高林恒夫さんは、往年のプロ野球スター選手だったことは有名だが、気さくな方でよく声をかけて下さった。もう大分以前だが、郊外から神保町に移転して来て割合広い店を出した古本屋があった。何があったのか数年後「古書月報」に、所詮古本屋なんてと悪態の言葉を連ね他の商売を始めることにすると書いて店をやめた方があった。私は無性に腹がたち、「日本古書通信」の編集後記で、古本屋への思いがその程度なら辞めた方が良い、古本屋は覚悟が必要な商売なのだといったことを書いたことがある。高林さんはそれを読んで「あの記事は良かったよ、その通りだよ。私も腹を立てていたんだ」と、お店の前であったときに話してくれた。「古書通信」は毎号良く読んでいて下さり、時々簡単だけれど感想を伝えてくれ、嬉しかった。 高林さんで思い出すのは、古書会館の即売会では毎週金曜日開場前から一般のお客さんと一緒に並んで待たれている姿だ。古書会館ばかりでなく各地のデパート古書展にも頻繁に出向かれていたようだ。早稲田のヤマノヰ書店のご子息で独立した勝文堂書店さんや、古書通信目録欄の常連だったアドニスさんも各地の古書展に出向かれていたが、高林さんにいつも会うと話していた。本来なら神保町の老舗古本屋の主がセドリに励む必要もない。高林さんも商売を離れて本が好きだったのだと思う。即売会は交換会で落札するのとはまた趣の違う、意外な本や資料に出会う楽しみがあるのだ。(平成21年9月没、71歳) 平成十五年一月号から「古本屋の話」の連載を始めた。古書店主たちに話を伺い、一頁に収まるようにまとめた。その八回目が西神田の金文堂書店木内茂さんだった。その少し前に木内さんは『金文堂書店奮戦記』(一九九九年)という小さな本を出しておられた。小さな体の方だったが、逃げる泥棒を当身で倒し捕まえた話など読ませる内容だった。以前からファイトのある方だと思っていたが、記事のタイトルは「独立心を支えに」と題させてもらった。今はもうない本郷・木内書店主木内民夫さんの弟さんで、昭和三十五年に独立して駒込曙町に三坪の店を出すが、思うような仕入れはなく、参加していた古書会館の即売会和洋会のメンバーから「ゴミ金」と揶揄されたこともあると笑っておられた。その後明治ものブームもあり明治大正期の教科書とその背景にある東洋史関係の文献を専門と定め、目録を定期的に発行、海外にも販路を求めて行く。古書会館の書窓展と和洋会でも人気店となった。 「いつの時代でも、貴重な本は少ないと思いますが、反町さんの言われた中でも、古書の価値は、その内容、稀少性、流行性によるという教えは最も大事なことだと考えています。本を数多く見ることの大切さ、古書の商いを通してお客様が教えてくれることの多いのも確かです。本が売れないという話を聞きますが、努力して良い本を扱えば必ず売れるのです。大事なことは、周りに流されるのではなく、本屋としての独自性と独立心を心掛け、誇りを持って、時代の流れを見て、本屋自身が変化していくことなのだと思います」。これが談話の結びとなっている。記事掲載後お会いする度に、うまくまとめるものだね本当に関心したよと何度も言われるので恐縮するばかりだった。お話し下さることが面白ければ記事は自ずと良くなるのだ。木内さんはいつも奥様と行動を共にされていた。木内さんが亡くなられた後も奥様が商売を継続されて、古書市ばかりでなく道具の市でも盛んに落札されていると聞いていたが、惜しまれながら閉店された。(平成26年9月没、88歳)合掌 |
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