『本の虫 二人抄』劉 永昇 |
本書は朝日新聞名古屋本社版に連載中のリレーコラム「本の虫」を単行本にまとめたものです。書名に「二人抄」と付いているのは、コラム執筆者3人のうち2人の文章を収録しているからです。執筆は「書店」「古書店」「出版社」の人間が担当し、本についての「四方山話」を書いてくれという依頼でした。本書に収録されているのは、そのうちの書店と出版社の担当分、すなわち「ちくさ正文館」店長の古田一晴さんと小出版社「風媒社」の編集長であるわたしということになります。コラムは「図書館司書」の書き手を加え4人で連載継続中です。
収録されているのは2014年10月から2023年9月まで約10年間のコラムです。十年ひと昔と言います。そんな古い文章など今さら読むに値するのかどうか。「本にまつわる話なら何でも」という大らかなコラムながら、朝日新聞という日刊メディアに書く以上、やはりそのときどきの社会情勢に反応して題材を選ぶ場合があります。賞味期限が過ぎてしまっていても不思議はありません。編集者を職業とするわたしは、本にまとまるにあたってその点を心配していました。しかしゲラであらためて読みなおすと、そうした陳腐化は感じられず、むしろこの10年間の様々な出来事が次々に登場して一種の社会年表としても読めることに気がつきました。どうやら、そこに本書の一つの特徴があるのだと思います。 ふつう新聞で本の紹介をするとなると、やはり当時話題になっている本や売れている本、あるいは希少性の高い出版物を選びがちです。ニュースとしての価値が問われるからです。ところが本書に出てくる本は、そうした意図とはまったく無縁で、執筆者が自分の感覚から価値を見出した本や雑誌を、新刊既刊の区別なく取り上げています。感覚といっても個人の趣味嗜好の領域にはたらくものではなく、あくまで本をとりまく業界に棲息する人間としての感覚であることは言うまでもありません。その結果、本書にはベストセラー書の類がほとんど一冊も取り上げられていないのです。 わたしの担当コラムから例をあげると、2014年10月は北條民雄『いのちの初夜』。作家の生誕100年に遺骨がハンセン病療養所から故郷に帰郷したことを書いたコラムです(「北條民雄、77年目の帰郷」)。バラク・オバマ氏がアメリカ大統領として初めて広島を訪問した2016年8月には、いまだにその存在が十分知られていない韓国・朝鮮人被爆者の手記集『白いチョゴリの被爆者』(「忘れられた被爆者」)、ドイツ文学者・池内紀さんが亡くなった2019年には、カフカ研究の第一人者として知られた氏のもう一つの業績である『カール・クラウス著作集』の翻訳(「池内紀とカール・クラウス」)を取り上げています。ひねくれた変化球みたいな選書と思われるかもしれませんが、書き手にとってはこれが直球なのです。 もう一人の著者である古田一晴さんについて紹介しながら、本書が出版されたいきさつにふれておきます。古田さんが店長を務めるちくさ正文館は、名古屋きっての人文書の品ぞろえを誇る新刊書店でした。文学からアート、サブカルチャー、硬派なノンフィクションから学術書にわたるその選書の見事さは、書店・出版業界にとどまらず幅広いジャンルの文化人のあいだで注目され、「古田棚」という愛称で呼ばれていました。中規模書店ながら、名古屋における活字文化のシンボルだったと言えるでしょう。 そのちくさ正文館が閉店になると聞いたのが今年5月の終わり、その時の驚きは本書にも書いています(「ああ麗しいディスタンス」)。そして、にわかに動き出したのが「本の虫」を書籍にしようという企画でした。お店は7月いっぱいで閉店が決まっていました。とてもそれまでには間に合わない。では、10月3日に開催されるさよならイベントの会場でお披露目しようということになりました。閉店後から本格的に作業を進め、刊行までたった2カ月という超スピード出版だったのです。 気がかりだったのは、地元の名古屋以外での反応でした。コラムの話題にはそれなりに地域性も反映されており、はたして全国の読者に受け入れられるだろうか。(編集者はこういった心配ばかりするのです。)以下にSNSで見つけた書店さんや読者の方の投稿を匿名で引用します。 「店の棚から抜いてきたような、どこからか発見されてきた本、その背景を書いた無駄のない文章」「最初は10年分?って思ったけど、語り手が変わるので苦にならないどころか、あっという間に読み終えてた。感情がぎゅって詰め込まれていたり、ハッとさせられることが書いたあったりして、引き込まれました」「名古屋ときいて頭に浮かぶのがあの市長の顔というのが名古屋の不幸ですね。読んでいたら、ここには伝統的な名古屋文化がありました」「地元の話題や本の話、時事や政治など話題は様々。そこへうまくスッと本の紹介を挟んでくるので、その都度気になり調べながら読んでいた。読み終わった頃には欲しい本が増える罪な本だった」 「本」は距離も時間も超えて読者に誰かに届くもの。わたしの気がかりは、ひとまず杞憂だったかなと思っています。 ![]() 『本の虫 二人抄』 ゆいぽおと刊 古田一晴・劉 永昇著 税込価格:1,760円 ISBNコード:978-4877585624 好評発売中! https://www.yuiport.co.jp/book/view/131/ |
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