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メールマガジン記事 シリーズ本とエハガキ

本とエハガキ② 古本屋のエハガキ

本とエハガキ② 古本屋のエハガキ

小林昌樹

写真エハガキは記念写真の代わり

 戦前の写真エハガキは、戦後の「名所絵葉書」ぐらいにしか思われていないが、全く違う。戦後各種のメディアの代わりを務めていたである。具体的には、Flashのような写真週刊誌であったり、ブロマイド(今はチェキっていうか)であったりしたのだが、組織や団体の周年記念や、重要な建築物の竣工(完成)記念、周年記念などでもほぼ必ず発行されていたものである。記念アルバムや、記念写真の代わりと言ってもよいだろう。実際、朝鮮の都市対抗野球を写した写真エハガキなども見たことがある。

 【図2-1】は1907(明治40)年の博文館創業二十周年記念会で配られたエハガキらしい。博文館は明治20年代、日本に本格的な「雑誌の時代」を開いた戦前随一の出版社であった。

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 【図2-1】「博文館創業二十周季紀念」(1907)のエハガキ

このエハガキは1枚単体ではなく、もう1枚セットがあったようだ。【図2-2】がそれで、表面(宛名を書く面)がまったく同じデザインであることからわかる。写っている大橋図書館は
戦前、東京で日比谷図書館以上に重要だった私立の公共図書館で、博文館創業者、大橋佐平が発起人だったことは現在あまり知られていない(現在、一部の蔵書が三康図書館に継承されている)。

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 【図2-2】「大橋図書館閲覧室」など(1907)
 

巌松堂書店のエハガキ

 現在、大手の古書店というと、神保町の一誠堂が有名だが、実は一誠堂のライバルに巌松堂があったことは、これはもうあまり知られていないことだろう。一誠堂が昭和前記に古典籍へ重点を移していったのに対し、巌松堂は学術雑誌や資料物の大手古書店として有名だったが、書店としての巌松堂書店はもうない。

 【図2-3】は「新築竣工せる『巌松堂書店』(昭和4年11月)」と題された袋(たとう)に入れられた写真エハガキの一枚。セピア色なのは、コロタイプ印刷ではなく、銀塩写真そのものの焼き増しだからだ。

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 【図2-3a】「巌松堂書店本館前景」(1929)

 焼き増し写真のエハガキは、コロタイプ印刷のものと同様、ある程度の拡大に耐えられる。【図2-3b】立ち読み風景は店頭写真の部分拡大だが、五名ほどの人々が立ち読みをしていることがよくわかる。昭和戦前期の書店内を写した写真はそう多くないので、資料的価値が
高い。
 このエハガキは一連の組写真になっている。詳しくは拙稿「写真絵葉書には古書店もあり : 図書館絵葉書を集めて(3)」(『日本古書通信』89(1) 2024年1月)を参照されたい。

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 【図2-3b】立ち読み風景「巌松堂書店本館前景」より部分(1929)
 
 
【図2-4a】は翌年1930年に出された時候の挨拶、暑中見舞いエハガキだが、こちらは写真が網阪で、青色で印刷され雰囲気を出しているが、拡大すると画像の読み取りができなくなることがわかる。【図2-3b】と見比べてみてほしい。

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 【図2-4a】巌松堂書店の暑中見舞い(1930)
 
 
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 【図2-4b】巌松堂書店の暑中見舞い(拡大)(1906)
 
 しかし、映っている人物の姿勢がまったく同じことがわかる。写真を翌年の暑中見舞いに
転用していたことがわかる。戦前、写真を撮るというのは戦後よりずっと手間だったからだ。
 

一誠堂書店のエハガキ

 せっかくなので一誠堂のエハガキ【図2-5】以下も紹介しておく。「一誠堂書店新築落成紀年絵はかき」と印刷されたタトウに入っっていたので、1931(昭和6)年の新築記念で配られたセットものだとわかる。

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 【図2-5】「一誠堂書店全景」(1931)

 【図2-5】の建物の「全景」はパッと見、かなり修正された写真か、絵であることがわかる。頂上の旗などはほぼ書き込んだものだろう。これは写真エハガキ全般で注意しなければならないが、現在の写真と異なり、「絵になる」――今風に言えば「映える」――ようにするのが写真師の腕前で、鉛筆などで原板に修正をかけるのがむしろ普通のことだった。
 
 【図2-6】は一誠堂の1階で、現在もほぼ同じ構造になっていることがわかるが、【図2-7】は2階で、現在の本棚と違う自立書架が新設時に入っていたことがわかる。建築図からはわからない内部の運用がわかるのが写真エハガキである。

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 【図2-6】一誠堂一階陳列室

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 【図2-7】一誠堂二階陳列室の一部

 たまたま別に「一誠堂書店三十周年記念絵葉書」【図2-8a】の一枚がある。別に調べると三十周年記念は1933(昭和8)年なので、その時に頒布されたものだろう。
 【図2-5】の「全景」と比べてみると、右側の「大成堂書店」「稲垣支店」が、いまの明倫館のところに建っているので、【図2-5】「全景」はそもそも撮影ができない部分があることがわかる。逆にその部分は修正、というかほぼ絵として描かれた部分になるだろう。また一誠堂正面の街灯は【図2-5】にもあるが、右の木製電信柱は「修正」されて、無くなっていることもわかる。記念のエハガキは、実態というより、多分に理想を描くものであることがわかるだろう。

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 【図2-8a】「一誠堂書店三十周年記念絵葉書」の一枚(1933)

 さらに【図2-8a】の右側を拡大すると、大成堂書店、稲垣支店、高岡分店の3つの古書店が映り込んでいるのがわかる。コロタイプ印刷の有り難みで、看板や金文字も読める。大成堂書店は「中等教科書」と「基督教書」が専門。稲垣支店は「勉強第一主義」と専門は不明だが
電柱に「医学書売買稲垣書店」とあるので支店でも医書が専門だったかもしれない。
 
高岡分店は「高等学校受験書」「中学校虎の巻」といった「〔学習〕参考書専門」の書店である(書物蔵氏によると高岡は2019年までマンガ専門店だった)。戦前の古書店で、義務教育でなかった中学校などの教科書販売や、学習参考書の売買が盛んだったことは古書店史上では有名なことである。大成堂書店前に駐車している「箱車」にはおそらく本が入っていたことだろう。本屋や取次は大正期まで箱車で集荷したものだった(その後、自転車)。
 
 この拡大部分で言えることは、中小小売店の写真というのは、こういった「映り込み」で
結構見つけることができるということだ。

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 【図2-8b】大成堂書店、稲垣支店、高岡分店
(「一誠堂書店三十周年記念絵葉書」の部分、1933)

 次回は古書展のエハガキを予定している。意外にも、そういったものがあるのです。

 
 

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