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メールマガジン記事 シリーズ本とエハガキ

本とエハガキ④ 出版社のエハガキ

本とエハガキ④ 出版社のエハガキ

小林昌樹

出版社のエハガキは社屋系と雑誌広告系

 出版社(図書館学ふうにいうと「出版者」)のエハガキも少しある。イベント記念がらみか、出版物の広告エハガキの2系統がある。
 連載2回目「古本屋のエハガキ」で、「博文館創業二十周季紀念」(1907年)のエハガキを紹介したが、それ以外でも注意していると出版社のエハガキがちらほらと見つかる。新聞社はもっとずっと多いのだが、この連載の「本」から少しずれる。
 出版社屋よりも、出している雑誌の広告が多いのだが、ここでは社屋系のエハガキを紹介する。

明治・大正の「ぎょうせい」?――市町村雑誌社(1927、8年頃?)

 市町村雑誌社は1893(明治26)年創刊の『市町村雑誌』を半世紀ちかく出し続けた雑誌社。現在の出版社「ぎょうせい」のような役回りだったらしく、かなり売れ、一時期は発行部数10万部だったと大正期読売新聞の報道にある。古書展でもたまに見る。むしろ、市町村雑誌社はぎょうせいに敗れた形になったものだろう。
 戦前の雑誌社は、メインとなる雑誌1つを中心にする傾向にあり、雑誌タイトル=出版社名というものが多かった。
 【図4-1】は芝田村町(現・西新橋)にあった市町村雑誌社の社屋。一見して鉄筋コンクリート造4階建ての立派なものとわかる。
 
【図4-1】「市町村雑誌社外観(新築記念)」
【図4-1】「市町村雑誌社外観(新築記念)」
 
 私が買ったものは5枚続きで、他に「市町村雑誌社ヨリ宮城方面ヲ望ム」【図4-2】、
「市町村雑誌社ヨリ銀座方面ヲ望ム」、「市町村雑誌社二階応接間」【図4-3】、「市町村
雑誌社四階応接間」がある。雑誌社エハガキの場合、大抵、編集室内写真がつくのだが、手元のセットにはそれがないのはハガキとして使用されたからだろう。新聞社エハガキの場合、
他に印刷機が撮影されセットにつくことが多い。
 
【図4-2】「市町村雑誌社ヨリ宮城方面ヲ望ム(新築記念)」
【図4-2】「市町村雑誌社ヨリ宮城方面ヲ望ム(新築記念)」
 
 エハガキ表面は1918-1933年のパターンだが、【図4-2】に国会議事堂の尖塔が写っており、なおかつ白っぽく輝くはずの塔が黒っぽいので、建築中で鉄骨状態だった昭和初めの頃と判定してみた。国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる『市町村雑誌』も検索したが、もともと欠号だらけのせいか、社屋新築についての記事は見当たらなかった。
 応接間が2つもあるのは、片方がイベントにも用いられたからだろうが、雑誌の性格から言って上京した地方役人を応接するニーズが強かったからと思われる。

【図4-3】「市町村雑誌社二階応接間(新築記念)」
【図4-3】「市町村雑誌社二階応接間(新築記念)」
 

地図帳の帝国書院(1929年)

【図4-4】は現在、地理学など地図帳で有名な帝国書院が、神田三崎町にあった時代の社屋である。エハガキは「新築落成記念絵葉書」と銘打ったタトウ(包み紙)【図4-5】に入っている。

【図4-4】「株式会社帝国書院全景」
【図4-4】「株式会社帝国書院全景」
 
 
【図4-5】「新築落成記念絵葉書」株式会社帝国書院
【図4-5】「新築落成記念絵葉書」株式会社帝国書院

 タトウは色刷りでわりと派手である。「東京地方図」と題する市電地図が刷られ、三崎町の電停で降りれば直近と分かるようになっている。新築エハガキの場合、建築プラン平面図や、寸法など各種諸元が刷り込まれることも多いがこれにはない。
 代わりといってはナンだが、この新築記念エハガキセットには1枚に写真数枚刷り込んだ
エハガキ【図4-6】などがついている。

【図4-6】「屋上展望(日本橋及び神田方面を望む)」ほか
【図4-6】「屋上展望(日本橋及び神田方面を望む)」ほか
 
 
【図4-7】「四階事務室〔編集課(右上)庶務課(右下)学芸課(左上)〕 三階 第一・第二応接室(左下)」
【図4-7】「四階事務室〔編集課(右上)庶務課(右下)学芸課(左上)〕 
三階 第一・第二応接室(左下)」
 
 
 エハガキ1枚に数枚の組写真を小さく載せて、新築記念エハガキ全体で会社の社屋全体、
業務全部を説明しようとしていることがわかる。印刷がコロタイプでなく網版であることや
小さいことで画像がやや粗くなってしまっているが、建物全体、業務全体がわかるのはありがたい。

【図4-8】「一階 第一倉庫/一階発送部(其の一)/一階発送部(其の二)/二階 第二倉庫/三階 第三倉庫(献本部)」
【図4-8】「一階 第一倉庫/一階発送部(其の一)/一階発送部(其の二)/
二階 第二倉庫/三階 第三倉庫(献本部)」

 【図4-8】のように倉庫を写したものはわりと珍しい。当時、図書類がどのように梱包されていたのかがわかる。これでコロタイプ印刷なら拡大しても解像度が高いので言う事なしなのだが……。新聞紙やハトロン紙でくるまれ、紐か荒縄でくくられていたことがわかる。
 
【図4-9】「五階 研究室(上)及び娯楽室(下)」
【図4-9】「五階 研究室(上)及び娯楽室(下)」
 
 【図4-9】に写っている「研究室」は事実上、資料室ないし図書室であろう。図書にラベルが貼られ、きちんと管理されていることがわかる。娯楽室では卓球ができる。
 

教育書の目黒書店

 出版社ならではの風景というと、編集者のたむろする編集室だろう。【図4-7】の編集課と庶務課の画像を見ればわかるように、基本的にただの事務室とそう変わりはないのだが、細かく見るとちょっと面白いものも見つかる。【図4-10】は戦前、中学校教科書や教育学書で
有名だった目黒書店の「調整部」である。見た目、編集室のように見える。

【図4-10】「目黒書店調整部」(1932年?)
【図4-10】「目黒書店調整部」(1932年?)

 拡大しないとわからないが、手前の少年(給仕か見習い)の前にある冊子タイトルは
『学泉』と読め、いま検索すると日本近代文学館にしか残っていない雑誌(おそらく目黒書店のPR誌)だとわかる。大変近代的な編集室で、左の掛け時計下にある家具は、ガラス戸の
向こうに帳簿類が最上段に見え、その下に薬箪笥よろしく、多くの引き出しがあつらえられている。おそらくここに原稿や清刷りをしまっていたのではなかろうか。手前の受付カウンターなども含め、すべての家具が木製であることがわかる。現在あたりまえになっている金属家具は大正期から財閥系大会社に導入されはじめていたが、戦前のオフィスは基本、木製家具の世界だったと言ってよいだろう。奥に二人ほど女性がいるが、会社内に女性がいるのは戦前、珍しい。おそらくイラストや絵などの仕上げをする役割ではなかろうか。写っている人物は普段の姿もあろうが、受付の向こうにいる人物などは「やらせ」であろう。

 NDLサーチによると、昭和7年、神田駿河台三丁目一番地に新築の鉄筋コンクリート造4階建てたというのでこのエハガキもその頃に出たものだろう。目黒書店は出ていないが、地形社編『大東京區分圖三十五區之内神田區詳細圖』(日本統制地圖、1941.5)によると、
【図4-11】で「藤井書店」の南、「ニコライ食堂」と書かれた区画である。

【図4-11】商工地図より駿河台三丁目(1933年) 
【図4-11】商工地図より駿河台三丁目(1933年) 
 

大日本雄雄弁講談社 昭和九年七月 新築記念

 セットで出るとちょっと値が張るが、大日本雄弁会講談社の(当時としては)巨大な社屋が完成した時の記念エハガキは、出版社エハガキの中では割とよく見るものだ。私が入手した
現品は、「昭和九年七月 新築記念 大日本雄雄弁講談社」と印字されたタトウに入った
【図4-12】ほか6枚だったが、社屋正面がないのはありえないので、前の持ち主が数枚、郵便はがきとして使ったのだろう。

【図4-12】「大日本雄雄弁講談社 社屋側面」(1934年)
【図4-12】「大日本雄雄弁講談社 社屋側面」(1934年)

【図4-13】「大日本雄雄弁講談社 少年寝室」(1934年)
【図4-13】「大日本雄雄弁講談社 少年寝室」(1934年)

 【図4-13】は一見、ただのエレベーターホールに見えるが、「少年寝室」とある。講談社は多くの少年社員をかかえて、中学校などへ進学できなかった男子たちの出世コースの一つであったのは出版史上では有名なことである。

【図4-14】「大日本雄雄弁講談社 屋上」(1934年)
【図4-14】「大日本雄雄弁講談社 屋上」(1934年)

 【図4-14】は「屋上」で、【図4-2】【図4-6】同様、これは当時、新築記念エハガキのパターンである。日中戦争が始まると、戦時統制で鉄鋼工作物築造許可規則(1937年)が制定され、鉄筋コンクリート造を立てづらくなる。平和な大日本帝国のモダニズムを象徴するのが新築記念エハガキだと言ってよいだろう。
 

住吉大社御文庫

 今回の最後は寺社仏閣エハガキに見える大阪、住吉大社の御(お)文庫である(【図4-13】)。江戸時代、三都の本屋(版元)が新刊書を出すと、それを奉納した先が御文庫であり、民間の納本図書館と言ってもよいだろう(結果としては二都、京阪だけになったようだが)。ドイツなどは国立図書館の一つが出版社の寄進によるものが起源となっているので、
後の世でもしかすると国立図書館になったかもしれない種のひとつといえる。

 収録対象の分母がいまひとつわかりづらいのであまり使わないジャパンサーチを検索すると、大阪市立図書館がこのエハガキを持っていることがわかる。リンクが切れているので市立図書館のOPACから再検索すると、市立図書館のデジタルアーカイブへリンクで飛べ、たしかに同じものだとネットで確認できる。

【図4-13】「住吉大社御文庫之図(享保八年建造)」(1933年)
【図4-13】「住吉大社御文庫之図(享保八年建造)」(1933年)

 普通の蔵でなく出入り口に「てりむくり」の屋根が付いているのが寺社仏閣っぽい。実は
この建物、現存するのでネットで現状の写真を見られる。そんなエハガキは、失われた建築の図像を見るというより、むしろ、なぜその時にそれが出版されたのか、ということを考えるきっかけにするとよいだろう。
 このエハガキの場合、大阪市立に「住吉大社御文庫貴重図書展観記念絵葉書(袋)」が残っていることから、昭和8年に「大阪書林御文庫講」(現在も存続)が貴重書の「展観」(戦後でいう展覧会のこと)を行ったことがわかる。冊子も出ている。

ネットでエハガキを探すには

 前職の国会図書館時代、PR誌に「国会図書館にない本」という記事を連載した時に気づいたが、実は戦前、図書館はエハガキをそこそこ所蔵していたらしい(提供方法など詳細は不明)。2000年代に不況対策で自治体にデジタル化予算が付いた時、手頃さから地方公共図書館に死蔵されていた戦前エハガキがかなりデジタル化され、ようやく最近、ネットでも見られるようになってきた。

 本来ならそういったものを一括で検索できる(はずの)ジャパンサーチで総ざらいできればいいのだが、検索結果をみるに、そうなっていない。そこで旧来のやり方を行う必要がある。旧来とは、当該のデータがでそうな各所蔵館の目録(現状ではOPAC)を順番に検索するという手順である。国会図書館が作成した調べ方案内「絵はがきを探す」の後半に「2-2. データベース、ウェブサイト」としてエハガキ所蔵のリンク集があるので活用されたい。

 こういった旧来の方法と平行して、Google検索をしたり、ヤフオクなどオークションサイトで検索するとよい。例えば、【図4-2】「市町村雑誌社ヨリ宮城方面ヲ望ム(新築記念)」をキャプションのままググると、江戸東京博物館「喜多川周之コレクション」に所蔵があり、画像もネットで見られることがわかる。同館のOPACを、見つけたエハガキのメタデータ(目録情報)の「大分類:印刷物」と適宜のキーワード(例えば「新築」)で掛け合わせ検索すると、同館所蔵の建築エハガキをヒットさせられる。
また、当然のことながら「日本の古本屋」サイトでもエハガキを買うことができる。

蛇足だが…著作権のこと

 絵画は別だが、写真のエハガキは法的な著作物のパターン分けで「写真の著作物」になる。写真の著作物で1957(昭和32)年までに公表されたものは著作権が消滅している。戦前の
写真エハガキは自由に使えるというわけである。

(お知らせ)4月に関係書が2冊出ます

 私が編集長をしている年刊雑誌『近代出版研究2025』が4月10日に発売されます(店頭には翌日くらいから)。「書物百般・紀田順一郎の世界」を特集し、荒俣宏先生などにご寄稿いただきました。特殊雑誌なので委託配本でなく返品可能の注文制となっています。Amazonやhontoなどのネット書店でも買うこともできますが、神保町の東京堂さんには確実に並ぶはずです(税込み3,520円)。

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 4月23日には、ハヤカワ新書から『立ち読みの歴史』が出ます。日本人なら誰でも知っている「立ち読み」。けれど戦前、洋行した日本人は海外にないと言っています。どうやら「立ち読み」という習俗は日本発祥らしいのです。いままで誰でも知っているのに誰ひとりとして
解明できなかった「立ち読み」の歴史を解明した本です(税込み1,320円)。

『立ち読みの歴史』

 次回の連載は本の元になる製紙や製本を写したエハガキについて。

 

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