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メールマガジン記事 シリーズ本とエハガキ

本とエハガキ⑥ 読書エハガキ①

本とエハガキ⑥ 読書エハガキ①

小林昌樹

読書シーンのエハガキ

 今回は読書場面を写した写真エハガキを紹介する。図書館史への興味から図書館エハガキを集め始めた際に、閲覧者も写っていることに気づいた。そしてさらに本の関連までエハガキ集めを広げると、読書行為そのものを写しているエハガキもあることにも気づいた。

 最初、読書エハガキを読書史料として使えるのではないかと考えて集めたが、図書館系は
ともかく、それ以外の単体の読書エハガキは、あまりに「構えて」撮られているようなので(いわゆる「やらせ」に近い)、読書行為の史料としてはやや使いづらいと感じている。
 それでもなお、「本とエハガキ」という枠内ではあり、眺めていると楽しいので、今回、
読書行為が写っているエハガキ(読書エハガキ)を紹介する。

絵画のエハガキ

 この連載では写真のエハガキを取り上げ、絵のエハガキは取り上げてこなかったのだが、
絵画エハガキのほうだと読書シーンというは比較的ありふれた形で目にする。というのも、
単体の作品としての絵画で、人物画の題材とし読書風景がよく取り上げられる一方で、大規模な絵画などの美術展覧会が開催されると、それにあわせて絵画のエハガキが発行されることが多いからだ。

6-1
【図6-1】「芝居の噂(博多言葉)」
 罫線パターンc 大正期か
 
 これは絵画でも、観光みやげで発行されていたお国言葉セットものの一種だろう。ただし
発行は東京芝区の「TORII」書店と表面にある。画中では女性3人が『演芸画報』を2冊開いて見て、芝居の予定表が掲載されているのであろう、来月は菊五郎が来ると噂しあっている。
博多言葉に標準語が併記されている。足袋を履いていないのが打ち解けたプライベート空間を表しているようだ。

6-2
【図6-2】「ポーズ(帝国美術院第十一回美術展覧会出品)永地秀太氏筆」
 罫線パターンc 1930年

 この絵を描いた永地秀太(ながとちひでた)は明治〜昭和前期の洋画家。第11回「帝展」に出品されたものらしい。洋画家自身のアトリエか書斎だろう。洋書ばかりが大型の作り付け本棚に縦置きされているのがカラーでよく分かる。一部は「THOMA」「PICASSO」などと背文字が読めるように描かれている。

 出品された絵画が、写真に取られ、色彩分析されたうえで、三色網版でカラー印刷され、(おそらく展覧会場で)販売・頒布されたものだろう。この手の読書絵画エハガキが手元に数十枚ある。これは戦前ポスターのエハガキも同様なのだが、銀塩写真や印刷写真はモノクロ(白黒)なので、現物が戦災などで失われると実際の色味が現在の我々にわからないことがある。そんな場合、絵画エハガキやポスターエハガキが色味を知る手がかりになる。

子どもと老人

 日本国内だとお国言葉のエハガキがよく発行されていたらしいのだが、戦前日本の場合、
台湾や朝鮮がそれに準じる地方として存在していた。当時の用語でいう「外地」(植民地と友邦を合わせた言葉)である。その現地人の風俗習慣を写真エハガキに仕立てられていた。その中に読書エハガキがある。

6-3
【図6-3】「児童の読書(朝鮮風俗)」
 罫線パターンb 明治末〜大正

 【図6-3】は表面の切手貼付欄に「京城日ノ出発行」とあるので、朝鮮京城にあったエハガキ屋が作ったもの。「朝鮮風俗」シリーズの1枚。児童が対座して本(唐本か?)を広げているが、本当にこのような読書風景があったのかちょっと疑わしい。
 いまネットを見ると、朝鮮写真絵はがきデータベース(国際日本文化研究センター)が稼働しており、キーワード「読書」でそれを検索すると同じ写真のエハガキが数枚出てくる。ヤフオクでもよく見る絵柄なので多く刷られたものだろう。

6-4
【図6-4】「児童ト読書」
 罫線パターンb 1910年

 【図6-4】は表面消印によれば1910(明治43)年のもの。「京城八弘堂発行」とある。
咸興で投函されたもの。朝鮮の子どもが読書をしている写真だが、先生役とおぼしき老人が設定されている。同じ図柄の写真エハガキが朝鮮写真えはがきデータベースにあり、そちらは「韓人読書教授」と題されて、より具体的な記述になっている。朝鮮の「書堂」(日本でいう寺子屋)を模した撮影だろう。同データベースを「書堂」で再検索すると、よりリアルな写真エハガキが出てくる。

6-5
【図6-5】「老儒」
 罫線パターンd 1935年前後か

 【図6-5】も外地もの。満洲で漢人の家を訪問したら老人が書見をしていた、という設定である。キャプションに「老儒」とあるが、本当に儒者だったか怪しい。本はテーブル上の1冊だけで他に書物が写されていないのが残念。

本の置き方に変遷あり――本箱から本棚へ

 次も子どもの読書エハガキだが、分析的に見るととても面白いことがわかる。

6-6
【図6-6】「読書する子ども(仮題)」
 罫線パターンb 1910年前後か

 最後の【図6-6】はキャプションがないので仮題をつけた。横浜伊勢崎町の「TONBOYA」発行と表紙にある。子どもが洋書か洋装本の図版を見ている図柄で、いかにもポーズをつけさせているように思われるのだが、読書史として興味深いのは右側の本箱。

6-6a
【図6-6a】図6-6部分、本箱

 正確には本箱そのものではなく、その運用法が読書史上の過渡期を示していて面白い。
ラーメンの岡持ちのごとく差し込み(倹飩/慳貪)式のフタがついた「慳貪(けんどん)箱」が江戸時代の本箱だったが、これは本来、和本や唐本をヒラに入れるもの。明治期に洋装本が
日本でも出るようになり、新刊書の過半数が洋装本になったのが明治19年ごろ。そして明治30年代に背文字が背表紙に刷り込まれるようになり、本はタテ置きされるようになったようなのだが、なんと和本用の本箱にけっこうタテに置かれていたようなのである。

6-7
【図6-7】和本用本箱に洋装本をタテ置きした事例 1898(明治31)年

 【図6-7】は、和本用本箱に洋装本をタテ置きした図で、本箱から本棚へ本の個人収蔵法が変化していく過渡期を示すちょうどよい絵だったので拙著『立ち読みの歴史』などにも引用しておいた。それが【図6-6】のエハガキで、実際にこの目で見ることができたわけである。
ちなみに【図6-6a】の慳貪蓋の高さが箱の高さに比べ、やや足りないように見えるのは、本箱の最下部は引き出しになっているからだろう。そのような様式の本箱が明治期に多いと何かで読んだ。

 人物写真のエハガキは全体としてはポーズ、やらせが多いのだが、こうやって部分(私は「映り込み」と呼んでいる)に注目すると、ある種の真実が出てくる。

次回も読書エハガキ

 久しぶりに手元のエハガキコレクションの箱を開けたら、思ったより読書エハガキがあったので、次回もこれを紹介したい。どうやら郷里の実家に送るためのものらしいのだが、学校の寄宿舎ものといえるエハガキが発行されており、それに読書風景がかなりある。

エハガキの罫線パターン(連載1回にも掲載)

【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)
【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)

お知らせ

 拙著『立ち読みの歴史』でも少し本のエハガキを使っています。『朝日新聞』書評欄(2025年6月28日〔土〕)、『週間プレイボーイ』(6月28日号、深田恭子さんが表紙)でも特大で紹介され好評なので、ぜひ書店にて立ち読みしてみてください。
 
『立ち読みの歴史』
 
書名:『立ち読みの歴史』
著者:小林 昌樹
発行元:早川書房
判型/ページ数:新書/200頁
価格:1,320円(税込)
ISBN:978-4-15-340043-6
Cコード:0221
 
好評発売中!
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000240043/

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