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傑作、伊藤明彦著
『未来からの遺言─ある被爆者体験の伝記』を復刊

傑作、伊藤明彦著『未来からの遺言─ある被爆者体験の伝記』を復刊

西 浩孝(編集室 水平線・長崎市)

  昨年12月、真の傑作といえる伊藤明彦著『未来からの遺言─ある被爆者体験の伝記』(
青木書店、1980年/岩波現代文庫、2012年)を復刊した。

 伊藤明彦(1936-2009)は元長崎放送記者。1960年入社、68年に「被爆者の声」の記録・保存・放送を目的とするラジオ番組『被爆を語る』を企画。初代担当者。
 「最後の被爆者が地上を去る日がいつかは来る。その日のために被爆者の体験を本人自身の肉声で録音に収録して、後代へ伝承する必要があるのではないか。被爆地放送関係者の歴史に対して負うた責務ではないか」という使命感から会社に提案したものだった。
 しかし、自分で取り組めたのはわずか半年。労働組合活動が原因で担当を外され、佐世保支局へ飛ばされた。これに納得のいかなかった伊藤は70年に退社。単独での聞きとり録音作業を開始した。

 夜警や皿洗いなど早朝・深夜のパート労働に従事しながら、退職金で買った重さ13キロの
録音機をさげ、東京、広島、東京、福岡、長崎と転居をくりかえし、そこを足場に東北、
北陸、神奈川、備後、呉、筑豊・筑後地方、長崎県北、五島列島、沖縄本島、伊江島、宮古島などの被爆者を訪ね歩いた。
 すべて自費である。この間、夜具はなく、寝袋で寝て、座布団を二つに折って枕がわりに
するような生活を送った。自分より貧乏な被爆者に会ったことがなかった。
 79年までの8年間で全国21都府県の被爆者およそ2000人を訪問。これは平均すると3日に
2人というペースで、凄まじいと言うしかない。

 だが、半数には断られた。広島での例。
 「うちが被爆者じゃいうこたあ、どこから聞いて来んさったんですか。もう来んでください。娘の縁談の最中じゃあ言うのに。この話が壊れてしもうたら、あんたが責任をとってくれんさるんですか」
 「人いうんは、不幸じゃった過去を忘れて生きるいう権利があると思うとるんよ。ほいじゃがあんたは、その権利いうんを踏みにじるみたいなことをしとりんさるんよ」
 「責任団体がはっきりしとらんのう。あんた、なんのこたあなあ、トロツキストなんじゃあなあのかいや」
 「うるさい! いまものすごく忙しいんじゃ。わりゃあ、ぐちゃぐちゃぬかさずいにゃあええんじゃ。はよういねえ! いないんかい! しごうしたったろうかいや!」

 何日も何日も、録音をお願いにいった被爆者からきびしい拒絶にあうことが続くときは、
つぎの被爆者を訪ねていく勇気がなかなかわかず、昼間からふとんをかぶって、当の被爆者からさえ支持されないことに心身をけずっている自らの愚かさを哀れんだ。ときには鬱症状に
おちいった。しかし、それでも伊藤は作業をやめることなく、最終的に約1000人の声を収録した。

 さて、このあと伊藤が真っ先に取りかかったのが、今回復刊した『未来からの遺言』の執筆であった。録音した被爆者1000人のうちで、もっとも印象に残った人物、そのたった一人について書いたノンフィクションである。
 序文から興味をそそる。引用する。
 「この物語の主人公と、周辺の人々の本名をあかすことはできません。その理由は、この
文章を最後まで読んでくだされば、お判りいただけると思います。いまから九年前収録され、ある場所に眠っている三巻の録音テープ。このテープのなりたちをめぐる事実を、自分の記憶が正確なうちに書きとめておくために。そしてもしできることなら、この文章を読んでくださるあなたにも、この録音テープをめぐるふしぎを、私といっしょに考えていただくために」

 長崎で被爆した吉野啓二さん(仮名)は、原子爆弾と人間との関係を一身に具備したような存在だった。一家全滅。寝たきり生活。白血病による姉の死。医療認定。独り暮らし。生活保護。被爆者組織と原水禁運動への参加。「生きがいは社会を変革することだ」。
 なまなましい感情のこもった、情景(シーン)に満ちた話に、伊藤は深い感銘を受ける。
しかしその一方で、つぎのような感想もいだいた。
 「この話はほんとうだろうか」
 「あまりにもできすぎているのではないだろうか」
 傍証がほしい。伊藤は吉野さんの身の上について調べはじめる──。

 ここから先の展開を書くことはできない。読んでもらうしかない。しかし最初に記したように、「傑作」であることを保証する。
 被爆者とは誰なのか。被爆体験とは何なのか。原子爆弾と人間との関係の本質とはどのようなものなのか。
 このような大きな主題を、極上のミステリー小説のように読ませ、描ききる。その驚くべき深さ、豊かさ、おもしろさに、私のこころは震えた。

 たまたま古本屋で手に取った本であった。調べてみたら、絶版状態であった。
 なぜこれほどの本が埋もれているのか。なぜこれほどの人物が知られていないのか。
 2016年9月、私は家族の事情で東京の出版社を辞め、長崎に移った。縁もゆかりもない土地だった。当時はこれからどうするという見通しもなかった。だが、この本に出会うために、
この人物に出会うために、長崎に来たのかもしれない。そう思った。いまやそれは確信になった。

 私は彼が残したすべての著作を〈復活〉させるべく、シリーズ「伊藤明彦の仕事」の刊行を決意した。全6巻。10年かけて完結させるつもりだ。
 本書はその第1巻である。ぜひお読みいただきたい。
 
 
ito hideaki-1(オビアリ)
 
書名:『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』
著者:伊藤明彦
発行元:編集室 水平線
判型/ページ数:四六判並製カバー装/356頁/上製
価格:2,420円(税込) 
 
好評発売中!
https://suiheisen2017.jp/product/3763/

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