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メールマガジン記事 シリーズ本とエハガキ

本とエハガキ③ 古書即売会のエハガキ

本とエハガキ③ 古書即売会のエハガキ

小林昌樹

エハガキはチラシの代わりでもある

 古本の即売会が好きだ。というか第二の人生を歩み始めた2005年から、ほぼ毎週末南部、西部、そして本部(神保町、というか小川町(まち))の古書会館に通っている。前職、国会図書館で書庫で仕事の立ち読みをたくさんしたけれど、週末古書展のほうが数倍楽しい。だって買って帰れるんだもの。

 その即売会、どうやら戦前からあるらしい。名著にして大著『東京古書組合五十年史』に「古書即売展」(p.548-572)という章があって、日本初は横浜で、明治42年11月20日と
翌日、浜港館で開かれたものだと分かる。横浜には古本屋がほとんどないので、東京の業者を呼んでやる「古書展覧会」だと当時の『横浜貿易新報』にある。
 たまたま【図3-1】のような広告エハガキを拾った。

図3-1 第5回和漢洋古書籍展観即売会
【図3-1】「第五回和漢洋古書籍展観即売会」(1933?)

 はがきの表面を見ると、京都市高倉二条上にあった白洲堂書店が、丸太町に住んでいた衣笠貞之助という人物に出した「京都局市内郵便」であることが分かる。どうやら、俳優、映画監督の衣笠貞之助(1896‐1982)のものらしい。

 それはともかくネットで月日と曜日のかけ合わせから年代候補を考えると、1933年か1937年。おそらく1933年のものだろう。14店舗が合同で、日曜日、月曜日と2日間、昭和図書館という会場で開催している。「毎月十、十一両日開催」とあるので、曜日と関係ない開催だったようだ。

 ヤフオクなどを見ると分かるが、こういった広告エハガキの中には古書展のエハガキもある。絵がないので厳密にはエハガキではないが、たまに典籍の絵・写真があしらわれていたりする。
 以前の連載で、戦前「古書」というと基本的に和古書、つまり、和本や仏書、唐本を指したことを書いたが、では戦前期の古書展はどのようなものだったのだろうか。

最初は本棚のない古書展が普通

 実は『東京古書組合五十年史』に写真があるのだが、せっかくなのでエハガキで高精細な
写真を見てみよう。まず【図3-2】から。「柄鏡に関する図書 於雲泉荘弓場」とキャプションにある。表面には罫線なしで「杉浦雲泉荘」と印字がある。気を付けて見て欲しい。和本が、いちおう毛氈を引いてあるとはいえ、畳敷きに展開されていることがわかる。

 いまNDLデジコレを検索すると、杉浦三郎兵衛編『雲泉荘山誌 巻之1』(杉浦丘園、昭和3)という本が見つかるので、下京区三条通り柳馬場東ルにいた第10代・杉浦三郎兵衛利挙(号・丘園、1875‐1958)という人が発行したエハガキと分かる。
 とすると、これは売らない展覧会、ということになるが、それでもなお、戦前の和本を中心にした古書展の典型例と見て良い。年代は、デジコレで『史学研究』8(3)、昭和12年3月号)にそれっぽい記述があるので1937年と見た。杉浦丘園は古物や古書のコレクターだったが、たびたび展覧会を開いたので斎藤昌三に「模範マニア」とホメられている(『閑板書国巡礼記』p.272)。

図3-2 柄鏡に関する図書
【図3-2】「柄鏡に関する図書 於雲泉荘弓場」(京都、1937?)

 杉浦の展示会は売らないものだったろうが、売る方の展覧会の写真は「五十年史」にある【図3−3】。

図3-3 常盤木倶楽部古書展会場
 【図3−3】「常盤木倶楽部古書展会場(第二回明治45年)」
(1911、『東京古書組合五十年史』p.552より)※これはエハガキではない

 「五十年史」によると常盤木倶楽部という貸席で行われたもの。この貸席は元「柏木」という会席茶屋で「日本橋白木屋の手前、榛原の隣」にあったという。会場写真【図3−3】を見ると、基本的に和本ばかりが畳敷きの会場に面陳されているのが分かる。奥に「伝記類」「教訓□」「修身□」などと垂れ幕がああるのは、これは展示書のジャンルを示しているのかもしれない。エハガキに比べ網版印刷なので、よくわからない。元写真がどこかに残っていないものだろうか。

古書展の近代化――デパート展

 かように明治末に始まった古書展は、会場は畳敷き、本棚はなく、和本がヒラに並べられているものだったのが、大正末あたりから「近代化」したらしい。古書界における近代化とは、本に和装本だけでなく洋装本(洋本)が並ぶようになり、本棚が導入されるということなのだが、象徴的なのは近代消費文明の華、デパートにおける古書展、「デパート展」が始まったことだろう。やはり「五十年史」(p.559)によれば、デパート展の最初は昭和7年11月12日〜20日、白木屋(東京日本橋)で行われたもので、25店舗もが参加した大規模なものだった。肝いりは戦前の大書痴・斎藤昌三である。

 戦前始まった「デパートの展覧会」は結果として大成功で、昭和10年頃にピークとなった。
 手元にあるエハガキ【図3-4】はデパート展を宣伝する一枚。大阪梅田駅の阪急百貨店で
開催されたもの。年代は表面文言が「郵便はがき」と、「が」を使っているので昭和8年以降だろう。デパート展は昭和15年ごろから統制価格の関係で当局が難色を示し始めたというから、昭和一桁ごろか。NDLデジコレで全文検索できる『古本年鑑』でヒットしないので、昭和11年以降の可能性が大きい。

図3-4 創刊号の雑誌類即売会/大阪・梅田阪急百貨店
【図3-4】「創刊号の雑誌類即売会/大阪・梅田阪急百貨店」(1933年以降)

 エハガキによると雑誌創刊号を「二階(西館)古書売場」で「展観即売」するという。昭和21年頃の敗戦直後、デパートに古書部が続々と出来た話は有名だが、戦前から古書部門があるデパートがあったというわけである。創刊号を収集する趣味は戦前から古書業界で認知されていたこともわかる(創刊号目録の書誌がネットにある)。

 ところで【図3-1】の古書展は京都の「昭和図書館」という施設が会場となっていた。図書館と古書は最近でこそ相性が良くなってきているが、昭和後期〜平成期はほぼ無関係のものだったので、とても興味深い。どんな施設かと思っていたら、これもエハガキで拾うことができた。【図3-5】がそれ。和風建築の2階建てで、入口の庇にお宮風な「てりむくり」があって、なかなか面白い。

図3-5 昭和図書館
【図3-5】昭和図書館「本館側面図」(1928)

 実はこの昭和図書館、たしかに図書館ではあるのだが、設置母体が「京都書籍雑誌商組合」という京都の書籍商団体なのである。昭和3年、中京区木屋町御池に設置されたもの。この
正面玄関もエハガキで入手している【図3-6】。

図3-6 昭和図書館 正面玄関図
【図3-6】「昭和図書館 正面玄関図」(1928)

 門柱に看板が掛かっているので読んでみる。右側には「昭和図書館」、左側には「京都書籍雑誌商組合/京都古書組合事務所」とある。そう、この図書館は古書組合の事務所でもあるのだ。それゆえ、古書展も開かれるのである。その会場は二階の大広間であったろう。

図3-7 昭和図書館「会場大広間」
【図3-7】昭和図書館「会場大広間」(1928)

 昭和図書館は古書会館でもあるので、毎日のように開かれていた「市会」(古書籍業者相互の交換会)も、この大広間であったろう。
 現在の古書展は普通に本棚を使うので(下図、東京古書組合ブログより、2008年のもの)、畳敷きの会場がデフォルトというのはちょっと意外かもしれない。

即売展写真

 戦前の東京組合事務所は昭和20年に空襲で焼失。戦後再建された建物は「五十年史」を見ると板敷きであるようだ。その時代の交換会(振り市)再演が三島由紀夫原作、映画『永すぎた春』(大映、1957)にあるというが、未見。

 【図3-8】は昭和図書館の閲覧室風景だが、戦前の図書館らしく、本が見当たらない。今でも国会図書館へ行けば体験できるように、戦前の図書館は本はみな閉架書庫にしまわれており、閲覧者は職員(出納手)に頼んで出してもらい、館内閲覧をするというのはデフォルトだった。この写真には映り込んでいないが、別に出納所や書庫があるはずである。写真がやけにスカスカに見えるのは、奥に講壇があることから分かるように、適宜、講演会などに使うためだったのだろう。この図書館は戦時中、防空緑地を作るため強制撤去されたようだ。しばらく前、『昭和図書館月報』なる綴りを買ったので手があいたら調べてみたい。

図3-8 昭和図書館「図書閲覧室」
【図3-8】昭和図書館「図書閲覧室」

 今回は古書展示会や古書会館のエハガキを紹介しつつ、柴野京子著の書名にいう「書棚と
平台」問題を古書即売会がらみに当てはめて瞥見してみた次第……。ん? いや台すらもなかったか。

 
 

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