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蔦重版と古本屋(『蔦屋重三郎』)

蔦重版と古本屋(『蔦屋重三郎』)

鈴木俊幸

 ここのところ、蔦屋重三郎版の和本の売れ行きが好調とか。安いものではない。蔦重版は
時代の名物である。江戸時代中期末を飾る名品の数々が蔦重によって出版された。彼が手掛
けた浮世絵にしても黄表紙にしても洒落本にしても、一過性の娯楽、本来流行の流れの中に
あって過ぎ去ってしまうはずのものであった。そんなものほど、後に価値が見出された時には
簡単には入手出来なくなっている。入手困難ということが蒐集の食欲を一層かきたてるので
ある。

 大田南畝の手控『丙子掌記(へいじしょうき)』に、山東京伝の訃報に接した文化13年
(1816)9月7日、息定吉を柳原の床店古本屋に行かせて京伝洒落本三冊を得てこさせたと
いう記事が見える。そのうち二点は蔦重版である。この記事の後に、もともと所蔵していた
京伝洒落本八点を並べている。その内七点は蔦重版、残り一点は鶴屋喜右衛門初版であるが、
後に蔦重が求版したものである。南畝は、盛時の戯作類を多く所蔵していた。自分自身、
当時の戯作に手を染め、他の戯作者たちとの交遊が密であったこともあって、その頃を
懐かしむ気持ちは強かったであろう。しかし、それだけではなかった。当時得てそのまま
持ち続けていたものもあったろうが、本の蒐集は彼の趣味であり、性癖のしからしむる
ところでもあった。マニアである。余暇には自分自身で湯島天神下や柳原の床店古本屋を
冷やかしては古い草紙類を漁っていた。

 南畝の蒐集癖は、その時代の趣味とも合致するものであった。その趣味を牽引していった
人間の一人が南畝であったと言うべきかもしれない。『浮世絵類考』の原撰本『浮世絵考証』
は南畝が編んだものである。昔の草紙類を蒐集して、それに基づいての考証を展開していく
趣味が18世紀末から盛んになる。この南畝の編著もそれと一連のものである。

そして考証随筆を著した山東京伝・柳亭種彦・曲亭馬琴なども、その中心的存在であった。
その蒐集熱は比較的近時の草紙類、天明頃の黄表紙や洒落本にまで及んでくる。そして、その
時代の空気を象徴する名物、優品は蔦重版が他を圧倒して多かったのである。天明期戯作の
滑稽に憧れた式亭三馬も時代の潮流の中の一人である。彼の蔵書印のある戯作をよく見かけ
る。享和3年(1803)の黄表紙『稗史億説年代記(くさぞうしこじつけねんだいき)』など、
その趣味、その考証をもって作り上げた黄表紙と言ってよいだろう。

 こういった趣味の裾野は、幕末になるにしたがって、ますます広がっていく。原則その年々
の正月のみの新版として消耗品的に享受された黄表紙はもともと残りにくく、特に早期のもの
は幕末には入手が困難になっていた。蒐集家の増加はそれに拍車をかけ、蒐集家の熱は稀本に
なればなるほど高まる。ここに蒐集家向けの商売が成立する。「珍書屋」と呼ばれた古本屋が
登場してくる。安政元年(1854)序、四壁庵茂蔦の『わすれのこり』に「珍書持/四日市
達磨屋悟一待賈堂/豊島町からしや豊芥子/池之端仲町加藤家内土島氏 黄表紙好/下谷
上野町紺屋 黄表紙好/大師の千六本といふ黄表紙一冊を、金一分に買ひとりたりと」という
記事が見える。黄表紙はすでに「珍書」、それを専ら対象とした蒐集家の存在を確認できる。

達磨屋五一は、文化14年(1817)築地に生まれ、十二歳のころ西村宗七店に丁稚奉公に出、
さらに英文蔵・山田佐助店を勤めた後、嘉永3年(1850)、四日市に「珍書屋」の看板を
掲げる。好事家相手の店である。熱心な蒐集家がいて、蒐集家に磨かれ、蒐集家を満足させる
ような目利きの古本屋が現れた。彼ら蒐集家と古本屋の存在があって、黄表紙などの草紙類の
散逸はかろうじて食い止められ、今、われわれがこれらに接することができているのである。

 さて、下谷上野町紺屋が金1分で買ったという「大師の千六本」は、北尾政演画・芝全交
作の黄表紙『大悲千禄本(だいひのせんろくほん)』で、天明5年(1785)正月の蔦重版で
ある。今でも稀覯に属するが、江戸時代においても同様だったのである。この黄表紙は
蒐集家垂涎の的であり、幕末には覆刻版も作られた(達磨屋五一によると伝えられる)。
不出来な覆刻であるが、需要は大いにあったのである。

中央大学所蔵の黄表紙社楽斎万里作山東京伝画『嶋台眼正月(しまだいめのしょうがつ)』
(天明7年、蔦屋重三郎版)には「福田文庫」印があって、福田敬園の手になると思われる
識語に「芝全交作 当世大通仏買帳/同 御手料理御知而已 大悲千禄本 但当安政五午年秋
再板五拾部余すり立候分聞く尤もはし(以下難読)/京伝 嶋台眼正月/右安政五午年九月
廿五日湯嶋天神様切通し床見世ニ而求之畢ぬ代十百ノ拾文」とある。「福田文庫」印を備える
黄表紙はよく目にする。彼も熱心な蒐集家であった。この三冊、湯島天神切通の床店古本屋で
得ているが、その中に覆刻版『大悲千禄本』もあって、それが安政5年(1858)製のもので
あるという情報が備わる。それはともかく、福田敬園が古本屋で入手し、大切に収蔵していた
から、それがそのまままた古本屋の手に渡り、めでたく中央大学の蔵書となったのであった。

 さて、昨年、『蔦屋重三郎』(平凡社新書)を上梓した。ひたすらわかりやすさを心懸けて
作ったつもりであるが、いかがであろう。蔦重版の和本に吹いているらしい景気の風がこの
小冊にも及ぶであろうか。

 
 
鈴木俊幸
1956年、北海道生まれ。中央大学文学部教授。専攻は近世文学、書籍文化史。中央大学文学部国文学専攻卒業。同大学大学院博士課程後期単位取得満期退学。著書に、『江戸の読書熱-自学する読者と書籍流通-』、『絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ』(以上,平凡社選書)、『江戸の本づくし―黄表紙で読む江戸の出版事情』(平凡社新書)、『近世読者とそのゆくえ―読書と書籍流通の近世・近代』(平凡社)など。
 
 
20250325_tsutaya
 
書名:『蔦屋重三郎』
著者:鈴木俊幸
発行元:平凡社
判型/ページ数:新書/208頁
価格:1,100円(税込)
ISBN:9784582860672
Cコード:0223
 
好評発売中!
https://www.heibonsha.co.jp/book/b651740.html

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