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なぜ映画人たちは『砂の器』という危うい企画に
のめって行ったのか(『砂の器 映画の魔性——監督
野村芳太郎と松本清張映画』)

なぜ映画人たちは『砂の器』という危うい企画にのめって行ったのか
(『砂の器 映画の魔性——監督野村芳太郎と松本清張映画』)

樋口尚文

 映画『砂の器』が公開されてなんと半世紀になる。映画演劇文化協会が旧作の名画をスク
リーンで観る〈午前十時の映画祭〉を催行して好評を得ているが、このたびアンコール希望
作品を一般に募ったところ、邦画では『七人の侍』と並んでなんと『砂の器』が選ばれた。

事ほどさように松本清張原作、橋本忍・山田洋次脚本、野村芳太郎監督の『砂の器』は「国民的」人気作品で、これを「名作」「傑作」と激賞する声も後を絶たない。このたび上梓した、映画『砂の器』をめぐる最大最長の研究本となるであろう『砂の器 映画の魔性 ――監督野村芳太郎と松本清張映画』(筑摩書房)は、そういった従来の『砂の器』のポジショニングへの「はたして本当にそうか?」という疑問が軸になっている。すなわち著者の私にとって『砂の器』は「傑作」「名作」とは呼び難い危うい企画であり、それゆえに通りいっぺんのよく出来た作品よりも格段に興味深い奇異なる作品なのである。

 そもそも映画の評判を受けて松本清張の代表作とうたわれることもある原作『砂の器』からして、清張初の新聞連載小説であるがゆえに、とにかく長大なうえにさまざまなアイディアを詰め込み過ぎてまとまりを欠いている。清張原作で映画化が成功を見た作品は、『張込み』であれ『黒い画集 あるサラリーマンの証言』であれ『影の車』であれ、狙いが無理なくシンプルに定まった短篇、中篇ばかりである。これらとはまるで対照的な『砂の器』連載中に脚本化にとりかかった橋本忍は、話が広がるばかりで収拾を見ない原作に業を煮やし、全く独自の
切り口で一気に脚本を書くことにした。その結果生まれた、原作には全く描かれていない
人間の「宿命」の物語が映画版『砂の器』なのである。

 映画では後半一時間近くにわたって観客の涙を搾り取る「父と子の遍路の旅路」など、原作では実に数行しか書かれておらず、それを大胆にクローズアップして作品の核にした橋本忍の発想はほとんど「奇抜」の極みである。その強引な力技ゆえに脚本にはいくつも映像化に
あたっての難点があるのだが、松竹撮影所に産湯を使ったサラブレッド監督の野村芳太郎は「緻密」を極めた職人芸によってそれをカバーしてみせた。この橋本忍の大胆極まりない
「奇抜」と野村芳太郎の細心な「緻密」が両輪となって、本来はクールで非情な悪漢小説であった原作『砂の器』が、まるで別物のパセティックな情感に満ちた一大メロドラマに生まれ変わったのだった。

 そのような次第で映画『砂の器』の企画は下手を打つと嘘くさい大げさなメロドラマになりかねない難しいしろものであり、さらには天候に左右され費用も嵩む四季のロケーションや
演出サイドが御しにくい音楽が重要な要素となっているという、さまざまな意味で大きなリスクを含むやっかいなものであった。このたび私が本書で探りたかったのは、それまでに数々の傑作を放っていた大ベテランの橋本忍と野村芳太郎、この邦画きっての犀利な論理性を感じさせる名匠ふたりが、なぜまたこんな物語も無理筋に近く、さまざまな制作上のリスクを孕んだ企画にのめって行ったのか、ということである。

 私は邦画の黄金期に出発して、数々の上出来な商業的な規格品を生み出してきたふたりが、この『砂の器』という企画にそれまでにないのるかそるかの危うさを感じ、それゆえにとことん魅入られてしまったのではないかと思うのである。すなわち、映画づくりというものは、
さまざまな要素に左右されるためにひじょうに仕上がりが見えにくく、また少なくない予算を要しながら必ずしも当たるとは限らない、まことにギャンブル性の強いものである。だが、
その質も興行も大化けするかもしれないし大コケするかもしれない「賭け」の蠱惑に惹かれて、作り手たちは映画に身を投ずることになる。

 そういう意味で手堅い映画人であった橋本忍と野村芳太郎は、『砂の器』という先が読めない企画の危うさにこそそそられたのではなかろうか。本書ではそんな推測のもとに、橋本と
野村がこの至難な企画をどうやって成立させたのかをたどっている。橋本は自著や取材での
発言によって『砂の器』の制作事情について語っているので、本書では意外やあまり語られたことがない野村芳太郎監督の本作への貢献を明らかにしたいと思った。ついては、野村監督が生前に遺した厖大な現場資料を長年にわたってお借りできたことが奏功した。

 野村監督は脚本が決まった段階で作品全体を俯瞰的に見た時の構成上の力点や注意点をまとめた「演出プラン」を実に読みやすくきれいな字で書かれていて、同時にシンプルながらとても意図が伝わりやすいコンテを全篇にわたって描き、さらに撮影直前にはもっと備忘録的に
さまざまな演出細部の重点ポイントを「演出メモ」として書いて現場にのぞんでいることが
わかった。これは撮影所の制作条件をはみ出さずして狙い通りの画を撮るための、もはや職人監督の鑑のごとき資料であった。

また、野村監督は銀座の伊東屋などで文具を選ぶのがお好きだったようで、資料の数々も作品ごとに箱に仕分けされ、ローマ字でタイトルを打ったテプラが貼られていたり、スナップや
記事もきちょうめんにアルバムやスクラップファイルに整理されている。こうして野村監督が遺された資料群をお預かりして格闘することまる8年、ようやくまとまった本書を読んでいただければ、映画を一本作り上げることにまつわる気の遠くなるような深慮と作業量、その一方で作り手がついそこまで自らの持てるものを差し出してしまう映画づくりの愉悦、すなわち「映画の魔性」を感じ取っていただけるのではと思う。

 
 
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書名:『砂の器 映画の魔性——監督野村芳太郎と松本清張映画』
著者:樋口尚文
発行元:筑摩書房
判型/ページ数:四六判/384頁
価格:2,750円(税込)
ISBN:978-4-480-87417-7
Cコード:0074
 
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https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480874177/

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