「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
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9月下旬に清原悠編『自由への終わりなき模索――新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』(ころから)を刊行することが決まった。その自著につける帯文を、自分で考えることになった。ええっ、帯文って自分で書くんですか? てっきり誰かに頼むのだと思っていました。まあ、確かに880頁もある本、しかも、2段組とか3段組まである。来月に迫る刊行までに原稿を読んでもらって、素晴らしい帯文を書ける暇人、才人、奇人、変人など、いるはずがない。日本の出版流通史に詳しく、社会運動史にも詳しく、カウンターカルチャー・サブカルチャーにも詳しく、書店論にも明るく、できれば社会的企業にも関心を持ってきた人で、なるべく著名人、100字で核心をつかみつつ7700円もの高価な本を買う意欲をガンガンあおれる文才があって、できたらタダもしくは「薄謝で申し訳ありませんが」で仕事を引き受けてくれる心の広~い人が・・・いるわけない。
こんなことを書くと、まるで自分以外に適任者がいないと言いたげに思われるかもしれないが、それは大いなる誤解。まず、全く著名人ではない。のぶれす・おぶりーじゅで無償労働ができる身分になった覚えもないです。ジョン・レノンの歌詞も知らなかったくらい音楽には疎いので、「はっぴいえんど」とか「頭脳警察」とか「岡林信康」とか「水玉消防団」とか「水牛楽団」とか「ジュンスカ」とか「ブルー・ハーツ」とか「ZELDA」とか「オフ・ノート」とか本書の中であれこれ語られても、全然話題についていかれなかったです。元舎員へのインタビュー後に、国会図書館にひたすら通って全部調べました(脚注の数だけで700個程あります)。かろうじて演劇はわずかばかり知識があるので、「黒テント」の佐藤信さんが模索舎とどんな絡みがあったのかとか、沖縄の笑築過激団が東京で公演をやったときに模索舎の舎員が出張販売に1週間出向いたとか、新宿紀伊國屋書店の1階と2階のエスカレーターのところで消火器をかけあう「新宿大運動会」があったとかの話は、「へぇ~」とうなずくことができました。そういえば佐藤郁也『現代演劇のフィールドワーク: 芸術生産の文化社会学』(東京大学出版会、19991年)って名著ですよね。あ、他人様の古本(絶版本)の宣伝をしている場合じゃない。 ミニコミの話もですね、吉本隆明がなぜ人気なのか(だったのか)さっぱり分からないので、『試行』がいかに模索舎で売れ筋だったかとか言われてもピンと来ない。小野田穰二『遠くまで行くんだ』がベストセラーだったと言われましてもね、「どこまでお出かけですか~?れれれのれ~」という感想しかでてきません。『野宿野郎』とか『南米マガジン』とか『HARD STUFF』とか『とほ』とか全く知りませんでした。生きててすみません。あっ、『草の根通信』は大好きでっす! じゃあ、社会運動史はどうか。模索舎といえば「新左翼の書店」、「党派」の機関紙で有名ですよね。でもね~、私は新左翼とか詳しくないんですよ、公害問題・住民運動の研究が出発点だったので。模索舎は「のんせくと・らでぃかる」の思想に基づいて作られたということなんですが、セクト(党派)に詳しくないと「のんせくと」の意味合いが定まりません。民青とか、反帝学評とか、社青同解放派とか、戦旗派、叛旗派とか、三派全学連とか、いっぱい出てきます。ところで、サンパって何?全学連って一個じゃなかったの? 書店論の方はどうか。3年前に「模索舎50年史」のプロジェクトを始めてからは、数多ある「書店本」を読みつつ、時間を見つけては日本各地の本屋めぐりもしてみました。そういう過程を経て、模索舎を改めて調べてみると、際だった特徴があることが分かりました。模索舎は「過激派の書店」ではなく、取次を全く使わない新刊書店という「書店の過激派」だったということが。個人経営ではなく、創業時より共同経営を柱として運営されてきたということが。しかし、書店員になったこともない私が、いかに書店論を語りうるでしょうかね。 そういうわけで、「帯文」をどうしようか。求められる条件を全部満たして書ける人間はいない、いたらそいつは人間じゃない! じゃあ、いっそのこと人間以外に書かせてみたらいいのでは、ということで生成AIに書かせてみることにしました(タダだしね)。売りどころの一つは段ボール55箱分もの資料を読み解いて歴史をつまびらかにしたこと。それから、舎員経験者を中心に18名にインタビューを複数回行ったこと(延べ44名)。あとは模索舎は社会運動と出版流通の両方にまたがった活動だというところですね。そこで次のようにオーダーしてみました。「次のキーワードを含む本の帯文を作って下さい 社会運動 本屋 表現の自由は流通の自由 共同経営の波瀾万丈の歴史 オーラルヒストリー」。 「もちろんです!」と調子の良い返事に続けて、帯文案が出てきました。どれどれ、お手並み拝見といこう。 「表現の自由は、書くだけじゃ守れない――届ける自由があってこそ。」社会運動の熱が渦 むむ、なかなかやるじゃないか、と言いたくなるところ。でも、色々間違っているんだな。まず、模索舎はビラ・ミニコミといった表現物と、立派な装丁の本とをフラットに扱う、つまり表現物の形態の差によるヒエラルキーを否定するところから始まった「書店ならざる書店」だというところ。それにね「本が、社会を変えようとしていた時代の記録」とか言われると、まるで今がそうじゃないみたいですよね。本書は過ぎ去ったニッポン昔話の本じゃないんです。読んだ人の何かを、「今」を変えてくれるだろうこと、これを信じて作った本です。というか、作る過程でインタビューに答えてくれた人、作り手である「私たち(模索舎アーカイブズ委員会)」の何かを確実に変えてくれた本だから、読み手にも響くに違いないと確信が持てた本なんです。生成AI君、キミもまだまだだね。ネットばかりやってないで、もっと本を読みなさい!もちろん、タダ読みは許しまセン! さて、振り出しに戻る。帯文案、どうしましょう、というところで紙幅が尽きました。残念無念、続きは「Webで!」ではなく「書店で!!」。 2025年9月27日発行予定 |
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