『古本はこんなに面白い』中野智之 著 が生まれるまで中野書店 中野千枝 |
著者の中野智之は、昭和53年から中野書店の2代目として古本屋に従事し、昨年平成26年の12月に病の爲永眠致しました。著者が発行していた目録に『お喋りカタログ』があり『古本はこんなに面白い』はその番外編として、古書通信に連載された32編を集めた冊子です。常に傍らにいたものとして、誕生秘話(というほど大層なものでもないのですが、)を明かしますと、月刊目録『古本倶楽部』200号の記念として何かを出そうということがきっかけでした。すぐに彼は「別冊をつくるよ」と朗らかに答え「大変じゃないの?」という私の心配をしり目に、いつのまに本を溜めていたのか意気揚々と作り上げてしまいました。そして2008年2月第1号挨拶でこんな風に紹介しています。 「『古本倶楽部』もなんとか2百号を数えるに致りました(中略)百号のおりには確か、百尺竿頭一歩を進む、というご挨拶をした覚えがありますが、二百となるとさて、何としましょう。二百号…。言葉巧みに相手を言いくるめてしまうことを三百代言と申しますね。古本倶楽部も百はすぎたが三百にはまだ遠い。ならば今回は間をとっての二百。「二百代言」ということで、あながち嘘ではありませんが、本についての聞きかじり読みかじりのお喋りを加え、うまくお客様を言いくるめてしまおうか(笑)。いやいや、そんな不埒な魂胆ではありませんが、古本倶楽部200号記念の別冊として『お喋りカタログ」をお届けします。余計な記述が煩いかもしれませんが、つれづれに古本屋の親父と、本についての閑話を交わすようなお心持でお目通しいただけたら幸甚です。もちろん「二百代言」に乗っていただいてのご注文、謹んでお待ち申し上げます。」 ところがこれが好評で売れ行きも良く、目録部一同の、またお客様の「ぜひ2号を作って」の要請にこたえ、ずっと作り続けていくことになりました。「月刊に加えてなので苦労をかけるなあ」と思っていたのですが、2011年に千代田図書館で展示された折に古書店主の「目録に込めた思い」で彼はこう語っています。 「『お喋りカタログ』は『古本倶楽部』の反動です。「墨を惜しむこと金の如く」というのが古書目録の本道。解説はなるべく簡略に、要点と事実のみお客様に伝えて注文をいただく。よけいなことは言わない。(中略)それでも長い間この世界に居りますと、溜まってくるのですね。鬱勃としたものが。ムズムズしたものが。そうした古本の垢のようなムズムズを材料に、目録を使ってお客様とお喋りするというのが『お喋りカタログ』の本旨です。手間はかかるのですが、半分ぐらい自らの愉しみのようなもので、内容も刊行時期も溜まり次第という具合です。」 なるほど、そうだったのか…と安堵して、それからは「そろそろ作ってね。」と容赦なく(笑)言えるようになりました。この目録は本人も楽しみながら、1号ゝゝ大切に出していました。一回目の「二百代言」に込められた思いはそのまま挨拶文の常套文句となりました。 「余分な口上はいずれ古本屋のくどき文句。時代も分野もあっちへ飛びこっちへ飛び、誤記誤解、勘違い聞き違い、言葉足らずも多々ございますが、くさぐさご容赦下さいませ。誘い文句に興味をもたれ、ついついくどかれてやろうかとのご注文謹んでお待ち申し上げます。」 こうして、面白そうとか、あっ見つけた、等など、独りぶつぶつつぶやきながら蒐めた品を、ランダムに掲載していきました。でも目録にはどうしても字数制限があります。書き足りなかったものを補足して満足いくまで仕上げさせて頂いたのが「お喋りカタログ番外編」です。「お別れの会」(2015年3月18日東京古書会館地下ホールで開催)では古書通信社の皆様のご厚意で「古本はこんなに面白い」という冊子になり、読んで下さった皆様からも暖かい評価を多々頂きました。この場を借りて深くお礼申し上げます。 内々の仕事や目録作業だけに従事していると彼の仕事がどういうものなのかよくわかっていなかったところがありますが、ご同業また関連職種の多くの方が他誌に掲載して下さった文章やお寄せ下さった手紙などから知らなかった彼の一面を感じることができました。 その内の一つ石神井書林内堀弘様の「図書新聞」掲載の一部を抜粋させて頂きます。 「40頁ほどの、まるで抜き刷りのような冊子に32編の古書エッセイがある。どれも本当に勉強をしていてそれが嫌らしいものではない。八百屋さんが年月のうちに野菜を見る眼を持つように、古本屋という職業を通じて得た馥郁とした豊かさだ。(中略)しばらくすると神保町の東京堂書店で週間ベストテンの七位に入った。ひっそりと遺された一冊に、古本屋の矜恃も含羞もしっかり刻まれている。ここはつくづく本の街だ。そういう本を決しておろそかにしない」 |
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