『小学館の学年誌と児童書』野上 暁 |
1922年(大正11年)に『小学五年生』と『小学六年生』の9月号から創刊された小学館の学年別学習雑誌は、24年に『小学四年生』、25年に『セウガク一年生』『セウガク二年生』『せうがく三年生』をそれぞれ創刊して、ラインナップを完成した。しかし児童数の激減と子どもの雑誌離れが重なって、『小学三年生』以上は休刊のやむなきに至り、現在は『小学一年生』と『小学二年生』が残るのみとなった。 ぼくは1947年に小学館に入社して、『小学一年生』編集部に配属されて以来、他誌への異動もあったものの、累計で15年間も同誌の編集に携わり、同誌編集長を7年務めるなど23年間にわたって学年別学習雑誌で編集にあたって来た。その後も児童図書や一般書籍の編集部長や役員や、関連会社・小学館クリエイティブの社長などを歴任し、小学館とその関連会社などで45年近く仕事をしてきた。そんなことから、「出版人に聞くシリーズ」でインタビューしたいと小田光雄さんからお話をいただいた。 論創社の会議室で、小田さんのインタビューを受けたのが昨年の9月20日。前半は主に小学館に入社するまでの話になったが、今年の3月に刊行された『子ども文化の現代史 遊び・メディア・サブカルチャーの奔流』(大月書店)の原稿を書き上げたばかりだったから、それとの重複に気を使ったが、小田さんの巧妙な誘導により、ほとんど忘れていた読書体験なども思い起こすことができた。 ぼくが配属されたころの『小学一年生』は、入学児童数に占める売り上げ部数を浸透率と言って、全一年生に占める購読率が50パーセントを超すのを一つの目標にしていた。71年からは、4月号や正月発売の2月号は100万部を越えていて、平月の発行部数も急上昇中であった。そして72年1月号で浸透率60パーセントを越え、日本中の小学一年生の3人に1人が購入するという驚異的な記録を打ち立てた。同年4月号では、54,5パーセント、翌73年4月号は57,9パーセントで、浸透率は3年連続で50パーセントを越え、72年から11年間は発行部数100万部を超えていた。 このように、一時代を画した世界でも類を見ない学年別学習雑誌なのだが、出版史的にはどうしても地味なジャンルで、これまで十分に検証されてこなかった。小田さんはそこに着目して、インタビューを申し込んでくれたのだが、ぼくの学年誌や児童書の編集体験ばかりか、戦後の児童文学の流れや子どもの本の現在が抱える問題点まで見事に引き出してくれた。
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